【創作】油彩画『カサノヴァの夜』を求めて 第7話(終)
第7話 星空の中を旅する
※前回はこちら
カストルプ氏の顔は、今までにない確かな自信に満ちて輝いていました。私は彼に尋ねました。
「この部屋にあるのでしょうか」
「いや、もう一度地下室から見る必要がある。少し待っていてくれないかね。インゼルさん、すみません、その絵を貸して下さりますかな」
彼は、インゼル氏から絵画を受け取ると、軽やかな足取りで、部屋を出ていきました。そして、5分もすると戻ってきて、満足げに笑って言いました。
「間違いなかった」
「やはり、絵の隠し場所があったのですか」
私の言葉に、マルガレーテも興奮して被せてきます。
「秘密の地下通路があったんですか? 隠し扉を見つけたんですか?」
カストルプ氏は、穏やかに笑って、首を横に振りました。
「うちの力を使う必要がある。インゼルさん、電話を貸してくれますかな」
その日も、インゼル家に泊まりましたが、カストルプ氏は絵の隠し場所については全く教えてくれませんでした。私がしつこく聞くと、カストルプ氏は笑って答えました。
「私はシャーロック・ホームズの真似ごとをしたいのだよ。へぼであるのは間違いないし、難事件でもないがね」
「しかし、場所は分かっているんでしょう」
「分かっている。だがまだ手にしていない」
次の日、村に、一杯の機材を積んだトラックが村にやってきました。5人ほどの男が降りてきて、カストルプ氏の指示の下、長い金属の棒やら、照明やら、ボンベのようなものやらを持って、小屋の方に向かいます。
その日は、カストルプ氏は私たちを近づけることなく、一日中、彼らと一緒に小屋で作業していました。
夕方、屋敷の方に戻ってきたカストルプ氏は、埃塗れになっていましたが、目は爛々と生き生きと輝いていました。マルガレーテの用意してくれたフランクフルト・ソーセージを頬張ると、口元を拭いて、ヴィルヘルム=インゼル氏に問いかけました。
「明日の朝、少しお時間はおありですかな」
「ああ。絵についてかね」
「ええ。面白いものをお見せできますよ」
次の日の朝は、晴れて、あたたかな心地よい空気が森に立ち込めていました。小屋の前に、私、マルガレーテ、ヴィルヘルム=インゼル氏とカストルプ氏は集まりました。
カストルプ氏の後ろには、昨日の作業員の人たちと、新たに来たカストルプ氏の秘書が二人控えています。カストルプ氏は、私の方を向くと、私に語り掛けるようにして、ゆっくりと説明を始めました。
「『カサノヴァの夜』は巨大な絵だった。正確な大きさの記録は残っていないが、ルーブルに残っていたものは、おそらくは、ヴェロネーゼの大作クラスの、壁一面を飾る絵画だった。そんなものをそのまま輸送するのは困難だ。とすれば、何個かに分割して小分けにして、運んだと考えられないかね」
「いえ、ルーブルの絵は、一つのキャンバスに描かれていたはずです。そんなことは不可能です」
「それが、可能なのだ。ハンナへの手紙をもう一度見て見給え」
カストルプ氏は、以前読んだ、「インゼルのメゾン」が開業した1763年のクラウスの手紙を渡してくれました。
いとしいハンナへ
この絵を君の元に置いてほしい。これは、僕たちの青春の記録だ。覚えているか? 僕たちが、あの海の都ヴェネツィアで過ごした甘美な日々を。毎日が祝祭だった。夜のかがり火の匂いと、カジノの歓声と、ワインの味。宙に消える札束、甘いヴァイオリンの音色、君の柔らかい唇。あの夜だけが、僕たちの世界の全てだった。
この絵は美しい君の窓辺に飾ってほしい。窓から差し込む朝日で、この絵は目を覚ます。君と共にもう一度、あの人生を描き出す。そして、夜は一本の蝋燭の元で、僕らの生を浮かび上がらせる。僕の言う通りに、お願いだ。君に会えない分、僕は君と共に生きていると、信じたいのだ。
「この時送られた絵は、1773年のルーブルのものとは別ものだ。しかし、このハンナへの説明は、ユベール=ロベールの書簡に残る『カサノヴァの夜』の説明と同じ。クラウスは同時並行で作っていたこの送った絵も、実質的な『カサノヴァの夜』だと、考えている節がある。
