自転車バナー

創造力

〜素材を作品にするために〜

 思い出話を聞くのってあまり楽しくないのはボクだけでしょうか。作品にすることを考えた時、そのままの思い出はたぶん「素材」だと思うんです。それを食べやすく手を加えて作品にしないと生のままで提供することことになります。もちろん、生でも充分に美味しい素材はあるでしょう。でも、それがずっと続いたら飽きてしまいますよね。
 たとえば、コラボ企画はただ楽しいばかりではなく、お互いの創造力を共有することなのかも知れません。時には素材を提供し、時には手を加える。その体験をすることでお互いの創造力向上に繋がることがあるのだと思うのです。

 かく言うボク自身が毎度のように思い出話を多用しているので、実は心配しています。

…そこで、ここから言い訳です。

 随想…という言葉は曖昧な感じがして便利だなぁと思いつつ、日記ではないと言う所に線引きはしたいわけです。
 ボクの随想では、「自慢話に終始しないこと」「笑える失敗談」「可能ならオチをつけること」「伏線や裏テーマを設ける」「メッセージ性がある」「出来るだけ創作に関わること」「感動を共感出来る内容」であることが望ましいと思っています。そして作品として写真などの挿絵を入れること。何となくそんな感じでまとまるように心がけています。もちろん簡単ではありません。編集とか編纂という意識をどこに持っているかで作品にバリエーションが出来るのだと思っています。
 思い出話であってもこれらの配慮をすることでボクの随想として作品にしようと思っています。思い出話をただ語るのではなく、何らかの意図を編み込むことで思い出に意味を見出せるように仕上がるのが理想です。見方も考え方も色々なので同じ経験をしていたとしても違ったカラーになるわけです。

 これは思い出話に限ったことではなくて写真もそうだろうと思うのです。知人や友人に旅行のときの写真や結婚式の写真をそのまま見せられても退屈なだけだったりしますよね。それは関係者にしかその写真と記憶のリンクが出来ていないためだと思います。感動を共有するための工夫が必要かも知れません。

 作品として仕上げるためには、直接関係のない人にも共感できることが大切ということなのでしょう。思い出話や写真にはその工夫が必要になると思っています。

 近所という程ではありませんが、地元では「語り部」として活動されている方があります。昔ながらの民話を伝承する目的でイベントなどで話される方もありますし、創作物語を話して下さる方もあります。そういう方のお話はやっぱり聞き入ってしまう何かがあると思います。もちろん物語の完成度もあるでしょう。それだけでなく語り部の方の個性もあるんだと思うのです。解りやすい所では落語がそうですね。昔から伝えられている古典落語であっても演じる噺家さんによって広がる世界観が違ってきます。落語は仏教の説法に端を発していると聞いたことがあります。

 ボクは「メッセージソング」がウケた時代背景で育っているためか、メッセージ性を重視する傾向にあります。それが度を超すと説教になりかねません。そういうオトナは嫌いだったはずなのにボク自身がそうなっているような気のすることもあります。

 漫画家としてのお話を考える際に「起承転結」が大切と言うことが知られています。それは漫画に限ったことではないと思っています。

 笑いと涙と感動…。

 そういう随想が書けるようになれたらと思うのです。
 そういう作品が描けるようになりたいと思うのです。

もくじ |  随想 


いいなと思ったら応援しよう!