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ジャック・ニコルソン|アメリカの狂気を演じきった男の肖像

ロサンゼルスの静かな隠者

 ロサンゼルス、マルホランド・ドライブ。この「バッドボーイ・ドライブ」の異名を持つ伝説的な通りに、ひとつの巨大な沈黙が横たわっている。

ハリウッドの街並みを眼下に見下ろす邸宅の主は、2026年の今、88歳を迎えた。かつてスクリーンを狂気と快楽、そして圧倒的な知性で支配した男、ジャック・ニコルソンである。

映画『クライ・ベイビー・キラー』の宣伝用スチール写真に写る若き日のジャック・ニコルソン。(Photo by Herbert Dorfman/Corbis via Getty Images)

2010年の映画出演を最後に、彼は銀幕から姿を消した。公式な引退宣言はない。しかし、10年以上の歳月が、彼の不在を事実上の終止符として人々に印象づけている。

かつて、ロサンゼルス・レイカーズのホームコートの最前列で、審判に野次を飛ばし、ハリウッドの象徴として君臨していたあの姿も、今や記憶の断片の中にしかない。

世間は彼を「消えた怪物」と呼び、その健康状態や認知機能の衰えを邪推する。

しかし、その隠遁生活の真相は、私たちが想像するような悲劇的な衰退とは一線を画している。関係者の証言を繋ぎ合わせると、そこには1人の老人が、自らの伝説を静かに噛み締める、極めて知的で贅沢な時間が浮かび上がる。

彼は膨大な蔵書に囲まれ、かつて愛した美術品を眺め、レイカーズの試合をテレビで見守る。それは、数多の役柄を演じきり、人々の欲望を一身に背負ってきた男が、ようやく手に入れた「自分自身」という名の聖域である。

ジャック・ニコルソンという存在は、単なる名俳優という枠には収まらない。彼は、1960年代後半から始まった「アメリカン・ニューシネマ」という革命の寵児であり、伝統的なスターシステムが崩壊した後の混沌とした時代に、新しい「男の肖像」を提示した革命児であった。

彼が演じたキャラクターたちは、常に体制に抗い、狂気の淵で笑い、そして社会の欺瞞を暴き出した。

アカデミー賞ノミネート回数12回という、男優として史上最多の記録。3度の受賞。それらの栄光は、彼が「虚実の皮膜」をいかに巧みに操ってきたかの証左に過ぎない。

なぜ彼は、あれほどまでに観客を魅了し、同時に恐怖させたのか。そして、なぜ今、これほどまでに徹底した沈黙を守り続けているのか。これから私たちは、ニコルソンの足跡を辿り、その内面に潜む複雑な迷宮へと足を踏み入れる。

そこには、映画史が隠し続けてきた衝撃の出生の秘密、スタンリー・キューブリックら巨匠たちとの死闘、そして、彼が守り抜いた「最後のカリスマ」としての矜持が刻まれている。

ハリウッドが失いつつある「毒」と「知性」の正体を、今、解き明かしていく。



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【1】出自|姉が母であった日

ジャック・ニコルソンの高校時代の写真

 1974年、映画『チャイナタウン』の公開を控えていたニコルソンのもとに、一通の不穏な知らせが届く。タイム誌のリサーチャーが彼のルーツを調査する過程で、驚愕の事実を突き止めたのである。

当時37歳だったニコルソンは、それまで信じて疑わなかった自らの家族構成が、根底から覆される瞬間に立ち会うこととなった。

彼が「姉」と信じて育った女性ジューンこそが実の母親であり、「母」として慕っていたエセルは祖母であった。そして、ジューンの夫だと聞かされていた人物は、実は存在すら曖昧な「義理の父」に過ぎなかったのである。

この事実は、ニコルソンがニュージャージー州の海岸近くで過ごした幸福な少年時代の裏側に、濃密な沈黙と偽装が横たわっていたことを意味していた。

1937年、ショーガールを目指していた17歳のジューンが未婚のまま彼を身籠った際、当時の保守的な社会通念から彼女を守るため、一家は「赤ん坊を祖父母の子として育てる」という決断を下した。