そう考えると、もしかすると、元のルーブルの作品も、部屋に飾れるようなサイズの作品を綿密に組み合わせたものではなかったのか。これほどあらゆる場所に素描が散らばっているのも、様々なキャンバスの元絵を組み合わせて、試行錯誤していたからではないか。
クラウスは、才能の赴くままに奔放に描く天才だった。だからこそ、全体像を計算するのに苦労した。彼の畢生の大作は文字通り、つぎはぎの産物だったのだ。
彼自身が、この作品が他の作品と違う困難な制作だったとロベールへの手紙に書いていただろう。それは、題材が彼にとって最も愛する人と過ごした記憶を再現する、思い入れ深い作品であったからだった。
壁画の依頼で始まって、注文主が何かの事情で取り消した後も、大小のキャンバスを使って描かれ、最終的に、ルーブルの作品に統合された。
では、1789年のこの手紙はどうなるか。
ロベールには大変な危険を背負わせてしまいました。でも、盗賊の濡れ衣を着るのは、私のみとなるはずです。私にとって、「オリジナル」と呼べるものは一つしかありません。「モナリザ」が、この世に二つとないのと同じ意味です。私も名声のために、幅広く受け入れられるような絵画を沢山作りました。しかし、この作品は、違います。私の人生そのものなのです。理解されようとは思っていません。
私は、この手紙を見て、ルーブルの巨大なキャンバスを持ち出したと考えた。しかし、これは誤りだった。そこまでしなくても、元になった絵画を組み合わせれば、巨大な壁画風の絵を再現できる。
彼は「オリジナル」を一つしかないと言っている。この手紙は、元絵を再構成することで、ルーブル以外の作品を「オリジナル」にすると考えていたのではないか。来るべき災厄から、自分の畢生の大作を、生き延びさせるためにね。
つまり、ルーブルの元絵になった、大小様々なキャンバスの絵を、大量に持ち出して、それを異国で再び合わせて描こうとしたのだ」
カストルプ氏は、身振りを交えて語り、段々とスピードが上がっていきます。私たちは、彼の語り口に魅了されていました。
「では、想像してみよう。フランス革命を逃れるように、ここの小屋に多くの絵が運び込まれる。しかし、この小屋はルーブルほど大きくない。では、どうするか?」
「絵画専用の大きな屋敷をつくるとか」
「そんなものはないよ。彼は、この小屋を見て、考えを変えたのだ。部屋の壁に組み込んだのだよ。
部屋の壁一面に、大小のキャンバスの絵を埋め込んで、ヴェネツィアの夜を、構成し直すのだ。元からつぎはぎであったものであれば、そこまで困難なことではない。それは、ルーブルの絵を再現するのではない、もう一度再構築するのだ。
なぜそんなことをするのか。それは、ハンナへの手紙が教えてくれる。その絵と、そしてハンナと一緒に生きるためだ。この小屋で彼女の一緒の時間を過ごすとき、失われた自分の最も優れた芸術がそこにあってほしい、そう願って壁に埋め込んでいったのだ」
カストルプ氏は、私に微笑みかけました。
「私は以前君に、クラウスが手紙で、『カサノヴァの夜』をミロのヴィーナスや、サモトラケのニケに喩えたことを不思議だと言ったね。それらは燃えていないのに。二作の共通点は、元の作品から、一部が失われていることだ。

ルーブル美術館蔵
クラウスがしたことは、元の完璧な作品から一部をもぎとって、構成し直すこと。そう、彼は無意識に、この小屋で自分がしたことを書いていたのだ。そして、そのもぎ取られた片腕が、これだ」
カストルプ氏は、二階の部屋に飾ってあった、小さな油絵を手に取りました。夜の中で侍女がお盆を運んでいる絵。元は額縁があったところに、赤々と「黄金の小屋 3NZ」と書かれてある、あの小さな絵です。
「この絵も、元は『カサノヴァの夜』の一部だった。しかし、ある事情で、壁に組み込むことができなかった。それで、あの寝室に飾ってあった。この文字は、壁に組み込む際の、指示書きだ。3は3階、Nは北側の壁を指している」
