だぁれかさんとアソぼ? 考察|ラストの意味と、なんでカセットテープなのかという話
観終わって、まっさきに浮かんだのがこれでした。
※この記事にはアフィリエイトリンク(楽天)を含みます。
なんで、カセットテープなんだろう。
だって、いまどきの高校生はカセットテープなんて持っていません。
呪いをかけたいなら、スマホでいいはずです。録音アプリなんて最初から入っています。
でもこの映画は、わざわざあの四角い、ちょっと重たい、使い方のよくわからない箱を選んでいる。
しかもですよ。
調べていたら、監督がその理由を、はっきり口に出していました。
そしてその答えを一歩だけ先に進めると、ラストの意味にまでまっすぐつながるんです。
先に断っておきます。この記事は結末まで話します。
途中に「ここから先はネタバレです」の線を引くので、まだ観ていない方はそこで止めてもらえれば大丈夫です。
🎧 まず、これがどういう映画なのか(ここはネタバレなしです)
『だぁれかさんとアソぼ?』は、2026年7月24日公開の日本のホラー映画です。
上映時間は109分。監督は清水崇さん。『呪怨』の人です。
物語の中心にあるのは、高校で流行っている「絶対にやってはいけない遊び」。
学校の、誰もいない階段。その13段目。そこでカセットテープに日付と名前を吹き込むと、その人は死ぬ。
キャッチコピーはこれです。
「名前を入れたら、おしまイ」
主演は鎮西寿々歌さん。FRUITS ZIPPERのメンバーで、この映画が単独初主演、しかもホラー初挑戦です。
演じるのは心理カウンセラーの平瀬小春。妹の菜々美(星乃あんな)が、その遊びをやってしまっていた——というところから話が動きます。
予告編を貼っておきます。
これを観て「無理そう」と思ったら、その勘は正しいです。
ちなみにレーティングはGです。年齢制限なし。
ホラーなのにG。ここ、あとで効いてきます。

🧩 先に言っておきます。これ、「3作目」です
※ここから作品の背景に触れます。結末には触れませんが、まっさらで観たい方は次の章まで飛ばしてください。
これを知らずに観た人が、本当に多いんです。
『だぁれかさんとアソぼ?』は、清水崇監督の連作の3本目です。
『ミンナのウタ』(2023)
『あのコはだぁれ?』(2024)
『だぁれかさんとアソぼ?』(2026)← いまここ
3本をつないでいるのは、高谷さなという女の子です。劇中では「タカヤサマ」と呼ばれます。
ただし「タカヤサマ」という呼び名が出てくるのは、この3作目からです。1作目・2作目では、「高谷さな」という一人の霊として出てきます。
この3本に、公式がつけたシリーズ名はありません。観客のあいだでは、3作すべてに出てくるこの霊の名前をとって「高谷さなシリーズ」と呼ばれています。この記事でもそう呼びます。
ちなみに海外の映画データベース(Letterboxd)でも、3本は Sana/Sana: Let Me Hear/Sana: Play with Me という題で並んでいます。国が違っても、この子の名前が背骨として扱われているということです。
演じているのは穂紫朋子さん(ほし ともこ)。主演俳優は毎回入れ替わるのに、この人はずっと同じ役でい続けています。
つながりの証拠は、ほかにもごろごろあります。
染谷将太さんは、前2作から続く人物として出てきます(公式サイトは役名を伏せています)
マキタスポーツさんが演じる権田という男が、3本すべてに出てきます
三浦瞳を演じる早瀬憩さんは、『あのコはだぁれ?』と同じ役で続投しています
回想や写真で出てくる君島ほのか(渋谷凪咲さん)は、『あのコはだぁれ?』の主演です
極めつけに、国際版のタイトルが 『ミンナのウタ』=Sana、本作=Sana: Play with Me です
もう、隠す気がないくらい地続きなんです。
なのに、公式の宣伝には「シリーズ第3弾」とも「続編」とも書いていません。
私が探した限り、公式サイトにもプレスリリースにも、その言葉はありませんでした。売り文句はずっと「Jホラー界の巨匠・清水崇監督の最新作」「学園ホラー」です。
