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佐藤一斎學びのひろば 訪問記 その2

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。木曜は「コーチング/大学講師絡みの話/教育論、アカデミックな話題」のテーマとなります。

今回の記事は前回の続きです。

実は先週末、大阪は梅田で開催された哲学者の竹田青嗣先生による「哲学の極意ー本質を捉えるための哲学的方法」という講義をお聞きしてきたのですが、その中で竹田先生が面白いことをおっしゃっていました。

それは「哲学には時間がかかる」というお話です。ギリシアも諸子百家も現代哲学も、だいたい成熟までに200年から250年かかっている、というお話で、竹田先生によると、ギリシア哲学の200年をまとめたのがアリストテレス。キリスト教がこのギリシア哲学を一旦、チャラにして、その後、再度、認められてこれが現代物理学の基本の枠組となった。そして、現代哲学はマルクス主義とポストモダン主義がダメにしてしまった、というお話。(竹田先生はフッサールの現象学が再び哲学を復活させると考えられているようですが、この辺の話は別な記事で紹介したいと思います。)

そういう意味では、諸子百家を体系立て、ひとつの思想として整理しようとしていたのが朱子学であり陽明学なんだろうな、そしてそれは日本では明治維新でチャラになってしまったのだろうな、と思ったのです。こういう話が好きな方は、下記から始まる「人類思想史」のシリーズもお好きかもしれません。

さて、話を戻しまして、その朱子学と陽明学の両方を学んだとされる佐藤一斎の記念館の訪問記事の続きです。

ちなみにこの記念館はファンドレイザー観点から見ると、様々な企業が展示物を寄付するという形で関わっていて、とても面白いと思いました。パンフレットはもちろん、実際に展示にも企業名が書かれていて、企業側としては誇らしいのではないでしょうか。

企業によってはこれをきっかけに佐藤一斎の思想を企業研修しているところもあるらしく、きっと素晴らしい企業になりそうだな、と思います。

さて、展示の中でも個人的に最も面白かったのは、こちらの診断マシン。「対話式コトバ診断ISSAI」というもの。

3つくらいのシチュエーションのうち、どの行動を選ぶか、という性格診断のようなものなのですが、その結果からおススメの佐藤一斎の言葉が出てくる、というもの。私の結果は下記の通り。納得の結果でした。

後から聴いたお話では、もともとは、こういう質問に答える形式ではなくAIで表情や動きを読み取って回答が出ることも考えられていたようですが、個人的にはそれはちょっと気持ち悪いので、こういう対話形式の方がいいな、と思いました。

この「探究型」に刺激されまして、いろいろ知りたくなって館長さんにお話をお聞きしている中で、私が「佐藤一斎の学問観や教育観に興味があるんですよね」と漏らしたところ、ちょうど毎月やっている研究会の最終回が当日に行われるということで、急遽、参加させていただきました、という話は前回も書きました。今回はその研究会に参加してのお話です。

60分くらいの講師のお話の後、意見交換と感想のシェアの時間があり、対話型にしようとしているなーというのが伝わって良いな、と思いました。

ちなみに、私が気になったのは、佐藤一斎は、山梨県韮崎市の「行餘館」という学校と、京都府福知山市の「惇明館」にそれぞれ文章を提供していて、その内容に違いがある、というところでした。

ちなみに写真を撮っても良いと言われましたので撮影させていただきました。

「行餘館記」

どこまで正確かはわかりませんが、Geminiに解読させたものがこちらです。

甲斐人宮澤子請譲者志篤而好學以爲其正
井邑亦就而属焉且創其端置一館月數次會
同講習郷子弟言來而學古之學者本學問之
意蓋在於爲其正倡之率之明倫正風因以爲
嘉也因爲之曰古之王者設學校何爲而政傳
焉倫修焉俗厚焉其教民有政而遠之至使無
倫而類於禽獸也後收其放使之知之人愛受
之人固之免是学校之所以設也道即而教亦
在其中矣人心惟危道心惟微惟精惟一允執
其中即聖人之至徳也去其性而復之使其不
失其中心也中也者心之正也性復而得之其
歸中也非以虚害其心也中而實之慮其未發
是之謂精求而正之申以其中是之謂中氣有
其分精求之中是中也中而不可失慎之有分
學先審問思審辨辨行有中固不失之下卒自
不予教随而有倫也以此學皆正俗治家治國
文章功利道相矜不絶校不徒爲講文也學皆
以其外傳天下詞章功利道説相矜不為展相
遲免偽先王盛民淳倫興一家天下学而不興
也相競教設以明倫学廢宜之因後失之学乖
其矣雨也学今減其質凡教以夫挽之随時宜
而創之名館其日行余也其志余学志其道以
郷人來學于此觀其名所以也立其志省其性
正風後振及其餘力古之君子學於郷支是崇
田之務求其実踐之而名立其志省其性成其
全古其寄座支是崇田之務求其実郷此風迷
自是履行康荘之道此風俗後振古将一変道
難遠不知郡康荘之道此風俗後振将一変道
難夫遠及郡邸文化十四年丁丑春三月
江都一斎佐藤坦撰

