人生に可逆性はない──『本心』を読んで思い出した、母の便箋と廃油のような感情
平野啓一郎『本心』を読んだ。
読後にずっしりと残ったのは、「人生に可逆性はない」という感覚だった。
物語の主人公は、亡き母をAI(VF)として再現する。
母の言葉、記憶、しぐさ──すべてをデータで復元して「再会」する。
けれど、そこにいるのは“あのときの母”ではない。
そして自分自身もまた、当時とはもう変わってしまっている。
読んでいて、ある記憶がよみがえった。
それは私自身の“母との関係が変わってしまった瞬間”のことだ。
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家族の“他者性”に触れた日
10代の頃、実家の片づけをしていたときのこと。
本棚の奥から、便箋が出てきた。
それは母の筆跡で、何か長い文章が綴られていた。
宛先はわからない。
母自身の心情を吐露したような内容だった。
いまではもう、言葉そのものは思い出せない。
でも、それを読んだときの感情だけが、どろっとした廃油のように残っている。
知らなくていい母の「暗部」を覗いてしまったような感覚。
それまで私が持っていた“母のイメージ”が音を立てて崩れた。
神聖化できたはずの存在が、急に手の届かない他人のように感じられた。
『本心』に出てくる「最愛の人の他者性」という言葉を見たとき、
あのときの便箋の手触りを思い出した。
家族だからといって、全部を理解できるわけじゃない。
むしろ近いからこそ、見ないようにしている部分がある。
そしてそれが、愛や記憶の静かな輪郭を守っていることもある。
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過去を再現しても、関係性は戻らない
『本心』の主人公は、亡き母をVFで再現し、再び語り合おうとする。
けれど彼は気づいていく。
これは“あのときの母”ではない。
彼自身も変わっているし、再現された母も、そのままの母ではない。
過去の関係性は、過去のその瞬間にしか存在しない。
どんなに戻りたくても、
どんなにデータで“再現”できたとしても、
関係というのは、今この瞬間の「相互作用」でしか成り立たない。
再現された母とのやりとりの中で、
彼は少しずつ、外界の他者とつながるようになっていく。
それはまるで、「母からもう一度自立する」ようなプロセスに見えた。
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私が母をVFにしたくない理由
もし私の母をAIで再現できたとしても、私はしないと思う。
なぜなら、母のすべてを知ることが「愛」だとは思えないからだ。
あの便箋を読んでしまった経験が、私のなかで今も生きている。
知らなければ、もっと母を美しく記憶できたかもしれない。
でも、知ってしまった。
記憶のなかの母は今でも愛しい。
だけど、もう“すべてを知りたい”とは思わない。
それが母の尊厳を守ることでもあるし、私の心を守ることでもある。
AIによる再現は、便利で、優しく見えるけれど、
そこには「知らない方がよかった何か」まで掘り起こしてしまう怖さがある。
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一期一会の関係性と、現在を生きるということ
『本心』を読み終えて、強く感じたことがある。
それは、「その時のその人との関係」は、一度きりであるということ。
人は変わるし、相手も変わる。
だからこそ、あの瞬間のあの関係は、かけがえがない。
人生は、可逆ではない。
そして、それでいいのだと思う。
過去を完全に再現することはできない。
できたとしても、それはただの“記録”であり、“関係”ではない。
いまを生きるとは、
過去を過去のままにしておく勇気でもある。
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そして、あなたに問いかけてみたい
もし、大切な人をAIで再現できるとしたら──
あなたはそれを、選びますか?
最後まで読んでくださりありがとうございます。
最近は家族にまつわる疼きを着想的に執筆中です。
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