ニコルソンは、真実を知らぬまま「姉」の背中を追い、自由奔放な彼女に憧れながら成長したのである。

しかし、タイム誌の記者がその事実を突き止めた時、既にジューンもエセルもこの世を去っており、ニコルソンは真実を本人たちに問い質す機会を永遠に失っていた。

「私の人生にドラマチックなことが起きたが、トラウマにはならなかった」と、彼は後に淡々と語っている。しかし、この数奇な運命が彼の演技の血肉となったことは疑いようがない。偶然にも、真実が明かされた直後に公開された『チャイナタウン』は、複雑に絡み合った血縁の秘密を暴く探偵の物語であった。

チャイナタウン 当時の新聞広告

ニコルソンが演じたジェイク・ギテスが見せた、虚無感と鋭い洞察力が同居する眼差しは、自らの人生が巨大なフィクションであったことを知った男の、剥き出しの困惑そのものであったのかもしれない。

演技とは、他者の人生を偽装する行為である。しかしニコルソンの場合、演じる以前に、彼自身の存在そのものが家族による献身的な「演技」によって守られていた。

この皮肉な逆説が、彼を単なるスターから、人間の深淵を見通す怪物へと変貌させたのである。

私たちが彼の不敵な微笑みに、どこか冷徹な諦念を感じ取るのは、彼が「真実」というものの不確かさを、誰よりも残酷な形で突きつけられたからに他ならない。


【2】下積み|B級映画の揺りかご

 ニコルソンが俳優としての第一歩を記したのは、1958年の映画『泣き虫殺し屋』であった。しかし、それは輝かしいキャリアの幕開けとは程遠い、低予算B級映画の深淵への入り口に過ぎなかった。

ロジャー・コーマン

ここで彼は、後に「B級映画の帝王」と称されるプロデューサー、ロジャー・コーマンと運命的な出会いを果たす。コーマンの現場は、徹底した合理主義と超低予算によって支配されていた。撮影期間はわずか数日、小道具は使い回し、役者は演技のみならず設営や片付けまでをこなす。

ニコルソンはこの過酷な環境を、自らの才能を研磨するための「実験場」へと変えた。

リトル・ショップ・オブ・ホラーズ

1960年の『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』において、彼は痛みを快楽と感じる異常な歯科患者という端役を演じる。わずか数分の出演ながら、その不気味な哄笑と狂気を孕んだ眼差しは、後の怪演の萌芽を感じさせるものであった。

しかし、運命は容易には微笑まない。

続く10年間、彼は鳴かず飛ばずの状態が続く。出演作はどれも批評家に無視され、興行的にも振るわない。焦燥感に駆られた彼は、俳優としての限界を感じ、脚本執筆やプロデュース業にも手を染めるようになる。

ザ・モンキーズを主演に据えた前衛的な映画『ザ・モンキーズ 覇者の道』の脚本を執筆したのもこの時期である。

この10年に及ぶ「泥濘」の時期こそが、ニコルソンの独自の毒気を育んだ。彼は単に演じるだけでなく、カメラの動き、脚本の構造、編集のテンポといった映画製作の全工程を、コーマンの現場で叩き込まれた。

後のニコルソンが、監督の意図を完璧に汲み取りながらも、その枠を軽々と超えていく「知的な怪物」となり得たのは、この不遇な時代に培った裏方としての視点があったからに他ならない。

彼は、いつ訪れるとも知れぬ「その時」のために、自身の内に秘めた狂気と知性を、静かに、そして鋭利に研ぎ澄ましていたのである。

1960年代が終焉を迎えようとする時、ハリウッドの古い秩序が崩壊し、新しい時代の風が吹き始めた。その風に乗って、ニコルソンという「毒」が、ついに世界へと放たれる瞬間が近づいていた。


【3】ニュー・シネマの夜明け

リップ・トーン

 この伝説的な映画において、ニコルソンの登場は一種の「事故」に近い幸運であった。当初、南部訛りのアル中弁護士ジョージ・ハンソン役には、実力派俳優のリップ・トーンがキャスティングされていた。

しかし、監督のデニス・ホッパーとトーンが激しい口論の末に降板。

製作側で「なだめ役」として動いていたニコルソンに、急遽白羽の矢が立ったのである。当時、俳優としての限界を感じ、裏方への転向を真剣に考えていた彼にとって、これは最後の賭けであった。

(c)Photofest / Getty Images

ニコルソンが演じたジョージ・ハンソンは、自由を求める二人のライダーと、保守的な南部社会を繋ぐ唯一の「架け橋」であった。

スーツにアメフトのヘルメットを被り、酒に溺れながらも、鋭い洞察力でアメリカの正体を語る。特にキャンプファイアーを囲んで「自由」について語るシーンは、映画史に残る名場面となった。

