多面体
個性を追い求めると唯一無二のものを探しがちです。
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でも、個性って「多面体の輝き」のことかも知れないって思うんです。
「あの人はワタシのことをこう言っていた」とか「この人にはこんな風に評価された」とか人によって「ワタシ」の見え方や捉え方が違うようです。
何故なんでしょう?
「ワタシ」はワタシでしかないのに人によって評価が違うなんておかしいです。では、「ワタシ」はワタシのことをどれくらい解っているのでしょう?
生まれ・育ち・年齢・性別…ワタシがワタシであることの条件を挙げてみてもワタシの本質は掴めないような気がしませんか?そんなワタシのことをどうして他の人に解るのでしょう?
ワタシから見た誰かのことを考えると、正確ではないにしてもワタシから見た誰かの印象が浮かびます。その印象に支配されつつワタシはその誰かに接しているわけです。そうすると誰かから見たワタシの個性は正確ではないにしてもその人に与えている印象があるのです。その人はその印象に影響されつつワタシに接していることになります。
もしかしたら…ワタシの個性は多面体なのかも知れません。
個性が多面体だとすれば、人によって見え方は違う筈だし、光の当たり方によって輝き方も違う筈なんです。
気をつけたいのは、ワタシ自身がワタシを画一的に見てしまうことでしょうか。ワタシが気に入っているワタシの個性の片面だけ磨くと…ま、そういう意図があるのならそれはそれでもいいのかも知れません。磨くことなくゴツゴツの原石のままがいいと思うこともあるでしょう。
そういえば、写真を撮ることは客観的にモノを捉えることに繋がるような気がします。撮りたい対象の美しさを捉えたいのか、可愛らしさを捉えたいのか、はたまた面白さなのか…表現したい意図によって構図・ピント・露出を決めます。野外での撮影なら午前10時頃から午後2時頃までの太陽光線が安定していると言われます。でも、ドラマチックな撮影するなら陽が傾いている時間帯や天候が荒れている時が適している場合もあります。

ワタシの個性と言う多面体はどんな条件で輝くことができるのか。それを知ることは大切だと思うのです。
誰が見ても同様の形に見えるような多面体に磨き上げるなら、意図に沿った磨き方が出来ているかどうか色んな人の言葉に耳を傾けることも大切でしょう。もちろんそれは飽くまでもワタシの意図するデザインに磨けているか確認することなので、必ずしも耳障りの良い言葉が正しいわけでもなく、不快な言葉が悪いとも言えません。鏡で自分の姿を見るように誰かの言葉や接し方で「ワタシ」の形を推しはかり軌道修正することも出来るわけですから、やっぱりワタシ一人でワタシの個性は磨けないんですね。
個性は確かに唯一無二のものかもしれません。それは画一的な評価を意味するものではないと思うんです。ワタシの周囲の誰かはそれぞれに立場が違うのですから違って見ても無理はないわけです。
そして…光が当たってこそ認識される。
個性は多面体の輝きなのかもしれません。
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