怒るの嫌だから安楽死させて
僕はたまに、自分でもどうすることもできない怒りに苛まれることがある。
普段なら気にもしない些細なことに激昂し、声を荒げ、ひどいと暴れまわってしまう(1人で)。
怒りの原因は判然としない。
パッとしない自分への怒りなのかもしれないし、普段溜め込んでいるストレスが噴出する期間なだけかもしれない。
1つハッキリしているのは、怒りの対象というか、頭の中で恨み節を唱える人種が決まっていることだ。
というわけで、今回は怒りをメモにするということをやっていく。
成功者への怒り
これは特定の誰かというわけではない。
本当にぼんやりと『自分よりもうまく生きている人』に対して抱いている怒りだ。
世の中には、僕よりも上手に生きて、幸せに暮らしている人がごまんといる。その事実を思うと、頭を抱えて叫び出したくなるのだ。
許せないのは、そういった幸せな連中が、こちらが納得するほど人間ができていないことだ。社会で働いてる人や既婚者なんかが該当する。
社会に出ると「えっ?!こんなに性格と性根が終わってるのに、結婚してる、、、、、!!!」って思う事が多すぎる
— 🏡山奥ニート𝙸𝙽兵庫県 2.5万円で便利なシェアハウス! (@kominka150) March 2, 2025
これの怒りマシマシ状態が僕だ。
世の中で必要な能力というのは、誠実さではなく立ち回る能力だ。
そして、立ち回る能力とモラルは比例しない。
というか、多くの場合は反比例しているように思う。
要は、社会で立ち回れるが、性格が悪いのだ。
そういう奴は社会に腐るほどいて、僕もその腐臭にやられた経験がある。
たぶん僕の中には、まじめに振舞い、他者にやさしくして生きることが正しいという考えがあるのだと思う。こんな考え、損でしかないのだが…。
しかしどうも、まじめさとかやさしさとかは、思ったように社会では評価されないらしい。
これまで生きてきて、社会に揉まれる中で、糞野郎をたくさん見てきた。
糞野郎たちは、ライフステージを順調に駆け上がっていたように思う。
頑固で堅苦しい考えを持っている僕からするとおかしい話で、
こんなおかしな状況で得をする糞野郎たちは憎しみの対象である。
過去の嫌な奴への怒り
無駄に年齢を重ねているだけあって、僕はいろんな人と出会ってきた。
その中には、先述した糞野郎どもの他に、畜生とも言うべき人物が多々存在した。
糞野郎に関しては僕の能力不足やひがみも含まれているが、畜生はわけがちがう。
奴らは積極的にこちらを攻撃し、壊れた精神をさらに破壊してきた。
前職でのパワハラ校長もそうだ。
奴はことあるごとにこちらに怒声を浴びせた。
女性職員がいる前で、僕に性経験について質問するなどのセクハラもした。
他にも山ほどあるが、枚挙にいとまがないので割愛する。
パワハラ校長は現在退職して、退職金と年金で悠々と暮らしているだろう。
その事実がとにかく許せない、殺して資産をすべて奪わないと気が済まない。
また、フリーになってからも畜生には遭遇した。
ジャケットにシャツのフォーマルな格好で、ヘラヘラ笑ったアイコンでSNSをやっているような人種、とだけ言っておこう。
その畜生はいわゆるITベンチャーの経営者だったわけだが、
こういう人種には一定確率でADHDが存在している。
特性が上手く経営者としての仕事にマッチして、のし上がってしまうからだ。
その畜生には、何年かかけてひどい目に遭わされた。
最後はこちらから連絡を絶ったが、二度と話したくないし、出来れば殺してしまいたい。
これはほんの一例だが、僕の中には
『法で許されるなら殺してやりたい奴リスト』
なるものが存在する。
仮に僕が余命宣告されたら、全力を尽くして殺せるだけ殺しに行こうと思っている。それほどに、この畜生どもを僕は強烈に憎んでいるわけだ。
怒りは常にある
怒りながら文章を書いていて気付いたことだが、僕はずっと怒っている。
処世術でヘラヘラしているが、頭の中には常に糞野郎への怒りと畜生への恨みがあって、1日に何度も思い出しては手を動かすことで紛らわしている。
おそらくだが、寝不足とか抑うつ状態とかになると、
その怒りが抑えきれなくなって出てくるのだと思う。
怒っている人間は見苦しいから、
あまり怒りたくはないのだが、怒ってしまうものは仕方がない。
しかし、この怒りというのは不便なもので、可能なら記憶ごと消してしまいたい。消せないのはわかっているが、ならせめて、ことあるごとに頭に浮かんでこないようにしたい。
殺すとか復讐するとかよりは、忘れてしまった方が楽だからだ。
こういう、苦痛な記憶、恥をかかされた記憶、恨みつらみはどうやって消化したらいいのだろうか。
高額なカウンセリングで専門療法を受ければ良くなるのだろうか。
それとも、恨みつらみは誰もが持っているもので、
抱えて生きていくことしかできないのだろうか。
もしそうだとしたら、あまり生きていたくないなと思ってしまった。
しんどいが、怒りで頑張るしかない
怒りはどうしようもない感情だが、使い道がないわけではない。
怒りを抱いた状態で、その熱をやるべきことに向けることで、
普段以上のポテンシャルを発揮することが出来たりする。
しかし、それはかなり副作用が強い、いわば精神的ドーピングだ。
怒りのピークが過ぎた後は、屍のようになってしまう。
思うに、怒りを力に変えるというのは、化学物質を燃やすようなもので、
燃やせば燃やすほど、心の健康度は下がっていくのではないかと思う。
しかし、それ以外のやる気の出し方というのが、今の環境にはない。
仕事はやらないと死ぬという理由と怒りでやっているだけだ。
楽しいからやっているという行為は、最近はほぼなくなってしまった。
たまには休みを取って生産的な趣味でもやりたいと思うこともあるが、
そんな立派な趣味も持っていないし、心も折れてるので何もできない。
こんな日々がずっと続くと思うと、本当に心底からうんざりする。
そして沸々と、こんな窮状に追い込んだ畜生どもと、
のうのうと生きている糞野郎どもへの怒りが湧き上がってくるのだ。
この怒りのメカニズムをどうにかしたいとは思うが、どうしたらいいのかわからない。専門カウンセリングでも受ければいいのかもしれないが、高額だから通うこともできない。
毎晩、生活費を電卓で計算してため息をつくような人間には、
1回7000円で何度も通うのが前提のカウンセリングは厳しい。
なので、この怒りの根本的解決策は未だ無いということになる。
時折やってくる怒りに、いつまで耐えられるかどうかもわからない。
こんな気分になるくらいなら、早く安楽死をさせてほしいものだ。
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