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Hameln 13



向こうで小さな黒ねこが遊んでいた。
公園の奥にある桜の木の下で、コロコロと転がりながらわずかに生えた雑草相手に奮闘している。

「馬鹿だなあ。アイツ。」

いつもはベンチに腰掛けて蟻の巣をつつき蟻を苛めては、うさを晴らしていたが今日はねこを見ていた。
あんなに盛大に遊んでいるのに他の子どもが気がついていない。
いつもはねこだの犬だの鳩だの、公園の中を通り抜けるのは他の子どもにすぐに見つかり至難の技であるというのに、あのねこは誰にも気付かれること無くあんなところで遊んでいる。

「変なねこ。」

誰にも気付かれること無く。

冬馬は自分の姿に、その言葉を重ねた。
ぼくは誰にも気がつかれていない。
こうして薄ら寒い服のまま、
誰かと遊ぶこともなく、
みんなが居る公園で、
たったひとり。
たったひとりで居る。
例えば偶然会った全然知らない子とかけっこをして遊んでも暗くなってあちこちに灯りが点る頃になったら急いで帰っていく。
ぼくはまた、公園でひとりになる。
時々よその家を覗きに行く。
辺りは暗く、闇に紛れて外門をそっと開け庭に入り込み食卓の見える大きな窓に張り付いて中を覗く。
たいていはそこの家の子どもが気がつき、お母さんが窓辺に来て

「どうしたの。
どこから来たの。
早くお帰り、うちへお帰り。」

と、言う。
ぼくはうなづき、庭から出てまた違う家を覗く。

家に帰りたい。

そう思って泣いたこともあった。
今は逆だ。
あんな家、家じゃない。
でもお母さんとお姉ちゃんが居るから。
ぼくは男だから。
ふたりを守らなきゃ。
ずっとそう思って来た。
この前殴られて、アイツの足の裏がぼくの背中を蹴りあげたとき何かが破裂した。ぼくの中の何かが。
お母さんとお姉ちゃんは守りたい。
でもぼくはこれ以上ここに居たらきっと次がない。
水を飲めば何かが競り上がってくるし、
トイレに行けば、赤いおしっこが出る。
ごはんはずっとお粥しか食べれてないし、量だって昔みたいに食べられない。
頭が痛くて、むつかしいことが考えられない。
「大丈夫?大丈夫?」
と、お母さんに聞かれて
「うん、大丈夫。」
と、答えるけれど
ぜんぜん大丈夫じゃない。

次にアイツにやられる時は、きっとぼくは死ぬ。

もうきっとぼくは死ぬ。
あちこち痛い。


黒ねこが見られていることに気がついて、コロンとひっくり返りぼくを見た。

「ニャーン」

赤い口の中が見えて少し怖くなった。
声が確かに聞こえた。

その晩、アイツが帰ってくる前に家に帰り三畳間のいろいろな道具の陰で小さく丸くなっていた。アイツが帰って来て何か母さんを怒鳴ると部屋に上がって行き、ほんの十分くらい経った頃母さんが急いで三畳間に入ってきて

「今日はここにいない方がいい。」

小さく短く言った。
水筒のお湯と、お母さんの匂いの大きなマフラーと使い捨てカイロを持たされて外に出された。
母さんはとてもびくびくしていて、オモテに出たぼくの肩を抱いて
「こんなことしかできなくてごめんね。
でも今日はだめ。きっとまたやられてしまう。行って。」
と言って、ぼくを公園の方向へ押し出した。できるだけ早く、できるだけ速やかに家から離れる。
安全な公園のモグラ山に。



はじめてあの男の子を見たときすぐにわかった。

この子は悲しい子だ。

と。
右の緑の目で男の子を見ると継父にされた暴力が次から次へと頭の中に浮かび、両目を閉じた。
全部見なくちゃ。
全部見なくてはわからない。
あの子の全てを見なくては。
あの子がどうしたいかがわからない。
どうせニンゲンの姿になっても大人に見えることはないのに、人目につかなくなった頃合いに男の子の家を覗きに行った。
家の中は静かで、とても整っている。
お母さんはせっせと料理を作りお姉ちゃんもよく手伝っていて、どこからどう見ても普通の家だ。
家の中の様子も、あんなことをされている子どもがいるとは思えないほど、何かがぶつかったあとなどなく壁も柱も傷のついてる場所などない。

特定の部屋があるのか。

覗きながら思った。
左目を瞑り、右目だけで部屋の中をもう一度見た。
僕の右目は真実を見る、緑の目。
キッチンが "そこ" なのだとわかった。
流しのカド。
テーブルのカド。
椅子の上。
床。柱も。
床は酷かった。
確かに入り口のドアを開けて置けば、それ以外に壊れやすいものはしまってあるし万が一皿やコップが割れたとしても、また買って補充すれば体裁はある。
あの子のお父さんはきっと、そんな面倒なことにならないようにきっと"うまく" やっているに違いない。
今まで覗いてきた家は、あちこちぼろぼろだった。押入れの襖、下駄箱、床、壁。家の中のありとあらゆるものが凶器になっていた。
でもここの家は違う。
何も他所と違わない。
大きな音も立てずあの子を掴みキッチンの床に押し付け踏みつけ殴り、蹴りあげる。どこかのカドにあの子がぶつかり気を失うまで続く。
気が済むまで続く。
男の子は声も出さずその時間が過ぎるのをただただ耐え抜く。
お母さんとお姉ちゃんはリビングの奥の和室からその様子の音だけを聞き小さく固く抱き合っている。

なんて巧妙な。
なんて姑息な。
ごめんね、ごめんねと謝りながら何もしない母親を自分の母親に重ねた。

お母さんは僕をお金のために産み
愛情を篠津先生に求めた。

ぼくと同じにしてはいけない。
あの子はあの子だ。
あの子の苦しみはあの子のもの。
ぼくの苦しみはぼくのものだ。
それでも。
浮かんだ。
お父さんの威厳に頭を垂れるお母さんの姿を。

Hameln 13
つづく


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