【BL】白イ鴉・4章「縦井 鴉」①
こちらは、現在Kindleに置いている
クライムBL小説『白イ鴉』(1巻・2巻)のうち、後半サンプル部分を抜き出しております。
※1章途中~3章まではコチラに収録されています。
前編の試し読み↓
「田所って、父さんの元舎弟でしょ?」
凪の口から出た名前を聞いて、拓海は全身の血液が凍りついたような錯覚を受けた。
朝食を食べ終えて、今日一緒に行うはずの予定をこなすつもりだった。リビングソファーで横になっている凪の元へ行って、話しかけようとした矢先だった。
表情では平静を保ち、拓海はシングルソファーの方へと腰掛ける。テーブルの上に乗っていたライターを手に取り、煙草を咥えた。火はまだ付けず、掌の中に包んだ真鍮の感触をそっと確かめる。
「……知っていたのか」
「俺は情報屋兼、ジャーナリストだよ? 先輩」
自分ではなく凪の方が先に電子タバコを吸って、煙のような蒸気を口から吐き出した。
今度は起き上がった後で、白い霞を部屋へと撒く。「ついでに言うと、風俗ライターでもない。分かるよね?」告げる凪の口から漂う甘い、苺の香りが拓海の鼻先を掠めた。
「田所の情報。先輩が俺のところに回らないように手を打っていたのも、もちろん知っているよ」
今度は舌打ちでしか返すことが出来なかった。「先輩」と言われ、背筋にゾッとした寒気が拓海に襲いかかる。
凪──いや、フリージャーナリスト・縦井 鴉。
こいつはどこまで、真実を嗅ぎ付けているのだ?
どこから、いつから?縦井は知っていた?
目の前に立つ青年は、同業者として決して舐めてかかれる相手ではなかった。
「ねぇ、先輩。今は俺の情報源を探る時じゃないと思うよ?」
「久しぶりに、お前の生意気を聞いた気がする」
「……7年振りだからね」
青年の整った表情からは、感情が全く読めない。それでも声の調子から、彼が怒っているという様子だけはハッキリと伝わってきた。
「どうして黙ってたの?」
「田所の出所は、別にダイと関係ないからな」
自分でも苦しい言い訳だとは思った。だが今の拓海は、そう告げるしかない。
「父さんとは関係ないのに、俺が知っちゃ駄目なの?」
「お前が変に勘違いすると困るだろう」
「へぇ」
凪から返ってきた返事は、鼻で笑った様な声だ。
「俺は『田所って人が父さんの元舎弟』ってのを知っている。と、そう言っただけなんだけど」
凪はゆっくりとソファーから立ち上がる。だが、目線はこちらへと向けられたままだ。今は上から伺われる状況となっているが、拓海には目を合わせるだけで精一杯だ。
「何で俺がそれを知っちゃまずいって、拓海さんは思ったの? 勘違いすると困る? 俺は子供の頃から、毎日毎日『父さんを殺した奴を探して、復讐してやる』なんて言ってたっけ?」
「それは……」
しまった、と。そこで失言に気付いた。
なぜ自分は言葉を続けてしまったのか、咄嗟に目を逸らしてしまった事にも後悔する。今行った拓海のその動作こそが何よりの失態であり、田所と父親の死との関係を肯定する裏付けとなってしまっていた。
「油断したね、岸先輩」
「クソガキが」
「久々に聞いたよ、その言葉」
「……7年ぶりだからな」
楽しそうに笑う声が移動したかと思うと、背後から腕を回された。
「ねぇ、先輩」
それは最初、誰の声か拓海には判らなかった。確かに長年聞いた凪の声なのだ。だが今まで一度も聞いたことがない。甘えるように、ねだる声が耳元で囁く。
「今回掴んだ田所の件、俺にも噛ませてよ」
振り返ろうとしたところ、首に回した腕に力がこもって阻止される。膝に何か硬いものが落ちた。それは、火をつけようと自分が握っていたライターだった。
「俺さ……そこの情報、まだ知らないんだ」
膝の上に落ちたライターを拾われ、凪はそれを拓海と自分の掌に重ねる。
耳元で囁く凪の声が、ふと彼が酔った日の夜と重なった。そこで拓海は冷静さを僅かに取り戻し、深く息を吐く。今本人が言った通り、こいつが二日酔いの日に心愛と田所に関して探った情報はまだ知らないはずだ。だから大丈夫だ、と自らにも言い聞かせる。
だが、いつもの癖で右手を握り込もうとすると、先に指を絡められて阻止された。
「ね、教えて。俺も一緒にしたい」
「断る、と言ったら」
