炎上の先の「結末」と、私が静かに現場を離れた理由 ‖ #17-仕組み屋の記録帖
谷川です。
呼び戻されたのは
炎上の先の「結末」を見るため
だったのかもしれません。
今回の記事は
当時の心境の振り返りです。
今だからこそ
一気に淡々と記録を綴れていますが
当時の心模様を
改めて整理してみたいと思います。
これは私自身の過去の感情の記録であり、
誰かを傷つけるためのものではありません。
読み進める方は
そっと心の準備をして、お進みください。
※今回の登場人物はすべて仮名。
実体験をもとに
複数の経験を再構成して表現しています。
どうか広い心でお許しください🙏
🧑🤝🧑登場人物紹介はこちら
👇️前回のお話はこちら
📝今回のお話について
話は戻って、
今回の話はこの流れで進みます。
🌙 心を閉ざした時間
私自身にとって、
あの一連の出来事は
「技術者の誇りを打ち砕かれ、
心を閉ざす出来事」でした。
あのとき、耐えきれず
自分の中で何かが壊れてしまった。
「もうこんなのは、たくさん…」
そう思い、数年間は
記録、誇り、感情――
すべてのドアを強引に閉じていました。
回復を優先した時間があったからこそ
今の自分があります。
そして、心身ともに落ち着いた
今だからこそ
恨みや怒りはもうありません。
ただ一つだけ思うのは
「後進には同じ思いをさせたくない」
そんな祈りを込めて、静かに書いています。
👞本社に戻った理由
東京では、辣腕マネの日野部長のもとで
短期間ながら
プロジェクトマネジメントも経験し、
「次もご一緒に」
と声をかけてもらえる関係もありました。
ナビス様でも
派遣の立場でありながら
実装リードまで任せてもらい、
プロジェクトは穏やかに進んでいました。
……それなのに。
ある日突然、
「本社に戻ってほしい」
と言われました。
何度も繰り返される非常識な呼び出し。
「どうしてなんだろう…」
そう思った時点で
信頼関係はほぼ失われていました。
それでも、戻ったのは、仕事だったから。
正直、
嫌な予感しかしませんでした。
🔥 戻った先で待っていたもの
戻された先で、私は再び
高負荷なプロジェクトに入ることになります。
今度は 一実装担当。
権限も裁量もなく
ただ現場に立つだけ。
「えっ、そんなん困る。」
何度目だろう。
そんな思いが、頭をよぎりました。
本業、創作、人間関係――
すべてが同時進行。
余白がまったく残っていませんでした。
止まりたくても止まれない。
声を上げる余力も残っていない。
身体がストップをかけるしか
なかったのだと思います。
技術者としての誇り。
創作の純粋な楽しさ。
積み上げてきた時間。
将来に対するワクワクした可能性。
それらすべてに
幾重にもひびが入り
もう元には戻らない形になりました。
🧊見えてしまっていた違和感
最後のプロジェクトでも
要件は止まらず、
「旧システムと同じ」
という言葉だけが先に進んでいきました。
本来詰めるべき
差分や運用設計は置き去り。
タスクだけが積み上がっていく。
私は一開発担当でしたが
実装リードとして現場を見てきた目で
はっきり感じていました。
「これは、もう成立していない。」
現場そのものが壊れている。
止めないといけないのに
ブレーキそのものがない。
納期を延ばせば
解決する問題でもない。
完成しても
現場が使えなければ意味がない。
だけど…
私にできることは
もう何もありませんでした。
これ以上、
信頼のない現場で
私は責任を持つことはできない。
壊れていく姿も
私は直視することもできない。
結果として
静かに私は現場を離れる
という選択をしました。
☁️ 今なら、言えること
当時を振り返ると
あのときの私は
壊れたのではなく見えてしまっていた
のだと思います。
個人の問題ではなく
それを言葉にできなかっただけ。
今なら分かります。
要件が固まらないまま進む構造
止める人がいない意思決定
見積と現実の乖離
あのプロジェクトは
現場ではなく
構造の中で詰んでいました。
恨みはありません。
けれど、
見積をねじ曲げる判断だけは
今でも許しません。
あれはプロジェクトの問題ではなく、
現場で働く方々の
人生を壊す「判断」だからです。
「これ以上進んだらまずい。
なんとか見直してもらえたら!」
そんな一心で出した退職届。
私にとっては
最後のブレーキのつもりでした。
結果として、その行動は
「技術者の反抗」
と、受け取られてしまいました。
退職1ヶ月前、
私の代わりに来た
技術リードの郷田さんが
「こんなの、納期伸ばせばいい。」と。
時間ではもう何も解決しないのに。
根本を変える打ち手があるなら
教えてほしいくらいなのに。
だけど、
この会社での
私の役目はもう終わり。
ただ冷めた目で
「ああ、この人が、
次のフェーズにきり替わってから
地獄を見るんだろうな…」
と思うことしかできませんでした。
数年後、
「導入事例なし」にも驚きましたが…
さらに、公開決算書で
複数期にわたる大きな損失を目にしました。
もちろん、それが
この案件によるものかは分かりません。
「ああ、やっぱり…!!」
当時は郷田さんの判断のほうが
正しいと思っていました。
それゆえ、
私が見えていた危険を思い出し
血の気が引きました。
最後に残ったのは
「ここまでになっても
なんで、誰も引かないの?」
という虚しさでした。
同じことを二度と繰り返してほしくない。
プロジェクトは数字だけではなく、
そこにいる人の人生の時間で
成り立っているのだから。
🖊️ そして、今
あの経験のあと、私は
一度この業界を離れました。
けれど今は
違う場所で、違う仲間と
違う形で自分の力を使っています。
だから、もう大丈夫。
この記事は
過去の私のためのものです。
そして、もし、
この文章を読んでいる誰かが
同じ場所に立っているのなら――
どうか
自分を守る選択をしてください。
私はそっと応援しています。
あのときの私にも、
同じ言葉をかけてあげたかったと
今では思っています。
