甲田烈さん対談「誰が地球を語れるのか」第0回~話題提供
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
御覧いただき、ありがとうございます。
今日は夏至、そして週明けに天盤切り替えのタイミングということもありまして、今日は新しいチャレンジとして、連載記事の予告、というのをアップしたいと思います。
内容ですが、下記の対談イベントの文字起こししたものの、再編集版となります。
対談相手の甲田さんのお写真とプロフィールはこちら。

1971年、東京生まれ。東洋大学博士後期課程単位取得満期退学(仏教学専攻)。研究・関心の領域としては、比較思想・トランスパーソナル心理学
・メタ理論研究・妖怪学。相模女子大非常勤講師を経て、東洋大学井上円了研究センター客員研究員を務める。
関心領域につき、不定期でレクチャーを開催。単著に『手にとるように哲学がわかる本』(かんき出版)、『水木しげると妖怪の哲学』(イーストプレス)、共著は『インテグラル理論入門Ⅰ&Ⅱ』(春秋社)。主な論文に「往還存在論の試み」(『たぐい』vol,2)、「井上円了と民俗学」(『論集 井上円了』教育評論社)、「円了妖怪学における真怪の構造」(『国際井上円了研究』第二号)、「妖怪の存在論」(『トランスパーソナル学研究』第一四号)など。}
甲田さんもまた、非常に博学で様々なことに精通していらっしゃって、それがゆえに個人的には、ケン・ウィルバーのインテグラル理論を語れる数少ない方であると感じています。
また、妖怪の理解者でもあり、そういう意味でも親近感が湧きますw
ちなみに下記が昨年、著作にいただいたサイン。河童認定されて嬉しいですw

この機会にと、甲田さんにもnoteのアカウントを作っていただきました。是非フォローよろしくお願いします。
この対談は、note上のマガジン、「楽々樂考」の最初のコンテンツとして企画されたものです。
固定化され、分断され、流れる方向が決められた学びではなく、自由に越境する学びの体験を、是非、記事で追体験していただければ、と思います。是非、下記のマガジンもフォローよろしくお願いします。
さて、この対談の冒頭は、先ほどもリンクしました下記の記事を私が紹介するパートとなっています。
ということで、上の記事を読んだ人にとっては繰り返しの内容になってしまいますので、今日はイントロダクションとして、その話題提供のところだけをアップし、次回から甲田さんに話していただくことにします。
なお、連載記事ということで、実際の本文の方は、アップされ次第、下記にリンクを入れていきます。
(以降、各記事へのリンク予定)
プロローグ~まずは「地球」について考えてみた!
─ 皆さん、「地球」って知っていますか? 聞いたことあります? ありますね。では、「地球」って何ですか?
まず「地球」という言葉、誰が言い出したのか?
日本語ですと、地面の「地」に球体の「球」で「地球」と書くわけですが、これを誰が言い出したのか、という話なんですけれども、調べると17世紀のマテオ・リッチというキリスト教の宣教師が中国に世界地図を持ってきた時に、これを中国語して訳した時に「地球」と訳したと。それが最初だったらしいですね。だから最初の地球って言葉は、言ってみれば平面のものだったわけです。「球」って言っているけどね。
じゃあその地球の元になった英語の”Earth”の語源はどこなの?というのを調べたんですね。この場合、辞書には紀元前1400年後に使われていますと書いてありますけど、これ、出典調べることができなかったです。1400年頃、多分古代エジプトの話をしているんだと思うんだけど、古代エジプトにおいて、その地球を惑星として考えたっていう話はちょっと私は調べられなかったので、この辺はちょっと詳しい人が調べて欲しいと思いました。
もうひとつ、”Globe”という言葉も「地球」と言う人がいるよねと思うんです。「グローバル」も”Globe”という言葉から来ていると思うんですけど、では、この”Globe”と”Earth”って何が違うの?と。この英語の違いを調べたところ、どちらも地球なんだけども、”Globe”というのは地球が丸い球体だよっていうのを言う時。それはそうですよね。もともと”Globe”は「球体」という意味ですからね。でも”Earth”の方は地球が土とか岩石からできている、そういうものであるって、その自然のもののことをイメージしているっていう。そういう使い分けを僕もしてるらしいという話ですね。だから、”Earth”の方には「グローバル」みたいな意味ってないんですよね。”Globe”はグローバルなんで、丸だからみんな、全体。そこにみんながいるよね、みたいな包括するような意味に使うんだけど、”Earth”は単に地面のカチカチの岩石のこと、という話ですね。