辛うじて平静を保ち、拒否の言葉を振り絞る。重なって絡められていた指が、更に強く握り込まれる。だが諦めたかのように、それもするりと抜けて離れていった。最後に耳に吹き掛けられたのは、恐らく落胆の息だ。
後ろから抱き締められていた圧迫感が和らぐ。冷えた部屋の空気が、熱を持っていた拓海の首筋を撫でた。続いて部屋の空気に劣らず、冷たく淡々とした声が降り注ぐ。「断られたら、することは決まってるでしょ」そう告げる彼の表情を振り返って確かめる気も起きない。
「……反抗期をぶり返すだけだよ」
縦井はそれだけを静かに言い放つと、リビングを出ていった。
◇ ◇ ◇
──少し早いが、整頓をするには丁度良い時間が出来たのかもしれない。
まずこれが、思い浮かんだ唯一無二の言い訳だった。
今日行うつもりだった予定と、今後の予定、現在検討中のもの。それらの中でいくつかを組み直し「引き継ぎ」と「破棄」と2つのカテゴリへと割り振ってゆく。本当ならば破棄の方だけに集中すれば良いのだが、そんな気にはなれなかった。自室のPCを眺めながら、予定も含め拓海は手書きで振り分けの作業を行っていった。最後に「11・24現在」と書き終えた後で、拓海は掛けていた眼鏡を外す。
最近掛け始めるようになったリーディンググラスは、なかなか慣れない。手元から視線を離した時との差に、しばらく俯き目頭を指で抑えて揉む。
目を細めてPCの右下に表示された時刻を見ると、既に20時を回っていた。
拓海はゆっくりと椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。最近はほんの数時間でも、座って作業をしているだけで疲れが溜まる。作業に打ち込み続けている間は忘れていた出来事でも、中断すれば嫌でも思い出す。
1人きりの暗いリビングへと向かい、灯りをつける。テーブルの上にぽつんと置かれた、電子タバコが拓海の目に入った。朝見た時と変わらない位置に転がっているそれを拾って、拓海は眺める。
あの後凪は、拓海には何も告げずに家を出ていった。再びここに帰って来る気があるのかは分からない。恐らく今日は帰ってこない。だからこそ今しがたまで、凪の不在時に少しずつ進めていた用事のいくつかに取り掛かっていた。
眺めると、黒いペンのような形の電子タバコだ。
それに口をつけて、凪がしていたように吸ってみる。ニコチンとは違う、甘い苺の味と喉奥に張り付くような独特の感触が訪れた。そのまま吸い込み、肺に落とした後で勢い良く吐き出す。やはり宙へと霧散する蒸気も違えば、喉を通る時に受ける感触も全く異なるものだ。
凪に関して本来ならば、気にしなければいいだけの話である。
少しばかり勘のいい青年が、偶然辿り着いた真実の一端を振りかざしているだけに過ぎない。
そう納得して目を背ければよかった。自分が行うべき事をその時まで、淡々と片付ければよかったのだ。だが父親としての自分が酷く拒み、どうにも無視することが出来なかった。
気付けば拓海の足は、凪の部屋へと向かっていた。
普段はノックをするが、不在の今は関係ない。ドアノブに手を掛け、僅かに躊躇する自分を黙らせて部屋へと入った。灯りのスイッチを手探りで探す。今しがた味わったばかりの、甘い匂いが部屋中に漂っている事に気付いた。
久しぶりに見た息子の部屋は、いつ見てもほとんど配置は変わっていない。
スチールパイプの上に木材が張られただけのシンプル過ぎるデスクと、その上の半分を閉めるプリンター。そしてデスク下に収まるキャビネット。後はクローゼットとベッドだけ。
普段デスクの上に乗っている、ノートPCの姿は見られない。仕事道具は持って行ったのだろう。感情的になって勢い余って飛び出したのかはともかく、プロとしては徹底しているようだ。
凪の部屋に入って、何を探すかは特に考えていなかった。それでも知りたい情報は幾らでもある。彼が出て行くまでの間は、それほど長くはなかった。となれば全ての痕跡を消すことは不可能だと、駄目元でキャビネットを開き中をひとつずつ確かめてゆく。
紙にしているいくつかのファイルを取り出し、中身を確認する。
だが中身は全て拓海と共用の情報ばかりだ。凪からは散々、紙にするのが無駄だとか二度手間だとか。普段から言われていたのだが、拓海は全て電子化するには激しい抵抗があった為に譲れなかった。その結果がテーブルの上のプリンターと、現存しているファイルだ。
