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あのコはだぁれ? 考察|ラストの意味と、これが「いないはずの続編」だった理由

この映画のレビューを読んでいて、くり返し出てくる言葉があります。

※この記事にはアフィリエイトリンク(楽天)を含みます。

「わからなかった」です。

「つまらない」じゃないんです。「怖くない」でもない。

話が、通らない。

そういう感想が、点数の高い人からも低い人からも、同じ形で出てくる。

でも調べていくうちに、私はだんだん、こう思うようになりました。

この映画は、わからないように作られている。

しかも監督が、その理由を別のところではっきり喋っていました。

先に断っておきます。この記事は結末まで話します

途中に「ここから先はネタバレです」の線を引くので、まだ観ていない方はそこで止めてもらえれば大丈夫です。


🎬 まず、これがどういう映画なのか(ここはネタバレなしです)

『あのコはだぁれ?』は、2024年7月19日公開の日本のホラー映画です。

上映時間は107分。監督は清水崇さん。『呪怨』の人です。

舞台は、夏休みの学校。

補習授業を受けるために集められた、5人の男女。

キャッチコピーはこれです。

"あのコ"に見つかったら、殺される──。

この教室には、"いないはずの生徒"がいる──。

主演は渋谷凪咲さん。この映画が映画初主演です。

演じるのは、臨時教師として補習クラスを受け持つことになった君島ほのか。

予告編を貼っておきます。

90秒で、だいたいの手触りはつかめると思います。

ちなみにレーティングはGです。年齢制限なし。

ホラーなのにG。ここ、あとで効いてきます。

🧩 先に、道を分けておきます

この記事には、たぶん2種類の人が来ています。

ひとつは、2026年の『だぁれかさんとアソぼ?』を観て、ここに流れてきた人

「あれ、あの幽霊、前にも見たことある気がする」と思って検索した人です。

もうひとつは、この映画だけを観た人

観終わって、「で、結局なんだったの?」となっている人。

どちらでも読めるように書きます。

ひとつだけ先に言っておくと、この映画には前作があります。

ミンナのウタ』(2023)です。

そして——ここがこの記事の話の中心になるんですが——

そのことが、日本語のタイトルのどこにも書かれていません。

3作目のほうの考察は、こちらに書きました。順番はどちらから読んでも大丈夫です。

⚠️ 評価は「つまらない」では割れていません

数字を出しておきます。

  • 映画.com 3.0/全157件

  • Filmarks 3.5/16,596件(Filmarksの表記。うち文章レビューは4,254件)

3点台なので、平均的に見えます。

でも中身を読むと、割れ方に方向があるんです。

低い側の言葉を並べます。すべて原文のままです。

とにかく、何でこんな事が起こっているのか全然分からなかった。最期の音を聴きたいってどういう事?どうやってカセットテープに録音してるの?何で同級生の子供達と接触するの?何で親に殺してもらうの?何でゲームセンターに現れるの?

(映画.com・涼介さん/2.5点)

狙われる基準とか、なぜターゲットにされたのに、殺されなかったのかは不明。

(映画.com・mzさん/2.5点)

次元や時代を脈略も無いままに行ったり来たりする支離滅裂さ

(映画.com・マルボロマンさん/1.5点)

気づくのは、いま引いた3人は誰も「退屈だった」とは言っていないことです。

言っているのはずっと、「理由を教えてくれ」なんです。

🚧 ここから先はネタバレです

ここから結末まで書きます。

まだ観ていない方は、ここで一度止めてください。

観たあとに、また来てもらえたら嬉しいです。

🧨 「理由がない」のは、たぶん失敗ではありません

観客がいちばん怒っているのは、「なぜあの人が狙われたのか」が説明されないことです。

私も最初はそう思いました。

でも監督のインタビューを読んでいて、手が止まりました。

清水崇監督は、この作品の前に『犬鳴村』『樹海村』『牛首村』という「村」シリーズを撮っています。

そのことについて、こう言っているんです。

前作『ミンナのウタ』以前の『村』シリーズでは、毎回、何らかの因果関係が怨念となって甦るという流れが物語のベースにあった…そこからはずれた新たなお化け像を心のどこかで探していた

