時が消えた島 第一章<夏の求人>
【急募!サステナブルワーク】
<あらすじ>
大学入学後初めて迎える夏休み。僕は語学で同じクラスだった女学生アリサの誘いで、瀬戸内海の孤島でのアルバイトを引き受ける。アリサの祖父母が留守の間、アリサと一緒に住み込みでペットの世話をする、と勝手に想像していたのだが。
島に到着して出迎えてくれたのは、島の子供っぽくない都会的な雰囲気の少年だけ。たどり着いた古民家は想像以上に荒廃し、不気味な静けさが漂っていた。
この古民家で、少年と三人の幼児達の世話をすることになった。
たまに食料を補充してくれる佐吉じいさん。
「サステナブルワーク」という言葉の真意。
閉ざされた島で繰り返される儀式と、やがて明かされる恐るべき真実の中で、主人公に迫る避けられない運命とは……
プロローグ
メリーゴーランドのように、同じ時間を繰り返す島。
あの島で過ごした日々は、現実のようで、どこか夢じみていた。
潮の香りが染み付いた古民家のひび割れた壁。
静かに微笑む佐吉じいさん、少年の無機質な視線。
ジグソーパズルのピースのように、僕はその中に組み込まれて島の一部になっていった。
第一章 夏の求人
1
「夏休みの予定は?」
アリサの大きな瞳がアイスコーヒーのグラスを見つめ、丁寧にミルクを垂らしていく。
「いや、特にないけど」
僕の真っ白な予定表は、氷の中で青みを帯びて沈んでいった。
「じゃあ、バイトしない?」
彼女が肩にかかる髪を指で軽く払った。
クリーム色のシャツが涼しげだ。
「バイト?」
「うん、住み込みの良いアルバイトがあるの。わたしと一緒にやろうよ」
彼女は『わたしと一緒に』の部分を強調して、上目遣いに僕を見た。
アリサの左目の下にあるホクロが僕を誘っている。
大学に入って初めて迎える夏休み、僕には帰省する場所はない。
今借りている格安アパートが唯一の住処だ。
彼女とは語学のクラスが同じだった。
ただし、教室で会ったのは一度だけ。
アリサからアルバイトに誘われたことを友人に話すと、首をかしげて、
「アリサって誰だ?」
「誰って、ほら、この前の授業で一番前の席に座ってた……」
「いつも一番前の席は空席だろ」
そう言われてみると空席だった気がしてくる。
「それに、オレあのクラスの女子学生の名前は全員知ってるけど、アリサなんて女性は居ないって」
友人の目には、ほんのわずかな困惑と不信が滲んでいた。
まるで僕が架空の人物について語っているかのように。
しかし、その夜。
──準備があるので、先に行って待ってます。
メアドの交換をした覚えはないのに、アリサからメールが来た。
アルバイトの件を了承した覚えもない。
だけど、確かに、断りはしなかったし、予定がないのも事実だった。
何より、僕はアリサに惹かれていた。
メールにはスケジュール表が付いていたので、一人で目的地に向かうことになった。
指示に従って乗り継ぎ、無事、船着き場に到着した。
沖を眺めていたら、浮かんでいるだけで奇跡ともいえるボロ船が迎えに来た。
船頭と二人だけの気まずい時間は、死んだ振りをして乗り切った。
夕刻、瀬戸内海に浮かぶ島に下り立った。
潮の香りが鼻を突き、波の音が耳に残った。
地面は乾いた砂と小石が混じり、足裏にじわりと重みを伝えてくる。
松並木を目指して歩いた。
石畳が途切れて砂浜に靴で踏みこむと、足首が飲み込まれた。
慌てて石の上に飛び乗ると眼前の巨大な松の木に威嚇された。
一週間分の荷物を詰めたリュックサックが肩に食い込む。
振り向くと、舟は米粒のように小さくなっていた。
肩でため息をついた。
顔を上げると、小学四、五年生くらいの少年がぽつねんと立っていた。
少年の黒い瞳は夕陽を映して赤く輝いて見えた。
「お迎えに上がりました」
小さな体に不釣り合いなほど丁寧な敬語で挨拶をした。
