樹に呼ばれて
樹への憧れ
以前から樹を見るのが好きだった。
チェロとコントラバスという
木でできた弦楽器を弾いている影響だろうか。
広島にいる友人が
「あなたにはブナの木のイメージがある。
まだ成熟してないその姿の奥に、
大きな大きなどっしりしたブナの木がいる気がします。」
と言ってくれた。
ますます樹のことが気になった。
インターネットの森の中で、
樹の絵をたくさん描いている画家を見つけた。
その画家の言葉は光を放っていた。
焚火のように僕の内側からも光が灯るようだった。
螺旋状に昇っていくメロディが森の中で響く。
樹が揺れて鳥のように鳴いた。
冒頭に書いたが、僕のブログのイラストを描いてくださった久美子さんの言葉が印象に残っている(あなたにはブナの木のイメージがある・・・)。その頃は、週末になると、よく森林公園や神社や森に行って写真を撮りまくっていた。都会の喧騒から離れ、樹木に囲まれて森林浴をしていると、身体の感覚が開かれて心身のバランスが整い、深く息ができるようになった。何だかよくわからないけど魅かれていくもの、「樹への憧れ」のようなものがあった。

弦を弾く力強い指のタッチが大好きだ




そんな樹への憧れは、当時観ていたドラマ「僕の生きる道」や、大江健三郎さんのエッセイからの影響もあったと思う。
「僕の生きる道」は、スキルス性胃癌で余命1年と宣告される高校教師の物語。主演の草彅剛くんの演技が素晴らしく、当時何回も繰り返し観ていた。彼が亡くなった後、伴侶である、みどり先生(矢田亜希子)との思い出の場所にある樹に宿り、彼女の人生を見守っていく。
大江健三郎さんのエッセイ『「自分の木」の下で』は、大江さんが祖母から聞いたお話が印象的だった。森の中に「自分の木」というものがあり、亡くなった時に、自分の魂はその木の根元に還っていくという。
自分の分身のような存在
竹村真一さんの『宇宙樹』にも大きな影響を受けた。この本はまず何より竹村さんの柔らかい透明な風のような語り口が心地好い。
特に第四章にある「パートナーの木」のお話が印象に残っている。ラップランドの先住民サーメのシャーマンが、太鼓を作るために樹を探すというお話。その太鼓は天界や精霊と交信する道具として使われ、その材は森の中にある特定の樹からいただいたもので作られるという。
2024年(辰年)9月に徳島県へ旅をした。敬愛する画家である榊さんの個展に行くためと、神山の宇佐八幡神社にある大楠に会うために。樹に会いに行くというのが不思議だ。冒頭に書いた「樹の絵をたくさん描いている画家」というのは、榊さんのことである。
この大楠とは仲がよくて、油でも描かせてもらってる。描くという行為が、見えない世界との通路を開く。 pic.twitter.com/PfVzNeRWcn
— 榊和也 (@kazuyasakaki) July 25, 2019
ある時、榊さんが描く樹の絵を通じて僕はその大楠と出会った。生きていると、その後の人生を変えてしまうほどの決定的な出会いというものがある。榊さんやその樹との出会いもそうだった。さらに、自分の中で大切なものと出会う時は、前兆として予言的な夢を見たり、実際に大いなるものの存在に自分が包み込まれ、喜びや感謝に溢れるような忘れ難い出来事が起こったりする。そういった夢や自分の奥底にある内なる声が、現実世界にある太陽や雲などの自然と共鳴し、空をキャンパスにして自由自在な歌(絵)を描く。その忘れ難い出来事については、こちらに書いた。
今思うとこの旅は、この本にある「パートナーの木」と出会うための旅であり、無意識ではあったが、この本に書かれていたことを自ら実践していたことに驚く。その旅のことはここに書いた。
まずドラムを作るために、森に入って木を探すプロセスが重要だ。シャーマンは身を浄めて森に入り、時には何日も一人で森を歩きながら、ある木を探す。
もっとも、その木はシャーマンが選ぶのではなく、木のほうから選ばれなくてはならない。つまり、単に材質のよい木を探すのではなく、むしろ特定の「人格」をもった唯一無二の木に出会うことが必要だというのだ。
徳島県の山中に暮らしながら創作活動をしている方で、もともとその言葉やお話に共感する部分が多く、影ながら追っ掛けていた。この作品のモチーフは宇佐八幡神社の樹齢800年の大楠で、それぞれ「樹霊」「木霊」とタイトルが付いている。榊さんは、その大楠とは友人のような関係と仰っていた。
大楠の一葉も一緒に届き(樹霊が「作品と一緒にこれも入れといて」と榊さんに伝えたという)、榊さんが「香りも感じてみてください」と仰るので、葉を擦って鼻を近づけてみると、透き通るような空気感に頭の中が満たされ、遠く離れたその大楠の立っている姿を感じた。葉の香りは、樹が抱えている記憶の手紙のようなものかもしれないと思った。樹は人間のように言葉で語らないから、こういった葉の香りで何かメッセージを送っているのかもしれない。

