劇中劇が映し出すもの――映画『急に具合が悪くなる』とケアの世界
前回の記事で、原作の往復書簡『急に具合が悪くなる』では、一方通行に陥らない関係性を何よりも大切にしていること、映画ではその関係性の大切さをケアの現場や演劇を通じて描いていることに触れました。
映画についての記事はこちらから、前回の原作についての記事はこちらから、それぞれお読みください。
映画のなかで重要なモチーフとなっている演劇が、どのような背景から生まれ、日本におけるケアの実践と繋がっているのか、今日の記事ではそれを見つめてゆこうと思います。
【映画のなかの重要なモチーフや言葉に言及していますので、まだご覧になっていない方はご注意ください】
「精神病院の廃絶」というテーマが突きつける重い問い
映画『急に具合が悪くなる』で長塚京三さん演じる俳優・清宮吾朗が真理の演出のもと行う一人芝居は、イタリアにおける精神病院の廃絶・その運動を主導したフランコ・バザーリアをテーマにしたものです。
その一人芝居の着想源になった文化人類学の書籍が、いかに映画『急に具合が悪くなる』の根幹を支えているか。濱口監督が寄せた推薦文からも、そのことが深く伝わってきます。推薦文は以下のサイトに掲載されていますので、ぜひクリックして触れてみてください。
映画を初めて鑑賞した日、精神病院の廃絶という劇中劇のテーマを知ったときの「突きつけられたような衝撃」を、私は忘れることができません。
「イタリアは精神病院を廃絶した」という裏には、「日本は精神病院を廃絶できていない」という現実があるからです。
日本では長年、精神科病院・病棟における「入院日数」が非常に長いことが問題になってきました。政府統計「令和6(2024)年 医療施設(動態)調査・病院報告の概況」における精神科病床の平均在院日数を見ても、255.0日になっています。全病床の平均25.6日と比べても、その長さが際立ちます。
この前提に立つと、映画での劇中劇が突きつける問いの重さが、より実感できるのではないでしょうか。
そんな重い現実がありながらも、日本にも40年以上前から、病院の外で精神障害の当事者同士が出会い、関係性を取り戻す場を作ろうとしてきたグループがあります。「浦河べてるの家」です。
「浦河べてるの家」関係性のなかで生きる苦労を取り戻す場所
上にリンクを貼った「べてるの家の理念」を読むと、世界の見方が少し変わるようなことが書いてあります。「『悩む力』を取り戻す」「勝手に直すな自分の病気」とは、どういうことなのでしょう。「べてるの家の理念」を体系的にまとめた本『べてるの家の「非」援助論』から具体的にご紹介します。
「べてるの家」をつくる以前、昔からの精神医療にあった管理と服従の構造のなかでは、苦痛や問題が取り除かれ、ただ医療者に従順で、自分の人生を諦めているような患者さんが多くいたことが語られています。
病院のなかでは、苦痛も問題も一切が取り除かれている、とは一見いいことのようにも思えますが、「感情が動かない・生きる実感がない」ということでもあるでしょう。
そうではなくて、生きていくうえではどうしても立ち上がってくる苦労や困難を受け止め、人と人の関係性のなかで、病気や障害について語り合い、自分なりの付き合い方を見つけてゆくことが大事なのではないか。そんな考えが「浦河べてるの家」にはあります。
困り事って、あってもいいんですね。その意味で社会復帰とは、「“超えるべき苦労"」と「"克服してはならない苦労"とをきちんと見極めて区別すること」だともいえます。だからべてるの家では、「人間には超えられない苦労がある」ということを守る装置として会社をつくったんです。
『べてるの家の「非」援助論』の発行は2002年で、使われている用語を見ると時代を感じる面もあるのですが、人との関係性のなかで「生きる実感」と「自分の言葉」を取り戻した当事者の皆さんの語りは『急に具合が悪くなる』の世界と響き合うものだと思います。ぜひ一度触れてみてください。
「京都・一乗寺ブリュワリー」創業理念はあの言葉
どんな病気や障害もそうですが、病院を出たらそれで終わりではありません。生活のなかでのケアやリハビリが必要になります。
日本で初めて精神科のチームによる在宅医療を実践した精神科医・高木俊介さんが2011年に創業した「京都・一乗寺ブリュワリー」は、社会と繋がっている場作りを目指して立ち上げられた、クラフトビールの醸造所です。
掲げられている理念は「『近寄ってみたら、みんなおかしい』とよろこびあえる世の中に」。映画での劇中劇がよみがえってきませんか?
地元の京都 西陣・前橋・石巻と、様々な作業所・障害者就労支援施設と連携してビールを造る「農福連携ビール」プロジェクトも行われています。
京都は『急に具合が悪くなる』の舞台のひとつです。
その地に、映画の劇中劇と同じ思いを掲げる精神科医の先生がいらっしゃると思うと、映画で描かれた世界と日本の現実が、少しだけ近づいてみえるかもしれません。
いかがでしたか?本当は、演劇と認知症ケアについて・お年寄り一人一人と向き合うケアの現場・ケアの現場で働くうえで大切な「人を大切にすること」についての書籍など、『急に具合が悪くなる』の世界と繋がる事例をもっとご紹介したかったのですが、文字数が足りなくなってしまいました。
1回ではまとめきれなかったので、次回も『急に具合が悪くなる』の世界と深く繋がるためのケアの実践事例や書籍をご紹介したいと思います。
