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私が“仕組み屋”を目指した原点の日 ‖ #01-仕組み屋の記録帖

私を当時を知る方が
このnoteを読んだら
もしかしたら、こう思うかもしれません。

「あの寡黙だった
 谷川が喋りだしてる!?😳」

たしかに私は、
あの頃 、空気を読んで
黙々と自分の仕事するタイプでした。


あ、でも…
ちゃんと感じていたし
周りが見えていたんです。

ただ、その場で
伝えられる語彙力と
言葉にする勇気が足りなかった
だけ。

——そして今、
その反動かもしれませんが
語り出したら、止まらなくなりました🤭

今回は、そんな私が
“エンジニアとして歩き出すきっかけ”
「原点の話」 を書こうと思います。



🧑‍🤝‍🧑登場人物紹介はこちら 


📝今回のお話について
今回の流れはこんな感じです。



🖥️いざIT業界へ、はじめの一歩

私の最初に足を踏み入れたのは
「🕸️ヘブンズウェブゲート株式会社」
(略称:ヘブンゲ社)

名前だけ聞くと
なんだか希望に満ちた会社。

——でも、その実態は少し違いました。

ここは
美しいデザインを
全力で実現する会社。

WEBデザイナーの描くキラキラな理想を
WEBプログラマがなんとかして形にする。

その姿は
ある意味とても真っ直ぐで
とても情熱的でした。

ただし——

👉️実装は「記憶」と「気合」
・ドキュメントは、ほぼ存在しない
・テストという文化も、ほぼ存在しない

外見はキラキラ。中身はお察し…


そして
障害対応は日常茶飯時。


営業が即座に必死に謝罪。
開発が徹夜で必死に対応。
デザイナーはどこ吹く風。

障害優先かつ並行での新規開発中は
何日も自宅に帰れない人も見て
心苦しい思いをしていました。

〜 ヘブンゲ社の日常 〜

当時の私は営業部。

電話先のお怒りのお客様に頭を下げ、
開発者への障害対応依頼に頭を下げ、
こう思っていました。

「開発って、本当に大変…!」

そして、この時の私は
このループの外に出る方法を
知りませんでした。

でも、今なら分かります。

「大変」だったのではなく、
そもそものやり方が「わからなかった」。

努力や根性の問題ではなく、
『成立する開発の型』を
開発部は誰も知らなかったのです。

——つまり、
設計なき開発が常態化した現場』でした。

だから、
どれだけ頑張っても終わらなかった。

まあ…「みんな、若かった」ですしね。

ちなみに、
現在は体制も変わり
事業も拡張されているようです。
(よかった!)



🚩「誰かの役に立ちたい」から

営業部からシステム職に
転向したばかりの頃。

「謝るだけの立場ではなく、
 原因を止める側に回りたい。」

「自分が手で動かしたい。
 仕組みをつくって、
 そばにいる誰かの助けになりたい。」

と思っていました。

そんな中、
別の会社からやってきた女性エンジニア。

最初の上司。
今も心の中で「恩師」
呼び続けている方がいます。

もともと他業種から
開発に転向した、情熱的な女性。

わずか3〜4年で
情報系の国家資格である

  • 基本情報処理技術者

  • 応用情報処理技術者

  • データベーススペシャリスト

  • プロジェクトマネージャ

を一気に取得。


ちなみに…
ITエンジニアの国家資格は
こんなピラミッド構造になっています。

出典:情報処理推進機構(IPA)https://www.ipa.go.jp/shiken/about/index.html


いや〜〜、ほんとにすごすぎて。
毎日、圧倒されていました😳

私はその方のもとで
「恩師2号」と呼ばれながら、
日々プログラムに頭を悩ませていました。



🎯「谷川ちゃん、デスペまで取ろうね!」

ある日、その恩師が
笑いながらこう言いました。

「谷川ちゃん、
 デスペ(データベーススペシャリスト)
 までは絶対、取ろうね! 約束ね!!」

——え、ええっ!?

私、まだ基本情報すら……
 

いきなり高度試験?
ハードル高すぎ〜〜〜〜!?😂😂😂

と心の中で叫びながらも、
不思議とこの言葉が
ずっと残っていました。



その後、
とあるWEBシステムの
管理画面一式のコーディングを任され、
試行錯誤しながら
なんとか最後まで形にしました。 

ただ同時に
こうも思っていました。

「……このままでいいのかな?」と。

恩師から別の会社の
開発プロセスの話を聞いて。

「え、障害対応って日常じゃないの?」

と、別の開発現場も
好奇心で見たくなり増して…


恩師の下でずっと学ぶか
他の会社の開発に触れるか悩んだ末
「ヘブンゲ社」から離れることにしました。



その後、私は5年かけて
「基本」「応用」「デスペ」を取得。


試験会場から出てくるたびに
「もういい、私には無理だ」って
毎回思ってました(笑)

数年後、ヘブンゲの先輩技術者と
試験会場の帰りにすれ違いかけて
ドキリしたものです。


恩師の言葉がずっと頭にあって
「せめてデスペまでは」
なぜか諦めきれなかったんです。

ちなみにデスペは3度目の正直。

情報処理試験の挑戦は
通算、何回落ちたかは聞かないで・・・

地頭やセンスの悪さ、
自覚してるから🤣🤣



🧠 学びの先で、つながった世界

データベースを学び続け、
その後、開発職では
自動仕訳などの高難度処理を。


今では
社内データの基盤設計、
データモデル構築、外部との打ち合わせ

まで担当するようになりました。

今では整合性が見えなければ
止める側に回ります😎

「え?谷川さん、デスペ持ちなんですか?」と驚かれることも。

……でも、私はまだまだ。
恩師の足元にも及びません。

プロマネはまだですし。

子どもももうすぐ小学生だし、
また情報処理技術者試験を
再開してみようかなと思ってまして。

次はITストラテジストを
目指してコツコツとかな💪



🧰 資格は「取ること」より「活かすこと」

資格って、
“取ること”がゴールじゃない。
いざというとき誰かを助けられるように
知識の引き出しを増やしておくこと。

その価値観は恩師に教わって
今も私の中に生きています。

ちなみに簿記は
電卓が苦手で落ちました🤣

3回やって
「指が動かないし、こりゃダメだ」
と撤退。笑。

テキストで理解したおかげで
業務には役立っています。

色彩検定やアートセラピー、
カラーセラピー系の資格も
こっそり持ってます☺️

もちろん、
パステルアートの講師資格もそれなりにね。

「学ぶこと」が今では日常であり
私のたのしみです♥


🎁 最後に。あのときの約束を

「あなたなら、
 いいエンジニアになれるよ!」

恩師がそう信じてくださったあの日。

私はちゃんと約束を果たしました。

本当に、本当にありがとうございました。

またいつか、どこかで。
この言葉があなたに届いたらうれしいです。

——あなたの“2号”より。



✍️「仕組み屋の記録帖」次回予告

次回は
「恐怖の減価償却モグラたたき」です。
初めて本格的に
「地獄を見た」開発現場の話を・・・

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#システムエンジニア
#働き方の記録

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