イギリス英語で行く40歳からのアメリカ旅行(2015年)前編
【2025年3月11日 追記】旅行記だとどうしても前後編になるが、その場合は後編を読んでもらえないことが多いようなのでイギリス以外の旅行記をマガジンにまとめました。この記事もそこに入れていくので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
マガジン「イギリス英語で行く40歳からの海外旅行(イギリス以外)」
イギリスに4回も留学しているアラフィフの自分だが、意外にも40歳を過ぎるまでアメリカに行ったことがなかった。それどころか、イギリスとアイルランド共和国以外の英語圏(カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)すらも行ったことがなかった。本当に用がなければ海外に行かない人である。
今回はそんな自分が40歳を過ぎて初めての他の英語圏、アメリカ合衆国に用があって行った時のことを記録したいと思う。たまたまその時の写真がたんまり残っていたのでそれも使う。
なお、この時点ではブリストルの大学学部とスコットランドの大学院修士課程を卒業しているので、英語には不自由していなかった。だが、いかんせんイギリスの感覚が残っていたせいか当地では言語以外の点で色々と不便もあった。ある意味で非常に珍しい感覚だと思うので英語学習している人には参考になるかもしれない。
今回は長くなりそうなので初めて前後編にしてみた。実は自分の記事が長ったらしいのはnoteを始めた最初から気がついていたので(笑)。まあ、それが自分のスタイルだから仕方ないので区切りを入れる、ということを試しております(苦)。
【2025年3月11日 追記】目次追加
イギリス英語で行くアメリカ西海岸10日間の旅
この時の旅はロサンゼルス近郊のアナハイムとラスベガスを巡る10日間の旅。アナハイムでは2泊3日でゲームコンベンションに参加、ラスベガスでは当時やっていたカナダの大学院のMBAの一環で、事情があり一人で研究調査のために1週間ほど滞在した。そのカナダの大学院については以下の記事で少々触れている。この変なMBAについてはまた別の記事で書きたいと思う。
<以前の記事>
この旅行の旅程は以下。40歳を過ぎての初めてのアメリカ旅行としては結構、無茶な旅だ(笑)。この時は丁度、直前まで契約社員で働いていた東京の外資系企業でレイオフされたタイミングだったため、まだコンプリートしていなかったMBAの海外での研究調査を、次の仕事に就く前の空白の期間で単独で実施した次第である。
2015年11月
飛行機往路 成田ーロサンゼルス
乗合タクシー ロサンゼルス空港ーアナハイム
アナハイム2泊 ゲームコンベンション参加 →前編はここまで
高速バス アナハイムーラスベガス
ラスベガス6泊
飛行機復路 ラスベガスーロサンゼルスー羽田
なお、今回の記事ではアナハイムでの滞在までをご紹介する。ラスベガス滞在編は後編で書く。
初めてアメリカの航空会社に乗ってみたーデルタ航空
欧州系航空会社は散々乗っていた自分だったがアメリカ系は初めてだった。アメリカ社会では、欧州やアジアと異なり、客室乗務員の社会的地位が低いので有色人種の乗客を差別することが横行していると聞いていた。また、アメリカ系航空会社のサービスは欧州系やアジア系と比べて雑でもあるいう話も知っていたので、初めてのアメリカ旅行ではネットで評判後良かったデルタ航空をチョイスしてみた。ユナイテッド航空やアメリカン航空に比べるとやや高かったが日系2社よりは安かった。