「しかし、『Z』とは?」
「これは『Z』ではなく、『2』だ。彼の手紙を見ていると、特徴的な書き方が分かるよ。この絵を、3階北側の壁の、おそらくは左上から二番目の場所にはめ込むことを想定したのだ」
「でも、小屋は2階建てです」
「その通り。しかし、元は3階建てだったのだ。では、3階は失われてしまったのか。しかし、もし改築されたとしたら、どうだろう。元の3階部分はどこに行くだろうか。
2階もあり得る。しかし、壁ごと移せるとしたら、2階ではなく、地下室に移したと考えるのが自然ではないかね。地下室が後から作られて、3階部分の壁をそこに移した。そう推測して、もう一度地下室の壁そのものを注視したら、ようやく理解したのだ」
マルガレーテが、顔を紅潮させて大きな声で尋ねます。
「では、地下室の壁が、その絵そのものだということですね。誰かが、上から絵を塗りつぶしていたということですね」
「それについては、多分現物をご覧になるのがよいでしょう。皆さんで地下室に行きましょう」
地下室に向かう狭い階段を降りる間、ヴィルヘルム=インゼル氏が、独り言のように呟きました。
「しかしまあ、壁に夜の乱痴気騒ぎの絵を埋め込むなんて、芸術家の感性は独特ですな。わしなら、とても落ち着いてられん」
「インゼルさん、あなたは非常に鋭い点をついていますよ。私も、壁一面が絵だったら、気持ちが落ち着きません。その理由もあって、彼はひとつ仕掛けを作っていました」
地下室は、以前私たちが探した時と違って、ものは全て外に運び出されて、綺麗に掃除されていました。また、壁も、少し洗浄されたのでしょう。黒と灰色の中間だった色が、深い、見て心地よい藍色になっていました。昨日一日で作業したのでしょう。
そして、スタンドが壁の前に二つずつ立ち並び、8つの強烈な照明が、煌々と部屋を照らしていました。ものがなくなると、この部屋が、天井の低い、少し大きめの居間のような広さの場所というのが分かります。
しかし、壁に絵はどこにも描かれていません。私たちは困惑して部屋を見ていました。
カストルプ氏は、私に振り返りました。
「専門家による正式な調査を待つべきだと思うが、軽く埃を落としてみても、この通り、ただの青い壁だ。
でも、考えてみれば、それはそうだ。『カサノヴァの夜』が、この壁にあると知られたら、大きな話題になってしまう。もしかすると、彼のハンナの仲も世間に知られてしまうかもしれない。では、それを隠すにはどうしたらよいか。
ハンナに絵を送った時の手紙に書いてあったね。『絵を窓辺に飾り、朝日と共に、目を覚まし、夜は蝋燭の元で浮かび上がる』。これは、おそらく、その通りの意味で読まれるべきだったのだ。つまり、彼は、ある種の夜光塗料で描く絵を得意としていたのではないか。
もし昼間、誰かが訪れたとしても、人には、ただの壁にしか見えない。だが、夜、大切な人と二人きりで一緒に過ごし、明かりを消した時に、浮かび上がる。これが、その絵だ」
カストルプ氏が左手をさっと上げると、部屋の照明が消えました。暗闇の中、カストルプ氏が、ライターの火を点けます。
私はあの光景を忘れることができません。壁一面から、仄かに白い絵模様が、幻燈のように浮かび上がったのです。
それは、まさに、ヴェネツィアでした。
リアルト橋や、サン・マルコ広場の建物が、はっきりと分かります。
カーニヴァルの仮装行列
ゴンドラと、その漕ぎ手たち
窓から身を乗り出す娼婦たち
酒瓶を手にした男たち
楽器を奏でる辻音楽師たち
そして空には花火の微かな模様。
こうした光景が、四方の壁に鮮やかに広がっているのです。
線は白一色ですが、ライターの炎が揺れることで、絵にも揺らぎが生まれます。
ところどころ筆致の太さが変わり、丁寧に織り成すようになっているので、光の加減で、赤々とした炎や、仄かに青白い仮面等、まるで色彩も感じられるように思えます。本当に喧騒と生温い夜風も感じられるようです。
まるで星座のように、宇宙の中で幻想的に浮かんでいるようにも感じられます。