彼はそこで、アメリカ人が自由を口にしながらも、実際に自由な人間を目の当たりにすると恐怖を覚えるという矛盾を、淡々と、しかし凄みを持って指摘したのである。

この演技は、当時の若者たちの心に深く突き刺さった。体制の内側にいながら、その虚飾を見抜き、失笑する。ニコルソンが体現したその「知的なニヒリズム」こそ、新しい時代が求めていたアイコンであった。

アカデミー賞授賞式後のパーティー
(Photo by Frank Edwards/Fotos International/Getty Images)

主役の二人を凌駕するほどの圧倒的な存在感を示した彼は、初の記念すべきアカデミー賞助演男優賞ノミネートを勝ち取る。32歳という、俳優としては決して早くはないスタートであったが、この瞬間、彼は「B級映画の住人」から「時代の代弁者」へと一気に駆け上がった。

『イージー・ライダー』の成功は、ハリウッドの勢力図を完全に塗り替えた。スタジオの重役たちは、自分たちが理解できない「若者の狂気」に莫大な市場価値があることを思い知らされた。

そして、その狂気の中心に常に鎮座していたのが、ニコルソンという男であった。彼は単なるスターではない。崩壊しゆくアメリカの写し鏡として、銀幕に君臨し始めたのである。


【4】『カッコーの巣の上で』

(c)Getty Images

 ニコルソンはこの役で、それまでの「反逆児」という記号的なイメージに、血の通った圧倒的な「生命力」を吹き込んだ。

彼が演じるマクマーフィは、規律に縛られ、去勢されたかのように生きる患者たちを鼓舞し、彼らに失われていた笑いと自意識を取り戻させようとする。一方で、ルイーズ・フレッチャー演じる看護師長ラチェッドは、静かな威圧感と「管理」という名の善意を持って、患者たちの精神を去勢し続ける。

この二人の対峙は、当時のアメリカ社会が直面していた、抑圧的な権力とそれに抗う個人の構図そのものであった。

撮影現場でのニコルソンのアプローチは凄まじいものであった。彼はリアリティを追求するため、実際にオレゴン州立病院の病棟に寝泊まりし、本物の患者たちと寝食を共にした。

彼らの仕草、視線の揺らぎ、言葉の端々に宿る切実な「真実」を、彼はスポンジのように吸収していった。

ミロス・フォアマン

監督のミロス・フォアマンは、ニコルソンの即興性を最大限に生かすため、複数のカメラを同時に回し、役者たちがいつ撮られているか分からない状態を作り出した。その緊迫感の中で、ニコルソンはマクマーフィという男の魂を、文字通りスクリーンへと憑依させたのである。

アカデミー賞授賞式でオスカー像とともにポーズをとるソウル・ゼエンツ、ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、マイケル・ダグラス(1976年)

結果として、本作はアカデミー賞において、作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞、主演女優賞という主要5部門(通称ビッグ・ファイブ)を独占するという快挙を成し遂げる。

これは1934年の『或る夜の出来事』以来、実に41年ぶりの歴史的事件であった。

或る夜の出来事

初の主演男優賞を手にしたニコルソンは、もはや一過性の寵児ではなく、アメリカ映画界の良心、そして「演技という名の抵抗」を体現する至高の存在として、不動の地位を確立したのである。

映画のラストシーン、ニコルソン演じるマクマーフィの意思を継いだ大男のチーフが、重い洗面台を窓に投げつけ、夜の闇へと疾走する姿に、当時の人々は自らの抑圧された魂を重ね合わせた。

ニコルソンは、マクマーフィという役を通じて、死してなお消えることのない「自由への渇望」を世界に刻み込んだのである。


【5】『シャイニング』の狂気

(c)2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 キューブリックという監督は、1シーンに数百回のテイクを重ねることで知られる異常な完璧主義者であった。ニコルソンに対してもその牙は容赦なく向けられた。

キューブリック
出典:https://thefilmstage.com/kubrick-by-kubrick-trailer-the-legendary-director-speaks/

有名な「斧でドアを壊すシーン」では、実際に数十枚のドアが破壊され、撮影は3日間にも及んだ。ニコルソンは元消防団員という経歴を持っていたため、ドアを壊す速度が速すぎて小道具が追いつかず、本物の木製のドアが用意されたという逸話も残っている。

