ドールハウスにて生まれる日
未来行きの電車に乗り損ねて何度も〈今週〉を繰り返し、途方に暮れながら滑り込んだ頃には、当然だが、その分、歳を重ねており、どうにも間に合わない、と思った。
このように毎日は一瞬で永遠ではなく、だからこそ今後は限られた時間を大切にする。
甘すぎた生クリームが舌に絡まるなか、そう誓った。
ところが、誕生日を自分の人生における新章開始と捉えた場合ーー先月のまま捲っていない卓上カレンダーや止まってしまった電波時計、そして皆の「おめでとう」が詰まった幸福な宝石箱を失いーーたった四半世紀で筆を折られた気分だ。
奇妙にも、25歳より先に進めなくなる。周囲の者は無事で、ただ、自分のみ、誕生日が消え去ったらしい。
「まだ」と「もう」の狭間で揺れる若さ、ついに年齢が3つ離れていたはずの妹に抜かれ、誰かを祝って月日が流れていく。
とは言っても相変わらず売上と睨めっこして仕事に追われたり、休日は溜め込んだ家事と向き合い、掃除機をかけたりと、瞬きのうちに1日が終わる勢いで忙しかった。
即ち、25歳の誓いを破って。部屋の片隅にシェルフ、そこの上段にテディベアと共に飾られたドールハウスの住民たちとは、老いることがない点で同じだった。
現在に至るまで何となく捨てられなかった彼らは、真ん丸い瞳でいつもこちらを優しく見守っている。
おっと、それはともかく。妹の件に話は戻り、
「ふぅ。一息つくか」
と独り言ちて紅茶を淹れ、プレゼントの〈お裾分け〉で貰った、自分にとっては少しばかり高価なピスタチオグリーンのマカロンを賞味期限が切れる前にかじった。
すると、身体中をまるで高速のハンドミキサーで泡立てられたような感覚に陥り、バランスを崩して尻餅をつき、狼狽えると忽ち、白に覆われる。視界が晴れたと思えばふわふわしたものに埋もれていた。すうーっと何かが垂れ下がってきて、首筋に当たる。
「ひゃぁっ!」
情けない(?)声が出て、思わず顔を上げると、いたずらをした相手が腹を震わせ、大層楽しげに笑った。
いや、まさか。
巨大なテディベアに見つめられ、なおもリボンがしゅるりと落ちてくる。
ただでさえ信じ難い光景なのに、
「やぁ、僕らのパーティにようこそ」
とテディベアがカラメルを香らせて喋った。
せめて夢であって欲しいが、横のドールハウスから、かちゃかちゃ食器を運び、テーブルに並べる音が聞こえる。
今の自分は、目眩く紫の屋根と青い壁に加えて桃色の光がさすテラス付き2階建てに辛うじて収まる背丈で、見る間にソフトビニールでできたレトロな人形に囲まれた。
「な、なんだよ」
普段は小指くらいのサイズの集団にカエデ、カエデと自分の名前を連呼され、ようやく絞り出した言葉に被せてああだこうだが始まる。
「あーあ、そんなに汚れちゃってさ」「グレーの雪に飛び込んだの?」「君が長い間、払わなかったせいで積もってるもんね」「だけど、あっちは片付けたから比較的まともでしょ」
ホコリの話だろうか。口をあんぐり開けて半ば聞き流すうちに、かつてパーシモンと名付けた実に賑やかな女の子に手を引かれ、精一杯、身体を丸めるようにして無理やり、おもちゃの席に着く。
ひょっとしたら久しぶりの誕生日会では?
兄貴分のウォルナットにより目の前で切り分けられる水玉模様のフルーツホールケーキ、背後には幾つかのプレゼントボックスとファンシーな風船の束、期待に胸が膨らむ。
最も可愛がっていた分身のような存在(容姿がそっくりで)、おしゃれなラテがクラッカーを持ち、向かい側に座った。
テディベアのブリュレは穏やかな笑みを浮かべて外からこちらを覗き、未だに自分だけが分からぬまま周りに従って何かに乾杯、クラッカーの紙吹雪を浴びる。
せっかくのご馳走は全く味がしなかった。水の方がマシで、とっても残念ながら「おいしいな」「おかわり」などに頷けず、
「今回はどんな、あれ?」
なるべく雰囲気を壊さないよう遠回しに、声を潜めてラテに尋ねる(彼女ならきっと答えてくれると信じて)。
「カエデは大人みたいに振る舞っておいて、私たちをいつまでも手放さない子供よね」
「うーん、全部揃えるのに苦労したし。実家を出る時とか引っ越しの度に迷ったけど、連れて来て、少なくとも14年は一緒に生きてる。いとこに譲るべきだった?」
ラテは肩をすくめ、極めて冷静に返す。
「さぁ、どうかしら。カエデらしい理由だわ。いつぞやの夜。あなた、お家を眺めつつ、ポロっと『年を取りたくない』って言ったのよ。そうしたら、皆が本気にしてしまって『二度と誕生日が来なければいい』を叶えた。でも、そろそろきちんと、本人と話し合って、嫌がるようであれば、やめにしましょう。私の提案で、ブリュレが呼び寄せた」
小さくても力を合わせると造作無い、と付け足した。
ケーキをぺろりと平らげたパーシモンが会話に入る。
「引き換えに身長が伸びてるんだ、毎年1センチずつ」
会社で受けた健康診断の結果が頭を掠めた。成る程、成長はしている。
しかし、放っておくと10年経てばプラス10センチという訳で。まず老けない、誰が見ても異常であろう。
お喋りが止み、人形たちの視線が注がれ、どうもこそばゆかった。座り直し、自分の指先までソフトビニールになりかけ、悲鳴を上げる。
「ありがと、気持ちは嬉しい。だから、ここらでおしまいにしよっか。ワガママでごめん、やっぱ刻んでいきたい。永遠に若くて、おばあちゃんにはなれないなんて、やだ!」
感情が昂り、ここで席を立ち、ひっくり返ってプレゼントボックスにぶつかった。
なぁんだ、空っぽ。つまらないや。

……
…………
………………風船がバチンと割れて、飛び起きる。ご丁寧にもリボンに包まれ、プレゼントボックスの中におり、はじめに通販の段ボールを潰すかの如く真顔で折り畳んで、リビングの壁に立て掛けた。
次にドールハウスとテディベアを探すも、シェルフではなく何故だか出窓に移り、ウォルナットが〈居なくなった〉自分を追い掛けるようなポーズを取る。あの微笑みがどこか恐ろしい。
ぴこん。
メッセージアプリの通知音に振り向くと『Happy birthday, Kaede!』『おめでとうございます』『元気?また遊ぼう』等々が届いた。
26歳、秋めきの9月生まれに変わって。