(清水崇/BACKYARD)

「因果関係が怨念となって甦る」構造から、意識的に離れようとしていた。

これは、ホラーの作法としてはかなり思い切ったことです。

だって、Jホラーの怖さって基本的に「理由」でできているからです。

恨みがあって、無念があって、だから出てくる。『呪怨』がまさにそうでした。

その因果を外すと、何が起きるか。

「なぜ私が」に、答えがなくなる。

月刊ムーの記事は、本作の怪異について「恨みではなく『対象は誰でも良い』という動機」で恐怖を起こす、と書いています。

つまり、観客が探していた「狙われる基準」は、少なくとも観客が期待する形では提示されていない

念のため書いておくと、監督が言っているのは「そこからはずれたお化け像を探していた」までです。

そこから先は、私の解釈です。

ここ、意地悪な言い方をすれば「説明を放棄した」とも読めます。

実際、そう受け取った人が多いから点数が伸びていない。

でも私は、理由のない厄災のほうが、現実に近いと思っています。

事故も、病気も、通り魔も、「なぜ自分だったのか」には答えがありません。

答えがないことに耐えられないから、人は後から理由を探す。

この映画が観客に強いているのは、その「理由探し」の失敗体験そのものです。

だから観たあとに「わからない」と言いたくなる。

その「わからなさ」は、たぶん映画が渡してきたものです。

👥 「あのコ」は、1人じゃありません

これは私の深読みではなく、監督が言い切っています。

僕の中ではタイトル『あのコはだぁれ?』の"あのコ"は映画の前半ではすぐにわかるようにしていて、さらにその奥にもう1人、これがタイトルの指す"あのコ"はこの子なんじゃないかというのを忍ばせたいと思いました

実は"あのコ"は1人ではなく、登場人物の立場や観方次第で何人かの"あのコ"がいるし、Wミーニングで後半に明かされる"あのコ"も潜んでいるんです(清水崇/トーキョー女子映画部)

さらに舞台挨拶では、こうも言っています。

今回映画の中に、"あのコ"をたくさん散りばめたので、探ってみていただくのも楽しいかと思います

(大阪コミコン舞台挨拶/映画情報どっとこむ)

タイトルは、幽霊の名前を訊いているんじゃない。

「あのコ」という指し方は、そもそも名前を知らない相手にしか使いません。

知っていれば、名前で呼びます。

つまりこのタイトルは、最初から「わたしたちは、隣にいる人の名前を知らない」という状態を指している。

🏫 なぜ「補習クラス」だったのか

舞台設定の話を、監督はこう説明しています。

夏休みに公開される映画だから、同じ時期を舞台にした方がいいんじゃないかと思ったんですけど、その時期って、学校、誰もいないじゃないですか。最後に『補習授業中はどうだろう』ってなって、そこに焦点を絞りました

(清水崇/cowai)

監督が言っているのは「誰もいない学校に、人を集める口実」としての補習です。

でも、ここから先は私の読みですが——

補習クラスって、日本の学校では数少ない「クラスがシャッフルされる場所」なんですよね。

普段は1年A組、2年B組と、顔ぶれが固定されています。

ところが補習は、成績という別の理由で集められる。だから隣の席が誰なのか、よく知らない。

そこにひとり多くても、誰も気づけない

少なくとも「紛れ込む」という一点については、この設定だけで成立します。仕掛けはいりません。

それ以外の場面では、この映画はもっと派手なことをやっているようですが(ゲームセンター、影を使ったトリック——「何でゲームセンターに現れるの?」と書いた人もいました)、

教室にひとり多いことだけは、何の力も使わずに通ってしまう。

そして監督は、製作発表のコメントでこう書いていました。

夏休み中の補習授業…あなたは誰がどこのクラスのコか? わかりますか? …そこに見知らぬ"あのコ"が交れ込んでいたとしても……!? そして身近な家族や恋人、友達…彼らがどこの誰だか? 本当に知っていますか?