色白で細くて華奢な手足が、島の子供ではないことを物語っていた。
──島に着いたら、お迎えの人がいるから安心して。
その安心が、この少年だった。
「ああ、迎えに来てくれたんだ」
僕は親しみやすさをアピールするため、笑顔を相棒にして足を踏み出した。
少年は丁寧に頭を下げてから、黙って歩き出した。
バイト内容について詳しいことは知らされていない。
アリサの祖父母が暮らす家で、祖父母が留守中にアリサと二人っきりでペットの世話をすることになる、と勝手な妄想を楽しんでいた。
着いたのは、大きな二階建ての古民家だった。
梁には古い蜘蛛の巣が垂れ下がり、壁には無数のひびが走っていた。
柱に染み込んだ時間の匂いが鼻を突く。
引き戸を開けると、高い天井の下に色褪せた畳が遠近法で描いた水彩画のように広がっていた。
ざっと数えて、三十畳ほどありそうだ。部屋の中央に小さなちゃぶ台が鎮座している。
靴を脱いで中に入った。
部屋に充満した重たい空気のせいで小さく見えたが、ちゃぶ台は十人くらいゆうに座れそうだ。
少年が窓を開け放つと、絵の中の部屋が息を吹き返した。
「アリサは?」
「いません」
「じゃあ、アリサのおじいさんかおばあさんは?」
「それも、いませんね」
「えっ? だって、ほら、僕はアリサに誘われてここに来たわけだし、アリサの親戚がここに住んでるんでしょ……」
思わず妄想しただけのアルバイト内容を口にしていた。
「雇ったのは僕です」
聞き分けのない弟に言い聞かせるように、少年は僕を直視した。
「キミが?」
言葉に詰まった。
「はい」
「ペットの世話をするんだよね」
「違います。僕と弟たちの食事の支度。それと、この家の世話です」
話がかみ合わない。
アリサに連絡をしようとスマホを手にした。
すると少年は先手必勝の決定打を放った。
「この島に携帯の電波は届きません。もちろん固定電話もありません。郵便物も届きませんが、特別な場合だけ船着き場に設置された郵便受けに届くこともあります。最近だと、アルバイトの件でアリサさんとやり取りした時です」
質問する間を与えず、少年は説明を続けた。
この島には電気もガスもない。井戸から汲み上げた水を使う。薪をくべてご飯を炊き、風呂を沸かす。少年は手際良く見本を見せてくれた。
──大学生になって初めて迎える夏休み、僕は文明から遮断された無人島で暮らすことになりました。
そう伝えるためスマホを取り出そうとして思い出した。電波が無いし、そもそも伝える相手もいなかった。
家の裏手にある食料庫に案内された。米や魚の干物、調味料などが揃えられていた。
「食料は佐吉が補充してくれます」
「佐吉?」
「はい、佐吉じいさんは滅多に姿を見せませんが、もし出会っても怖がる必要はありません。話をすることは出来ませんが、呼ぶと振り向くので耳は聞こえているみたいです」
「まあ、一週間の約束だから良いけど」
高額な報酬に厄介事は付き物だ。
「肉を捌いたことはありますか? 野うさぎとかを捕まえて捌くことが出来れば良いのですが」
油断していると不気味な質問が飛んできた。
「それは無理だな」
首を左右に振って一歩後ずさった。
「そんな恐ろしいことは無理だね。鶏はもちろん魚も裁けないし」
ゴキブリでさえ潰せないのに、と心の中で呟いた。
「それじゃあ、佐吉じいさんに任せるしかありませんね。持ってきてくれる肉は、味付けまでされていて、この世のものとは思えないくらい……美味です」
少年の声が妙に湿って聞こえた。
味を語るというよりも、それが何であるかを誤魔化しているように。
「佐吉じいさんにはいつ会えるの?」
僕の問いかけに、少年は一瞬だけ笑った。
少年の笑顔は口元だけが引きつるように動いた。けれど目は微動だにせず、暗闇を覗き込むようだった。まるで、自分の後ろに誰かが立っているかのように。
