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【小説】欠落した時刻表|第三記録

保存したファイルを、もう一度開いた。

前に閉じた位置から再生される。

画面の中央には、
縦に伸びる波形のような表示が残っていた。

その下に三文字。

O.R.S.
OUTER RECORD STATION

外縁記録駅。

駅。

その言葉を頭の中で繰り返した。

駅というなら、何かが到着する。

何かが出ていく。

ある場所と、別の場所をつなぐ。

霧の中に見えた門が入口で、橋がそこへ続く通路だった。

そう考えれば、映像の形だけは理解できる。

理解できることが、逆に気持ち悪かった。

あの場所を知らない。

構造の目的も分からない。

それなのに、「駅」という言葉を当てはめた瞬間、
橋も門も最初からそう作られていたように見えてしまう。

一度意味を与えると、その前の見え方には戻れない。

再生を止めた。

机の上に置いた指が、マウスから少し離れていた。

自分で離した覚えはなかった。

俺は、門をくぐっていない。

橋を渡っていない。

湖畔から別の場所へ移動したわけでもない。

確認できたのは、映像に残った橋と門。

機材側に残った表示。

それだけだった。

そこから先は、まだ仮説だ。

そう分けておかないと、
映像の中へ引き込まれる気がした。

画面を少し戻す。

同じ場面を、もう一度再生する。

橋の距離。

門の位置。

水面の反射。

保存してある別の映像とは一致しない。

端末が映っている記録もあれば、何もない記録もある。

同じ場所を撮ったはずなのに、
そのたびに構造がずれていた。

映像は信用できない。

少なくとも、映っている形をそのまま現実の構造だと
考えることはできない。

けれど、ログには残る。

O.R.S.が表示された前後だけ、
同じ形に近い波形が戻っていた。

別の映像。

別の構造。

それでも波形だけが一致している。

偶然と判断するには、繰り返しすぎていた。

ただのノイズなら、もっと乱れていていい。

もっと無関係であっていい。

なのに、同じ場所へ戻るように波形が現れる。

そこで止めておけばよかったのかもしれない。

画面を閉じる。

依頼された素材の確認は終わったと伝える。

理由の分からない現象は、記録不良として残しておく。

仕事としてなら、それで問題はなかった。

右上の閉じるボタンへカーソルを動かした。

そのまま数秒、止まった。

クリックはしなかった。

閉じれば終わるわけではない。

ただ、見ないことを選ぶだけだ。

そう思った瞬間、手を戻していた。

自分が何を確かめたいのかは、
はっきりしていなかった。

橋の先を見たいわけではない。

門の向こうへ行きたいわけでもない。

ただ、波形がなぜ戻るのか。

そこだけが残っていた。

分からないものを、
分からないまま置いておくことはできる。

今までも、そうしてきた。

だが今回は、途中まで規則が見えてしまった。

規則があると分かっているのに、
最後だけ見ないふりをする。

その方が難しかった。

あれが駅なら。

門が入口なら。

その直前に現れた波形は、何を示していたのか。

問いを言葉にした時点で、戻る場所はなくなっていた。

確かめる方法は、一つしか思いつかなかった。

同じ場所へ戻る。

近い時間帯に立つ。

カメラを回す。

録音機を回す。

前と近い条件で、記録を続ける。

波形そのものをこちらから出すことはできない。

保存した音声を再生しても、
同じ現象が起きる保証はない。

あれは音ではなく、
何かが起きた結果として残った形かもしれない。

なら、再現できるのは結果ではなく条件だけだった。

確信はない。

成功する根拠もない。

それでも準備を始めた。

機材をケースへ入れながら、何度か手が止まった。

止める理由を探していた。

天候が違う。

時間が完全には一致しない。

同じ撮影位置を正確には再現できない。

条件として不十分な点はいくらでもある。

本当に止めるつもりなら、どれか一つで十分だった。

だが、俺は条件を揃えられない理由ではなく、
揃えられる範囲を確認していた。


湖畔には、何もなかった。

湖。

岸。

山。

曇った空。

以前の映像に残っていた橋も、門も見えない。

それを確認して、少しだけ安心した。

同時に、肩透かしを受けたような感覚もあった。

何も起きなければ、それで終わる。

異常な波形は偶然だったと判断できる。

映像の違いも、
複数の生成過程や記録不良として切り分けられる。

そうなればいいと思った。

本当にそう思っているのかは、自分でも分からなかった。

カメラを設置した。

録音機を作動させる。

レベル表示が動く。

風が入り、水面の音が入り、服が擦れる音が入る。

普通の音だった。

数分間、変化はなかった。

画面に映る景色も変わらない。

波形にも目立った反応はない。

何度も時計を見た。

記録を続ける理由が、時間とともに薄くなっていく。

もう十分だ。

条件が違った。

再現できなかった。

そう結論づけてもいい。

録音を止めようと、機材へ手を伸ばした。

そのとき、風の音が薄くなった。