(清水崇 公式コメント/映画ナタリー)

「彼らがどこの誰だか? 本当に知っていますか?」

問いの矛先が、途中から完全にこちら側を向いています。

🎵 主題歌のタイトルが、そのまま答えになっています

この映画の主題歌は、ヒグチアイさんの「」といいます。

タイトルが、「誰」です。

ヒグチアイさんが公式サイトに寄せたコメントを読んで、私は少しぞっとしました。

ちょっと不思議なあの子になぜか惹かれてしまう。わたしもあの子みたいに〝変わってる〟って言われたい。そんな風に思っていたのに、いつの間にかそこから抜け出していた。そしてあの子は…?今どこにいるんだろう。これって誰しもが経験することなんでしょうか?そしてあの子は今どこでどうしているんでしょうか?あなたの影にあの子がいる。いや、あなたが影なのかもしれない。ぜひ1人で、聴いてくださいね。

(ヒグチアイ/松竹公式サイト)

「あなたが影なのかもしれない」

主題歌を書いた人が、映画のタイトルの問いを、そのまま聴き手に投げ返しています。

監督も別のコメントで、誰もが経験する「あの転校生は誰だったろう」という記憶への問いかけだ、という趣旨のことを言っています(otocoto)。

クラスに一時期いて、いつの間にかいなくなって、名前も顔もぼんやりしている子。

あれは、誰だったんだろう。

そういう記憶、たぶん多くの人にあります。

👻 いちばん怖いのは、幽霊じゃありませんでした

これは観客の反応を集めていて、いちばん驚いたことです。

低い点をつけた人まで褒めているのが、幽霊本人ではなく「その母親」なんです。

しかも、点数を低くつけた人ほど、母だけは褒めている。

ミンナのウタのときもだったけど、お母さん役の人が最高です👍🏻

(Filmarks・39さん/2.0点

さなちゃんのお母さんが1番ホラー。

(Filmarks・みさん/2.5点)

本作のベストキャラはまたしてもお母さん。過去に囚われている姿があまりに怖い...。

(映画.com・サプライズさん/4.0点)

一方で、こういう批判の形もあります。

正直内容はほぼ前作と変わらない、怖さもお母さん頼り

(Filmarks・タンスさん/1.3点)

主役の霊であるはずの高谷さなは、「新しいホラーアイコンとして推せる」とは言われるのに、

「この映画でいちばん怖かった」とは、あまり言われていないんです。

なぜ母のほうが怖いのか。

私の読みはこうです。

幽霊は、もう人間をやめている。でも母は、まだ人間のまま壊れている。

いちばん的確だと思ったのは、サプライズさんの「過去に囚われている姿」という言い方でした。

私は本編をその一語から想像するしかないのですが、たぶん超常現象ではなく、現実にありうる壊れ方として置かれているのだと思います。

観客が本当に直視できなかったのは、たぶんそっちだった。

🚪 誰も存在理由を知らない、あの小さい引き戸

この映画には「ホラー担当」という耳慣れない役職のスタッフがいます。川松尚良さんという方です。

本人の説明を引きます。

ホラー描写に特化し、必要となる各部署のプロフェッショナルと相談してアイディアを具体映像化していく仕事になります。(中略)

僕のキャリアの中でも中核となる清水崇監督の作品ではさらに一歩踏み込み、ホラーキャラの創作から物語紡ぎ、どんな怪異を起こしていくか?まで、描写の根幹の部分を清水監督と一緒に作る作業をさせて頂いています(川松尚良/SCREEN ONLINE)

