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言葉の苗に水をやる

あれは、小学五年生の教室。
窓から陽が差し込み、少しざわついた午後のことだった。
 
担任の先生が
「ひょうたんは面白いぞ!」
と話し出した。
五十過ぎの男の先生だった。
 
教科書の志賀直哉『清兵衛と瓢箪』を読んでいたときだったと記憶している。
 
「ひょうたんは毎日磨いてやると、段々と艶が出てきて、愛着が湧いてくるんだ」
先生の目は遠くを見るように輝いていた。
 
「育ててみたい人はいるか?」
 
その先生は、自宅でひょうたんを栽培しているそうだ。
毎日ひょうたんを磨いて、ピッカピカに光らせる喜びを語る声に、何か特別なものを感じた。
気がつけば何人かの生徒に混じって、僕は手を上げていた。

翌日、先生はひょうたんの苗を持ってきて、希望者に配った。

その日から僕はアパートのベランダで、ひょうたんを育てることになった。  
家にあった表紙が少し色あせた『植物の育て方』という本を読んで、植物に必要な三大栄養素を覚えた。 
肥料をやって、毎日水やりをして、それこそ猫可愛がりのように……両親も呆れるほどに。 

「はやく、おおきくなーれ」

飽きもせず、毎日小さな鉢の前にしゃがみこんでは長時間を過ごした。 
葉が増えてくると、剪定ばさみで何本かの葉を切った。
花が咲くと、その花に栄養を集中させたくて、またチョキチョキと。

 頭の中には、ひょうたんがピッカピカに光り輝いている映像が浮かんでいた。 

チョキチョキ。
チョキチョキ。

夢中になって手を動かしていたそのとき…… ほんのはずみで、その蕾の根元を切ってしまった。 

ポトン。 

あと少しで実がなるはずだった、ひょうたんの赤ちゃんを自分の手で切り落としてしまったのだ。 

悲しかった。
無性に悲しくて、頬から雫がこぼれ落ちた。 

・・・

なんで、こんな遠い昔の、悲しい出来事を思い出したのだろうか。
 
仕事帰りに夕食を済ませて、アイスコーヒーを飲みながらnoteを開いたら、
ふと、あのひょうたんの記憶が浮かんできた。
 
スマホの画面上で、気づけば指が動き出していた。
 
バカな、間抜けな話しか書かないつもりが、今日は指が滑ってしまった。
この少し蒸し暑い空気のせいかな。
 
去年の暮れに、4年ぶりにnoteを再開した。
最初は画面を前に戸惑ったけれど、少しずつ、眠っていた言葉の感覚が目を覚ましてきた。

そして今、こうして綴っている。
あのひょうたんを育てていたときのように、
丁寧に、愛着を込めて、ひとつずつ。
 
あのとき摘み取ってしまったひょうたんの蕾。
たぶんあれが、
「何かを大切にしたい」という気持ちの芽だったんだと思う。
 
今なら、うまく育てられるだろうか。
文章も、気持ちも、これからの時間も。
 
あのひょうたんと今のnoteは似ている。
毎日少しずつ言葉を磨き、記事に艶を出していく。
時にはチョキチョキと余分なものを削ぎ落とし、大切な部分に栄養を集中させる。
 
あの日、ひょうたんの蕾を切り落としたショックは、今でも時々思い出す。
 
でも、失敗から学ぶこともある。
noteという畑で育てている言葉の芽を今度こそ大切に、丁寧に育てていきたい。
 
毎日磨いて、心を込めて。
 
そうすれば、きっといつか、
あの頃夢見たピカピカのひょうたんのように、
言葉たちも輝きだすだろう。
 
今日も、コーヒーの湯気越しに言葉の苗を見つめながら、そっと心を注いでいく。
 


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