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【創業ストーリー】僕が僕であるために ―「陰の陰」だった僕が、会社をつくった理由―

こんにちは、ASUNI-NARE の長谷川です。
いきなりですが、ひとつだけ先に伝えさせてください。
僕がこの会社を通じて本当に証明したいのは、ただひとつ。
「誰もが、チャレンジできる」ということです。
僕自身が、いちばんそれを信じられなかった人間だからこそ、証明したい。今日は少し長くなりますが、その理由を、僕の個人的な話として書かせてください。


僕は、いわゆる「陰の陰」でした

正直に言います。
僕はリーダー気質ではありません。
学生時代も、みんなの前に立ってグイグイ引っ張るタイプとは真逆でした。
体育は一番嫌いな科目でしたし、運動部のウェーイみたいなあのノリも苦手。
自分で言うのもなんですが、「陰キャの、さらに陰」——”陰の陰”みたいな学生だったと思います。
その代わり、静かに惹かれていたのが語学でした。

語学が、僕に教えてくれたこと

なぜ言葉に惹かれたのか。いま振り返ると、僕は「分かり合えなさ」が、ずっと気になっていたんだと思います。
同じ日本語を話していても、人はすれ違う。ちがう言語ならなおさらです。でも、言葉をていねいにたどっていくと、それまで遠かった人と、ふっと分かり合える瞬間がある。
言葉って、人と人のあいだにかける“橋”なんですよね。
その橋を、少しでもきれいに架けられる人になりたい。僕が語学に注いでいた熱の正体は、たぶんそれでした。

僕は学生時代、英語が大好きでした。今も好きです。
英語という言語は日本語に比べ直接的な言語です。僕自身、日本語を使っているときと英語を使っているときで人格が違うなと思うことがあります。日本語だと伝えるのが恥ずかしかったり難しいのに、英語だとそんなことがない。
学生時代は授業の9割が英語で開講される学部に入り、日々英語漬けの環境でした。

余談はさておき、言語で生まれる小さなずれってありますよね。小さなずれは時に大きなミスを生むこともあります。
僕自身、ミスした時にとても自分を責める傾向にあります。英語においてはずれなどなく完璧であるべきと思い自分に言い聞かせてきました。

そして僕は、この「ほんの小さなずれ」に、人一倍こだわる性分でもありました。多くの人が気にせず流してしまう小さな違和感。そこを見過ごせない。この気質が、次の話につながります。

「外人」という言葉が、ずっと引っかかっていた

社会に出てから、僕は成田空港で働いていた期間があります。
世界中の人が行き交う、場所です。
そこで僕は、毎日のように文化や言語のちがいを目の当たりにしていました。とりわけ心に残っているのは、日本で働く海外の人たちの姿です。
彼らの多くは、本当に日本が好きで、日本の文化を理解しようと、溶け込もうと、一生懸命でした。
でも——どこかで、日本人のほうがすっと一線を引いてしまう。悪気があるわけじゃない。
ただ、なんとなく距離を置いてしまう。海外の人も、それを感じ取って、どこか遠慮しながら働いている。話せば分かり合えるはずのことも、お互いに一歩引いて、遠慮し合ったまますれ違っていく。その光景が、僕にはずっと切なかったんです。

そして、ずっと引っかかっていた言葉があります。「外人」です。
僕はこの言葉が好きじゃないです。
日本人だって、一歩海外に出れば「外人」になる。「外の人」という響きには、どこか線を引くような冷たさを感じてしまう。だから僕は「外人」ではなく、「海外の人」「外国人」と呼びたい。

あの空港で見た、ほんの少しの“ずれ”
話せば分かり合えるのに、お互いが遠慮して生まれてしまう距離。
僕は、その差を少しでも埋めてあげたいと思いました。
最初のひと言の、橋渡しになりたい。この小さなずれにこだわり続けた先に、僕のやりたいことがある気がしていました。