それは現実ではなく、記憶の中、夢の中の光景のようです。
在りし日の最も美しかったヴェネツィアの記憶が、鮮やかに再現されていました。
マルガレーテが感嘆の声をあげます。
「なんて、美しいんでしょう。まるで、壁画みたい」
「まさにそうです。クラウスは、紆余曲折あって、最初の依頼の壁画を、自分の表現で創ったと言えますね。元の様々なキャンバスの絵を壁に嵌めこみ下絵とする。それを基に、夜光塗料を使って、表面上は青の壁に仕立て上げた。
日中にたっぷりと光を吸って、なぞった部分だけが夜に輝く。だいぶ、塗料も剥げていますが、まだ残ってくれたようですな。長いこと暗い地下室で光にあたらず、しかも、埃が保護膜になっていたということでしょう」
ヴィルヘルム=インゼル氏が震えるような声で言いました。
「これが、兄が探していたものなのですか。これほど、優れていたものだとは」
「そうです。おそらく、お兄さんも想像していなかったでしょう。彼が探していたものは、少し隠れていただけで、あなた方がずっと見ていたものだったのです」
私は、ライターの光で闇から浮かび上がるインゼル氏の顔を見ました。その頬には、一筋の涙が流れていました。
それから、カストルプ氏が呼んだドレスデン美術館の人たちが村にやってきました。彼らにこの小屋の絵画の管理を引き継いで、インゼル一家に別れを告げて、私とカストルプ氏は帰路に着きました。
車の中で、カストルプ氏は私にことの経緯について、補足してくれました。
「そもそも我々は『カサノヴァの夜』がどんなサイズか正確に分かっていなかった。それで、あの小屋に隠されているか、どこか隠し場所に繋がる抜け穴があるに違いない、と思いこんでいた。しかし、表面にそもそもあったということだ。下手に壁を壊して中を調べようとしなくてよかった」
「しかし、あの壁は全く筆致の跡を感じさせませんでした。どうして気付いたのですか」
「あの小さな絵の赤い文字だ。後から塗料を塗るからこそ、あれだけはっきりと描いておけたと推測した。それは表面上見えなくなるはずだ。しかし、絵自体を完全に見えなくして隠したままにするだろうか。そう考えて、蛍光塗料に思いついた。
そして、地下室に行ってみたら、通風孔の部分の大きさが、あの絵にぴったりはまることが分かった。それで、当て推量を続けてみることにしたのだ」
「しかし、3階の部屋を地下に持ってくるとは」
「これもまた当て推量だが、地下室が出来たのは、ハンナが亡くなってからじゃないのかな。フランス革命時は、二人とも50歳を超えていた。クラウスは80歳まで生きていたが、彼が亡くなる3年前にハンナが亡くなったと、さっきここを出る前に聞いた。
二人きりで過ごす必要がなくなり、クラウスは、3階の思い出の部屋を解体した。でも、自分の傑作は破壊せず残したい。それで地下室に壁だけ移動させて、誰かが発掘してくれるのを待っていた。古代の壁画のようにね。まあ、彼の心の本当の動きは永久に分からないままではあるだろう」
「あの絵はどうなるのでしょう」
「扱いが大変難しい。あの壁の塗料を洗浄して、元の絵を出すことはできる。しかし、それでは我々が見た闇の中で浮かぶ効果は失われてしまう。今や、あの小屋こそが、『カサノヴァの夜』なのだから。
しかも、夜光塗料が今後摩耗することを考えても、一般公開も難しいだろう。我々が見られたのは大変幸運だった。お嬢さんにも言った通り、体験することこそが重要だ。それは時には金銭で買えない」
私は頷いて、別れ際のマルガレーテと、カストルプ氏のやり取りを思い出しました。
マルガレーテは、本当にあの小屋を、美術館の管理としてよいのか、と尋ねました。カストルプ氏は穏やかに頷きました。
「でも、あなたはあの小屋を購入できるくらい、お金持ちなんでしょう」
「お嬢さん、芸術作品を所有することが問題なのではありません。我々が知られざる芸術を探すのは、それを体験して、我々の心に刻むためです。芸術を体験することが全てです。我々は、芸術という星がちりばめられた空の中を、冒険している。人生は冒険なのですよ」
