彼の懊悩。彼の決断。彼の絶望。
「けほっ、けほっ」
「うおーい、いいかげん自分で歩けや乳ゴリラこの野郎」
「うぅ……」
「あ? なに? どっか痛むのか? どれどれお洋服を脱いでお兄さんにみせてごらんデュフフフフ……」
「み、みるなっ! ……お願いだ……見ないで……」
「あん? マジでどうかしたのかオメー」
「……顔、火傷した……うぅ……」
「は~ん? どれどれ」
「や、やだ、やめろ! 手を放せ! 見るなっ!」
「……いや、なんもなってねーぞおめー馬鹿おめー何大騒ぎしてんだよアレか? かまってちゃんか? かまってちゃんなのか?」
「え? ……い、いや嘘だ! こんなに全身焼けるように痛いのに、火傷じゃないわけが……」
「んなすぐバレるウソつくわけねーだろアホ。やっぱあれか? 乳にばかり栄養行ってると頭脳が間抜けになるのか? 普段と何もかわんねーよ!!!!」
慌てて両手で頬をなでくり回してみるが、その感触は確かに普段と何も変わりがない。
それに、気が付いたら全身の痛みは徐々に引いている。今ではヒリヒリする程度だ。
どっと安堵が押し寄せる。あれは火傷ではなく痛みだけを与える技だったらしい。
そして。
「〈道化師〉は……わたしを殺さず、傷つけもせずに制圧するつもりだったのか……」
いよいよもって、彼の思惑がよくわからなくなってくるのだった。
●
異形化した王城を一望する小高い丘の上に、天幕が設営されていた。
その前で、女王シャラウと王女シャイファ、五百名あまりの騎士たち、そしてフィンを除く異界の英雄が一堂に会していた。
総十郎が進み出る。
「申し訳ない、陛下。力及ばず、王城は敵の手に奪われてしまった。」
「いえ、あなたたちがいなければ、いまごろ王国全土があのような有様になってしまっていたのでしょう。感謝いたしますわ、ソーチャンさま」
女王シャラウは、しかし青ざめていた。
一万年の長きにわたって不変の楽園でありつづけた森が、わずかな時間とはいえあのような惨たらしい場所に変わってしまったことに、動揺を隠しきれないようだった。
「あれは……ギデオンの望んだこと……だったのでしょうか……」
「恐らくは。」
すでにあの幽鬼王の目的は明白であった。
エルフたちを一度にすべて森から追い出すこと。最初からそれだけが狙いだったのだ。
「一度に、という点が重要なのであろう。一万三千五百人の王国民が一斉に難民化して帝国に押し寄せた場合、もはや小領主の手に負える事態ではない。属州総督レベルでの対応を強いられることになる。――つまり、神統器持ちの耳に確実に入る。」
「時間をかけて少しずつ帝国民化したら、それは望めないわけですね。その場合、エルフたちを迎えるのは……普通の、人々ということになります」
女王は言葉を濁したが、欲深い、と言い換えても良い。疑うことを知らぬ無垢なエルフたちがどのような暮らしを送ることになるか、想像は容易かった。
生き馬の目を抜く勢いの人族社会で大手を振って生きるには、エルフたちは善良に過ぎ、無欲に過ぎた。
だが――神統器持ちの貴族が動くとなれば、そこまで粗略な扱いにはなるまい。ある程度の譲歩を引き出せるであろう。どこかの未開墾地を租借して居住区とするか――あるいは帝国軍が動いて異形化した森を切り開き、そこを開墾させるという形になるか。
いずれにせよ、人数を頼みにお互いを守り合いながら、少しずつ帝国に適応してゆくことができる。
「さて……陛下。どうされるおつもりか。あなたが言葉を尽くして民らを説得し、皆で帝国に向かうと言うのならば、小生はその意向を尊重する所存である。」
女王は、息を呑んだ。
しかしすぐにかぶりを振る。
「……考えられませんわ。それは王国民に暮らしを根こそぎ捨てさせると言うこと。農耕民になれば、生活の質は見る影もなく下がります。森恋しさに畑を捨て、帝国内の別の森に逃げ込んでしまう者がほとんどでしょう。しかし、一万人ものエルフを養える森などここより他に存在しません。結末は無残なものになると考えます」
「道理であるな。そもそもこのような重大な決断を、ギデオンどのの一存で決定するなど道理の上でも看過しえぬ。とはいえ――」
総十郎は眼を鋭く細めた。
「――彼の危惧自体は、恐らく正しい。」
「それ、は……」
「百年先は大丈夫であろう。二百年先も恐らく大丈夫であろう。しかし三百年、四百年と歳月を積み重ねたとき、オブスキュア王国が自主独立を保ってゐられるかは、正直なところかなり危ういと思う。シャラウ陛下、小生の目から見ても、ヱルフという種族はあまりに純真無垢すぎる。」
「……生きているならば、善良であるべきですし、無欲であるべきです」
「それはまったく同感である。そして、ほとんどの人族も同じように考えてゐることであろう。だが、出産制限を強制できるシステムが存在しない帝国社会において、生きるとは競争であり、糧とは勝ち取るべきものである。まともな暮らしをしようと思ったら、ある程度の貪欲さと狡猾さは必要である。少なくとも小生の世界はそうであった。」
「そんなの……おかしいですわ……正しいのはわたしたちの生き方であるはず……なのに、向こうの生き方に合わせろとおっしゃるのですか……? 人族の方が数が多いという、ただそれだけの理由で……?」
「反発してしまうのは致し方なきこと。小生も、それが正しいとは思わぬ。なれど、いかんともしがたき現実であるとは考えてゐる。このまゝ何も変わらぬようであれば、あなたがたが尊ぶすべてのものは失われるであろう。」
シャラウは沈痛に目を伏せ、黙った。
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