Geminiによる解読

さらに、これを翻訳させてみました。

行餘館記(現代語訳)

甲斐の国の人、宮澤氏の一門が、私のもとに教えを請いに来ました。彼らは志が篤く、熱心に学問を修め、自らを正しくあろうと努めています。

彼らはこの地(井邑)で共に学び、一軒の館(学舎)を建てました。月に何度も集まり、講義をして研鑽を積んでいます。この郷土の若者たちが、その門を叩いて学んでいるのです。

古来、学問というものは、もともと「自分自身を正す」ためにあるものです。正しい志を掲げ、皆を導き、社会の規律(倫)を明らかにし、良い風習を根付かせる――これこそが学問の本分であり、実に素晴らしいことです。

今回、彼らの求めに応じて、ここに記します。

古の聖王が学校を建てたのは、何のためでしょうか。それは政治の要諦を民に伝え、人としての道(倫理)を修めさせ、地域社会の道徳を厚くするためです。もし教育がなければ、民は政治から遠ざかり、獣と変わらない状態(道なき状態)になってしまいます。

聖王は、民が道を外れることを防ぎ、知識を与え、互いに慈しみ合い、互いに支え合えるようにしました。これが学校を設ける本来の意義なのです。

「道」というものは、教えの中にあります。しかし、現代において「道心(純粋な道徳心)」を保ち続けることは、極めて困難です。人の心は油断すると危ういものですが、道心はか細いものです。 だからこそ、精神を集中させ、純粋に一つに絞り、その中心(中)を見失わないように努めなければなりません。これこそが、聖人が到達した最高の徳です。

自分の中にある純粋な心(性)に立ち返り、他者と親しみ、中庸を得て、危うい心をおさめて安んじる。親子愛、君臣の忠義、夫婦の礼節など、これらはすべて「中(偏りのない道理)」の中にあります。 君子は、感情が発せられる前の静かな状態において、その本性(性)を安らかに保ちます。この「中」をしっかりと守り、心に邪念が入らぬようにするのです。

学問とは、まず物事を審らかに問い、慎重に判断し、弁別することです。そうして得た道理を実践し、決して中庸の道を失わないこと。これが郷土を正し、家を治め、国を治めるための礎となります。

文章を飾る技巧や、功名心、利益を求める心に溺れてはなりません。今の時代、学問が形骸化し、本来の道から乖離していることを憂います。 だからこそ、今の時代に合った新しい学び舎を創り、「行余館」と名付けました。これは『論語』にある「行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ(人としての道を実践した上で、なお余力があれば学問に励む)」という精神を志すものです。

この館の名には、単なる知識の習得にとどまらない、深い理由があります。自らの志を立て、本性を省み、良い風習を振興させる。そして、日々の実践の余力をもって、さらに広く学びを深める。 古の君子たちが郷土で学び、その徳を崇め、務めを果たし、その誠実さを世に示したように、この行余館から新しい風が吹き、この地が平和で豊かな道へとつながることを願ってやみません。

文化十四年(1817年)丁丑の春三月、江都の佐藤坦が記す。

Geminiによる翻訳

「惇明館記」

こちらは現地になかったので、下記のHPより画像をもってきました。

同様に、Geminiに読み込ませてみました。

福知山禿巌之始立也篤志治務欲躬行
以先士民其教化之本在學故也乃
營一館於城西以爲講習之所選近人
村任學職使諸子弟日就業於此其
館曰惇明和徳壽公在天明中既有費
舍之學時病其名将用其遺意乃以此名之
而公刑造実今從其遺意乃以此名之
事在久文化二三年乙丑筴既而禿巌以病
致仕二十餘年物換時移而此館諸般
今幾絶断其於學政也将関其末盡
予以此名與其所以備未有記因屬坦記其
旨以名館與其所以備未有記因屬坦記其
所以謂惇明也以諗士子也予最厚嘗
愛今日之撤安可辞我乃為之言曰学校
之設可以講明夫人道也人道有五曰父
子曰君臣曰夫婦曰長幼曰朋友此天
之達道也其徳有三曰智曰仁曰勇此天
下之達徳也其所以講明者仁齊五曰時
學目也古之教者以此謂曰篤行此為學
之僚目也古之教者以此為講成而村
立而人倫明而上而小民親下乃至上下相輯而
信以惇礼相興而義以明士民奮然興
起於仁讓之風者其不此之録予書曰
惇明義先之移取以名意蓋以此士
于其不可不和何從事雖猶備有可言者
若不学而立口耳講説而巳故其聞見之博
講説之辨而悔恃於学故其問見之博
故其博辨而無補乎教化滿一則学校之
弊為虚提焉耳其心必以身心講明
其心則明者悉起居食息無不可通而
明也也予從道而則也則也
惇明之館也士子其視家以為此
館可也視國以為此館可也視天下以為
此館可也此則余之所以諗士子而乃
今受之可以望於士子即
其識之我       識之哉
天保二年辛卯十月中澣
江都佐藤中ノ目坦記