映画に登場する斧の模型。刃の反対側にピッケルがついた「消防用斧」と呼ばれる形状である

極限まで追い込まれた俳優の肉体から、計算を超えた「本物の疲弊」と「剥き出しの狂気」を引き出すのがキューブリックの手法であった。

共演者のシェリー・デュヴァルがキューブリックの執拗な追い込みによって精神的に摩耗していく中で、ニコルソンは驚異的なタフさで現場を支え続けた。彼はキューブリックの意図を完璧に理解しつつ、その冷徹なコントロールの中に、自分にしか出せない「毒」を注入することに成功した。

Archive Photos//Getty Images

劇中、破壊したドアの隙間から顔を出し放ったアドリブの一言「お客様だよ!(Here's Johnny!)」は、当時の人気番組の決め台詞を引用したものであった。

この一瞬の機転が、惨劇の最中にあってもどこか観客を嘲笑うような、ニコルソン特有の「知的な狂気」を完成させたのである。

『シャイニング』(c)2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

しかし、この作品でのニコルソンの演技は、あまりにも強烈であったがゆえに、原作者のスティーヴン・キングからは「最初から狂っているように見える」という批判も受けた。だが、時間が経つにつれ、評価は一変する。彼が演じたのは、単なる幽霊屋敷の犠牲者ではない。

隔離された空間で自己の無能さと対面し、内なる怪物を解き放ってしまう現代人の悲劇であった。眉間に刻まれた深い皺、そして血走った眼光。ニコルソンは、キューブリックという冷徹な神が用意した巨大な迷宮の中で、自らの演技力を極限まで燃焼させた。

結果として、『シャイニング』はホラー映画というジャンルを超越した、人間解体のドキュメンタリーとなったのである。


【6】ジョーカーとスターシステムの完成

出典:https://www.cinemacafe.net/article/2019/09/27/63677.html

 ニコルソンがジョーカー役を受諾するにあたって提示した条件は、当時の映画界に激震を走らせた。

彼は高額なギャランティに加え、映画の興行収入のパーセンテージ、さらには関連グッズの売り上げの一部を受け取るという、前代未聞の「バックエンド契約」を勝ち取ったのである。

当時、誰もが「漫画の悪役」に過ぎないと侮っていたキャラクターに対し、彼は自身のパブリックイメージという巨大なブランドを賭けた。

結果として、映画は世界中で大ヒットを記録し、ニコルソンが手にした報酬は当時の換算で6,000万ドルに達したと言われている。一人の俳優が、作品そのものよりも巨大な収益を生むシステムそのものになった瞬間であった。

しかし、特筆すべきは金額の多寡ではない。

ニコルソンがジョーカーという役柄に持ち込んだ「知的な悪意」の深度である。厚化粧の裏側に潜むジャック・ネイピアという男の悲哀と、化学薬品の槽に落ちて「解放」された後の制御不能な高揚感。

出典:https://www.cinemacafe.net/article/2019/09/27/63677.html

彼は、ジョーカーを単なる狂人ではなく、死を芸術へと昇華させる「殺人狂のアーティスト」として描き出した。

劇中、美術館で名画を汚しながら踊り狂うシーンで見せたあの不敵なステップと哄笑は、彼がこれまでのキャリアで培ってきた「反逆の精神」と、大衆を煙に巻く「道化の知性」が見事に融合した結晶であった。

マイケル・キートン

主演のマイケル・キートン演じるバットマンが静寂を司る一方で、ニコルソンのジョーカーは色彩と騒音を撒き散らし、物語の主導権を完全に掌握した。観客はヒーローの正義よりも、ヴィランの圧倒的な「自由」に魅了されたのである。

ホアキン・フェニックス&ヒース・レジャー&ジャック・ニコルソン (C) APOLLO

ニコルソン以降、ジョーカーという役は、ヒース・レジャーやホアキン・フェニックスといった名優たちが自らの魂を削って挑む「聖杯」のような地位を確立した。

1989年の夏、彼が見せた「黄金の微笑」は、映画における悪の定義を塗り替え、ハリウッドという巨大な集金マシンの頂点に、一人の俳優が君臨できることを証明したのである。


【7】愛と孤独の円環

Jack Nicholson & Anjelica Huston At Oscars
(Photo by Fotos International/Getty Images)

