減価償却とモグラたたき—若き花園班の地獄への迷走 ‖ #02-仕組み屋の記録帖
谷川です。
今回は初めて
本格的に「地獄を見た」開発現場の話を。
※今回の登場人物はすべて仮名&
当時の雰囲気から
フィクション交じりでつけています。
万が一気づいても
どうか広い心でお許しください🙏
🧑🤝🧑登場人物紹介はこちら
👉️前回の記事はこちら
📝今回のお話について
今回の流れはこんな感じです。
🏵️転職直後、配属先は「花園班」でした
私が転職したのは
「株式会社スクラップビルドシステム
(略称:スラップ社)」。
転職してすぐ
私は『ERP事業部の“花園班”』という部署に配属されました。
華やかな名のとおり
当時のメンバーは美人揃い&会話も華やか。
開発チームなのに女子トークが飛び交う
不思議な空間。

番頭さん(プロジェクトリーダー)
薔薇リーダー(開発リーダー)
桔梗さん(薔薇リーダーの後輩)
木蓮さん(3ヶ月先に転職してた人)
小梅さん(この道のベテラン)
当時の私は…というと
正直、場違い感に押しつぶされそうでした。
前職は男女問わず
黙々と作業をする雰囲気だったから。
どう馴染めばいいのか分からず、
「転職して早々なのに帰りたくなった」のはここだけの話です。
🧨花園班のミッション―開発を大阪へ持ち帰れるか
当時のスラップ社には
ERPパッケージ『ブリラント』の開発を
「将来的に自社でも担えるようにしたい」
という考えがありました。
東京のソリダテック(略称:ソリダ)へ
自社の優秀な開発者を送り込み、
ブリラントの製品知識や
開発ノウハウ、経験を身につけていく。
ソリダ側で行っていた開発を
少しずつ自社へ持ってくる。
そんな流れが進んでいました。
そんな中、
大阪の花園班へ任されたのが
「会計ユニット」の
資産管理バージョンアップ対応。
大阪側だけでどこまで
ブリラントの開発を担えるのか。
『開発移管の試験的な意味合い』
を持つ案件でもありました。
テーマは
減価償却費の計算方法改正と
重すぎる計算処理の速度改善。
……文章にすると
普通のバージョンアップ案件に見えます。
しかし…
実際に蓋を開けてみると
これが、とんでもない難物…
ソースのスパゲティ具合が尋常じゃなく…
何をしてるのか追うだけで大変。
しかも複数人で1ソースを同時編集する
地雷フラグON状態。
🔁直しても直しても、次が出てくる
修正しても修正しても
不具合報告が止まらない。
「あっ!
ここの処理、別の箇所に影響出てる?!」
「えっ…?
修正ソース、入れる場所間違ってる?!」
「てか、設計書……!
そもそも間違ってない!?」
「もう、
テスト開始はいったい、いつ?!」
・・・という感じで、
気づけば修正→指摘→修正の
モグラたたき状態に突入。
連日終電、土日も関係なし。
プロジェクトは大炎上。
現場は地獄絵図でした。

🧑💻誰が悪いわけでもなかった。
でも、崩れた。
若いメンバーが多かったこの花園班。
みんな一生懸命だったけれど、
設計・テスト・修正の連続で、少しずつ疲弊していきました。
特にERP特有の機能間連携の複雑さが立ちはだかる。
各機能がどう絡むか分かっていないと直せない。
業務知識なしではテストも設計も組み立たない。
ドキュメントは不完全、設計と実装がズレてることも日常茶飯事
こんな状況が1〜2ヶ月ほど続き、
当時のERP事業部長の大野さんが聞きつけ
現場の状況をヒアリング。

「もう無理せんでええ」とひと言。
花園班から上がった
「このままでは厳しい」という白旗を
大野さんは受け取り
条件を見直す判断へつなげました。
当時の私は
「最後までできなかった」と
悔しさのほうが大きかったのですが…
今振り返ると
大野さんのこの判断があったからこそ
花園班だけで走り続ける状態が
止まったのだと思います。
🧭今の私がタイムスリップできたら
今の私がこの現場にいたなら
こう言ったと思います。
「誰か『業務が分かるSE』をアサインして!」
「最低限、固定資産や
償却計算の業務が分かる人を。
分からない点は
経理や税務の専門家へ確認できる体制を!」
「現場とプログラムの“翻訳係”が
いないと詰んじゃうよ。今すぐ見直して!」
ベテランはいました。
業務やプログラムを知る人もいました。
でも、それだけでは足りません。
当時、必要だったのはブリラントを
実際に開発し、結合・受入まで経験して、
パッケージ全体の影響を読める人だった。
そして、
その経験者は
主に東京側に集約されていました。
パッケージ全体で
「ここを変えると、どこへ影響するのか」
まで見える人が
当時の花園班にはいませんでした。
その間をつなぐ人がいれば
結果はまた違ったかもしれません。
大野さんが介入したあのタイミングは
「何を残すのか」
「誰へ引き継ぐのか」
「このまま続けられるのか」
を判断する場面だったのだと
今なら、分かります。
そして、この時は
現場から上がった「もう無理」を
受け取る人がいました。
🧩花園班の教訓
このプロジェクトは
営業サイドで条件が見直されました。
残対応はソリダの東京常駐の
自社メンバーへ引き継がれました。
そうして、なんとか収束へ向かいました。

引き継いだからといって
仕事そのものが消えたわけではありません。
東京側にも負荷は移りましたし
後始末も簡単ではありませんでした。
📌まとめ
今の私なら画面を見て、
ソースを確認し、テスト仕様書を書いて
全体を可視化してから動くでしょう。
でも、あの頃はただがむしゃらでした。
今でも、時々思います。
「年若き番頭と乙女たちに
任せっきりじゃあかん!」って。
開発現場には『地図』が必要。
そして、
その地図を『翻訳できる人』も
必ず必要だということを。
これが、
私が「設計」と「仕組み」に
目覚めた最初の炎上プロジェクトでした。
🧹資産管理案件の後始末後…
薔薇リーダーは一人、
引き継ぎのため東京へ。
三か月後。
帰ってきた薔薇リーダーは
見るからに疲れていました。
「もう、懲り懲り。」
……はい。
普通なら、ここで学びます。
「東京、怖いところなんだな」
「しばらく近づかないでおこう」
ところが。
東京はまだ人手不足。
誰か行ける人は他にいないか
…という話になった時。
女性陣、沈黙。
そしてなぜか…
//
「私、行きます✋」
\\
命知らずの谷川です。

ちなみに、もう一人はU博士。
谷川:志願兵
U博士:強制連行
こうして妙な二人組の
東京遠征が始まりました。
🖊️あとがき
転職して最初の現場が
これって、キツすぎません!?
実はコレ、まだまだ序章です…苦笑
登場人物はもちろん仮名ですが、
「花園班」は当時の空気から
名付けた『愛称』です。
時効だしと調子に乗って書きましたが、
バレたらちょっとヤバいかも。
関係者から怒りのメール📩来たら
ごめんなさい。土下座します🙏
当時の私は“何も言わない人”でした。
もし、私が語ってるのを見たら
「あの谷川が!?」と
びっくりされるかもしれません。
でも…
あの現場があったからこそ
「仕組みを見る目」が芽生えたのは
本当の話です。
「花園班」に感謝と愛と尊敬をこめて♥
🔜 次回予告
次回は「谷川東京へ行くってよ?!」です。
大阪とは全く空気が違う東京の現場。
果たしてついていけるのか…そうご期待。
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励みになります☺️
