今、旅をやめたくてたまらない|デンマークの光を追いかけた10年
旅の終わり
今、私は旅をやめたくてたまらない。
誰もいない屋上で、そう思った。
緑色に塗られた床に寝転ぶと、昼間の太陽の熱がまだ少しだけ残っていてあたたかい。
ずっしりとした雲が空を覆っている。
何かが見つかったわけではない。
ここ数年ずっと旅をしていたから、私はてっきり、何かが見つかるまで探し続けるのだと思っていた。
けれど、物語は途中でかたちを変えた。
見えない夕陽が空を赤く染める。
光を追いかけて
今から10年近く前、私はデンマークの光に恋をした。
それは、大学時代に家族旅行で北欧を巡ったときのこと。最終日に飛行機が欠航し、思いがけずもう一日デンマークに滞在することになった。
そのときに見た、今思うとデンマークらしい、どこにでもある景色。
夏の終わりの穏やかな光。
遠くどこまでも連なる雲。
澄んだ泉のような空気の冷たさ。
とてつもなく静かな太陽に吸い込まれるような心地がして、
「あぁ、私、ここに住むな」と直感した。
人や景色、芸術作品と出会った瞬間に「身体中に電流が走った」と表現する人がいる。
私の感覚も、それに近いものだったと思う。
お金もなく、英語も苦手だった私は就職し、その日のことをいったん心の奥にしまった。
けれどある時、仕事先でデンマークに留学していた人に出会った。
その人は、私がいつかやってみたいと思っていたことを、すでにいくつも経験していた。
私もやってみたい。
そう思った。
働いてお金を貯め、英語を学び、あの直感から七年後、ようやく私はデンマークへ渡った。
初めて知ったhomeの感覚
最初に暮らしたのは、フォルケホイスコーレだった。
そこは、大人のための全寮制学校。
歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、野花を摘んで飾ったりしながら過ごす毎日。
そんな日々を過ごしながら、
「大人って、こんなに子どもだったんだ」
と思った。
もしかしたら、普段“大人”に見えている人たちも、大人になることを求められて、その役を演じているだけなのかもしれない。
私の中の子どももつられて目を覚まし、世界に向かって駆け出していくような心地がした。
夜になると、暖炉のある部屋にみんなが集まる。
それぞれがお気に入りの歌を持ち寄り、ただ一緒に歌うためだけに。
上手に歌うためでも、誰かに聴かせるためでもない。
ただ、一緒に歌いたかった。
卒業の日、言葉を交わしながら一人ひとりとハグをして別れた。
ありがとう、また会おうね。
そんなありふれた言葉に涙が止まらなかった。
空っぽになった校舎は、音楽隊が去った後の商店街みたいに静かだった。
そのとき初めて
「あぁ、ここがhomeだったんだ」と気がついた。
子どものままでいられる時間。
安心できる人と場所。
それ以降、私はその感覚を追いかけるように生きた。
努力の先にあったのは
ボランティアをしながらデンマーク各地を巡り、デンマーク語を学び、大学に入学した。
最初の試験で最高点の12を取ったとき、涙があふれた。
誰にも褒められず、独学で積み重ねてきた時間が、はじめてかたちになった気がして嬉しかったのだと思う。
けれど卒業が近づくまでに、私の気持ちは少しずつ変わり始めていた。
最後の試験を終えたあと、先生に聞かれた。
「この先もデンマークで学び続けますか?」
その時にはもう、デンマークを離れることを決めていた。それなのに、「続けません」と答えた瞬間、涙がこぼれた。
残らないと決めたのは自分なのに。
私は本気でそこにhomeがあると信じていた。
あの日見た光の中で、生き続けたいと思っていた。
だからこそ、その場所を離れる決断は簡単ではなかった。
けれど私は、デンマークに残らなかった。
その理由を一つにすることはできない。
ただ、森を歩くイベントで出会ったアジア人女性との会話が、私の中の何かを変えた。