もう一つ、さっき中国で、地図が平面って話をしましたけれども。実は中国は最近まで球体と思ってなかったという話があります。もともと地球平面説っていう考え方が昔からありまして、これもnoteに書いていますけど、時期は17世紀まで、とありますので、結構最近までですよね。中国では地球は平面であるという風に考えられていたと。つまり世界思想史的に見ると、平面という考えの人と球体の人がいて、それが世界全体で時代的に平面から球体になったわけじゃなくて、それぞれの文化によって平面になったり文化によって球体になったりという風に、認識がそれぞれ違ったという話なんですね。
時代をさかのぼって古代ギリシャのプトレマイオス。オリエントの人ですね。ポイントなんですけど、プトレマイオスは天体が運動していると言ったんだけど、つまりは天動説なんですね。天が動いていて、それで天体が運動しているという天文学だったんです。皆さんも最近アニメとか漫画で『チ』をやっていますけれども、地動説っていうのは、かなり後の方から出てきているということです。
ただ、実は地動説の考え方にはもう一個あって、中国の地動説というのもあります。この中国の地動説っていうのはnoteにちょっとややこしいことを書いていますけども。天があって地があって、そのとき、天は傘になっていて、天が球体で天の球体が卵の形をしていて、大地は平面なんですよ。世界は卵、大地は平面。という組み合わせで動いているっていう中国の天文学の考えだそうです。これはさっき言った17世紀まで続きます。天は球体だけど大地は平面というモデル。
そんな感じで、ま、人間が観測する地球とか宇宙とかいうものの考え方って一定ではなくて、ま。コロコロコロ変わってきているというのが現状ですね。
で、そこからですね。地球というものをまとめて話しましょうみたいな風な思想が出てきたのが1960年代ぐらいかなというふうに見ています。これ後で甲田さんにももうちょっといろいろ深掘りしてもらいたいと思うんですけど、ガイア理論っていう、いわゆるニューエイジの思想ですね。ラヴロックさんですね。皆さんご存知かな?これは、地球は巨大な生命体なんだっていう思想なんですね。なんていうかな。松本零士の『銀河鉄道999』に実際に意思を持つ惑星みたいな話もありましたが、実際には、まあ、今では本当に生命体だとみなされてないんだけど、やっぱりシステム的に全てがつながって動いている生命的なシステムみたいな感じで地球が動いているんだ、みたいな考え方は、後の地球システム科学とか生物、地球科学とかに影響を与えました、という、そういう話です。このガイア理論の提案時は、生物と環境相互作用の仮説で、全体を維持しようとするホメオスタシスがあるという話だったけれども、このガイア理論はいわゆるスピリチュアルの方に行った時になんか地球には魂があるみたいな話に、話が進化していったこともあります。
今回の資料で私が注目したのが、「宇宙船地球号」という言葉もですね。なんか24時間テレビとかそっち方面に行くと、地球を守らなきゃいけないみたいな話の文脈で出てくるんですけれども、どうもですね。この言葉を最初に言い出したのはバックミンスター・フラーなんですけど、どうもフラーが最初に言ってるところを読むと、地球っていうのは、要するに閉じられた世界で。 太陽の周りを公転し。銀河系の太陽系自体も銀河系の中で動いているので、つまり我々はこの地球という宇宙船で旅をしているようなものだっていう風にそう言っただけだったみたいなんですよ。ところが、それをなんかいつの間にかこう、我々は一つの宇宙船に乗ってるんだから地球の環境を守りましょうみたいな話にちょっと変わって捉えられていったっていうような方があるような感じで受け取っています。
で、その後、皆さん、ローマクラブって聞いたことありませんかね?これは、『成長の限界』というレポートを出しまして、実は、この辺の地球についての語りのように見えるんですけれども、実は地球を語ってないんですね。何を語っているかというと、あくまでも人類の話をしてるんですよ。 地球がどうのじゃなくて、人類がこのままだとまずいよねっていうそういう話なんですけど、そのまずいっていうのは何かっていうと、人類が争っているところで、その時に、全地球的な人類の根源的大問題をみんなで考えようとすれば、地球の人々が、つまり人類がまとまるんじゃないかという発想だったようです。共通の敵に対して人類がみんなで仲良くできるんじゃないかという考えを前提に、問題設定のために、どうもこのローマクラブは「成長の限界」ということを言い出したというふうに書いているということですね。
