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Hameln 16



どんなに家の前をうろうろしても、ぼくの姿は誰にも見えない。冬馬の家の一階の窓ガラスに張り付いて中の様子を観察した。
家の中は静かでテレビの音もなく、キッチンに小さな明かりがついているだけで人の居る気配を感じない。
中に居るのだ。気配を消し何もかもが行きすぎるのを待つ母親と娘が。

キッチンの流しの前にある窓に手を伸ばし少し力を入れると鍵はかかっておらず、抵抗なく少しの隙間が開けられた。
窓の隙間から見える食卓に母と娘は向かい合い何か小声で話をしている。
食事が終わったら。
部屋に帰る。
アイツが二階に帰るまで
決して部屋を出ない。
最低限のトイレ以外は夜中も部屋から出ない。
約束よ。
春乃。


継父が仕事から戻りわずかな食べ物が入っているスーパーの袋を母親に渡すと、そのまま風呂に直行した。
母親はいつも言われている細々した用事をこなしながら娘は台所を手伝い、アイツが風呂から上がったらすぐに食卓へ付けるように準備していく。
家の中が最大限に緊張しているのがわかる。
何か一つでも均衡を保つことが出来なかったらこの場が全てまっ逆さまの暗がりへ落とされるほどの緊張だ。
その理由をりくはこの家を覗いてやっとわかった。

「まだ、姉の春乃には手出ししてない。」

母親はそれをいちばんに恐れている。

「そういうことか。」

守りたいものがふたつあり、ひとつは半分相手の手に落ちすでに危うい位置にある。もう一つの守りたいものが共通であるのなら、もう奪われたくない。

そういうことか。

母親が気配を敏感に感じとり流しの上にある窓に目を向けた。
窓の隙間に気がついてりくの目の前で窓硝子がピシャリと閉められた。

春乃はぼくが助ける。
手出しさせないように、今日冬馬を連れ去る。

心に誓った。

冬馬はきっとあの遊具の中に居るはずだ。猫に戻るか、ニンゲンのまま冬馬の前に姿を見せるか逡巡したがこのまま行くと決めた。
もう一度キッチンの窓を開けた。
開けた瞬間を見たのか、それとも自分の危険を察知して見た窓硝子の外に幻を見たのか春乃が。

「猫!黒い猫がいる。」

母親は窓を振り返り一度閉めたはずの窓が少しの隙間でまた開いてるのを見て

「猫?猫がいたの?」

「黒い小さな猫。
右目がきれいな緑色だった。」

母親は窓を開け放ち外を確認したがそこには何も居なかった。


今はニンゲンの姿で居るのにぼくは知らない人から見たら猫なのかしら?と不思議に思った。


公園に戻りニンゲンの姿のまま、冬馬の居る遊具まで行くと
「やあ。」
まるくくりぬいた窓から中を覗いた。
冬馬は驚き
「お兄ちゃん、誰?」
と聞いた。

「ニャーン」

鳴いてみた。
「お兄ちゃん、あの黒い猫なの?」

「ニャーン」

「ホントに?」

「ニャーン」

「ぼくをからかってるの?」

「ニャ、ニャン」

しばらく見つめあった。
りくは真摯に冬馬を見つめ、そして言った。

「冬馬、
今までよく頑張ったね。
ずっと見てた。手出ししないようにずっと静かに見守っていた。
でも、もう無理だ。
君の体は限界が近いし、
君のお姉ちゃんにも危険が迫ってる。
たぶん今日しかチャンスがない。」

チャンスってなんだと口を尖らせ冬馬はりくを見つめ返した。

「君のお母さんが言う、
春乃への危険はぼくもよくわかってる。
春乃を助けたいんだろ?
君も、君のお母さんも。」

冬馬には母親が一心に願う「春乃に傷を負わせない」は冬馬の願いでもあった。

「お兄ちゃん、みんな知ってるの?」

りくはうなづいた。
みんな見ていた。
みんな知っていた。
そして今日、冬馬と冬馬の母親の最後の願いを理解した。
春乃はぼくの姿を認識している。
手出しはされていないものの、明らかな恐怖を毎晩味わっている。
あの家を壊すためには外からの力が必要だ。
誰も気がつかない。
誰も気づいてくれない。
それならば
気づいてくれるように行動すればいい。


「おいで、冬馬。
ちゃんとわかるように説明するから。」
冬馬を外に出し、今どうしたらいいかを説明した。

「って、言うけど。
結局どうなるの。ぼくが居なくなればいいってこと?
ぼくは死んだ方がいいってこと?」

「冬馬は死なない。」

「だって居なくなるって
ぼくの本当のお父さんみたいに居なくなるんでしょ。
ぼくのお父さんは死んだんだ。」

だんだん、自分の言ってることに不穏な響きを重ね頭がパニックを起こしかけている冬馬の両目に涙が浮かんだ。

「冬馬が願うなら、
ほとぼりが覚めた頃お母さんと春乃のところへ帰ればいいだけだ。
今、冬馬がぼくと共に来るならば
あの男と君たち親子は離れることが出来るはずだ。どうする?冬馬。」

頭をフル回転で働かせ、冬馬は考えた。

会えなくなる。
でもお姉ちゃんもお母さんも助かる。
あの男と離れられる。
ぼくは元に戻れる。
どうする?
ぼくはどうすればいい。
目の前のニンゲンなのかねこなのか、よくわからないこのお兄ちゃんはホントにいい人なのだろうか。
信用していいのだろうか。

「信用できないよね。」

公園の端に一本大きな桜の木があった。
もちろん今は冬で蕾すらついていない。
けれど桜の木には力がある。
年を越し春に向かって英気を養う今の時期は桜の木はだんだんとその色を濃くして、紅く染まっていく。
少しずつ蕾に栄養を送り「今がその時」となるまでじっと待つ。

桜の木の下ならば。

ぼくはスタスタと桜の下まで歩いていき、幹にさわり願った。

「ささやかなるものの姿に戻れ。」

公園の中を一陣の風が吹き陸は一度目を瞑った。
風が収まったあとそこには、昨日まで冬馬とねこじゃらしで遊んだ黒いこねこが一匹、背筋を伸ばし長いしっぽを左右に振りながら冬馬を見つめていた。


Hameln 16
つづく


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