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夜のブランコ 21

金曜日の夕方5時の、米原彼方の家でクラスの家庭訪問が全て終わった。
前学年から教えている子どもたちの親は、いたってフレンドリーで「お世話になっております。」から始まり対象の子どもと笑ったり、つついたりしながらのいい家庭訪問となった。
一年の時は担任だったが二年になって別のクラスになった子どもの父兄とも、はじめましてではなかったので緊張もさほどせず、学校での行動、家庭での生活等十分に聞けた。
今年初めて受け持った何名かは、少し緊張したが、父兄といいコミュニケーションが取れたと思う。
概ね、家庭訪問は順調に終わった。
しかし課題が残った。

鈴木孝太郎だ。

小学校教師になって丸8年。
9年目にしてむつかしい生徒と初めて向き合うことになった。

ディスレクシア。

孝太郎のわからない具合を確かめなければならない。でも金子みすゞの朗読は出来ていたように思う。
句読点が少しちがうようにも思えたが、あれは基子の読み聞かせを丸暗記したということか?
だとすれば、特殊学級どころかかなりの記憶力だ。
ほかの子どもに引けは取らない。
教科書は一体どうやって覚えているのだろう。
基子の努力は半端なものではない。
どちらにせよ、それらを聞き出すためにもう一度基子と話がしたい。
そう思っていた。

金曜日の夕方、紘子は孝太郎の家に電話をかけた。
電話に出た基子に、孝太郎には紘子からの電話だと悟られないようにして欲しいと最初に言った。基子は「はい。」とだけ返事をして適当に返事を返してきた。
おそらく側に孝太郎がいるのだろう。
紘子も少し声を小さくして続けた。

「家庭訪問では、聞けなかったことをうかがいたいのでお時間作って頂けますか?」

基子は「ええ。」とだけ返事した。

なるべく早く知りたい。と紘子は言い、週末学校ではないどこかで会えないだろうかと早口で言うと、「今週末空いています。」と短く答えた。

基子は車の免許を持っている。たいがいの場所には行けるだろうと判断して「そのん」に誘ってみた。
「明日、昼の一時に。そのんはどうですか?」
基子は、「わかりました。では、失礼します。」とだけ言って電話を切った。


基子は嬉しかった。
初めて孝太郎に親身になってくれる先生が現れたと心から喜んだ。
夫は孝太郎の読字障害を認めてはいるが、仕事にかこつけてなかなか本気になってくれない。
藤野川の子ども病院で一度診察させてやりたいと頼んだが

「ああいうのは、夫婦同席で聞いたほうがいい。でも私にはそんな時間はない。」と言う。

なんだかんだ理由を付けて行きたくないだけなのはわかっていた。大きな病気を持っているわけでもないのに子ども病院を訪ねるだなんて、体裁が悪いのだ。

孝太郎は数字には強い。毎日ここからここまで勉強したと、基子に報告すると夕食と風呂を挟んで明日の時間割に合わせ教科書を読んで聞かせる。孝太郎は黙ってそれを聞き記憶していく。一教科ごとどこまで覚えたか基子が確認して一日が終わる。
毎晩10時過ぎだ。
本当はもっと寝かせてやりたい。
もっと遊ぶ時間を増やしてやりたい。
けれど頭に浮かぶ「特殊学級」という四文字を思い出すと奮い立つ。
「特殊学級」が悪いのではない。
どの子にも平等に勉強する機会を与え、学習意欲を引き出すために先生方が苦労しているのを基子は見てきた。
孝太郎にそれがいいのなら、むしろ特殊学級のほうがいいのではないか。とも思った。
けれど、孝太郎が言うのだ。

「ぼく、大丈夫!みんなと同じ学校に行く。」

本人がそう言っている。
子ども病院だの、特殊学級だの、心配しすぎにちがいない。

無理はしてないか。
無理をさせていないか。

基子はいつもここで堂々巡りになる。


よかった。
本気で向き合ってくれる先生がいて。
明日は夫の実家でバーベキューをやるとかで、家に居るのは基子一人だ。

明日ぐらいは遊んでおいで。

と、孝太郎には言ってある。きっと従兄弟達とたくさん遊んで来るだろう。
紘子に会ったことで、何かが変わるなら変えてやりたい。


つづく
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