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不成立から降りた日 ― 最後のプロジェクト・後編 ‖ #16-仕組み屋の記録帖

谷川です。

「スラップを去る」と行動に移した時、
なぜか私は『冷静』になっていました。

これは私が開発職を離れるきっかけになった
「最後のプロジェクト」の記録後編です。

当時は語れなかったことを、
今なら静かに書ける気がしています。

読み進める方は
そっと心の準備をして、お進みください。


※今回の登場人物はすべて仮名。
実体験をもとに  
複数の経験を再構成して表現しています。  
どうか広い心でお許しください🙏


🧑‍🤝‍🧑登場人物紹介はこちら 



👇️前回のお話はこちら



📝今回のお話について
話は戻って
今回の話はこの流れで進みます。



🔥火の男からの予算ありきの見積依頼

退職届を出した後
私は不思議なほど冷静になっていました。

その頃…要件定義は
完全に歯止めが効かなくなっていました。

「旧システムと同じで」

その一言を免罪符にして
本来なら詰めるべき差分や
運用設計は置き去りにされ
タスクだけが積み上がっていく。

システムが変われば
同じでは済まない部分が必ず出てきます。

システムで吸収するのか。
運用で回避するのか。
両者、調整して進めるのか。

そこを詰めずに
「とりあえず作る」が続いていました。

どうするの、これ…

そう思いながら眺めたのが
山のように並んだカスタマイズ一覧でした。

そして…

その見積依頼が
私のところに回ってきます。

機能も仕様も開発も
メンバーの中では一番わかっているから。

……たぶん、
そういう理由だったと思います。


 退職届を出した人間に…
 このタイミングで?


正直、意味がわかりませんでした。

でも、仕事には罪はない。

そう言い聞かせて
私は正直ベースで見積を出しました。


ああ…これ、無理だ。

どう考えても収まらない。


本当はここまで手を加えるなら
スケジュール自体の組み立ても
設計の見直しも
ERP開発メンバーの増員も
ドキュメント整備も
十分なテスト・受入工数も必要です。

とにかく、
すべてのリソースが不足してる。

…ですが、

その数字は
そのまま提出されませんでした。


返ってくるのは

「予算ありきだから」
「納期優先でいこう」
「削って調整しよう」

“削られた見積”(イメージ)

…あぁ、そうですか。

その先の責任を
私はもう持てませんでした。


このやりとりを見ていた
ブリラントのベテランSEの東先輩も
「こんなの無茶だ。できるわけない…」と。

お互いに顔を見合わせました。


ーこのプロジェクトはもう破綻しているー
完成の問題ではなく、成立していない。


そう思ったとき、
私は腹を括りました。

 


🛑 「その未来が見えたから」の撤退

「このまま進むと危険。だから撤退する。」
というのは
感情の話ではありませんでした。

要件が固まらないまま
タスクだけが積み上がり
バッファを削って納期だけを合わせる。

その瞬間から、
後工程は必ず崩れてしまいます。

テストも運用も
最後は現場が全部背負う。

私にはこの時点で、
その未来が見えてしまっていました。

だから…
私は期限を決めました。

どんなにがんばっても…
開発〜導入フェーズ開始前までには退く。

「退職予定は半年後」と
会社と事前に同意を取り付けて。

それ以上は引き受けない。
でも、そこまではやるべき仕事はやる。

状況が変わらないまま
時間だけが刻々と進む中で、
私は期限を守ることだけを決めていました。
胸の奥に心苦しさを秘めたまま。


それが…
私にできる最後の仕事でした。


それでも、やはり
徐々に遅れが出てはじめ、
「ごめんだけど○月までいれる?」と
延長依頼はありましたが…

「ごめんなさい、難しいです。」
と。



🌪️東京からの助っ人到着と無力感

東京から新しい開発リードの
郷田さんが来ました。

私の退職後を見据えた補強として
入ったようでした。

体格は男性にしては小柄。
けれど…

会議室へ入った瞬間
空気の主導権を持っていく。

資料を一通り見ると
郷田さんは迷いなく言いました。

「三か月延ばせば、
 コレくらいいけるでしょう?」

私は顔を上げ、
郷田さんは続けました。

「ナビスでやったやん。
 これくらい、分からんの?」

その声に迷いはなく、
私は黙るしかありませんでした。

もしかしたら、
郷田さんには
今、私には見えていないものが
見えているのかもしれない。

私が危険だと思っているだけで
この状況を打破できるのかもしれないから。

郷田さんがいるなら
もう私がここに残る必要はない。

私の役目はここまで。

なら彼に任せて、私は引こう。
そう思いました。

そして、

もうこの会社では、
自分が役に立たない人間のように
感じました。



😶‍🌫️ 表向きの退職理由

退職理由は
「入院明けで
 もう身体がついていかないから」
でした。


でも、もしかしたら、
周囲も薄々気づいていたのかもしれません。

退職前、有給消化の話をしたとき、
天の声さんから
配慮してくれた言葉がありました。

見えない理解と何も言わない優しさ。

そんなものが確かにあった気がします。

ただ今振り返ると
あれは個人ではなく
構造そのものの問題だったのだと思います。




🍬 最後の日と、挨拶できなかった人

いよいよ退職日。
お菓子を持って、
みんなに挨拶して回りました。

番頭さんと川宮さんから
「谷川さんが、先に足抜けだね…
 今までお疲れさま。」

と声をかけられました。

軽口のようにも聞こえる言葉でしたが
たぶん冗談だけではなかったと思います。


ここは無茶だ。
このままでは、みんな削られていく。


そんなことを
お互い、どこか分かっていました。

「お元気で」
と、返したような気がします。

それ以上、
何を言えばよかったのかは
今でも少し分かりません。

 

助っ人に入ってくれた東京の後輩は、
ビデオ会議端末越しに
泣きそうな顔で送り出してくれて。

つい、もらい泣きしそうになりました。

でも、木蓮さんには会いませんでした。
退職の責任を
感じさせてしまうかもしれないと思って。

無理に会うのは
やめておこうと決めました。

東京の日野部長に
最後のご挨拶できなかったのは
今も心残りです。



🔗 まさか?連鎖……した?

退職から数ヶ月後
SNSのメッセージに
プロジェクトに参画していた
後輩から連絡がきました。

「先輩、お元気ですか?
実は、私もスラップを辞めました。」

……えっ、私、連鎖させちゃった!?

実際のメッセージは思ったより力強くて…
焦りつつも、
「やっぱり?」と苦笑してしまいました。



結び:『静かなレクイエム』

数年後経った今。
当案件の導入事例は表には残っていません。

…きっと、そういうことなのでしょう。

今、みんなはどうしているかな。
元気でいてくれたらいいなと思います。

あの時は
あの場所では
私はもう『無理』だった。

でも、誰かを恨んでいるわけじゃない。

みんなそれぞれの立場で
一生懸命だったと思う。

仮名をつけて書いてみたら
不思議とあの頃の人たちに愛着が湧いてきました。

これは、私なりの祈りとして残す
現場へのレクイエムです。


誰かを救えなかった悲しさは残ります。
でも、私はもう大丈夫です。

だから今度は
別の場所で仕組みを守る側にいます。



🔜 次回予告

次回は、当時の心境の振り返り。

今だからこそ
一気に淡々と記録を綴れていますが、
心模様はどうだったのかを整理します。

よかったら、そっと覗いてみてくださいね。


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