そしてこの人が、この映画の設計をこう説明しています。

例えば教室の廊下側の壁の下の方にある、誰も存在理由を知らないあの小さい引き戸。いつの間にやらそこから女の子が覗いていた…これは誰もが思春期の隙間で想像したことのある"学校で起こりそうなちょっと怖いこと"が詰め合わせになった作品です

(川松尚良/SCREEN ONLINE)

「誰も存在理由を知らないあの小さい引き戸」

この一文、すごくないですか。

学校の教室って、意味のわからないものが本当に多いんです。

何のためにあるのか誰も説明できないのに、全員が毎日その前を通っている。

説明されないまま受け入れているものが、日常のほうにすでにある。

この映画の怪異が「理由を持たない」ことと、これはたぶん地続きです。

🎫 「誰もが観られるものになったら面白くない」と言った人が、Gにしています

冒頭で、この映画のレーティングがGだと書きました。年齢制限なしです。

ここに戻ってきます。

まず、Gにした理由。監督がはっきり説明しています。

書き直しているうちに夏休み公開が見えてきたので、だったらいっそ学校が休みになる学生達向けで、一般レーティングGにして、小・中学生でも観られるような作品にしようと決まりました。

(清水崇/トーキョー女子映画部)

小・中学生でも観られるように、G。

ところが同じ夏、同じ監督が、別の取材ではこう言っているんです。

ホラーは偏見や差別をもって見られるジャンルじゃないといけない。偏見や差別あってこその分野なんだと思いを強くしています。苦手な人がいて当たり前。誰もが観られるものになったら面白くないし、怖くなくなっちゃうんじゃないかな。誰もが感動して涙するものとは違うからこそ面白い。

(清水崇/映画.com)

「誰もが観られるものになったら面白くない」

さっきの発言と、正面からぶつかっています。

誰でも観られるようにGを選んだ人が、

誰でも観られるものはつまらない、と言っている。

どちらかが嘘だとは、私は思いません。

たぶん、引き裂かれているんです。

ホラーを撮る人として「苦手な人がいて当たり前」の濃さを守りたい気持ちと、

夏休みの興行として客席をできるだけ広く開けたい要請。

その両方が同じ人の中にあって、この映画はちょうど真ん中に落ちた。

そう考えると、この映画がなぜ「どっちつかず」に見えるのかも、少しわかる気がします。

ホラーとしての濃さを守りたいと言う人が、いちばん間口の広いレーティングを選んでいる。

その引き裂かれが、そのまま作品の手触りになっている——ここは私の推測ですが、そう思っています。

🎬 主演が決まらないまま、脚本が書かれていました

これは制作の裏話ですが、作品の性質をよく表していると思います。

実は比較的前半のシーンで、わけの分からないまま矢継ぎ早にあり得ないことが起こるのですが、誰が主演してくれるのかも分からないまま脚本を書いていたので、リアクションのセリフが書けないんです。『キャー』でもないし、『……』としか書けないから、現場で一緒に臨むしかないなと感じました

(清水崇/映画.com)

主人公が誰だかわからないまま書かれた映画なんです、これ。

台本の上では、主人公の反応が「……」だった。

タイトルが『あのコはだぁれ?』で、脚本の段階では主役が誰かも決まっていなかった

偶然だとは思いますが、できすぎています。

ついでに撮影の話も。

この映画は2024年3月にクランクインしていて、ロケ地は千葉県の廃校でした。

夏休みが舞台なのに、撮影は寒風の吹く時期。

廃校の庭にひまわりを植えて、生徒役は夏服で、顔や首筋に「汗」に見える水を浴びてからカメラの前に立っています。

夏の映画は、冬に作られている。

ここにも「見えているものが本当かどうか」の話がある気がして、私は好きなエピソードです。

👤 高谷さなとは、何者なのか

ここは前作『ミンナのウタ』とまたぐ話になります。

まず、劇中の彼女について、いまの時点で言えることを整理します。

記事の最初のほうで、涼介さんの「最期の音を聴きたいってどういう事?」という叫びを引きました。

あれに、いまわかる範囲で輪郭だけつけておきます。

観客のひとりが、こう整理していました。

今回更に明かされたのは、「魂の声」とは「死ぬ間際の"音"」だと判明します。

(映画.com・琥珀糖さん/3.0点)

