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脳活

脳の使い方って結果論でしか判断出来ませんよね

 最近は科学の進歩によって、脳のどの部位が活性化してるとか、脳波がどうだとか言うことまで解るようになっているようです。
 そこまで進歩していても日常のことすら解らないことがあります。

 今日、夕方にひどく空腹だったので何か食べようと思ってインスタントラーメンを作り始めたのです。作りながら昼食は何を食べたかと思い出そうとしました。ホンの数時間前のことなのにいくら考えても思い出せません。

「そうか、作品作りに夢中になっていて食べてないからこんなに空腹なんだ。」

 そう考えて一旦納得したのです。
 それからまたラーメン作りの続きをしているうちに思い出しました。
 焼きそばを作って食べていたのです。空腹なのは量が足りなかったからでしょうか…ということは食べ過ぎ?

 昨日の随想で子供の頃のエピソードを書いたことを妹に報告したら、当時の詳細な出来事を書いた返信がありました。たぶん、ボクが4〜5歳。妹は3つ年下です。それを読んでいたボクは、全く忘れていた記憶が呼び覚されて驚いてしまいました。そんな幼い頃のことを憶えている妹の記憶力にも驚きましたし、妹がボクの記憶の鍵を持っていたことになります。

 記憶は一体どこにどういう状態で格納されているのでしょう。そんな自分のことすら解らないのです。

 ボクは小学生の頃にサッカーをしていて、コートの外に転がり出て行ったボールを拾いに行き鉄棒に衝突したことがあります。
 その瞬間、痛くも痒くもありませんでした。ただ、停電したように世界が消え、ポーンと闇に投げ出された感じです。
「あ。死んだのかな?」
 微かにそんなことを思いました。
 それから感覚が戻るまでしばらくの時間があり、身体が痙攣していることが解るようになりました。痙攣は自分で止めようと思っても止められなかったので力を抜いてみました。すると何とか痙攣は止まりました。それから真っ白な世界に輪郭だけが解るようになり、サッカーの仲間や先生が心配しているのが解りましたが…誰が誰であるか特定出来ない状態が続きました。

 心配かけまいとして「大丈夫」とは言ったものの、少し後で気分が悪くなり、それからボクは入院することになりました。安静にしていたからか気分が悪くなったのは一時的なものだったようで、それからの入院生活は退屈なものでしたが、成績も信頼もそこそこあったボクの人生は小学生で下り坂の局面に遭遇することになったのです。
 後日、何やら頭皮にたくさんの電極を配線し検査をして無事退院となりましたが、どうしてそんな検査で解るのか不思議に思ったのでした。

 子供の頃、記憶の仕方を考えていたことがあります。どうすれば憶えられるのだろうと。他の人が脳内でどんな処理をして考えたり記憶したりしているのか知る術はありません。そこでボクのとった方法は見たものを脳内でコマ撮りすることでした。映像として残すには情報量が多すぎると感じたのと解像度が低くなると感じたことがあります。この辺りはデジカメ事情と良く似ています。一日の出来事を延々コマ撮りするのはこれまた大変な脳内処理となります。忘れ物をした時とか失ったものを探す時は脳内のコマ撮り映像を一枚ずつ確認する作業です。

 記憶の方法一つとっても個人差があると思われるので、計算方法や思考方法なども考えると脳内のコンビネーションは独自の形になるでしょう。

 他の人の脳内を疑似体験するわけにも行かず、思ったように考えがまとまらない時やアイディアが出て来なかった時、どうすればよりよい脳活が出来るのかと思うのです。

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