返事はなかった。
といって、もう一度同じ質問をする気にはなれなかった。
どうせ、食料を補充しに来た時に会えるのだ。確認するほどのことでもない、と自分に言い聞かせた。
「とにかく、食料の心配はしなくて良いわけだね」
質問の矛先を変えてみた。
「佐吉じいさんが持ってきてくれるのは、米と木の実と干し魚、それとごく稀に肉料理です。野菜は自分で畑から収穫します。もちろん、畑の世話もお願いします」
「その佐吉じいさんって人は何処に住んでるの?」
「それが分からないんです。どこからか突然現れて、いつの間にかいなくなってしまいます。と言っても、別に跡をつけたことはありませんが」
それほど興味がある訳ではない。
一週間の間、自分の職務を全うすれば良いだけだ、と自分を納得させた。
2
少年に教わりながら食事の支度を終えて、ちゃぶ台についた。
僕の隣に少年が座り、向かい側に三人分の食事を並べた。
ワカメの味噌汁と焼き魚、キュウリの和え物、そして白米。素朴な晩飯だけど、昼から何も口にしていなかったので胃袋が歓喜の舞いを披露している。
日は沈み、行灯の明かりだけが頼りだ。
ハロウィンパーティーみたいで気分が高揚してきた。
二階からガサゴソと音が聞こえて来た。
頭の中からアドレナリンに混じって疑問符が溢れ出てくる。
続いてトントントンとたどたどしい足音が、階段の上から近づいて来た。
その正体が姿を見せた。
可愛らしい三人の幼児たち、主役の登場だ。
男の子が三人。
三つ子だろうか?
顔も動作もそっくりだ。皆ニコニコと愛想が良くて、同じタイミングで腰を下ろした。
「はじめまして。今日から一週間よろしくね」
仲良くなろうと思って、とっておきの笑顔で挨拶した。
子供たちは頷きあっている。
名前を尋ねても、ただニコニコと僕の顔を見ているだけで、口を開かない。
人見知りする年頃なのだろうと諦めて、「いただきます」と手を合わせた。
子供たちも一斉に真似をする。
僕が食べ始めると、僕の動きをトレースするように同じペースで食べ始めた。
食事が済むと子供たちは手を合わせてから立ち上がった。
行灯の光が子供たちを追いかける。
畳に映る影が、何故か一人分多い。
目の錯覚だろうか。
首を強く左右に振った。
影は揺れて、子供たちは滑るように階段の上へと溶け込んでいった。
僕が口を開きかけると、少年は『何も言うな』と目で合図をしてきた。僕は弱く頷いてから、少年と一緒に後片付けをした。
全て完了すると、少年は階段に向かった。
僕が後に付いていくと、少年は階段の下で立ち止まって振り返った。
「あなたは一階で寝てください。寝具はそこの押し入れに入っています」
有無を言わせぬ口調に苛立ちを覚えたが、考えてみれば彼が雇い主だ。
指示に従うことにした。
その時、押し入れの襖に描かれた絵が目に入った。
薄暗い洞窟のような場所が描かれていた。
「この絵は?」
僕の問いかけに、
「それは……、地下室ですね」
少年が口籠った。
「地下室? どこの?」
僕の再度の追求に、少年は目を伏せた。
「では、おやすみなさい」
そう言い残して、逃げるように階段を上って行った。
一人取り残された僕は、ちゃぶ台の前に座り直した。
目を閉じると、耳に残るのは波の音だけだった。街の喧騒も車のエンジン音も、ここではすべてが遠い幻だった。
一階のだだっ広い部屋で寝ることになった。
襖の不気味な絵が気になるので、片隅の絵が見えない場所に布団を敷いて横になった。
この家に時計は無い。
スマホを確認するとバッテリーが切れていた。
時間を知る術が無くなった。
しかし、風の囁きが時の流れを教えてくれた。
つづく
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