意外と乗り継ぎ客が多かった印象
後述の修学旅行生達は先に乗っていやがった(筆者撮影)
【悲報】日本人デブの隣席で行く10時間耐久空の旅
文字数の関係ではっきりと書いてしまったが隣は「デブ」だった。しかも日本人男子高校生(爆)。
アメリカはデブが多い国なのでアメリカ系航空会社に乗ると隣にデブが来て自席を侵食してくる、という噂は聞いていたが、まさか日本人デブにそれをやられるとは夢にも思わなかった(笑)。初めてのアメリカ系航空会社搭乗なのに初っ端からこれとは先が思いやられる(汗)。
この日の隣のデブは関西の某進学校(男子校)の高校生で、実は、この便にはその高校の修学旅行生が大量に乗っていた。だが、このデブは日本人高校生とは思えない「アメリカンサイズのデブ」だったのである。多分、横幅だけならアメリカのデブのおっさんと同じかそれ以上である。
自分も欧州では相当な数のデブを見てきたが、それまで自分が世界中で見てきたデブの中で最も横幅が広いデブがこの日本人高校生だったのだ!そんなのが世界的に見ても「スキニー」(痩せっぽっち)と言われる日本人にいるなんて信じられず、最初にこいつを見た時は自分の目を疑ったものだ(苦)。
学校側もそのデブの存在を知っていたようで、彼のクラスメイト達はそのデブの前列までに席を詰めて並んで座らされていた。にも関わらず、このデブだけが他の生徒がいない列の窓側3列シートの中央席を陣取っていた。正確にいうと、中央席に加えて窓側席の約半分と、自分が予約した通路側席の約半分をこいつの尻が占拠していたのである!
つまり、この学校はこいつが規格外のデブであることから一般客用の席の窓側3列シートの中央席1席だけをこいつのために予約して、事実上、その両隣の一般客の席を0.5席分ずつ盗み、このデブに1席分の運賃で2席も使わせていたのである(怒)。
この学校の校名はそのデブが着ていた制服についていた校章で確認しているが、この場ではあえて校名は伏せておく。だが、その学校は東大進学率が高い、日本人なら誰でも知っている金持ちが行く中高一貫の進学校だ。そんな学校の癖に、当人が未成年であるために一般人が強く言えないことをいいことに学校側はこんな悪どいことをやっていたのだ!
ちなみにこの便は満席だったので席移動はできない。そのデブを挟んで反対側の窓側席にも日本人女性が来たが、そっちも0.5席分しか使えない席でロサンゼルスまでの10時間の旅を耐えるしかなかった。しかもこの状態では、通路側の自分はそれでもまだ圧迫感は少ないが、窓側は本当に10時間が苦しそうだった(悲)。当人が未成年の高校生だったので自分も、窓側席の女性もその時は何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。だが、もし奴がおっさんだったらぶっ飛ばしてやりたい気分だった(怒)。
帰国後にはこのデブの所属校と航空会社に苦情してやろうかと思ったが、こいつは「デブ」だっただけで、性格は比較的良さそうで10時間の間は大人しくしていた。なのでこの時だけは、苦情を出して本人の耳に届いて気に病むと可哀想だから止めておいてやった。
流石にこの時のデブ高校生も今はそろそろおっさんの年齢に差し掛かっていることと思うが今は痩せていることを願うwww
デルタ航空機内食ギャラリー
行きは前述の隣席の高校生がアメリカンサイズのデブだったせいで生きた心地がしない10時間だったが、一応、食ったものを写真に収めていたので帰りの機内食の写真と一緒に以下に紹介する。行きの機内食の味は全く覚えていない(涙)。

この頃はまだ酒カスだったので未成年の隣で堂々とワインを頼んでいる

米に見えるのは実は米の形をしたパスタ
帰りも性懲りも無くワインを頼んでいた酒カスだった頃の筆者
アナハイムでゲームイベントに行ってきた
乗合タクシー(?)でアナハイムへ移動
英語は話せてもアメリカが全く無案内な自分は、ロサンゼルス国際空港に着いたら、事前にネットで調べていたシャトバンと呼ばれている乗合タクシーという乗り物を探した。これは日本やイギリスには無いシステムだが、行きたい方面の乗客数人をかき集めてから出発し、順次、乗客を下ろしていく、というシステムらしい。そのことで、一人あたりの運賃を手頃な価格にすることができるのである。
空港からアナハイム方面のバスがなかったのだが、このシャトルバンは向かってくれるとネットにあったためこの乗り物を使ってみることにした次第だ。自分が乗ったのは以下のページにある「Supershuttle」だった。Uberが幅を利かせている今でも営業しているようだ。
空港からアナハイムまでは自分一人の運賃は当時の価格で50ドル(約6,000円、当時は1ドル=約120円)程度だったと記憶している。乗車時間は1時間弱で、乗合になった人数は自分を含めて3人。自分の滞在先のホテルに最初に寄ってくれた。
ディズニーランドに行かないアナハイム滞在

