何を守るのか
鵺火総十郎は、朧に現れては消える魔影を捉え切れずにいた。
戦況は膠着している。烈火とリーネとケリオスが必死に追いかけ回すものの、嘲笑うかのように明滅を繰り返す。
徹底的な時間稼ぎの挙である。
総十郎が湖の外周に施したしめ縄が焼き切れるまでに、あとどれほど猶予があるのか。
――慈悲はかけられぬ。なんたることか。
この世界に来てから……と言うより、〈道化師〉があの骨色の短剣を使い始めてから。
余裕というものがなくなってしまった自分を感じている。
自覚している。
敵に情けをかけることができないほど、自らの中に選択肢がない。このような状況は、初めてとは言わずとも極めて珍しい。
――冴えた手が何も浮かばぬ。
しかし、自らの思考に鈍りは感じられない。いかなる筋道を考えても、これ以上の術策は思い浮かばぬ。
弱体化しているわけではないのだ。心身呪力すべてにおいて十全のパフォーマンスを発揮できている。
だが、明らかに何かが失われていた。
つまり。
――この場はすでにあの骨色の短剣が形成する領域の内部である、か?
姿を見せぬ〈道化師〉は、果たして何を企てているのか。
烈火の剛腕が、リーネの斧槍が、ケリオスの閃突が、縦横に唸りを上げるが、現れては消えるギデオンにかすりもしない。
かといって無視して玉座に向かうには危険すぎる相手であった。
いっそのこと、世紀末空間に戦闘要員を全員取り込ませ、そこでじっくりと決着をつけるという方策も考えた。
さすればタイムリミットは気にせずとも良い。
だが、〈道化師〉が姿を見せない、という点が気がかりであった。彼は今どこにいるのか? 何をしている?
彼はすでに一度世紀末空間を見ている。こちらにそういう切り札があることがわかっている。
その上で、どうするつもりなのか?
――我々の足止めをギデオンどのに任せ、自分はしめ縄の破壊に向かおうとしてゐる……?
総十郎は即座に式神を四方に放ち、烈火に声をかける。
「黒神、今すぐに世紀末空間を展開せよ。我々全員を巻き込むようにな。」
「あ、それ、無理」
「なんだと?」
「あれ一日一回なんだわ」
「そういうことは先に言わんか馬鹿者。貴様も大和男児の端くれならば気合を出せ。もう一度ぐらいなんとかせよ。」
「おめーバカおめーいかに超天才でもできることとできないことがありますよ馬鹿野郎てめえワタ〇みたいなこと言ってんじゃねーよバーカバーカお前なんか『ブラック企業に疲れ果てて異世界転生したらさらにブラックだった件について』とかいうなろう小説でも書いてアニメ化されてろ!!」
こいつの発言が意味不明なのはいつものことなのでスルーするとして、これはまずいかもしれない。
「……リーネどの!」
「はいっ!」
「〈道化師〉くんがしめ縄の破壊に向かってゐる恐れがある。あなたは様子を確かめに行っていたゞきたい。すでに監視用の式神は放っておる。〈道化師〉くんを発見し次第連絡する。」
「わ、わかりましたッ! そちらもご武運を!」
札を受け取り走り去ってゆく女騎士を、しかしギデオンはうっそりとした目で見送った。
「おや、邪魔はしないのかね?」
「……する理由がないな」
「嘘だな。」
斬り込むように言う。
「御身はシャイファ殿下の前でリーネどのを殺したくなかっただけであろう。」
「だとしたらなんだというのか」
「なにも切り捨てることなく大義を通せるのかと問うておる。」
ギデオンが、目を伏せた。
「御身、どの程度まで犠牲を許容するつもりであるのか。虐殺の法が森に広がれば、ヱルフに被害がまったくないというわけにはいくまい。」
「痛みもなく変革が成し遂げられた例はない」
「道理であるが、ならばなぜ今しがた黙って行かせたのか。ケリオスどのはいざ知らず、リーネどのは魔力による身体制御法に熟達しておる。〈道化師〉くんの邪魔をするには彼女以上の人員はゐない。絶対にこゝで止めておくべき相手であったはずである。」
「貴様はいったい何が言いたいのだ? 〈道化師〉が彼女に負けるとでも?」
「一か月前。」
うっそりと、総十郎はつぶやく。
「御身は〈虫〉とオークどもによる国家転覆の計画が潰えたことを知り、森より撤退した。その際、御身の正体に感づきかけたケリオスどのを殺そうとしたな? いや、それ自体は心情としてわからなくはない。その場にいたシャイファ殿下に、万一にも自らの正体など悟られたくなかったのであろうな。知れば、必ず殿下は悲しまれるであろうから。ゆえにこれ自体は不自然というほどのことではなかったのだが――」
ちらりとリーネの去ったほうを見やる。
「今回は少々あからさますぎたなギデオンどの。ただ御身の正体を暴露しかけただけのケリオスどのには刃を向け、一方でより致命的に御身の計画を頓挫させかねないリーネどのは放置された。これはつまり――何を意味してゐるのか?」
闇色の斬撃が叩き込まれ、神韻軍刀と激しく火花を散らす。
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