前作で「歌」だったものが、本作では「死ぬ間際の音」になっている。

サウンドトラックの曲名も、それを補強します。

第3曲が「きかせて、最期の音」、最終曲が「次はあなたの音」。

そして第26曲のタイトルが「1992年6月23日」です。

前作でさなが自分のカセットテープをラジオ局に送ったのが約30年前。

本作で語られる事故も、およそ30年前。数字は噛み合っています。

ただし、ここで止めておきます。

曲名は事実ですが、それが画面でどう鳴るかまでは私は確認できていません。

サントラのタイトルから言えるのは、ここまでです。

そのうえで、彼女を演じている人の話をさせてください。

高谷さなを演じているのは穂紫朋子さんです。

公式サイトのプロフィールによれば、彼女は前作『ミンナのウタ』で500名のオーディションからこの役に抜擢され、それが映画初出演でした。

(この一文は、記事の後半でもう一度出てきます。そこが本題です)

500人から選ばれて、それが映画デビュー。

清水監督は、選んだ瞬間のことをこう語っています。

最終選考で「普通に何も考えずに、こっちを見て真っすぐ歩いて来てください」とだけ指示したそうです。

そして彼女が歩いてきた瞬間、監督とプロデューサーが「うわっ」とのけぞった

そこで「見つけた!」と確信した、と語っています(CINEMORE)。

歩いてきただけで、大人がのけぞる。

本人の役作りも面白いんです。

(他作品から学んだのは)人間的な動きを完全に消すこと。まばたきをしないとか、普通に生活をしていて絶対に使わないような筋肉を使って歩くとか、どこかが完全に静止しているとか

(穂紫朋子/PINZUBA NEWS)

「人間的な動きを完全に消すこと」

これ、この映画の設定と噛み合っています。

補習クラスに紛れ込んだ彼女が見つからないためには、人間らしく見えないといけないはずなのに、

本人がやっているのは真逆の、人間らしさを消す作業なんです。

つまり彼女は最初から浮いている

浮いているのに、誰も指摘しない。それがこの映画の怖さの構造です。

ここで、ひとつ訂正を入れておきます。

2026年の『だぁれかさんとアソぼ?』では、この霊は「タカヤサマ」と呼ばれるようになります。

でもこの2作目の時点では、そんな呼び名は出てきません

彼女はまだ、高谷さなという一人の女の子です。

レビューをかなりの数読みましたが、「タカヤサマ」と書いている人は見つけられませんでした

みんな「さな」「サナ」「さなちゃん」と呼んでいます。

呼び名がつくのは、3作目になってからなんです。

名前のない子に、みんなが名前をつけていく過程が、シリーズそのものだったのかもしれません。

なので、この3本を「タカヤサマ3部作」と呼ぶのは、少し先走りなんです。

観客のあいだでは、3作すべてに出てくるこの子の名前をとって「高谷さなシリーズ」と呼ばれています。公式がつけたシリーズ名はないので、この記事でもそう呼びます。

ちなみに海外の映画データベース(Letterboxd)でも、3本は Sana/Sana: Let Me Hear/Sana: Play with Me という題で並んでいます。

🌉 2作目が引き受けたもの

ここからは、この映画の「立ち位置」の話です。

海外のレビューサイトで、鋭い指摘を見つけました。

"the entire first hour is spent getting the new cast up to speed on the events of the previous movie, which the audience, of course, already knows."

(Letterboxd・David Sodergrenさん/拙訳=前半1時間まるごと、新しい登場人物たちが前作の出来事に追いつくために使われている。観客のほうはもちろん、とっくに知っているのに)

もう1つ。

"shedding the mystery that powered the original places the film in far more familiar narrative territory."