最初は、風が弱まったのだと思った。

木の枝を見る。

動いている。

水面にも細かな波が立っている。

服の表面にも風が当たっている。

風は止んでいない。

録音機に入る音だけが、遠くなっていた。

イヤホンを片方外した。

直接聞こえる風の音はある。

戻す。

録音された音だけが薄い。

機材の故障。

接触不良。

入力レベルの変化。

考えられるものを順番に確認した。

どれも当てはまらない。

少し遅れて、水面の音が聞こえた。

波が岸へ触れた。

そのあとに音が届いた。

一度だけではなかった。

次の波も、目で見た動きより遅れて耳へ入る。

映像と音声の同期ずれ。

そう考えてカメラを見る。

だが、ずれているのは機材の記録だけではなかった。

その場で聞いている音そのものが遅れていた。

喉の奥が固くなる。

息を浅く吸い、録音機の画面を見る。

波形が変わっていた。

保存していたログの形に近づいている。

偶然ではない。

その言葉が浮かんだ直後、すぐに打ち消した。

近いだけだ。

同一とは限らない。

見たい形を見つけている可能性もある。

保存データと比較するまでは判断できない。

そう考えながら、手はすでにカメラを湖へ向けていた。

山の輪郭は残っている。

岸も、水も、空もある。

何も消えていない。

それなのに、水面の反射が合っていなかった。

湖面に映る山の位置が、実際の山とずれている。

波で崩れているのではない。

反射している輪郭そのものが違う。

見間違いだと思い、視線を上げた。

山を見る。

水面を見る。

もう一度、山を見る。

位置は合わない。

カメラのモニターでも確認した。

肉眼と同じずれが映っていた。

視線を湖面へ戻したとき、霧の中に直線が見えた。

最初は、岸から伸びた影に見えた。

だが、その線は水面の揺れに合わせて動かなかった。

平行な線が二本。

その間に一定の間隔で何かが並んでいる。

橋だった。

理解した瞬間、足が一歩下がった。

自分で動いたことに、遅れて気づいた。

湖畔は、そのまま残っている。

岸も山も消えていない。

その上へ、存在しない構造が重なっていた。

前に見た映像と、同じ橋ではない。

距離が違う。

門の位置も違う。

霧の奥へ沈み、輪郭が途切れている。

再現したのではない。

同じものを呼び出したわけでもない。

ただ、前と近い反応が起きた。

その結果として、別の状態が見えている。

俺は向こう側へ移動していない。

橋の上にも立っていない。

こちら側から、重なったものを見ているだけだ。

そう確認しても、足元の感覚は戻らなかった。

地面が不安定なのではない。

自分が立っている場所の意味だけが、不安定になっていた。

湖畔であることは変わらない。

だが、同じ位置に別の場所が重なっている。

どちらが本来の景色なのか。

その問いを考えかけて、やめた。

今は記録する。

判断は持ち帰ってからでいい。

カメラを橋の始まりへ向けた。

そこに、石の面があった。

保存していた映像では、何もなかった位置だった。

壁には見えない。

道を塞ぐためのものでもない。

横長の面に、細かな形が並んでいる。

何かを表示するための構造に見えた。

近づこうとした。

足を出しかけて、止めた。

前回と同様に橋が実際に存在している保証はない。

映像として見えているだけかもしれない。

足を置いた瞬間に消える可能性もある。

第一に確認するべきなのは、接触ではない。

記録だった。

距離を保ったまま、望遠で石面を撮影した。

表面には文字のようなものが刻まれている。

読めない。

一つずつ形を追っても、知っている文字にはならない。

意味を探そうとすると、似た形を無理に当てはめそうになる。

数字。

記号。

地図。

どれにも見え、どれにもならない。

その場で読むことは諦めた。

できるだけ長く映像を残した。

波形が崩れ始めるまで、カメラを止めなかった。

構造が薄くなり、湖畔だけが残ったあとも、
しばらく録音を続けた。

完全に消えたことを確認してから、ようやく機材を止めた。

手が冷えていた。

気温のせいだと思った。

だが、ケースの留め具を一度で閉じられなかった。


持ち帰った映像を開いた。

最初に確認したのは、橋でも門でもなかった。

石面だった。

映像を止める。

拡大する。

文字は読めない。

その事実は現地と変わらない。

だが、画面上で距離を置いて見ると、
内容ではなく配置が見えた。

行。

列。

同じ形の繰り返し。

一定の間隔。

そして、一か所だけ揃っていない部分。

何も刻まれていない行がある。

最初は、表面の欠損だと思った。

石が削れている。

霧が重なっている。

映像の圧縮で細部が消えている。

考えられる理由を順番に当てた。

別のフレームを確認する。

明るさを変える。

輪郭を強くする。

前後の映像と重ねる。

それでも、その行だけは戻らない。

周囲の形は残っている。

背景の傷も見える。

そこだけ、情報がない。

書かれていないのではない。

何かがあった部分だけ、抜け落ちている。

そう見えた。

その考えを認めたくなくて、
もう一度最初から処理をやり直した。