 ニコルソンの恋愛史において、最も重要な座標となるのは、名匠ジョン・ヒューストンの娘であり、女優のアンジェリカ・ヒューストンとの17年間に及ぶ歳月である。

二人の関係は「ハリウッド・ロイヤルティ(映画界の王族)」と称され、知性と情熱が火花を散らす理想的なカップルとして羨望の的となった。

しかし、その内実は、ニコルソンの度重なる不貞と、それを受け入れようと苦闘するアンジェリカの愛憎が渦巻く、極めて不安定な均衡の上に成り立っていた。

1989年、その長い均衡は唐突に終わりを迎える。

ニコルソンが別の女性、レベッカ・ブルサードとの間に子供を授かったことを告白したのである。アンジェリカはこの裏切りを機に、彼の邸宅を去った。

彼女は後に自伝の中で、彼を「人生で最も愛した男」と呼びながらも、その関係がいかに破壊的であったかを赤裸々に綴っている。ニコルソンにとって、女性を愛することは自らを解放する行為であると同時に、自らの「聖域」を侵食される恐怖との戦いでもあった。

彼は生涯で一度しか結婚していない。

アメリカ映画『ザ・テラー』(1963年)に出演したサンドラ・ナイト

1962年に女優のサンドラ・ナイトと結ばれたが、わずか数年で破綻した。それ以降の彼は、特定の誰かの「夫」という枠に収まることを拒み続け、無数の浮名を流した。

しかし、これほどまでに女性を求め、常に誰かを傍らに置いてきた背景には、「出生の秘密」が影を落としているという見方が根強い。

最も愛し、信頼すべき「母」や「姉」が、自分に対して巨大な嘘をつき続けていたという事実は、彼の女性観に決定的な不信と、それを埋め合わせるための過剰なまでの愛の探索を強いたのではないか。

サングラスをかけ、不敵な笑みを浮かべてレイカーズの試合を観戦するニコルソンの姿は、自由を謳歌する男の象徴であった。しかし、試合が終わり、喧騒が去った後、彼が戻るのはマルホランド・ドライブにある広大で静謐な邸宅である。

そこには、世界中の名画や蔵書が並んでいるが、かつて彼を「ジャック」と呼んだ愛する女性たちの気配はない。

「死ぬときは、誰かに看取られたい」

『Closer Weekly』(2015年1月号)

プレイボーイの仮面の下で、彼は常に、自らの魂の根源的な孤独を埋めてくれる「真実の愛」を探し求めていた。それは、映画という虚構の世界で数多の人生を演じてきた男が、最後に辿り着いた、最も人間臭く、逃れられない渇望であった。


【8】『ディパーテッド』、そして静かな幕引き

『ディパーテッド』(c)Photofest / Getty Images

 1997年の『恋愛小説家』において、彼は強迫性障害を抱えた偏屈な老作家を演じ、3度目となるアカデミー賞主演男優賞を掌中に収める。そこで見せたのは、かつての狂気ではなく、孤独な人間が他者との触れ合いの中で見せる、不器用で繊細な「再生」の物語であった。

しかし、世界が本当に待ち望んでいたのは、やはりニコルソンの中に眠る「怪物」の再来であった。

マーティン・スコセッシ

その期待に応えたのが、2006年、マーティン・スコセッシ監督との初タッグとなった『ディパーテッド』である。

ボストンの暗黒街を支配するアイルランド系マフィアの首領、フランク・コステロ。ニコルソンはこの役で、もはや演技の型に収まらない「剥き出しの暴力」と「深淵な虚無」を体現した。撮影現場において、彼は共演したレオナルド・ディカプリオを本気で怯えさせるため、台本にない即興を連発した。

(c)Photofest / Getty Images

突然、隠し持っていた拳銃を突きつけ、予測不能な殺気を放つ。その凄まじい緊迫感は、ハリウッドの頂点を極めた「怪物」が、次代を担う若き才能へとその魂を叩きつけるかのような、凄惨で美しい儀式であった。