この時はアメリカのゲームパブリッシャー「Blizzard Entertainment」のコンベンション(ファン感謝イベント)「Blizz Con」を訪れるためにアナハイムに来ていた。ちなみにチケットはBlizzard社の知り合いに融通してもらったのだが、通常はなかなか買えないプラチナチケットだったらしい。自分は生まれた時から不運が続いている割には超ラッキーなこともたまにはある(笑)。
アナハイムはディズニーランドで有名な街だが、アナハイムコンベンションセンターというイベント会場があり、Blizz Conはそこで行われた。
自分は会場近くのBest Westernというちょっと良いビジネスホテル風のチェーンホテルに宿泊した。当時は1泊朝食付きで120ドル程度(約14,400円、当時は1ドル=約120円)だった。そのホテルは今は無いようだが、同じブランドで近隣では営業中のようである。以下のリンクがそのホテルである。だいたい作りは自分が泊まった時と同じ感じだ。
そのホテルの写真が残っていないのだが、アメリカらしく広い駐車場を備えた2階建のモーテルのような作りになっていた。だが、モーテルととは違い、タクシーを呼んでくれたりといったサービスも整っている。ルームサービスなどは無いので星としては3つくらいだろうか。
場所はディズニーランドの真ん前でパーク内のミッキーの観覧車が見える場所だった。だが、滞在中はディズニーランドには目もくれずひたすらコンベンションセンターに通ったのである。ちなみに自分は日本以外のディズニーランドにはアラフィフの今でも一度も行ったことは無い(笑)。
アメリカオタクが集結!Bllizz Con
イベント会場は開場前前からアメリカのオタクで溢れかえっていた。年齢層的には20代〜30代がほとんどで、8割は男性、残り2割もBlizzardのゲームに出てきそうな屈強な女子達ばかりだった。来乗客の一部はゲームキャクターのコスプレをしての参戦である。
人種的には白人が8割くらいだったが、東アジア系も結構いる。アメリカはイギリスとは異なり、中華系意外にも日系や韓国系、ベトナム系国民も多いお国柄なので東アジア系来場者がどの系統かは自分には見分けはつかなかった。
ただ、アメリカの白人割合は6割程度(イギリスは9割)らしいのに、このイベントでは白人率が妙に高いのが気になった。イギリスやフランスでこの手のイベントに行くと来場者の半分くらいが中華系であることが多く、フランスのイベントについては黒人比率も結構高い。だが、このイベントの来場者の中にアメリカの人口の3割くらいを占めているであろう黒人をほとんど見なかったのはアメリカのゲーム業界の闇を垣間見た気分だ。

著作権に引っかかるのでこれ1枚で勘弁してケロ(笑)
見ての通り白人率が6割くらいのアメリカなのに白人ばっかw
今は亡きボーカルがいたリンキンパークを見てきた
イベント最終日の閉会式ではBlizzardの当時の社長のご挨拶があったのだが、その後にアメリカのロックバンド「リンキンパーク」のミニライブがあった。その時のボーカルはその数年後に自殺をしてこの世を去っている。

リンキンパークのミニライブ中の写真
【おまけ】ホテル従業員からの謎メッセージ
アメリカのホテル従業員やウエイトレスは、イギリスのそれらと異なり、給与が安く抑えられているためにチップを十分に払わないと仕事をしなかったり下手をすると盗難などをする、と聞いていた。なので、自分が宿泊していたホテルではツインルームだったこともありベッド2台分のつもりで毎朝2ドルをチップとして置いておいた。もちろん、ベッドは2台のうちの1台しか使っていない。
Thank youというメモを残してその上に2ドル紙幣を毎朝置いておいたのだが、チェックアウト前日(2泊目)の夜に部屋に戻ったら朝のメモがそのまま残っており、Thankの部分の上にホテルのロゴが付いている飴が4個おいてあった。
これはどういう意味だろう、と考えて気がついた。4なので「for」(本当はFour=4)なのだ。つまり、「for(飴4個) you(文字)」だったのだ(笑)。
欧州でこういう事をする人はいなかったなー。ある意味でアメリカっぽいのだろうな〜。
アナハイム飯テロギャラリー
以下に自分がアナハイムで食った人生初のアメリカ飯の数々を紹介する。正直、イギリス飯の100倍は美味しかった。今回の博士課程もアメリカでやっていたら毎日が楽しくて仕方なかっただろうな。。。と思いながらイギリスでこれを書いている(涙)。

ついつい日本やイギリスの感覚で前菜のつもりで頼んだら思ったよりも量が多くて焦った

でもスープも含めて全て完食した筆者(笑)
こんだけ食べても15ドル程度(約1,800円、当時は1ドル=約120円)だった

会場を抜け出して食堂的なところで食べたメキシカンタコスのセット。とても美味しかった
当時は飲み物もセットでこれで5ドルくらい(約600円、当時は1ドル=約120円)
ちなみに会場内のホットドックはそれだけで1つ8ドルくらいした

4ドル(約480円、当時は1ドル=約120円)くらいだった
如何にその後のアメリカの物価が上がったのかが良くわかる
後編に続く
アナハイム滞在はここまで。次回は無謀にも初めてのアメリカで高速バスに揺られて惑星タトゥイーンの砂漠を超え、ギャンブルもせずにラスベガスに1週間滞在した時のことを書く。
おそらくパリピ系旅行者にはつまらないラスベガス滞在かもしれない(笑)。だが、普通に行ったら見れないラスベガスの光景をその時の写真と共にご紹介します。
今回もここまでお読みいただきありがとうございました。
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