泥臭さ
あなたの作品は泥臭いね
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そんなことを言われたことがあります。若かったし、言葉の意味が解りませんでした。ただ漠然と「褒められているわけじゃない」という理解をしました。否定されているわけでもない。要するに洗練されていない…ということかと…。
不思議なもので作品の完成度が上がると心に響かなくなることがあります。まるで市販されている工業製品を見るような感覚です。もちろん、完成度が高く心に響く作品も存在するでしょう。感じる側の琴線に響くかどうかと言うことなのかも知れません。けれど、より多くの人の心の琴線に響く作品は、完成度が高いばかりではないような気がします。
作品を制作する意図は作家によってそれぞれです。日常生活の中でさりげなく活かされることを意図して制作されることも多々あると思います。決して主張せず、脇役に徹することに価値を見出す。それは素晴らしいことだと思います。
たとえば作者不詳の童謡のように。その詩や曲を書いたのが誰だか解らないのに作品が存在します。誰もが当たり前のように口ずさみ、暮らしや人生に寄り添う。この場合は、歌い継がれるうちに洗練されて完成度が上がるのでしょうか。もちろん心に響かなければ、やがて忘れられて行くでしょう。
写真も同様、心に響かない作品はやがて忘れられて行くのではないでしょうか。
そして、絵やイラストについても心に響かないものは忘れられて行くように思うのです。完成度を上げる必要はあるにしても心に響かないものになって行くことはボクの取り組み方とは違う気がします。名前をのこしたいわけではないのですが、何かを伝えたり主張したりする作品を描きたいのです。人間業とは思えない高い精度の技術であっても心に響かない作品になってしまうことは本望ではありません。
技術と心のバランスが大切と言うことになるでしょうか。
この泥臭さはボクの個性として大切にしようと思ったことを憶えています。泥臭くても愛される作品…蓮の花は泥の中から咲くものです。そんな作品が理想です。

今年は時季を逸したので見られないと思っていたカタクリの花が咲いてました。頂上付近にはまだ残が残る山間です。満開に咲くニリンソウの花から少し離れて濃いピンクのカタクリの花が、日陰にぽつりと咲いています。遅咲きのカタクリの花の周囲には、既にたくさんのカタクリが実を結び始めていました。
季節は動いています。
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