コステロという男は、ニコルソンがそれまでに演じてきた「体制への反逆者」が、権力を手にした末に辿り着いた、最終形態であったのかもしれない。

しかし、その圧倒的な咆哮を最後に、ニコルソンは静かに銀幕の最前線から退き始める。

出典:cinematoday

2010年のロマンティック・コメディ『幸せの始まりは』への出演を最後に、彼は一切の映画出演を断ち続けている。

世間では、台詞を覚えるための記憶力が衰えたという健康不安説や、認知症を疑う無責任な報道が飛び交った。だが、彼はそれらの雑音に対し、一切の反論も弁明もしなかった。

彼にとって、演技とは単なる生業ではなく、自らの肉体と精神を限界まで燃焼させる行為であった。もし、自分が望むクオリティの「嘘」を観客に提供できなくなったと悟ったのであれば、誰よりも早く自らに引退を宣告するのは、他ならぬ彼自身であったはずだ。

伝説が汚される前に、自ら幕を下ろす。

半世紀以上にわたってハリウッドを牽引してきた「最後の怪物」が貫いた、最後にして最大の美学であった。

マルホランド・ドライブの邸宅へと引きこもった彼は、今、銀幕という名の喧騒を離れ、一人の「ジャック」としての静寂を、何者にも邪魔されずに享受しているのである。


【9】怪物が残した航跡

(Photo by Jack Robinson/Hulton Archive/Getty Images)

 ニコルソンが築き上げた金字塔は、単なる数字の羅列では語りきれない。アカデミー賞における12回のノミネート、そして3度の受賞。これは男優として史上最多の記録であり、1960年代から2000年代までの各年代でノミネートを達成した唯一の俳優という事実は、彼がいかに変幻自在に時代と添い寝してきたかを物語っている。

しかし、彼が真に偉大であったのは、その「不完全さ」を武器に変えた点にある。彼は美男子でもなければ、絵に描いたようなヒーローでもなかった。

(Photo by Keystone/Getty Images)

剥げ上がった額と、どこか不吉な三日月のような微笑み。その容貌を逆手に取り、彼は人間に潜む醜悪さや狂気、そして救いようのない孤独を、誰よりも美しく、残酷に描き出したのである。

彼が熱狂的なロサンゼルス・レイカーズのファンであることは有名だが、その執着は常軌を逸していた。

彼は自らの撮影スケジュールを、レイカーズのホームゲームの全日程に合わせて組むよう契約書に明記させていたのである。最前列の定位置で審判に野次を飛ばす姿は、ロサンゼルスの風物詩ですらあった。

また、彼の邸宅は、ピカソ、マティス、アンディ・ウォーホルといった巨匠たちの真筆が並ぶ、世界でも有数の個人美術館としての側面も持っている。資産価値にして1億ドルを超えると言われるそのコレクションは、彼の内面に潜む「美への深い渇望」を象徴している。

また、意外な事実として、彼が元消防団員であったという経歴が挙げられる。この経験が、『シャイニング』におけるあの凄まじい斧捌きを可能にした。

さらに、彼が『バットマン』のジョーカー役で得た報酬は、現在の価値に換算すれば1億ドルを優に超えると言われ、一人の俳優が作品の所有権を事実上掌握するという、現代のスターシステムの先駆けとなった。

しかし、これらすべての栄光と富の影には、常に「自分は何者なのか」という問いが横たわっていた。37歳で知った出生の秘密。姉が母であったという衝撃の真実。彼は生涯を通じて、演技という偽装を繰り返すことで、その埋められないルーツの穴を埋めようとしていたのかもしれない。

2019年10月25日:ルー・アドラーとジャック・ニコルソンが、ステイプルズ・センターで行われたロサンゼルス・レイカーズ対ユタ・ジャズのバスケットボールの試合を観戦
(Photo by Kevork S. Djansezian/Getty Images)

ニコルソンが去った後のハリウッドは、どこか正しさに囚われ、毒気を失ったように見える。彼のような「不穏な存在」が許容される余地は、急速に失われつつある。

しかし、私たちがふとした瞬間に、既存の価値観に唾を吐きたくなった時、あるいは絶望の淵で哄笑したくなった時、そこには必ず、あの不敵な微笑みを浮かべたニコルソンの姿がある。

彼は今も、マルホランド・ドライブの静寂の中で、かつて自分が支配した街を見下ろしている。その沈黙は、雄弁な咆哮よりも深く、私たちの心に響き続ける。

参考文献

  • 『Five Easy Decades: How Jack Nicholson Became the Biggest Star in Modern Times』

  • 『Jack Nicholson: The Biography』

  • 『The Shining: A Visual and Cultural History』

  • Academy of Motion Picture Arts and Sciences (Official Records)

  • The Hollywood Reporter (Archived Interviews)

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