同い年の彼女は、初対面からよく話した。
自分がいかに不幸か。
デンマークに住みたいのに、自分の力では叶えられないこと。
だから、いつか自分を救ってくれる王子様が現れるのを待っていること。
私は途中から、彼女の言葉よりも森の音に耳を澄ませていた。
踏みしめた小枝が折れて湿った土に沈んでいく音の方が、美しかった。
そして、私もいつの間にか、制度やビザに合わせて人生を組み立てようとしていたことに気づいて、はっとした。
「今の選択の延長線上にある未来は、私が描きたい物語ではないかもしれない。」
だから、私はデンマークを離れた。
フィンランド、ノルウェー、アイルランド、ポルトガル。
さまざまな国でボランティアや文化交流をしながら、その地域の人々の暮らしに触れた。
けれど、どこに行っても“あの直感”は戻ってこなかった。
理想的な場所での空虚感
そして今、私は海の見える街にいる。
部屋の窓から見える静かな水面。
人も風もやさしく、時間はゆったりと流れている。
まさに理想的な環境。
それなのに、どこかが満たされない。
遠い地平線が薄紫色に染まっても、言葉は降ってこない。
それよりも、連なる山が隠した夕陽の行方が気になってしまう。
海まで歩けば数分なのに、見に行く気にさえならない日が続く。
旅をしていた頃なら、きっと夢中で写真を撮っていたはずなのに。
homeとは何か?
思い出したのは数年前、ルイジアナ美術館を訪れた時のこと。
ワークショップスペースの壁に、
「Hvad betyder “hjem” for dig?
(あなたにとって“home”とは何ですか?)」
と書かれていた。
訪れた人たちは、それぞれのhomeを自由に描き、壁に飾っていた。
家族の絵、庭のある家、火のついた暖炉、大きなハート。
でも私は、何も描けなかった。
旅を続ければいつか見つかると思っていた。
でも、そうではなかった。
私が求めていたhomeは、どこかで私を待っているものではない。
同じ場所へ戻っても、同じ季節は戻らない。
遠い記憶の夏休み、みたいに。
そう思った時、少しだけほっとした。
私はもう、探さなくていいのだと思えたから。
詩を書いて、前へ
最近、久しぶりに詩を書いた。
最後に書いたのは、フォルケホイスコーレを卒業する頃だったから、ちょうど四年ぶりになる。
あの頃は、デンマークで出会った景色や感覚を綴っていた。
夏の海に浮かんで感じた、おなかのあたたかさと背中の冷たさ。
小さな村の教会で、ろうそくの光を見つめていた人々の姿。
そして最後にこう書いた。
「いつかありのままの自分で生きていける場所を見つける」
今回の詩のタイトルは
「私の世界を手紙にのせて」。
書きながら、自分の世界の輪郭が少しずつ戻ってくる感覚があった。
最後に、すうっと言葉が浮かんだ。
「どこにも届かなくても、私はここにいる」
届かなくてもいい。
何も見つからなくてもいい。
それでも私は、生きていく。
書き終えた時、何かが静かに終わった気がした。
けれどそれは喪失ではなく、もっとさわやかな何かだった。
静かな光のその先で
今でも、デンマークの空、光、空気が愛しい。
あの場所で出会ったすべてが、今も私の中にある。
ただ、今はもう、その光の中にhomeを探してはいない。
あの光を見ていた自分ごと抱えて、次へ進みたいから。
最近、やってみたい仕事を見つけた。
長く続いた旅を終え、新しい街で、夕陽の見える部屋を借りる。
お気に入りの場所を見つけ、近所の人にあいさつし、花や空に季節の移ろいを感じる。
そう考えたら、無性にワクワクしてきた。
うまくいくかはわからない。
また旅に出る日も来るかもしれない。
それでも今、私は旅をやめたくてたまらない。
静かな光にhomeを求めた、その先で。
ようやく私は、暮らしをつくる旅をはじめる。
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