続投した早瀬憩さん本人は、こう言っているのに。
「『あのコはだぁれ?』を観てから『だぁれかさんとアソぼ?』を観ていただけると、より一層楽しんでいただけるかと思います」
出ている人が言っていて、売っている側が言っていない。
その結果、こういう感想が並ぶことになりました。
「三部作なのを知らず、前作を見ずに行ってきました」
「フライヤーに書いていなかったがシリーズ作品。マキタスポーツの登場で気付く」
「シリーズものと気付かず鑑賞」
そして、ここがこの記事でいちばん先に言っておきたいことなんですが——
この映画が「よくわからなかった」人は、あなたの読解力の問題じゃないです。
3本目から入ったんだから、わからなくて当たり前なんです。
⚠️ 評価の割れ方が、ちょっと異常です
数字を並べます。
Filmarks … 3.3 / 5.0(1,674件)
映画.com … 2.8 / 5.0(99件)
公開直後の鑑賞者アンケート(MSS調べ・7月24〜26日) … 口コミ推奨度 92.0%
(最後の数字は宣伝側が公表したものなので、いくらか割り引いて見る必要はあります。それでも、この開きは大きい)
……おかしくないですか。
観た直後の人の推奨度が92.0%ある映画が、レビューサイトでは2.8点。
私はこの落差が、この映画のいちばん面白いところだと思っています。
これ、「つまらない映画」の数字の形じゃないんです。観る前に何を期待していたかで、評価が真っ二つに割れる映画の形です。
実際、低評価のレビューを読んでいくと、「つまらない」とはあまり書いていません。書いてあるのはこれです。
「そこまでやったらルール違反だろうが…!」
「話がつながらない」「ルールが破綻している」。
不満の中身が、ほぼここに集まっているんです。

🚧 ここから先はネタバレです
ここから下は、結末を含めて全部書きます。
まだ観ていない方は、ここでそっと閉じてください。観たあとで、また来てもらえたら嬉しいです。
……いいですか。
📼 で、なんでカセットテープなのか(監督が、答えを言っています)
本題です。
監督の清水崇さんが、インタビューでこう話しています。
「階段も好きで、階段を使って映画独自のコックリさんのような、令和の今に流行ってもおかしくないものをやりたいと思っていました。」
読んだとき、声が出ました。
便利すぎるから、わざと不便にした。
これ、ものすごく大事なことを言っています。
こっくりさんを思い出してください。
紙に五十音を書いて、鳥居を描いて、十円玉を置いて、三人で指を乗せて、決まった文句を唱える。
あの手続き、どこにも意味がないんですよね。 なんで十円玉なのか、なんで鳥居なのか、誰も説明できない。
でも、意味がないからこそ儀式になる。
手順の意味がわかってしまうと、儀式は成立しません。ただの操作になります。
「電源を入れて、録音ボタンを押して、しゃべる」——理屈がわかった瞬間、それは呪いではなく、作業です。
だからこの映画は、呪いの道具にカセットテープを選んだ。
監督は、いまの10代にとってのカセットテープを、こう表現しています。
「今の10代にとってカセットテープは、両親が使っていたのを見たことがある、家に1台あったけど触ったことはないといったレベル」
触ったことがない機械。
これ、感覚の話ではなくて、実際そうなんです。
2023年に15〜39歳の300人に聞いた調査では、カセットテープの使用経験が「ない」と答えたのは、10代で74%、20代で57%、30代で19%でした(株式会社CREAKS調べ)。
世代でこんなにきれいに割れる道具、なかなかありません。
つまりこの映画のカセットテープは、懐かしいから怖いんじゃないんです。
手順が身体に入っていないから怖いんです。
そしてもうひとつ、監督はこう言っています。
「誰でも接するような日常の当たり前の風景から入るのが好き。そこからありえないことが起きても、ちょっとリアリティーをもって入ってもらえるように」
階段。カセットテープ。
どこにでもあるのに、正しい使い方は誰も知らない。
私はこの映画のルールを、こう読みました。