僕は、「影武者」でいい

もうひとつ、昔から変わらない価値観があります。
それは、僕は主役じゃなくていい、ということです。
世の中は、前に出てスポットライトを浴びる人ばかりが評価されがちです。でも、舞台がまわるのは、裏で支える人がいるからです。
段取りを整える人、細部に気を配る人、そっと背中を押す人。
僕は昔から、そういう“裏方”“影武者”のポジションに、心からのやりがいを感じるタイプでした。

言葉や文化のちがう人の橋渡しをして、その人が主役として輝くのを、影から全力で支える。
そんなチャレンジがしたい。成田空港で世界中の人を見送りながら、僕はぼんやりと、そんな未来を思い描いていました。

運命を変えた、僕とは真逆の男「T」の存在

そんなことを考えながら日々を過ごしていたとき、いまの共同創業者と出会いました。ここでは彼を、Tと呼ばせてください。
Tは、僕と何もかも真逆です。
とにかく行動力が半端ない。
彼の“本業の顔”はITの世界で、いつも新しい商材やビジネスを分析していて、「次はこれが来る」「これはこう化ける」と、世の中の動きを人より一歩先で読む人です。

でも、Tのすごさは分析だけじゃありません。
思いついたら、本当に動いてしまうんです。
バスケがやりたい。でも人がいない。じゃあチームごと作ってしまう。
スタートアップを経験してみたい。じゃあ副業でスタートアップに飛び込んで、しかも「長谷川の分まで」と、僕の採用枠まで取ってきてしまう。

ある分野を深く知りたい。じゃあ、その道で日本一詳しい人に直接連絡して、会いに行って、話を聞いて、そのまま仲間に引き入れてしまう。
恩師まで巻き込んで、どんどん仲間を増やし、チャレンジできる領域そのものを、自分の手で広げていく人です。
僕には、逆立ちしてもできないことばかりでした。
だからこそ、「Tと一緒なら、僕ひとりでは絶対に見られない景色が見られる」と直感していました。
その予感・直感が、僕の人生を変えました。

気づけば、僕自身が変わっていた

不思議なものです。
あれだけ体育が嫌いで、運動部のノリが苦手だった僕が——Tに巻き込まれているうちに、自然と友達が増えていきました。
ジムに通うようになり、運動する習慣までついた。
しまいにはT以上にバスケが好きになって、プロバスケを観に行くまでになったんです。学生時代の自分が知ったら、きっと笑います。

世界も広がりました。
ニューヨークでは、芸術家でB&Bを営む女性オーナーと出会いました。
この出会いが、また格別なんです。
オーナーの方とは、今でもメールやリモートで話し続けています。
しかも、ただの近況報告ではありません。
脳や記憶のしくみの話から、ビジネスのこと、お客さんとのやりとりの機微、そしてお互いの価値観や考え方まで。ときにはアメリカ社会のあり方や、教育の話でとことんディスカッションする。
国も、住む場所も、生きてきた背景も年齢もまるでちがう人と語り合える。
こんなにも深く分かり合える関係が、地球の反対側にできるなんて、昔の僕には想像もつきませんでした。
一人では絶対に踏み込まなかった世界に、Tが連れ出してくれた。
それが、どれだけ僕の人生を豊かにしてくれたか、言葉にしきれません。
また、「縁」の大切さ、人との繋がりを身にしみて感じました。

起業のハードルは、こうして下がっていった

昔の僕は、自分の知らないことはやりたくなかった。未知のものには、怖さしかなかった。
でもTは、僕の知らない世界や、必要な人を、次々とつないでくれました。

すると不思議と、「これ、なんとかなりそうだな」「僕にもできちゃう気がするな」と思えてくる。
起業なんて、昔の僕からしたら一番遠い言葉だったのに、そのハードルがどんどん下がっていったんです。