Geminiによる解読

こちらも翻訳させてみました。

福知山藩において、禿巌(とくがん)氏がこの館を興した当初の志は、藩の政務を司る者こそが、自ら正しい行いを実践すべきであるという信念にありました。 武士(士)や領民(民)を教え導く根本は、学問をおいて他にないと考えたからです。 そこで城の西側に一棟の学舎を築き、切磋琢磨の場としました。 さらに、村々の情勢に通じた者を学問の指導役(職)に任じ、若き藩士たちを日々通わせて学業に専念させたのです。 そして、この館を「惇明(じゅんめい)」と名付けました。

かつて天明年間には、藩主(徳寿公)のもとで学問が奨励されていましたが、その後、予算の枯渇とともに途絶えてしまいました。 学問の火が消えることを憂いた禿巌氏は、先人の遺志を継ぎ、この「惇明」の名を再び掲げることで、藩の教育を再興しようと決断したのです。 文化年間、彼が病で役職を退いてから二十余年が過ぎていました。 時代の変遷とともに、この館も再び存続の危機にありましたが、彼は学問の灯を絶やさぬよう、その基盤を整えることに尽力しました。 しかし、この「惇明」という名の真意を記した公的な記録が欠けていたため、私にその意義を書き記し、後進の士子たちに指針を示してほしいとの依頼があったのです。

私はかつて、彼からこのような真意を聞いたことがあります。 「学校を建てる目的は、道理を明らかにすること(明)にある。そもそも人の守るべき道(人道)には、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友という『五倫』がある。これは天が定めた普遍の理である。また、それを体現するための徳には、智、仁、勇という『三達徳』がある。 藩士たちがこれらを学ぶ際、常に肝に銘ずべき指針が、『惇(まごころを厚くすること)』『明(道理を明らかにすること)』『篤行(誠実に実行すること)』なのである。

古の賢明な教育者は、これらを何よりも重んじた。 これらを学び、実践することで、藩内の秩序は盤石になり、人の道が明らかになる。 上が民を慈しみ、下が上を敬えば、心は一つに結ばれ、互いの信頼は揺るぎないものとなる。 礼節が尊ばれ、正義が明示されれば、士民は奮い立ち、互いに譲り合う『仁譲』の気風が藩全体に満ちあふれるであろう。

これこそが、私がこの記文を認める理由である。 学ぶ者たちよ、この『惇明』という名が、単なる形式的な命名ではないことを深く自覚せよ。 もし、単に知識を蓄え、口先だけで論じることに終始するならば、それは武士としての真の学問ではない。 広く知識を求め、深く思索し、過ちがあれば直ちに正し、自らを厳しく律して励むこと。 表面的な虚飾を排し、心身を一つにして『惇(あつ)く』『明(あきらか)』であることを保つことこそが、学問の本義である。

日々の立ち居振る舞いから、食事、休息に至るまで、この『惇明』の精神を忘れてはならない。 私はこの道に基づき、諸君に訓戒を授ける。 惇明館に集う士子諸君は、この館を自らの『家』とし、自らの『藩(国)』とし、さらには『天下』そのものと心得て、その教えを広めていかねばならない。 これこそが、私が諸君に託す期待であり、この館の存在意義なのである。

天保二年(1831年)十月 江都にて、佐藤中ノ目坦、記す。

Geminiによる翻訳

個人的に何が面白いと思ったかと言えば、ネットで調べてみたところ、「行餘館」は農村の子弟のための学校、「惇明館」は藩校、つまりは武士のための学校だった、ということです。そのため、佐藤一斎のメッセージにも若干の違いがあるな、というのが面白かったのです。

農村の子弟のための学校である「行餘館」は自ら学んで実践し、その学びを広めることに教育の意義を求めています。トーンは割と気楽と言いますか、学ぶことの素晴らしさを訴えているような文章です。

一方の武士のための学校である「惇明館」では「藩内の秩序は盤石になり、人の道が明らかになる」「『仁譲』の気風が藩全体に満ちあふれる」と、よりマネジメント視点というか、リーダーシップの視点が強調されています。そしてメッセージもやや厳しいものを感じます。「単に知識を蓄え、口先だけで論じることに終始するならば、それは武士としての真の学問ではない。 広く知識を求め、深く思索し、過ちがあれば直ちに正し、自らを厳しく律して励むこと。 表面的な虚飾を排し、心身を一つにして『惇(あつ)く』『明(あきらか)』であることを保つことこそが、学問の本義である。日々の立ち居振る舞いから、食事、休息に至るまで、この『惇明』の精神を忘れてはならない。 」など、相当の覚悟を要求しているような文章になっています。

それぞれの立場によって学ぶべき目的が違う、というのに合わせた文章になっていて、こういうところに佐藤一斎という人の思想が透けてみえて面白いな、と思ったのです。もしかして、佐藤一斎が武士を捨て、学問探究に向かったことも関係しているのかもしれませんね。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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