樹は記憶を持っている。人間よりも膨大な記憶がその中に保存されている。そして、嗅覚というのは直接的に魂へと届く感覚なのかもしれない。拙著にも書いたが、この一葉の香りを感じた時、ツーンと透き通るような空気感に頭の中が満たされ、遠く離れたその大楠の立っている姿を一瞬で感じ、さらに次の瞬間に浮かんだのは、河原で遊んでいる子供の頃の自分の姿だった。この時僕はその樹と魂の感覚で深く結ばれ(『宇宙樹』に書かれている「その木との深い霊的な共生関係」)、おこがましいが、樹から選ばれたのだと思う。
あの徳島の地に立った時に感じた何かソワソワした感じ。とにかく理由もなくただただ「行かなきゃいけない!」という切羽詰まったような感覚。それは本人の頭とは関係なく自分の内面に響く魂の声であり、その樹が僕のことを呼んでいたのだろう。とにかく背中を突き押される使命感のようなものがあり、身体が勝手に動かされ前へと突き進む感覚だった。やっとのことで神社に着いて大楠に出会い、龍神祝詞とその大楠に向けて書いた自作の詩「光の樹」を唱え、泣きながら「Webデザイナーになりたいんです」と将来の夢を告白しながら大楠を抱きしめたのだった。周りは山々に囲まれ人が誰もいない、僕と樹だけだった。個と個の一対一の関係性。Webサイトのブックマークのような人工的なものではなく、宇宙的なブックマークを特定の樹と結ぶこと。その数ヶ月後、デジハリを卒業し、とあるWeb制作会社とのご縁ができて、Webエンジニアに転職することができた。正確にはWebデザイナーではないけれど、それに関係する仕事に就けたということで夢が叶ったのだった。
樹との出会い
「見て」しまった、という出来事はここに書いたのだが。。。
今でも不思議に思う。太陽がスッと真っ二つに割れて、そこから溢れるような垂直の光が真っすぐ天に昇っていき、サンピラー現象が目の前で起こった。その瞬間、無意識に身体が動いてスマホで撮っていた。時間でいうとコンマ何秒の世界。ほんの少しでもズレていたら、あの雲龍はカメラにおさまらなかった。人知を超えていて、まさに「見ろ」「撮れ」「呼ばれた」としか言いようがない。そして、榊さんから、あの樹は龍神が祀られている神社にあるんだ、というお話を聞いて、その写真を撮った時の出来事と樹がつながる強烈なシンクロニシティを感じて、「ありがとうございます」という感謝と喜びの涙が溢れたこと。その時、大いなる優しさが自分を包み込んでくれた感覚が忘れられない。
龍は霊獣であり、般若心経にある「色即是空 空即是色」のように形がなく実在するものではない。水のように自由自在に姿を変え、柔らかさと強さを同時に持っている。そういうエネルギーの流れや働きのことを古代の人達は「龍」と名付けた。
目を瞑ればその樹と時空を超えてつながることができる。その樹の根が大地から水を吸い上げるように僕の眼を吸っているようなイメージ。その時、眼差しから黄色い輪っかのようなものが連続して出てくる。それを僕は「黄金の眼差し」と名付けた。最近、その黄色い輪っかがパスンと途中で切れて、その切れ端が龍の頭に変わっていき、ユラユラと内面の闇の空の中を泳ぎ消えていった。その樹がある神社には龍神が祀られている。「龍となった眼差しが言葉の光をくぐり永遠に向かって飛翔する」と詩に書いたが、まさに詩の言葉が現実化して驚いた。
「責任(responsibility)」という言葉は、ラテン語の
「respondere(応答する・答える)」が元になっているという。徳島に行く時に感じた「とにかく背中を突き押される使命感のようなもの」は、その「世界」(龍=大楠)と僕とのコール&レスポンス、responsibilityだったのだ。
光の樹 (Trees Of Light) / 大竹弘行
太陽の殻を破り
光が垂直にのびていく
まるで黄金の水を吸い上げて
カラダが満ちていく樹のように
古代から現代へと続く
祈りの枝葉が
無数の雲の鱗となり
カラダとなっていく
言葉は光だ
絵は見えない森へと通じる窓だ
眼差しを投げろ
黄金に縁取られた眼差しを
遠く離れたあなたとわたしとの間を
龍となった眼差しが
言葉の光をくぐり
永遠に向かって飛翔する
無意識の空に龍の跡
一瞬は永遠
永遠は一瞬
大地に眠る月へと還っていく