呪いは、手間のかかる道具のほうに宿りやすい。
もしあの遊びがスマホの録音アプリだったら、この映画は成立しなかったと思います。
便利は、儀式を殺すんです。

🎵 じつは1作目から、ずっとカセットテープの話でした
しかもですね。調べていて、これは効くなと思ったことがあります。
この連作、1本目からずっとカセットテープの話だったんです。
『ミンナのウタ』(2023)は、こういう話です。
ラジオ局の倉庫で、「ミンナノウタ」と書かれた、30年前に届いたまま放置されていたカセットテープが見つかる。
そして再生すると、少女の声でこう入っている。
「カセットテープ、届き…ま…した…?」
30年、届いていなかったんです。
ここ、鳥肌が立ちました。
声が、物の中で30年待っていた。誰にも聴かれないまま、倉庫にあった。
『ミンナのウタ』の呪いは、そこから広がっていきます。
聴いた人が、自分でそのメロディーを口ずさんでしまう。そうやって人から人へ移っていく。
……気づきましたか。
1本目の時点で、すでに「声が、物に入って、時間を越えて届いてしまう」話をしているんです。
3作目でカセットテープが出てくるのは、思いつきではありません。
最初からずっと、そこにあった。

📦 そしてカセットテープは、「物」です(ここがラストにつながります)
もうひとつ、この選択には決定的な意味があると思っています。
スマホに録った音声は、データです。
けれどカセットテープは、物なんですよ。
手に持てる。カバンに入る。人に手渡せる。
そして——埋められる。
データは消せば、こちらの手元からは消えます。
でも物は、消したつもりでも、どこかにある。捨てても、埋めても、在り続ける。
そして「一手間かかる」というのは、つまり「手で触れる物である」ということでもあります。
監督が言った不便さと、この「物であること」は、同じことの裏表なんです。
この違い、この映画の後半でそのまま効いてきます。あとでもう一度戻ってきます。
✍️ 「名前を書く」んじゃない。「名前を入れる」んです
ポスターのコピーを、もう一度見てください。
「名前を入れたら、おしまイ」
書いたら、じゃないんです。入れたら、なんです。
私はここに引っかかりました。
呪いの遊びって、たいてい「書く」んですよ。ノートに書く、紙に書く、名前を刻む。デスノートもそうです。
でもこの映画は、吹き込む。つまり声です。
書く行為は、身体をほとんど使いません。指先だけで済む。
でも吹き込む行為は、喉と息を使います。自分の身体を通さないと成立しない。
しかも残酷なのが、吹き込む声は、その人自身の声だということ。
誰かに呪いをかけるとき、使われるのは自分の喉です。自分の声で、他人の名前を呼ぶ。
呪いのボタンを押しているのは、いつも自分なんです。

🗣 監督が言っている「言霊」の話(ここが企画の正体でした)
これを見つけたとき、記事の骨が決まりました。
公開前、監督が出したコメントの全文です。
「言葉や文字、音に宿った"言霊"ってやつは厄介です……救いもあれば、呪いにもなり得ます。あなたの、遊びのつもりの一言が誰かの人生を狂わせ、壊したりもします。蔑み、妬み、嫉み、悪口、罵倒……不幸を願うネガティブな言葉や文字が昔より露わになったSNS時代―――姿の見えない"だぁれかさん"はすぐ横にいるかもしれないし、あなたかもしれない。僕らは戯れの感情と言葉を制し、前向きに慈しみ合っていけるでしょうか?」
そして別の取材では、もっと直接的に言っています。
「気軽に顔や名前を隠してSNSで発することで、誰かが傷ついたりネガティブな方向に問題が発生したりする。それをホラー映画のテーマとして置き換えられないか、と考えました」
「SNSの影響が大きいですね。今のSNSって、匿名で誰でも書き込みができるじゃないですか」
この遊びのルールは、既存の怪談を借りてきたものではなく、この映画のために作られたオリジナルです。
つまり、13段目もカセットテープも、古い怪談を借りてきたわけじゃないんです。
いまの話をするために、わざわざ古い道具で組み直したということになります。
そして。