(Letterboxd・Mark Costelloさん/拙訳=前作を動かしていた謎を手放したことで、この映画はずっと見慣れた物語の領域に置かれてしまっている)

2作目の宿命が、きれいに言語化されています。

1作目は「これは何だ」で引っぱれる。

でも2作目は、その「何だ」に答えなければいけない。答えた瞬間、謎という燃料を失う。

そのうえで、前作を観ていない新しい観客にも説明しないといけない。

説明すれば既存客に「蛇足」と言われ、説明しなければ新規客に「わからない」と言われる。

どっちを選んでも負ける場所に、2作目は立たされています。

ちなみに興行としては、この映画は成功しています

  • 『ミンナのウタ』(2023)=興収5億円

  • 『あのコはだぁれ?』(2024)=興収11.6億円(日本映画製作者連盟の2024年統計・邦画10億円以上の第28位)

倍以上に伸びている。

評価は割れたのに、客は増えた。

2作目としては、これは勝ちです。

📣 そして、この映画自身が「いないはずの続編」でした

ここが、私がこの映画についていちばん書きたかったことです。

じつは3作目『だぁれかさんとアソぼ?』の考察でも、私は「公式がシリーズだと名乗っていない」という話を書きました。

でもあのときに書けなかったことが、ひとつあります。

それが、いつ、どういう理由で決まったのか。

答えは、この2作目にありました。ここには、3作目には残っていない監督の言葉があるんです。

もう一度、キャッチコピーを見てください。

この教室には、"いないはずの生徒"がいる──。

この構造、映画の外側でも起きています。

順番に事実を並べます。

①公式は、一度も「続編」と言っていません。

公式サイトにも、松竹の作品ページにも、使われている言葉はこれだけです。

昨年、『本当に怖いホラー映画』として話題になった『ミンナのウタ』のDNAを引き継ぐ最新作『あのコはだぁれ?』

(松竹公式サイト)

「DNAを引き継ぐ」。「続編」でも「シリーズ第2弾」でもありません。

②それは事故ではなく、監督の意図でした。

いろいろ考えたのですが、続編と言わずとも、この作品だけでちゃんと完結して観ることができるようにしたいと思いました。

(清水崇/トーキョー女子映画部)

「言わずとも」。

名乗らないことを、作り手が選んでいるんです。ここが2作目にしかない証言です。

③でも監督自身は、前作の舞台挨拶で「続編」と言っていました。

『ミンナのウタ』の舞台挨拶の時に、僕が勝手に「お客さん達のおかげで続編が作りやすくなりました」と言っちゃったんです(笑)。

(清水崇/トーキョー女子映画部)

④しかも、同じ公式サイトの中に証拠が置いてあります。

キャストの穂紫朋子さんのプロフィール欄です。

映画『ミンナのウタ』(23/清水崇監督)では500名のオーディションからホラーヒロイン「高谷さな」役に抜擢され映画初出演。

同じ役名。同じ俳優。

「続編ではない」と言っている当の公式サイトが、自分でそう書いているんです。

⑤日本語のタイトルにだけ、シリーズの記号がありません。

英語圏のデータベースで、この3本はこう並んでいます。

  • 『ミンナのウタ』=Sana

  • 『あのコはだぁれ?』=Sana: Let Me Hear

  • 『だぁれかさんとアソぼ?』=Sana: Play with Me

3本とも、名前に「Sana」が入っている。

(※これはAsianWikiとLetterboxdでの登録名で、松竹が定めた公式英題かどうかまでは確認できませんでした)

日本語の3つのタイトルには、シリーズだと分かる記号がひとつもありません

そして観客は、こうなりました。

なぜ、サブタイを付けないのでしょうか?私も騙された。見始めて気づく。予告編くらいですと続いて作られたストーリーと分からない

(映画.com・カツラギさん/2.0点・レビュータイトルは「サブタイ『◯◯◯◯◯◯2』って書けよな!」)

しかもこれ、どうやら続編らしい。ちゃんとわかるようにしろ(笑)

