夜のブランコ 18
よく考えれば、毎日毎晩学校のことばかりだ。
家庭訪問の時期はとくにそうなる。
各家庭それぞれの教育方針や、生活環境、父兄は学校での我が子の様子が知りたいし、教師は家での子ども達の様子が知りたい。お互いが子どもを思ってのことだから20分程度の予定が30分40分と増えていく。
しかし、ひとりで22人分となると全員に一時間
という時間は使えない。
一日目、二日目と順調に進み、なんとか三日目に突入した。
今日は少し間を空けて三人の父兄に会う予定だ。あとひとり入れたかったが相手の都合が合わず金曜日の最後、五人目になってもらった。
一人目は亘理智樹君。真面目で熱心で、体が大きくなんでも笑顔でやってくれるクラスの用心棒的存在だ。たのもしくてみんなの人気者。
でも紘子は知っている。
亘理君の秘めた思い。
ナイショだから、誰にも言わない。
二人目は彼方の家より少し離れた川端地区に住む東沢春陽の家だ。
しっかりモノの春陽にこれまたしっかりモノの看護士をしている母、時間通りに行かなければ。
紘子は少し緊張している。
なにしろ、しっかりモノだから。
三人目は鈴木孝太郎だ。
授業参観日の時の不思議な文字のこと、以前の学校での行動や言動について。
いろいろ聞きたいことがあったので、この後のない、この日に時間を作った。
「こんにちはー。青葉小三年三組担任の、柏木と申します。家庭訪問にあがりました。」
どこの家に行っても、最初はこの文句で通している。
初めての父兄もいるし、無難なあいさつだと思う。
するとだいたいが居間か、床の間か、に通され
座ってくれ
食べてくれ
飲んでくれ
と、いろいろ出てくる。
それらを丁重にお断りして、本題に入る。
なにしろ時間がもったいない。
鈴木孝太郎の家に着いたのは3:30だった。
あいさつをして、靴を揃え、小さめなソファーのある居間に通された。
キッチンでお茶を淹れているのか基子がなかなかやってこない。
孝太郎が自室から出てきて居間にやってきた。
「あ、鈴木くんも一緒に聞いてね。」
そう言って、居間にとどまらせた。
基子が小さなカップにコーヒーを淹れて待ってきてくれた。
「よそのお宅でもたくさん召し上がらなきゃならないから大変ですよね?」と言いながら。
紘子は軽く会釈をして「ありがとうございます」と小さな声で言った時、コーヒーの香りが鼻腔をくすぐった。
そのん!?
そう思った時基子が
「うちは、夫がコーヒーが好きで引っ越ししてきてすぐご近所の方においしい喫茶店を聞いたんです。先生ご存知でしたか?そのんさん。」
いや、はい、もちろん!
紘子はコーヒーの香りをまんべんなく鼻の中に行き渡るように鼻をふくらませて
「ええ、近所なんです。そのん。」
と、言った。
あ、もう無理。
帰りに寄ろう。
鈴木孝太郎くんの家庭訪問が始まった。
「あ、えーと。そうしたらまだ2ヶ月くらいですけど。」
4月から学校で、孝太郎がどんな風に皆に受け入れられたか。からはじまって、仲のよい友達や授業中の様子などを一通り話した。
「春休み中の面談の時、算数が得意だと聞いていましたので授業中私が冷や冷やしています。算数苦手で。」
先生になっても苦手な教科があるとは驚きだと言って基子が笑った。
永美の九九の練習に付き合っているのを何度か見た紘子は、自分の子どもの頃に孝太郎のような友達が居たならばこんなに算数が苦手ではなかったかもしれないと本気で思う。と基子と孝太郎に言った。
「お友達思いのやさしいお子さんだと、私は思います。」
基子はとなりに座る孝太郎の肩を抱き寄せ、孝太郎を見つめ、それから紘子と目を合わせ
「ありがとうございます。」
と微笑んだ。
「家では。」
基子は紘子の顔を見ながら言った。
孝太郎は父親が製薬会社に勤めている研究員だ。青葉町の西側の外れにその製薬会社の会長一家が住んでいるので隣の藤野川市に研究所が作られた都合で、青葉町に引っ越してきた。
研究員だけあって時間的にも少しの余裕と金銭的にも余裕があるので基子は専業主婦だ。
近頃専業主婦を名乗る母親はあまり多くなく、紘子のクラスも三名しかいない。
会社勤めはしていなくても、パートやアルバイト、時短で働く母親がほとんどだ。
基子は自分が恵まれていると思っている。
夫とひとり息子、それに愛犬。
いつでも見守れるところに自分は居るのだと誇りを持って家の仕事をしている。
そうだ、愛する息子が前の学校で
「難あり、児童心理カウンセラー要」
とおかしな指示を受けたことがあるとしても。
つづく
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