タイトルの「だぁれかさん」は、幽霊の名前だけじゃなかった。
「だぁれかさん」は、名前を出さずに誰かを刺せる人のことでもあります。
匿名で、顔を出さず、遊びのつもりで、他人の名前を書き込む人。
監督自身が「あなたかもしれない」と書いている。
つまりタイトルの疑問形は、劇中の誰かではなく、こっちに向けられているんだと思います。
🪜 なぜ「13段目」なのか
階段の13段目。
「13階段=処刑台」の連想を狙っているのは、まあそうでしょう。でも私は、もう少し手前のところに面白さがあると思っています。
階段の段数って、ふだん数えないんですよ。
毎日上り下りしていても、自分の家の階段が何段あるか、答えられる人はほとんどいないと思います。
つまり階段は、数えた瞬間にはじめて「そこにある」ことになる場所なんです。
そして、数え始めると人は必ず不安になる。
さっき数えたときと合っているか、自信が持てなくなる。
学校の怪談に「増える階段」「13段目」の話が繰り返し出てくるのは、たぶんそのせいです。
数え間違いは、誰にでも起きる。だから誰にでも起きうる怪異になる。
これ、ちゃんと記録が残っていました。
民俗学者の常光徹さんが1986年に東京で採集した、女子中学生の話です。
「小学校に、夜、忘れ物を取りに行ったら、階段が13段あった。次の日に数えてみると12段しかなかった。」
40年前の中学生も、階段を数えて、合わなくて、怖がっている。
やっていることが、この映画の高校生とまったく同じなんですよね。
ついでに、ひとつ余計なことを言っておきます。
「13階段=絞首台だから不吉」という説、根拠が見つかりません。
明治時代に定められた処刑器具の規定(「絞罪器械図式」)には段数の指定がなく、添えられた図面の階段も13段ではありません。
つまり「13段は処刑台」も、誰かが数え間違えたまま広まった話の可能性が高い。
この映画の題材として、これ以上ないくらい似合っています。
余談ですが、この映画の宣伝で、渋谷ストリーム前の大階段の13段目にカセットレコーダーを置いて、「やってはいけないけどやってみたいこと」を吹き込ませるイベントがありました。
そのとき監督が言ったのがこれ。
「両手を広げてここから前のめりに転がり落ちてみたい。僕自身がホラーになる」
……この人、こういう人なんです。ここ、覚えておいてください。あとでもう一回出てきます。

🎙 主人公が「心理カウンセラー」であることの意味
ここ、私がいちばん唸ったところです。
主人公の平瀬小春の職業は、心理カウンセラー。
そして、レビューでは評判がよくないです。
「スクールカウンセラーの設定がまるで活きていない」
(レビューでは「スクールカウンセラー」と書かれていますが、劇中の設定は学校に招かれた心理カウンセラーです)
言いたいことは、すごくわかります。彼女は謎を解かないし、専門知識で怪異に立ち向かったりもしません。
でも私は、逆だと思っています。
カウンセラーの仕事って、何をする仕事でしょうか。
1. 相手の名前を呼ぶ
2. 相手の話を聞く
3. 記録する
……これ、呪いとまったく同じ動作なんですよ。
名前を呼んで、声を受け取って、残す。
タカヤサマがやっていることと、小春がやっていることは、動作としては一ミリも違わない。
違うのは、何のためにやるかだけです。
だからこの映画の冒頭は、あの場面でなければいけなかったんだと思います。
カウンセリングルームに、名前を吹き込まれてしまった女子高生が来る。母親は「そんなのいない」と娘を叱りつけようとして、小春がそれを静かに止める。
この映画で最初に起きる「救い」は、話を否定しなかったことなんです。
呪いも、救いも、入り口は同じ。
誰かの声を、ちゃんと受け取ってしまうこと。
監督のコメントにあった「救いもあれば、呪いにもなり得ます」。
その両方をやる職業の人を主人公に置いた。私はここを、偶然だと思いません。

👧 菜々美が、最初から背負わされていたもの
そして、この映画がいちばん静かに残酷なのが、妹の菜々美の設定です。
菜々美と小春の両親は、もういません。
菜々美が7歳のとき、交通事故で亡くなっています。
