具象と抽象
表現手法は様々あれど
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以前、通っていたデッサン教室の先生は抽象画を描かれる方でした。
絵を学んで上達して、その先に何を求めるかはアーティスト次第です。スーパーリアリズムを極めようとする方もあるでしょう。そもそも写真も絵を描く為の道具として発明されたと聞いています。ありのままを残したいと言う願いは、昔から変わっていないのでしょう。その作品に思い出や記録をつなぎ止め、記憶や感情をつなぎ止めます。
ただ、現代はカメラさえあればある程度の写真が誰にでも撮れてしまう時代です。絵を描く意義をどこに置くかと言うのは意識した方が良いと思うことがあります。
たとえば、スーパーリアリズムであっても実在のものをありのままに描くだけを目的としていないような気がします。リアルに描くだけではなくその向こう側の何かを表現しようとしないと「写真撮ればいいんじゃない?」と言うことになりかねません。
では、抽象画はどうなのでしょう。
「芸術は爆発だ!」と考えることも否定はしませんが、デッサン教室の先生の作品から感じたのは「抒情的な表現」でした。
春と言う言葉を使わず、「桜」や「タンポポ」などの言葉で春を表現するように春の色や形というエッセンスや要素を抽出して観る者の心に春と言うイメージを想起させるというものです。
これは俳句や詩などの文学にも用いられる手法ではないかと思います。
もう、随分前になりますがモネの絵画の前に立った時、不思議な感覚になったことがあります。それまでもモネの作品が嫌いだったわけではないにしても、美術の教科書で紹介される有名な画家という程度の認識だったと思うのです。
その日は、巡回展だったでしょうか。美術館でモネの「積みわら」と言う作品の前に立っていました。モネの展覧会と言うと混雑することもあると聞きます。その日はたまたまゆっくり観ることが出来ていました。しばらくその絵の前に立って眺めていると、やがてチラチラと作品が揺らめき始めました。目が少しおかしいかなと思っていた矢先、積みわらの背景がふわっとしたかと思うとスーっと絵の奥へ下がって行き、残された積みわらが忽然と立体的になったのです。唖然としてしまいました。肉眼で観る油彩の3D絵画のようです。陽の光を浴びてチラチラと揺れ続ける積みわらは、あたかもそこに実在するかのように感じられたのでした。その感動は言葉にできず、伝えることも困難でした。もしかしたらこの作品の見え方には個人差があるのかも…いや、きっとすべての作品の見え方には個人差があり、シンクロ出来る場合とそうでない場合があるのでしょう。ボクは絵画を鑑賞することも好きですが、同じモネの作品でも他の作品とシンクロすることは出来ません。そしてボクが感動した「積みわら」で感動する人であってもボクとは違うシンクロをしているのかも知れません。絵画に限らず芸術作品はそれで良いのではないかとも思います。モネは写実画の作品も多く発表しています。それでも徹底的に具象を追求したわけではないと思います。写実的表現の向こう側を表現しようとしたからこそ積みわらのような作品を生み出せたのではないかと思うのです。
モネの作品は、絵画表現は観るものの心象風景の中に積みわらの風景を実在させてしまうということを教えてくれました。矛盾しているようですが、「目に見えることがすべてではない」と言っているような気がするのです。
ボクが目指すべきはそこなのかもしれないと思うのです。修練を重ね表現する技術を磨く。それは観る人の心に見えない何かを実在させるため。
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