色の無い世界をもう一度染める
一体いつから僕の平和をドラゴンたちが壊し始めたのだろうか。町を歩くと人の姿は殆どなく、思わず目を伏せたくなるような痕跡の数々、その中で辛うじて現実として認識できるのは、瓦礫の山と血の臭いと砂埃。
この世界は完全に色を失った。
当然、大人は生きるために剣を取る。
そうして自分自身を犠牲にしつつ、どうにか子供の命を守ってきたが、僕と同じ農村に住む大切な仲間もひとり、ふたり、消えていく。
なるべく心の扉を閉じ、感情を殺すと数年後、周囲には誰もいなかった。
正直なところドラゴンと戦うことで負った傷より仲間の死はずっと深く重く、辛いにもかかわらず、痛みも他人事のようで、もはや涙すら出てこない。
不安定な明日の生活以外は何も考えられない、そんな自分が嫌だった。
ひとりぼっちの僕は本来、絵描きである。
従って世界を救うヒーローとは程遠くとも、絵筆を持つ時間などなく、極限状態のふらつきに耐えながら帰宅するなり、真っ白なキャンバスに手のひらを押し付けて、
「せめてカラフルなものを描いて、みんなが笑ってるみたいな、幸せを作りたい」
「だけど、僕の体はそろそろ限界だ。運良く死んでないだけで精一杯、絵なんかであいつらが甦るとでも?」
「なら、ドラゴン倒さなきゃ……今、優先させるのはやりたいことじゃない」
自分に幾度も言い聞かせ、やむを得ず絵描きとしての僕を封印した。
兎にも角にも。
毎日毎日、剣を振りかざして暴れ狂う敵に向かう。
丸太のように長く太ましい尻尾で思い切り打たれて、数メートル先の林にまで飛ばされる。まだかわいい。
尻餅をつき、草まみれのまま呻いて起き上がると、視界の半分が赤く染まり、歪んでいた(衝撃によって先日ようやく塞がった傷口が開いてしまったらしい、心底どうでもいいな)。
さておき、ドラゴンを逃してたまるものか。
ベタついて気持ちの悪い顔を服の袖で拭い、一刻も早く林を抜けるべく走ろうと思った、途端に意識が朦朧とし──。
気がつくと見慣れた我が家の古臭い天井と目が合った。何故か、ランタンの灯りひとつに照らされ、着の身着のままベッドに横たわっている。
「起きたようだな」
天井付近、蜘蛛の巣にぶら下がる謎の細長い虫を注意深く見つめていた僕は、急に話し掛けられて驚きのあまり絶叫した。
なんと、腹に半透明のカメレオンがおり、ブラウスもといボロ切れの上を這って、こちらに移動してくる。
「絵を描きたいか?」
あちこちを走るドラゴンが日常であろうと、喋るカメレオンには初めて出会った。
「もう忘れた」
果たして夢か現か。振り絞った僕の声はひどく掠れ、答えを聞いたカメレオンが動きを止める。
「嘘だね」
「お前は誰なんだよ」
「誰だと思う?」
「うるさいな、とにかくやめる」
初対面で図星を突かれるばかりか、僕の首あたりまで近寄られ、苛立ちが募った。
どうも一方的で気に食わない。かと言って文句をつけてやる気力もなく、ぐちゃぐちゃに髪を掻きむしる。
「お説教は真っ平ごめんだ。生きてく方が大事、はいはい、分かってる」
「そうか」
「どうせ未練がましい僕を責めにきたんだろ。道具は全部、今すぐ燃やしていい!」
埋葬した感情が墓場から花束を持ち、駆け付けて、ちっとも止まってくれやしなかった。
しかし、カメレオンは極めて冷静に、首を傾げてみせる。
「本当に?」
── 「 『どうしても今は描けない』と『描くこと自体を捨てる』は、違う」。
知らぬ間に僕はきちんと座り直し、擦り切れたベッドの上で、
「お前は諦めるのにすっかり慣れてしまった」
と、昔の僕を覚えていたカメレオンに教えられる。
「僕は絵描き。もしも今夜は、本音言っても許されるのなら。描きたいに決まってて、絵を愛してる、現在進行形で。だから悔しくて、とても苦しい」
真の恐怖はドラゴンや死ではなく、ドラゴンを倒し続けた結果、仮に世界を救う勇者になって皆に感謝されたとて、絵描きの僕つまり本当の自分を思い出せなくなってしまうことだ。
カメレオンは満足げに笑って行方をくらませる。
残された僕は久しぶりに絵筆を取った。
たとえ今は、何にもならなかったとしても。
(了)
★毎日毎日お疲れさまです。
諦めそうになる、やめたくなる、捨てたくなる、いっそ何もかも。
それでも今を必死で生きるあなたへ。
ただいま、おかえり。