事故の状況が、これです。
父親が家族を乗せて運転しているとき、駄々をこねていた菜々美に、ほんのわずかな時間、気を取られた。
……つまり菜々美は、自分の声が原因で親が死んだと思って生きてきた子なんです。
その子が、カセットテープに声を吹き込む遊びをする話。
ここに気づいてから、私はこの映画の見え方がまるごと変わりました。
菜々美にとって、「自分の声が誰かを殺す」は、怪談じゃないんです。もう一度起きたことなんです。
だから、この子が深く巻き込まれていくのは、呪いのルールの問題ではないと私は読みました。
いちばん深く自分を責めている子のところに、それは来る。
呪いって、そういうふうに人を選びますよね。現実でも。

❓ なぜ、呪いのルールは破綻して見えるのか
さて、いちばん不満が集まっているところに行きます。
不満のいちばん多い形が、これです。
名前を入れられていない人まで死ぬのはおかしい。小春は名前を入れられていないのに狙われる。ルール違反だ、と。
実際、こういう声もありました。
「お姉ちゃんカセットテープに名前入れられてないのに命狙われるの可哀想すぎる」
まったくその通りです。ルールとして見ると、この映画の呪いは穴だらけです。
でも、私はこう読みました。
そもそも「ルール」は、遊んでいる側が勝手にそう思っているだけです。
考えてみてください。「13段目でカセットに名前を吹き込むと死ぬ」というルールを、誰が決めたんでしょうか。
高谷さなが記者会見を開いて発表したわけじゃないですよね。
あれは、生き残った人間が後から作った説明書です。
何人か死んで、共通点を探して、「たぶんこういう条件だ」と決めた。それが噂として広まった。
つまりあのルールは、霊の仕様書ではなく、人間側の希望的観測なんです。
「これさえ守れば大丈夫」という、お守りみたいなもの。
そう思って観ると、この映画がやっていることがわかります。
その説明書が、通用しなくなる話をやっている。
名前を入れられていない小春が狙われるのは、バグではなく、説明書のほうが最初から間違っていたということです。
怖い話が伝言ゲームで広がっていくとき、途中で必ず条件がゆるくなりますよね。
「トイレの3番目」が「学校のどこかのトイレ」になって、最後は「夜の学校」になる。
噂は、広まるほど雑になる。
この映画の後半で起きているのは、たぶんそれです。

🔁 3作で、呪いの「かかり方」が変わっています
ここ、3本並べたときにいちばんはっきり見えるところです。
① 『ミンナのウタ』(2023)=聴いてしまう
呪いは歌の形で来ます。聴いた人が、つい口ずさんでしまう。
呪う気なんて、これっぽっちもない。ただ耳に入って、勝手に口が動いただけです。
② 『あのコはだぁれ?』(2024)=名前を読み上げられる
ここで「名前」が出てきます。標的にされた者の名前が、読み上げられていく。
被害者は、まだ呼ばれる側です。自分では何もしていない。
③ 『だぁれかさんとアソぼ?』(2026)=自分で名前を入れる
そして3本目。ついに自分の手でやる話になります。
13段目に行って、ボタンを押して、自分の喉で、他人の名前を言う。
……見えますか。
このシリーズは、「呪われる話」から「呪う話」へ移動しています。
1本目の登場人物は、ただの被害者でした。
2本目は、名前を呼ばれた人でした。
3本目の高校生たちは、加害者です。
タイトルの変化も、そのまま同じ形をしています。
『ミンナのウタ』(歌)→『あのコはだぁれ?』(あの子は誰なのか)→『だぁれかさんとアソぼ?』(誰かと遊ぼう)。
聴く。訊く。誘う。

そして監督は、公開前のコメントでこう書いていました。
「姿の見えない"だぁれかさん"はすぐ横にいるかもしれないし、あなたかもしれない」
3作かけて、カメラは被害者の側から加害者の側へ回り込んできた。
私はそう読みました。
だから3作目のタイトルだけ、誘い文句なんです。
「アソぼ?」と声をかけているのは、幽霊ではなくて、遊びを教えてくる同級生の口調ですよね。
😐 「怖くない」と言われていることについて
これが最頻出の不満です。「ジャンプスケアがない」「全然怖くない」。