結果は変わらない。

石面の行。

波形が戻る間隔。

O.R.S.が表示された位置。

別々に見ていたものを、同じ時間軸へ並べた。

欠けている行へ映像が到達したときだけ、
機材側のログが反応している。

偶然。

読み取りエラー。

処理上の対応ミス。

何度も確認した。

反応は同じ位置に戻る。

文字を読んだわけではない。

翻訳できたわけでもない。

意味を理解したわけでもない。

ただ、対応していた。

石面の位置。

波形の間隔。

機材ログの反応。

三つを重ねたとき、
ばらばらだった配置が一つの規則に見えた。

あれは文章ではない。

何かを説明するものではなく、順番を示している。

一定の間隔で並び、一つの行だけが欠けている。

時刻表。

その言葉が浮かんだ。

口に出すことはできなかった。

時刻表だと考えれば、並び方は理解できる。

同時に、何が到着するのかという問いが生まれる。

列車とは限らない。

人とも限らない。

場所そのものが現れる順番かもしれない。

記録が接続される時刻かもしれない。

そこから先は仮説だった。

だが、時刻表という見方だけは、もう外せなかった。

欠けた行を読み込む。

機材側のログが反応した。

画面に表示されたのは、二つだけだった。

OBSERVER
NAOE TORU

オブザーバー。

ナオエ・トオル。

自分の名前だと理解するまで、少し時間がかかった。

見慣れているはずの文字列なのに、他人の名前のように見えた。

画面の中にあることで、自分から切り離されていた。

時刻はない。

場所もない。

内容もない。

欠けた行は空白のまま。

それなのに、名前だけがある。

背もたれから体を起こした。

机の端を握っていた。

いつから力を入れていたのか分からない。

俺が入力した情報ではない。

ファイル名から自動取得した可能性。

機材の所有者情報。

編集ソフトのユーザー名。

考えられる経路を探した。

確認できる設定を開いた。

名前が自動入力される項目はない。

もう一度、同じ行を読み込む。

表示は変わらない。

OBSERVER
NAOE TORU

いつ登録された。

誰が登録した。

何を観測する者として、そこに置かれている。

疑問が一つ増えるたびに、
自分の名前が画面の奥へ固定されていくように感じた。

消そうとしても消せない。

理解できなくても、表示された事実だけは残る。

その直後、NOTOに通知が入った。

音は小さかった。

それでも、体が強く反応した。

肩が動き、マウスから手が離れた。

通知の送り主は、依頼主だった。

本文は一行だけ。

時刻表まで見たんですね。

読んだ直後は、意味を取れなかった。

時刻表。

自分が数分前にたどり着いた言葉。

石面の映像は送っていない。

解析結果も伝えていない。

時刻表だと考えたことは、メモにも残していなかった。

画面の外へ視線を移した。

部屋には誰もいない。

カメラも録音機も止まっている。

それでも、確認せずにはいられなかった。

背後を見る。

窓を見る。

机の下を見る。

何もない。

もう一度、通知を見る。

文章は変わっていない。

時刻表まで見たんですね。

相手は石面を知っている。

少なくとも、時刻表と呼べる構造だと知っている。

それだけなら、事前に情報を持っていた可能性がある。

だが、「見たんですね」という言い方は違う。

俺がそこまで進んだことを知っている。

いつ知った。

どこから見た。

通知の入力欄を開いた。

何を送るべきか考えた。

「なぜ知っている」

「どこから見ていた」

「これは何だ」

どれも送れなかった。

質問を送れば、相手との関係が次の段階へ進む。

今までは、依頼主と調査する側だった。

だが、この一文によって、その関係は崩れていた。

相手は依頼しただけではない。

俺が何を見て、どこまで理解したかを知っている。

俺は、自分で見つけたつもりだった。

映像を調べた。

条件を揃えた。

湖畔へ戻った。

石面を記録した。

規則を見つけた。

全部、自分で選んだつもりだった。

だが、相手が最初から結果を知っていたのなら。

俺が進んだ道は、発見ではなかったのかもしれない。

用意されていた順番を、なぞっただけかもしれない。

時刻表。

順番。

欠けた行。

自分の名前。

それまで別々だった言葉が、一つにつながる。

血の気が引くのとは少し違った。

体の中で動いていたものが、一瞬だけ止まったような感覚だった。

遅れて、心臓の音が大きく聞こえた。

俺は見ていたんじゃない。

見られていた。

その考えを否定する材料はなかった。

欠けた行は、まだ埋まっていない。

ただの空白には見えなかった。

何かが失われた跡でもない。

これから入るもののために、空けられているように見えた。

そこに何が入るのかは分からない。

なぜ俺の名前が表示されたのかも分からない。

依頼主がどこまで知っているのかも分からない。

わからない。

でも、あの行がまだ終わっていないことだけは分かった。


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