(映画.com・はむひろみさん/2.0点)

追記:レビュー投稿後、皆様のレビューを読んでいて、あっ、ミンナノウタの続編だったのかとやっと気づいた。

(映画.com・りあのさん/2.0点)

「この教室には、いないはずの生徒がいる」

——この映画は、まさにそれをやったんです。

シリーズだと名乗らないまま、劇場という教室に紛れ込んだ。

そして観客は、上映が終わってから「あのコはだぁれ?」と検索することになった。

キャッチコピーが、興行の構造そのものを予告していた。

私はこの一致を、この映画のいちばん面白いところだと思っています。

🔚 ラストの意味

ここは、いちばん意見が割れているところです。

先に断っておくと、ここから書くのは本編の逐語ではなく、観客の証言からの再構成です。

レビューをまたいで見えてくるのは、おおよそこの2点でした。

ほのかが最後に何かを引き受けたらしいこと(知恵袋の回答者は、これを自己犠牲として読んでいます)。

そのあと、「みんな助かっている」映像が置かれていること。

(この映像が「エンドロール中」なのか「エンドロールの後」なのかは、証言によって書き方が割れています。正確な位置までは断定しません。)

これが多くの人を混乱させました。

「いつもありがとう。」という染谷将太のセリフに「?」と思ったら…という、渋谷凪咲のオチは良かったですが、続くエンドロールで、続々とみんな助かってたのはどういう意味でしょうか???必要???お分かりになるレビュアーの方、ぜひ教えてください。

(映画.com・ITOYAさん/2.5点)

レビューで「教えてください」と公開質問している人がいる。

これがこの映画の受け取られ方を、いちばんよく表していると思います。

一方で、そこを評価する人もいます。

エンドロールの後にオマケではなく、この作品の"大団円"が待っていますので、帰らないように!!

(映画.com・stoneageさん/4.0点)

もうひとつ、こういう声もありました。

最後自分じゃなくて高谷さなの名前言えばよかったのでは?

(映画.com・せったさん/4.5点)

最後に、自分の名前を言った。

少なくともこのレビュアーには、そう見えていたようです。

ここから先は、私の読みです。

あの「みんな助かっている」映像は、「助かった側は、誰が代わりに払ったのかを知らない」という絵として受け取りました。

みんな無事です。日常に戻っています。

そして、たぶんその日常の中には、いなくなった人のぶんの空白がある

でも誰も、そこを数えない。

ひとつ、傍証を置いておきます。

2年後の『だぁれかさんとアソぼ?』で、君島ほのかは回想と写真の中にしか出てきません。

演じた渋谷凪咲さんも、3作目では回想と写真の中にしか現れません。

彼女はもう、シリーズの「現在」にはいないんです。

つまりこの読みは、続編の側から見ても矛盾しません

ここからは完全に私の連想です。

もしあの教室で「ひとり多い」ことに誰も気づけなかったのだとしたら、

ひとり足りない」ことにも、同じように気づけないんじゃないか。

多いのも、足りないのも、同じくらい気づかれない

タイトルの問いが、ここで観客のほうへ返ってきます。

🌏 まったく逆の読み方も、ちゃんとあります

ここまで持ち上げておいてなんですが、この映画を「雑」と読む線も十分に成立します

いちばん強い反論はこれです。

ストーリーは、Jホラーのクリーチャーがシリアルキラーのパターンと考えれば、動機など深い意味はないと思われる。たぶん。

(映画.com・mzさん/2.5点)

「因果を外した」と私は書きましたが、単に詰め切れなかっただけという読み方は否定できません。

私は監督の発言を根拠にしましたが、発言はいつでも後付けできるからです。

高評価をつけた人ですら、こう書いています。

ただ、怖いを優先したがばっかりにストーリーの終着点を見失っていて、結局何も解決してないし、どうしてそうなったの?で終わっちゃうのは残念。

(映画.com・サプライズさん/4.0点)