事実を2つ置きます。
ひとつ。この映画のレーティングはGです。 年齢制限がありません。
しかもこれ、本作だけじゃないんです。『ミンナのウタ』も『あのコはだぁれ?』も、3本ともGです。
このシリーズは、最初から誰でも入れる入口として作られています。
ふたつ。監督が、こう言っています。
「『だぁれかさんとアソぼ?』が一番、小学校低学年からでも見てもらえるかなと思っています。中高生はもちろん、なんなら小学生にも観てもらいたい。」
……狙って、そうしています。
つまり「怖くなかった」という感想は、間違ってはいないんです。
ただそれは、この映画が失敗した証拠ではなく、宛先が自分ではなかったという話なんだと思います。
ちゃんと見抜いている人もいました。
「清水崇監督はターゲット年齢で怖さを調節するのが上手い。ジャンプスケア、グロ、エロなし。中高生向けにちょうど良い」
一方で、こういう声も。
「おじさん向けでは無い」
身も蓋もないですが、正確です。
そしてここで、さっきの話が効いてきます。
この映画のカセットテープは、「触ったことがない人」にこそ効く。
カセットを実際に使っていた世代にとって、あれは道具です。仕組みがわかる。手が覚えている。
だから、儀式にならない。
同じ小道具が、世代によって別のものとして映っている。
評価が割れているというより、そもそも見えているものが違うんだと思います。

🎬 この映画は、「清水祭り」の真ん中に置かれています
もうひとつ、外側の話を。
2026年、清水崇監督の作品が、松竹で3本並びます。
7月3日『口に関するアンケート』(背筋さんの小説の実写化)
7月24日『だぁれかさんとアソぼ?』(本作)
9月18日『八つ墓村』(横溝正史の新たな映画化)
監督自身の言葉です。
「松竹の社長からも『今年は清水祭りだからね』と言われたんですけど、今回はたまたま松竹さんに3作品、配給していただけることになって、とてもありがたいことだなと思っているんです」
「思い返せば2004年から2006年ごろ。ハリウッド版の『呪怨』があり、深夜帯での連続ドラマがあり、『稀人(まれびと)』という超低予算映画を撮っていました」「あれ以来ちょうど20年ぶりぐらいの周期で忙しい日々を送っています」
で、レビューでいちばん厳しい言葉が出るのが、ここなんです。
「『口に関するアンケート』が結構良かっただけに落差が激しかったです」
『口に関するアンケート』を観たばかりの人が、同じ物差しでこれを測る。
そりゃ、落差になります。
でも私は、この3本の並び方こそが答えだと思っています。
『口に関するアンケート』は大人向け。『八つ墓村』は古典。そして本作は、いちばん若い客に向けて作られている。
同じ年に、別々の世代へ、別々の怖さを配っている。
そう並べ直すと、この映画が「薄い」のではなくて、宛先が違うということがはっきりします。
🪦 ラストの意味|階段の下から出てきたのは、遺体であると同時に「名前」でした
ここが、この記事でいちばん書きたかったところです。
終盤、地面が掘り返されます——と、私は受け取りました。
そしてさなの遺体が、家の外にある階段の下から出てくる——観た人の多くが、そう受け取っています(私もそう受け取りました)。
「なんであんな場所に?」というのが、いちばん多い疑問でした。実際、そこは劇中で丁寧に説明されません。
でも私は、あの場所でなければいけなかったと思っています。
この話は、ずっとこうでした。
階段の、13段目に、名前を入れる。
そのラストで、階段の下から、名前が出てくるんです。
入れたものが、出てくる。
名前を入れる遊びの答えが、「入れられたまま、埋まっていた名前」だった。
ここで、さっきの「カセットテープは物である」に戻ります。
隠された遺体は、名前を奪われた人です。
呼ばれないまま、誰にも数えられない段の下に、物として在り続けていた。
データなら、消せば消えます。でも物は消えない。
テープも、遺体も、同じ理屈でそこにあるんです。
だから私は、あれを掘り返す行為を、暴力とは読みませんでした。