探すのに時間は掛からなかった。彼の部屋を漁った結果で最も疑わしかったものは、キャビネットの1段目に入れられていた、電子書籍のタブレット端末位である。ロックは掛かっていないようだ。リビングへと向かう前、拓海は自分の部屋からリーディンググラスを持ち出す。そしてリビングのソファーへと腰掛けて電源を入れた。
煙草を吸いながら端末を再起動する画面を眺めているうちに、凪が昔バイトをして電子書籍のタブレットを買っていたことを思い出す。流石に7年も前の事なので、今拓海が手に持っているものとは異なるだろう。それでも久々に思い出した過去の出来事に、目を細めて懐かしがる自分に気付いた。
再起動を終え、ロゴが表示される。続いてライブラリに表示された本の冊数を見て、拓海は思わず息を飲んでいた。たった今しがた昔を懐かしんでいた気持ちは吹き飛び、驚きと戸惑いと感嘆の感情で支配される。
拓海が片手で軽々と持つ小さな端末には、まさに自分の息子が築いた努力の痕跡が無数にも積み上げられていた。びっしりとライブラリに入った本の冊数はゆうに千は超えている。
心理学、経済、法律、社会問題、ライティング技法、SNSマーケティング技術など。ジャンルは多岐に渡るが、漫画や小説の類は拓海が見る限り1冊も見当たらない。
実物があれば部屋の中に入れば分かるが、電子データとなり自分の手の内に収まっている本の量に拓海は唖然とする。たまたま物を持つのを嫌う性質だからか、それとも努力を敢えて隠していたのかは定かではない。だがこれは凪の努力を裏付ける、確かなものだ。
本の他にも、様々な記事がドキュメントとして保存されている事にも気付いた。
記事の掲載年月や雑誌はバラバラだが、それぞれの記事には共通点がある事が拓海には分かる。共通するのは『藤原』という政治家の名前と、政治家の世襲利権、癒着問題、裏接待。
そして16年前に起きた、暴力団関係者による警察官襲撃発砲事件。
纏められていたフォルダの中にある記事を読み、最後に『縦井』と記されたフォルダの中身を確認する。そこには自分が読んだことのある縦井 鴉が今年の初めに書いた記事があった。他にもいくつかの記事がある。
縦井が書いた全ての記事を読み終え、電子書籍のタブレットから目を離し終えた。途端、拓海の身体はとてつもない疲労感と目眩に襲われた。テーブルの上にタブレットを置いた後で、思わずリビングソファーの上に仰向けで倒れ込んでしまう。
真上から降り注ぐライトの灯りを腕で塞ぎ、天井を仰ぎ見た。
そこで自分が普段このソファーで寝転がっている凪と同じ様な姿勢を取っていることに気付く。動揺は落ち着くどころか、より激しくなった。
朝に聞いた凪の、あの熱の籠もったような声が頭からはまだ離れない。
続けて以前、路地裏で見た『インタビュー』時の微笑みも思い出す。あの純粋な彼の笑顔も、拓海の脳裏にこびり付いて剥がれない。
朝に自分が見たアレは、誰だったのか?
あんな凪の顔は、今まで見たことがなかった。あるにはあったが、彼が酔った時や拓海が負った怪我を心配する時に見せたものだ。そこに意図的なものはなく、単に心配されていただけに過ぎない。恐らく今日のアレもきっと自分が、今まで様々なものを見て大人として汚れているからそう見えているだけだ。
昔に自分が何度も見ていた──笑い方がそっくりな父親の面影と重なっているだけに過ぎない。
アレは子供でもなければ、まだ大人でもない。
アレはきっとまだ、そういう域だ。アレはきっとまだ、自分が知っている横田 凪だ。
縦井 鴉も所詮まだ若い、たまたま虚勢が上手いだけで綱渡り状態の駆け引きに過ぎない。
何度もそう言い聞かせ、浅ましく汚れて荒んだ自己を拓海は罵る事しか出来なかった。
子供の頃に見た凪の笑顔を思い出そうと、拓海はソファーから立ち上がる。
そして再び持ち主のいない部屋へと入った。
再度凪の部屋を──今度はクローゼットやベッドを含めて、部屋の全てを漁り続ける。
だが自分が16年に渡り育ててきた子供の写真は部屋中を探しても、1枚たりとも見つけ出すことが出来なかった。
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