マルガレーテはその言葉にはっとしたようになると、何度も頷いて、カストルプ氏の手を固く握りしめて、別れの握手をして、見送ってくれました。
突然、不思議な旋律が耳元に響いてきました。カストルプ氏を見ると、調子っぱずれの歌を口ずさんでいます。聞いていると、それは、私が歌ったクラッシュの『デス・オア・グローリー』だと分かりました。
「気に入ったのですか」
「そうだな。帰ったらCDを買ってみるよ。死か栄光か。これは、クラウスが生涯自分に問いかけた言葉かもしれない、と思った。クルト=インゼル氏は、期せずしてクラウスの本質をついていた。そして、あらゆる芸術作品、私たちの人生そのものに投げかけられた問いかけと言えるのかもしれんな」
私が頷くと、カストルプ氏は、車の窓を開けさせました。車内に爽やかな風が吹き込みます。私はゆっくりと、その新鮮な空気を吸い込みました。

『ヴェネツィア大運河でのレガッタ』
英国王室コレクション蔵
その次の日、私は日本に戻りました。それから一か月が経ち、秋が来て、相も変わらない日常を過ごしました。そろそろ就職活動も考えなければいけない。そう思いつつ、研究室に行くと、教授がこの電話にかけるように、と言って、紙切れを渡しました。国際電話で時間も指定してあります。
私が指定の時間にかけると、柔らかい、低い声が響いてきました。
「やあ、私だ」
それは、カストルプ氏の声でした。
「お久しぶりです」
「例のものは届いたかね」
「例のもの? 何のことですか」
「おや、『教授』は説明してくれなかったのかね。まあいい、君の研究室にチケットを送っておいたから、至急ミュンヘンに来てくれ。忙しいので、では」
そして、電話が切れました。教授に聞くと、私に小包を渡してくれました。中には、ミュンヘン迄の飛行機のチケットが往復分。そして、ゲーテの肖像画が描かれたメッセージカードに、「至急用件があり、会いたい、私の屋敷に来たれたし」とカストルプ氏の字で、殴り書きで書いてありました。教授も特にカストルプ氏から何も聞いていないということです。
謎だらけでしたが、丁度週末であり、私はためらうことなくミュンヘンに飛びました。
カストルプ氏の屋敷に着くと、奥さんのマリアさんが、ひと月前と変わらない笑顔で迎えてくれました。私は応接間でカストルプ氏を待っていました。
「やあ、久しぶりだね、ミチキ君」
彼の声です。私は立ち上がり、振り向きました。
私は驚きました。カストルプ氏はひと月前と何も変わっていません。しかし、彼の横には、メイド服を着た、美しい金髪の女性が立っています。それは、マルガレーテでした。
「どうして」
「お久しぶりです。あの時、帰り際に、連絡先を渡したのです。あの後、連絡をとって、雇ってもらえないかって、お願いして。あの村の外の世界を知りたいと思ったんです。父も賛成してくれました」
私はその言葉で、マルガレーテが別れ際、何度も固くカストルプ氏と握手していたのを思い出しました。
「普段は、こちらのお屋敷で働いていますが、今度は私も一緒に連れて行ってくださるということで、本当に嬉しいです」
「今度は? どういうことです」
「決まっておるだろう、我々の、芸術を探す冒険だ」
カストルプ氏は、赤い鼈甲の角眼鏡をかけ直すと、穏やかに笑って、私に語り掛けました。
「新しい作品の情報を手に入れたのだ。興味はないかね?」
(終)
※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。
<過去話の一覧>
【第1話】はじまり
【第2話】おとぎの国の熊
【第3話】しるしは至るところに
【第4話】森の中の少女
第5話 すれ違いの人生
第6話 大地、そして栄光と死
今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。
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