もう一つ言っておきたいのは、P・ドラッカーについて、最後、語りたいんですけど、ドラッカーもこういうことを言っているんです。『新しい現実』の中で、「今後ますます生態系、つまり危機に瀕した人類の生存環境の保護を政策に織り込むとこが必要になってくる」ということなんですね。 ところがですね。これ、ちょっと調べたらややこしいんですけれども、日本語の訳語の問題があってですね。『新しい現実』は「グローバル経済と地球的環境問題」という翻訳になっているので、あたかもドラッカーは地球について語っているように見えるんですけれども、原著を見ると”trancenational-ecology”と書いていて、別にこちらも地球について語っているわけじゃないんですね。環境について語ってはいるんだけど、地球について語ってないんですね。翻訳者の方がどうも”trancenational”を地球と訳してしまった、と。そして、ドラッカーはこう言ってます。
我々は、いまだに人類とは別の人類から切り離された何者かを守るという意味において環境保護という言葉を使っている。しかし、今日危機にされているのは人類そのものの生存状況である
あのローマクラブも引き続き、冷戦構造が崩壊したものの、世界機能ブロック危機や飢餓や貧困の広がり、地球環境問題の振興家テロなどあるので。なので、統合的、体系的な立場に人類共通の問題と対する地球的開発が不可欠なので、第一次地球革命という文章を出したんですね。
私たちが団結する強敵を爆発する中で、公害。地球温暖化の脅威。水不足基金などが当てはまらないかと考えた。これらの現象は、全体として、また相互作用として共通に脅威であり、皆が一丸となって立ち向かわらなければならないのである。しかし、これらの危険を敵とすると、すでに読者に警告したように、症状を原因と勘違いしてしまうと罠に陥ってしまう。これらの危険はすべて自然のプロセスでの人間の介入によって記憶されており、それを克服することができるのは、態度や行動を変えることによってのみである。真の敵は人類それ自身である
というふうに書いてあって、これが1991年ですよ。人類がもっと生存を伸ばすためには何とかしなきゃいけないという話なんですよ。だから、地球のためにとか地球をどうのこうのとじゃなくて、人類が生き延びるためにという話ですね。
noteにリンク貼りましたが、これは今回は動画を流しませんけれども、南極で氷が溶けるグラフっていうのが環境破壊の象徴みたいに言われていますが、実はよく調べると一方的に溶けているわけじゃなくて、溶けている時と氷が増えている時の差が大きくなって、だんだん振れ幅が大きくなっている。そのグラフの下の部分、溶けているところだけのグラフを切り取って、氷が溶けていると危ないっていうことを言っている。とか、そういう話を言っています。つまり、どうも地球が活発期に入っているような感じはありますが、他にもSDGsなんてことを言っていますけれども、先進国が豊かさを享受した後に、発展途上国にはそれを我慢しろ、というのはどうなのか、という批判もあったりします。
つまり、ここで言いたいのは、実は、人が「地球」という言葉で話しているように見えるものも、実は話しているのは「人類」の話をしていて、つまりは人の話をしている、ということです。最近、大学で教えるようになって知ったんですが、若い人にはなんかこう地球のことを考えるとか環境を考えるというのを大人が押し付けているけど、そもそもの大人はですね、割と人類が生き延びるためにとか、人々がもっと幸せというかを追求するためにみたいなことを言っている、と。つまりは、何が言いたいかというと、私と甲田さんはどちらかというと人類というより妖怪寄りなので別かもしれないんですけども、それ以上、人類バイアス無しに語れる人は、人間としてはいないんじゃないかと。結論としてはもう妖怪かフラーぐらいしか、地球そのものと対話できる人はいないじゃないか。そういうようなことを考えたという、ちょっと非常に乱暴な前振りでございます。
私の話の全部を理解する必要はないと思うんですが、こういうデータを持ってきました、というのが私からの話題提供で、この後、甲田さんが持ってきていただいた話がありますので、ちょっとそれを皆さんお聞きいただければと思います。すいません。駆け足ではございますが、ここで私のパートは終わらせていただきます。(次回に続く)
現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。
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