それと、皮肉のレビューも紹介しておきます。

点数は5.0ですが、これは褒めていません。

腹筋が壊れるかと思いました。全編にわたってツッコミ待ちのシュールなコントテイストで話が進み、声を出して笑いそうになるけど映画館だからそれもできず我慢しすぎて涙を流しながら見ていました。オチも完璧です。

(映画.com・わかたけさん/5.0点)

こういう受け取られ方もしている、というのは正直に書いておきます。

観客の側で、いちばん体系的な読みを立てていたのはYahoo!知恵袋の回答でした。

「主人公が狙われたのは、弟と結婚すればさなの血縁になるからだ」という説です。

(知恵袋 q14301442874 のベストアンサーより。カテゴリマスターの回答者による読み)

私はこの説を取りません。

血縁で説明すると、監督が外したはずの「因果」が戻ってきてしまうからです。

でも、こう読みたくなる気持ちはよくわかります。

理由がないと、人は落ち着かないので。

🎥 こんな人におすすめ/おすすめしません

おすすめ

  • 『だぁれかさんとアソぼ?』を観て、「前にも見た顔がある」と思った人(答え合わせが全部ここにあります)

  • 説明されない恐怖に耐えられる人

  • 学校という場所の「意味のわからなさ」が好きな人

  • 家族が壊れていく話に弱い人(母がいちばん怖いです)

おすすめしません

  • ルールがはっきりしているホラーが好きな人(この映画は、ルールを説明してくれません)

  • 伏線が全部回収されないと気が済まない人

  • ジャンプスケアで飛び上がりたい人(そこは控えめです)

観る順番について、はっきり答えます。

『ミンナのウタ』→『あのコはだぁれ?』→『だぁれかさんとアソぼ?』の順に観られるなら、それがいちばんです。

ここは観客の意見も割れています。

前作を観なくても十分に楽しめる作品だと思う。

(Filmarks・MTさん/4.8点)

ミンナノウタを知っていると面白さが倍増、というより知らないとナンノコッチャになりそう。続編なら続編とタイトルで言っておかないといけないです。

(映画.com・callさん/4.0点)

そのうえで私は、時間がないなら本作から入っても大丈夫だと思っています。

前作の情報は劇中でかなり説明されます(それが「前半1時間」と批判されている部分でもあります)。

逆に、3作目から入ってしまった人は、この2作目を観ると相当すっきりするはずです。

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📚 あとよみの他の考察

この映画の前作、シリーズの1作目の考察です。「続編と名乗らない」やり方が、どこから始まったのかがここにあります。

このシリーズの3作目です。「シリーズだと知らずに観た」という声が、こちらではさらに増えていました。

怪物の由来を最後まで説明しない、という点でよく似た映画の話も書いています。あちらは「理由がない」ことをもっと徹底していました。

評価が割れている映画の、割れ方そのものを読む——という書き方をした回です。

動画版も準備しています。できあがったら、ここに置きます。

💬 さいごに|あなたの隣の席は、誰でしたか

書き終えて思うのは、この映画がずっと名前の話をしていたな、ということです。

「あのコ」という呼び方は、名前を知らないから出てくる言葉です。

そして名前を知らない相手のことを、私たちは驚くほど平気で、毎日隣に座らせている。

電車でも、職場でも、教室でも。

知らないことを、私たちはふだん怖いと思っていません。

この映画は、そこにだけ指を入れてきます。

さて。

あなたは、あの映画をどう観ましたか。

あの「みんな助かっている」映像を、私は「助かった側は何も知らない」と読みましたが、

まったく違う読み方をした方も多いと思います。

母親のことも、あの小さい引き戸のことも、たぶん人によって全然違って見えている。

よかったら、コメントで聞かせてください。

私の読みが間違っている、という話でも大歓迎です。

というより、この映画については、そのほうが正しい気がしています。

わからないままにしておくことが、たぶんこの映画への一番まっとうな付き合い方なので。

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