いちばん変わったのは、決断のしかたでした。
何かを天秤にかけたとき、以前の僕は「できない理由」から一生懸命探していました。
でも今は、「少しでもやりたい」「面白そう」と思えたら、迷わずそっちを選べる。
この“選べる感覚”を手に入れたことが、僕の人生でいちばん大きな変化だったと思います。気づけば、こうして本当に会社をやっています。

変わったのは性格じゃない。「考え方の幅」でした

誤解してほしくないのですが、僕はTと出会って性格が変わったわけではありません。
いまでも“陰の陰”ですし、前に出るのは相変わらず得意じゃないし、好きじゃないです。むしろ嫌い。

変わったのは、性格ではなく、考え方の幅でした。
思えば、「できない理由」「やらない理由」を探していたのは、いつも自分自身だったんです。
限界を決めていたのも、全部自分。
誰かに止められたわけでもないのに、僕は自分で自分に線を引いていました。あの「外人」の“外の線”を、自分自身にも引いていたのかもしれません。

いまの僕らは、こんな役割分担です。
やりたいことを、Tが広げる。できる方法を、Tが探してくる。
それを実現するために、僕がプランニングして、細かく整理して、着実に実行へ落とし込む。
派手さはないけれど、僕はこの“実行と整理”の役割が、心から好きです。
真逆の二人だからこそ、遠くまで進める。そう確信しています。

「外人」って、いったい何なんだろう

ここまで書いて、あらためて思うことがあります。
Tと出会うまで、僕のほうが“外人”だったのかもしれない。
あの行動力あふれる世界からすれば、僕は完全に“外の人”でした。
……いや、もしかしたら、僕の静かな世界からすれば、Tのほうが“外人”だったのかもしれません。

でも——そんなこと、本当にどうでもいいんです。
国も、性格も、得意なことも、みんなちがう。ちがうからこそ、支え合える。人とのつながりだけで、人生はこんなにもワクワクする。
僕はいま、それを心の底から実感しています。
かつて「外の人」と線を引きかけていた僕が、たどり着いた答えがこれでした。
そしてこの実感こそを、仕事でも人生でも、たくさんの人につないでいきたい。

だから、「人材 × DX」なんです

ここまで読んでくださった方には、もう伝わっているかもしれません。ASUNI-NAREの事業は、全部この個人的な物語から地続きなんです。

外国人材の支援は、言葉や国のちがいで線を引かず、「海外の人」と日本の橋渡しをしたいという、あの空港で感じた“ずれ”を埋めたい気持ちそのものです。
Copilotやテクノロジーで人を支えるDXの仕事は、まさに“影武者”として、一人ひとりの背中をそっと押す裏方の役割。
そしていろんな事業へ広げていく多角化は、真逆の二人が組んだように、いろんな得意を持った人が、それぞれの船で主役になれる場所を増やしていくこと。
僕の性格も、コンプレックスも、Tとの出会いも、全部つながって、いまの会社になっています。

だから僕は、証明したい

誰もが、チャレンジできる。
“陰の陰”で、体育が大嫌いで、未知のものが怖かった僕にできたんです。
だから、きっとあなたにもできる。
それを、僕は自分の人生をかけて証明したい。

限界を決めていたのは、いつも自分でした。
でも、たった一人のいい出会いで、その線は書き換えられる
だから僕は、誰かにとってのその「出会い」になりたい。橋渡しになりたい。影武者として、背中を押す側でありたい。

そしていつか、自分が人生を終えるその瞬間に——「たくさんチャレンジした」「いい人生だった」「やってよかった」と、心から笑って終わりたい。

後悔だけは、絶対にしたくない。それが、僕がリスクを取ってでも挑み続ける、いちばんの理由です。

——僕が僕であるために。——

だから僕は、これからもチャレンジを選び続けます。
引き続き、応援の程よろしくお願いいたします!!!

僕が僕であるために inブルックリン


📩 info.asuninare@gmail.com

明日を創る。世界を紡ぐ。
ASUNI-NARE株式会社 代表 長谷川 将也
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