見出し画像

第五章: ないもの

本シリーズは特定の企業を批判する目的で書いているものではありません。
むしろ、あの時代に社会へ出た多くの人が
どこかで感じたかもしれない違和感の記録です。
それが個人の問題だったのか、
それとも時代の問題だったのか。
その問いを、冷静に辿っていきます。

シリーズ一作目はこちら:第一章 高熱

現実的に考えれば、私がその会社で任された役割は最初から決まっていた。

営業である。

最初の会社でも営業をやっていた以上、雇う側から見れば、私を営業として使うのが自然だったのだろう。
技術職として採ったわけではないし、システムそのものを触らせる前提でもない。
会社が期待していたのは、まず外に出て売ることだった。

そこでF部長と話し合った結果、役割分担が決まった。

私は地元に近いエリアを回る。
F部長は東京側を攻める。

かなり単純だが、理にかなった分け方だった。

私が担当したのは、九州・中国地方の都市ガス会社、そしてプロパンガス会社だった。
そのあたりを、一日おきに県をまたぐような感覚で回っていた。

今思い出しても、かなり身体で回す営業だったと思う。

社用車で移動し、取引先へ向かい、話をして、次の県へ行く。
宿泊が必要な時は、ほとんどカプセルホテルだった。
宿泊費や交通費は出ていたが、それ以外に特別な余裕があるわけでもない。

豪華でもなければ、きれいに整った営業活動でもない。
ただ、なるべく金をかけずに、できるだけ多くの場所を回る。
そういう実務だけが淡々と積み上がっていった。

今振り返れば、それなりに過酷だったのかもしれない。
だが当時は、あまりそういうふうには感じていなかった。
むしろ、動いている方が自然だった。

そして、この営業には決定的におかしな点があった。

売るものが、まだ完成していなかったのである。

ここは少し正確に言っておいた方がいい。

クレジットカード与信のためのサーバは、すでに存在していた。
そのインフラ自体は本物だったし、設備や運用もかなり高い水準で管理されていた。
だが、それはあくまで既存の売上承認の仕組みとしての話である。

私たちがこれから売ろうとしていた「ガス料金の月額課金」という仕組みは、まだ白紙に近かった。

つまり、私は“あるもの”を売っているようで、実際には“まだないもの”を売っていたことになる。

今考えると、かなり乱暴な話だと思う。

普通なら、仕組みを作る。
試験運用をする。
社内で回ることを確認する。
その上で営業に持たせる。
そういう順序になるはずである。

だが、この時は違った。

与信基盤はある。
市場も、いずれこちらへ動くはずだ。
先行事例も、まったくのゼロではない。
であれば、まず営業に出る。
話が動き出したところで、作る側も一気に詰めればいい。

極端に言えば、そういう順番だった。

もちろん、この時点で私はその乱暴さを十分に理解していたわけではない。
むしろ、自分の中ではかなり素直に「これはいける」と思っていた。

それはたぶん、『V字回復の経営』を読んだ影響が大きかったのだと思う。

傾いた会社だからこそ、全部を立て直すのではなく、残っている心臓部を使って一点突破する。
大きな資本も、人も、時間も足りないからこそ、先にある未来へ接続できる一点を見つける。
そういう考え方が、妙に腑に落ちていた。

だから私は、営業の現場で「まだないものを売っている」というよりも、「いずれ必要になるものを、少し早く持って行っている」という感覚で動いていたのだと思う。

ただ、感覚と現実は別である。

客先に行って話をすると、当然ながらそこには具体が求められる。

どういう運用になるのか。
どんなメリットがあるのか。
事故が起きたらどうするのか。
導入したら何が変わるのか。

こちらは構想としては理解していても、実際の細部はまだ曖昧な部分も多い。
しかも、話している相手は生活インフラを扱う企業の人間である。
適当に「たぶん大丈夫です」で済む世界ではない。

それでも、とにかく話し続けるしかなかった。

都市ガス会社やプロパンガス会社のキーマンに会い、
都市ガス会社の事例があること、
今後クレジットカードによる月額課金が広がっていく可能性があること、
こちらには与信基盤があること、
そういった話を少しずつ積み上げていった。

この頃の営業を思い出すと、不思議な感覚がある。

自分では売っているつもりなのに、自分でもまだ全体像を完全には掴みきれていない。
だが、だからといって虚勢だけで話していたわけでもない。
むしろ逆で、実感としてはかなり真面目だった。

本気で「これから必要になる」と思っていたし、
本気で「この会社にもまだ戦える場所がある」と思っていた。

だから、無茶ではあるが、嘘ではなかった。

営業という仕事には、ときどきこういう局面があるのだと思う。

完成した商品を持って行き、その機能を説明して契約を取る。
そういう営業ももちろんある。
だがこの時の私は、そういう意味での営業はしていなかった。

市場がまだ完全には形になっていない。
仕組みも未完成。
会社そのものも不安定。
それでも「この方向へ世の中は動く」と信じて、先に話を持ち込む。

かなり危うい。
だが、その危うさの中にしかない手応えもあった。

今なら、もう少し慎重な進め方を考えるだろう。
営業の前に社内設計を詰めるべきだ、と言うかもしれない。
だが当時の私は、そんな順序で物事が進む世界にいたわけではない。

傾いた会社で、限られた人間だけが未来を見ている。
時間も余裕もなく、外では競争が進んでいる。
そういう状況で取れる手は、理想的な順番ではなく、動ける順番しかなかった。

私は営業として入社した。
だが実際にやっていたのは、単なる販売ではない。
会社の未来がどこに残っているかを、顧客との会話を通じて探りに行くような仕事だった。

そしてその会話の中で、私は後になって、この仕組みの本当の意味を教えられることになる。

この時点ではまだ、私は「クレジットカードで払えるようになる」という利便性の話をしていた。
だが実際には、相手が見ていたのはそんな話ではなかった。
売る側の私よりも、買う側の方が、ずっと本質を理解していたのである。

第六章はこちら:第六章 理解
(公開前の場合があります)

■ 始まりの物語

ここまで書いてきた時間のさらに前に、
自分の基礎を形づくった時期があります。

大学時代、ラグビーに向き合っていた頃の記録です。
当時はただ目の前に取り組んでいただけでしたが、
今振り返れば今へ続く一本の線の上にあった出来事のようにも感じます。

興味を持っていただけた方がいれば、
その始まりの時間にも触れていただければ幸いです。


この記事を書いている人はこんな人

・・・というのがわかるような書籍を出版しています。

大学の頃に経験したラグビーと、その後留学して取得したMBA にまつわる話をまとめた書籍です。このnote でも「小麦譚」というシリーズ(マガジンでまとまっています)で無料で見れる部分がありますので、是非読んでみてください。
難しい話や専門的な内容はほとんどありません。
むしろ、
「なんでこんなに無理してたんだろう」
と後から振り返るような、そんな話が多めです。
ダイエットの話をここまで読んでくださった方なら、
きっと気負わず読める内容だと思います。

  • 紙版(1518円)

  • Kindle版(780円:)

いいなと思ったら応援しよう!

kaz the minotaur 読んでくださってありがとうございます。 サポートは、今後の制作を続けるための大きな力になります。 無理のない範囲で、応援していただけたら嬉しいです。