名前を、返しに行ったんだと思っています。
こういうレビューもありました。
「最後ツルハシでコンクリドーンではい終了。グダグダ過ぎる」
気持ちはわかります。絵面は、たしかに地味です。
でも、声で人を埋めた話を、手で掘って終わらせるというのは、私はけっこう好きでした。
入れるのは声でできる。出すのは手でしかできない。
これがこの映画のラストの意味だと、私は受け取りました。

🔍 まだ引っかかっているところに、順番に答えます(私の読みです)
ここから先は、はっきり言って答えが用意されていない部分です。
「私はこう読んだ」の話として読んでください。
① 千葉丈太郎は、どうなったのか
「なんで彼は助かったの?」というレビューをいくつも見ました。
彼は、誰の名前をなぜ入れたのかが、はっきり描かれる数少ない一人です。体罰をしてきた教師の名前を、テープに入れた。
つまり加害の側にいちばん近い。それなのに、というのが引っかかりの正体だと思います。
私は、ここにこの映画の倫理が出ていると読みました。
名前を入れることでしか反撃できない子が、いる。追い詰められて、他の武器を持っていない子が、いる。
この映画は、その子を切り捨てなかった——少なくとも、私にはそう見えました。
ただ、はっきり説明はされません。「わからない」という感想が多いのは、もっともです。私も1回目はわかりませんでした。
② エンドロールのあと、劇場で笑いが起きたという話
まず、エンドロール後に何かがあること自体は、監督が言っています。
「エンドロールの後も仕掛けがあるので、席を立たないで最後まで観てください」
そして、その仕掛けの評価が、まっぷたつに割れています。
「劇場では周りの人みんな失笑してましたよ」
「エンドロール後の描写が本作でいちばんの恐怖」
で、監督はこうも言っているんです。
「僕の中では恐怖映画とお笑いの表現は似ているんですよ」「恐怖と笑いは紙一重で似てるなって思ってます」
この人、笑われても事故だと思っていない可能性が高いです。
さっきの「僕自身がホラーになる」と言った人と、同じ人ですからね。
私は、あそこで劇場が笑ったのは失敗ではないと思っています。少なくとも、監督の設計から外れてはいない。
📱 私たちは、毎日ふつうに名前を入れています
ここまで書いてきて、いちばん背筋が寒くなったのはここでした。
この映画の遊びは、こういう形をしています。
手間はほんの少し
本人のいないところで、名前を出す
やった側は、その先で何が起きるか本当には知らない
そして、物として残る
……これ、私たちが毎日やっていることです。
引用リポストに一言添える。名指しで「あの人さぁ」と書く。スクショに名前を入れて回す。
どれも1分かかりません。手間の少なさが、罪悪感を消してくれる。
そしてさっきの「物」の話です。
投稿は消せます。アカウントも消せます。
でも、スクリーンショットは消せません。他人の手元に渡った時点で、こちらからはどうにもできない。あれはもう、物と同じです。
私たちは、消せる場所に書いているつもりで、消せない物を作っている。
「なんで、カセットテープなの?」への私の答えは、これです。
名前を、物にするためです。
物になった名前は、埋められる。そして——掘り返される。
🌏 まったく逆の読み方(この映画、評価は割れています)
正直に、逆側も書きます。
「そんなの考えすぎで、単に脚本が雑なだけだよ」——この読み方は、じゅうぶん成立します。
実際、批判はかなり具体的です。
「1、2の総集編って感じで見覚えのあるシーンが多くて」
「ずっと同じ茶っぱで作ってるずっと同じ味、なんなら薄くなってる」
死に方が落下と絞首に偏っていること、終盤の展開が視覚的に追いにくいこと、元凶の動機が「悲しい過去」ではなく身も蓋もないものであること。
どれも、私も観ながら思いました。
とくに最後のやつは大きいです。
「貞子や伽椰子のように曰くや悲しい過去を持った存在ではなく、よくわからない殺人願望を抱く少女」
貞子にも伽椰子にも、説明のつく悲しみがありました。それがあるから、怖さが「わかる」形になっていた。
