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最低限知っておくべき領土の話[竹島編]

第1・2弾はこちらから.

第3弾は竹島編だ.北方領土は無血占領だったのに対して,こちらは不法占拠にあたって死傷者も出しているので,その点では悪質である.まずは事実関係を整理する.

島根と竹島の関係

17世紀初め時点で竹島は,鬱陵島に渡る際の目標や停泊地として利用されており,アシカ猟やアワビの採取も行われていた.これは,米子の町人・大谷甚吉が村川市兵衛と共同で幕府に働きかけ,1618年に両家に渡海許可が出たことで始まった事業だ.

大谷・村川は将軍に数年に一度の頻度で拝謁し,幕府へ鬱陵島や竹島の産品も献上していた.1633年に鎖国令が出された後も,対馬藩を介した日朝間交渉で1696年に渡航禁止となるまでは,鬱陵島と竹島への渡航は継続された.

明治政府樹立後,竹島への出漁が活発となる.この当時のアシカ猟はほぼ乱獲状態であったため,隠岐島民からはアシカ猟事業の安定化を求める声が高まっていた.

1904年,水産資源保護とアシカ猟の管理を目的に掲げて,中井養三郎から外務大臣・内務大臣・農商務大臣宛に「リャンコ島領土編入並ニ貸下願」(竹島の貸下願い)が提出.これに対し,政府は島根県からの意見聴取を行った上で,1905年1月の閣議決定により竹島を島根県に編入した.この後,中井養三郎は橋岡忠重らと「竹島漁猟合資会社」を設立して,島根県の許可の下でアシカ猟を開始.「竹島漁猟合資会社」の登記については,1905年6月15日付の『官報』にも掲載されている.

その後も島根県は,(アシカ漁業者に限定した)海藻・貝の採取許可(1921)や竹島燐鉱試掘の許可(1939)を出しており,竹島に対する行政権の行使は平穏かつ継続的に行われていた.また,これに対する抗議はいかなる国からも受けることはなかった.

サンフランシスコ平和条約での扱い

サンフランシスコ平和条約の起草過程に,韓国側は米国に対して,竹島を放棄すべき地域に加えるように求めた.これに米国は「竹島が朝鮮の一部として取り扱われたことはなく,日本領である」として,要請を拒絶している.そのような経緯があったため,サンフランシスコ平和条約には「済州島,巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」を放棄すべき地域として規定され,竹島は意図的に除外された.なお,1954年に訪韓問したヴァン・フリート大使の帰国報告にも,「竹島は日本の領土であり,サンフランシスコ平和条約で放棄した島々には含まれていないというのが米国の結論である」と記されている.

サンフランシスコ平和条約の発効直後である1952年7月,日米行政協定に基づいて,竹島は在日米軍の爆撃訓練区域として指定される.ただ,竹島周辺海域での漁を望む要請が地元からあったため,爆撃訓練区域としての使用は中止され,1953年には爆撃訓練区域から削除されているが.このような日米間のやりとりは公的記録に残っている事実であり,竹島が日本領として認められている証拠でもある.

李承晩ラインと銃撃事件

これに対して韓国側はどのような対応をとったか.

1952年1月に李承晩大統領は「海洋主権宣言」を行って,一方的に「李承晩ライン」を設定.その内に竹島を取り込んだ.ちなみに,「海洋主権宣言」は,水域内にあるすべての天然資源・鉱物・水産物を韓国政府が保護・保全・利用する権利をもち,水産・漁業に対し主権を行使するというもものである.このような対応は国際法に反するものであったため,米国からも「李承晩ラインを認めることはできない」と通告はあったが,韓国政府はこれを無視している.この後,韓国海軍による漁業関係者への加害が始まる.

1953年2月に第一大邦丸事件が発生.公海上で操業中の漁船「第一大邦丸」「第二大邦丸」の2隻が,「第一昌運号」「第二昌運号」上の韓国海軍によって銃撃・拿捕され,第一大邦丸漁撈長・瀬戸重次郎が死亡した.また,ほかの船員は劣悪な環境で監禁された.本件は公海上で発生したことが判明したため,佐世保の朝鮮沿岸封鎖護衛艦隊司令官・グリッチ少将から李承晩に対して会見が要求されることとなった.李承晩が遺憾の意を表明した後,船員は釈放される.船員帰国の翌日2月23日,日本国政府は李承晩ラインの不承認を改めて表明したが,韓国側に黙殺された.

その後も韓国警備艇による拿捕事件は頻発する.『日韓漁業対策運動史』によると,日本の拿捕漁船328隻/抑留船員3,929人/死傷者44人が李承晩ラインによる日本側の被害総数である.

上記は民間人の被害であるが,海上保安庁も銃撃事件を度々受けている.1953年7月には,韓国官憲(鬱陵島警察局所属)に退去を要請した海上保安庁巡視船「へくら」が数十発の銃撃を受けるという事件も発生した.海上保安庁巡視船への銃撃事件は翌1954年8月および11月にも発生している.なお,この当時は日韓基本条約の締結前であるため,韓国側とは無国交状態である.

国際司法裁判所への付託提案

1954年9月に日本政府は国際司法裁判所(ICJ)への付託を韓国に提案したが,韓国はこの提案を拒否.1962年3月の日韓外相会談の際にも,小坂善太郎外務大臣からICJへの付託は提案されたが,韓国はこれを受け入れなかった.さらに,2012年8月,李明博大統領が竹島上陸したことを受けて,改めてICJへの付託が提案されたが,それも拒否されている.

ICJは,両当事者の合意があって初めて審理を開始するという仕組みになっている.日本は相手国が一方的に提訴してきた場合ですらICJの管轄権を原則として受け入れる姿勢をとってきたが,韓国はそのような立場をとっていない.そのため,日本政府の提案に韓国が自主的に応じない限りは,ICJの管轄権は設定されない.

前の記事も含めて総括

(尖閣に関しては中国からの一方的な主張に過ぎず,領土問題ともいえない論外な案件ではあるが)どの領土問題も解決の見通しは立っていないように思う.領有の正当性を証明する材料を日本側は多数用意しているにもかかわらずである.ならず者相手には正論も通用しないのだ.

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