本作のさなには、それが薄い。だから怖いより先に、腹が立つという感想が出る。
これは好みの問題ではなく、設計の問題だと思います。
わからないものを、わからないまま置いた。 その代償を、ちゃんと払っている映画です。
私はその賭けの側に乗りましたが、乗らなかった人の言い分のほうが筋が通っている場面もある、とは思っています。
🎥 こんな人におすすめ/おすすめしない
おすすめしたい人
今日、誰かの名前を出して何かを書き込んだ人(いちばん効きます)
学校の階段を、なんとなく数えたことがある人
『ミンナのウタ』『あのコはだぁれ?』のどちらかを観ていて、あの家の話がどこに着地するのか気になっていた人
ホラーは苦手だけど一度は挑戦してみたい、という人(Gです。血や飛び出しで殴ってきません)
友達とわいわい観たい人。ひとりで正座して観る種類の映画ではないです
おすすめしない人
『呪怨』のあの「触れてはいけない感じ」を求めている人。ここには、ないです
怪異に理屈と悲しい過去を求める人。この映画は、それを最後まで渡してくれません
ジャンプスケアで心臓を掴まれたい人。ほとんどありません
そして——前2作をまったく知らないまま、1本の完結した映画として観たい人。
正直に言います。それだと、たぶん怒ることになります。
観るなら、『あのコはだぁれ?』だけでも先に。そこだけは強く言っておきたいです
※以下は楽天のアフィリエイトリンクです(PR)。
この映画には小説版があります → 小説 だぁれかさんとアソぼ? (宝島社文庫) [ 佐野 晶 ](楽天ブックス)
📚 あとよみの他の考察
この記事で「3作目だと知らずに観た人が多い」という話をしましたが、その2作目の考察も書きました。
公式が「続編」と名乗らないやり方は、じつは2作目のときに監督が決めていたことでした。
さらにその前、シリーズの1作目の考察も書きました。この連作が「聞いて」という話から始まっているのが分かります。
説明されないものを説明されないまま置いていく、という点でいちばん近い一本でした。あちらも、怪物の由来を最後まで教えてくれない映画でした。
この映画の公開初週、動員ランキングの1位は『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』でした(本作は初登場7位)。かわいい絵の裏で「省略」がどう働いていたか、という話を書いています。
評価が割れている映画の、割れ方そのものを読む——という意味で、この記事といちばん近い書き方をした回です。
動画版も準備しています。できあがったら、ここに置きます。
💬 さいごに|あなたは、13段目を数え直せますか
書き終えて自分でも嫌だなと思っているのは、この映画を観てから階段を数えるようになったことです。
家の階段。駅の階段。会社の非常階段。
数えなければ、13段目は存在しません。数えた瞬間に、生まれます。
そしてたぶん、名前も同じです。
呼ばなければ、その人はそこにいない。呼んだ瞬間に、こちらとつながってしまう。
呪いと、救いは、同じ動作でできている。
この映画がいちばん言いたかったのは、そこだったんじゃないかと私は思っています。
さて。
あなたは、あの映画をどう観ましたか。
階段の下から出てきたものを、私は「名前を返しに行った」と読みましたが、まったく違う読み方をした方もいると思います。
千葉くんのことも、エンドロール後のあの一手も、たぶん人によって全然違って見えている。
よかったら、コメントで聞かせてください。
私の読みが間違っているという話でも、大歓迎です。
そのほうが、階段の段数が合っているか、もう一度数え直せるので。
——最後にひとつだけ。
この映画のエンディングテーマを歌っているのは、ののちゃん(村方乃々佳)さんです。
予告で流れるフレーズが、これでした。
おわらないあそび おつぎはだれかな
小さい子の声で、これを言われるんです。
遊びに誘っているのは、やっぱり幽霊じゃないんだと思います。

同じ2026年の日本のホラーで、こちらも「観たあとに検索される」タイプでした。『夜勤事件』の考察も書いています。呪いを渡す側の話です。
