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甲田烈さん対談「誰が地球を語れるのか」第1回 ドラッカーと環境問題/インテグラル理論と『ティール組織』と『リジェネラティブ・リーダーシップ』/日本の天下り問題はなぜ起こる?

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。現在、連載記事をアップしております。下記の対談イベントの文字起こししたものの、再編集版となります。

この対談は、note上のマガジン、「楽々樂考」の最初のコンテンツとして企画されたものです。

固定化され、分断され、流れる方向が決められた学びではなく、自由に越境する学びの体験を、是非、記事で追体験していただければ、と思います。是非、下記のマガジンもフォローよろしくお願いします。



前回の記事はこちら

ドラッカーと環境問題

甲田 烈「今、お話を伺っていて、僕もあのnoteの記事を見せていただいた段階で、今回、このお話をいただいて、ちょうどバランスが実は取れるなって思っていて、今、ご提供いただいた話っていうのは地球についての話ですよね。今日は「誰が地球を語れるのか?」ってタイトルなんですよ。これはいただいたタイトルなんですけれども、僕は直感的にいいなって思ったのは、「地球ってのは何?」とコンテンツというか内容について語られ、それに対して、「誰が語れるのか」って「誰?」というところがあるわけですよ。今、人類って話をおっしゃった。もう妖怪くらいしかいないんじゃないかって話をされていましたけれども。じゃあ地球を語る時の誰とは誰なのかという方向からの話を僕の方からちょっとできればいいかなって思ったんです。

で、せっかく対談の機会でもあるので、その話にちょっと入らせていただく前に振っておきたいんですけれども。確かに『新しい現実』の中で、地球については語ってないんですよね。確かにドラッカーは環境問題についてあまり積極的には論じていないみたいな話も伺って、僕もにわか勉強で調べたんですよ。二日前ぐらいまで色々調べていたら原本までは見当たらなかったんですけれども、1990年代に環境倫理のバイブルみたいな本が訳されていて、それは『環境倫理』という上下巻の本で、シュレーダー=フレチェットという人が編集されている本の中で、割と論点が網羅されている本なんですけれども、その中にドラッカーの論文というのがあって、原題が“Saving the Crusade”、「十字軍を救え」という意味深なタイトルなんです。 邦題だと、「環境十字軍の活動には敬意を表するがしかし」というちょっと含みのある、かなり意訳的なタイトルになっているんです。要するに環境問題、環境問題って言っているけれども、あなた方、大丈夫なの?という論旨なんです。そこで問題提起しているのは、まあドラッカーらしいんですけれども、確かに環境問題ってあげていて、誰もが反対してないであろう、と。

 彼がこれを書いたのは1970年代だからちょうどローマクラブのレポートが出るなど環境問題が立ち上がってきたそういう時代背景なんだけれども、彼が言うには、優先順位をつける必要があるよねと。つまり総花的にいろんな問題をばーっと解決しようと思ってもダメで、どこから手をつけたらいいんですか?というのは考えなきゃいけないよねと。そうじゃない限り、環境運動って挫折するよ。みたいな論旨なんです。これは僕も実はそうだなって思っていて、先ほどちょっと出たSDGsなんかも。僕はちょっと疑問点があるなって思っているのが、勉強すれば、誰も反対できない。総花的に全部出ていて、どれからやったらいいんじゃい、っていう意思決定状態に陥って、結局関心が薄れてっちゃうんじゃないかっていう気がするわけです。

 もうちょっとだけ話すと、ドラッカーの『新しい現実』と“Saving the Crusade”で共通して彼が提案しているのは、アメリカは奴隷労働を止めさせた。なぜかというと、子どもの労働によって作られた商品ってありますよね。これを輸出することを法律で禁じた、と。そうすることで結果的に児童労働はなくなる方向になった。こういうような形の政策が必要だって言っていて、ドラッカーらしいというか、魅力的な提案の一つと言う風に僕は取ったんですよ。このあたりのドラッカーのその環境について語らないながらも論点の変化っていうのと今の提案とかっていうのは、どのように捉えますかね?

─ ありがとうございます。私の考えですけど、ドラッカーが一番、嫌うのはやっぱり人の自由を奪われるっていうことを結構、嫌うんですよね。 もともと彼はナチスドイツがやっぱり許せなかったというとこからスタートしたということもあります。なんか。ドラッカーだからナチスドイツがある意味、社会として機能していたことにすごい危機感を覚えて、ああいうのが世界に広がってしまうと、みんなの自由がなくなるっていうことを恐れていたというとこあるんですよね。いわゆる全体主義というかね、経済的にうまくいってないのを見て良かったなって話なんですけど。だから、逆に言うと、環境を旗印にしてやっぱり自由を奪うような統制をするっていうことは、ドラッカーの思想としてはあんまり望ましくはないとは思っていたと思うんですよね。そもそも論として。

一方で環境については、一つには、彼の限界というか、彼の限界って、これはローマクラブも同じだと思うんですけど。彼の言葉って、結局、届く範囲と届かない範囲があるんですね。例えば、彼はマネジメントというものがうまく機能すれば、ああいうナチスドイツみたいなことが起こらずに、みんなが自由でいながら生産性の高い組織が作れるよっていうことを目指してマネジメントを研究してたわけですけれども、実際にはですね、あのウォール街の金融の流れがあってですね。つまり、会社自体を、事業自体を商品として売り買いする人たちに彼の思想を届けることはできなかったんですね。

なんで、その声の届かない範囲を超えるってことは結構、意識されていたと思うんですよね。なので、ドラッカーはこの環境問題みたいなことが、いわゆる、そういうその言葉が届かない人に言葉が届けられる可能性があるとは感じてはいたと思うんですよ。だけど、同時に全体主義になる危険性も感じたと思います。

十字軍の話が出ましたので一応、説明を入れておきます。十字軍というのはどういうことかっていうと、簡単に言うとイスラムの国々が勃興していって、ユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からイスラム教が生まれているわけですけども、そのイスラム教がどんどん広がっていっていった時に、それに脅威を覚えたキリスト教徒たちが、イスラムは邪神というんですかね。宗教としてはダメだと。なので、彼らを倒すと。彼らと戦争して、且つそれがキリストの意に沿うことだって言って、バンバン人殺しをしていったっていうですね。これが十字軍という話だと思うんですけど。

だから、環境の名のもとに人を不幸にしたり、人の自由を奪ったりっていう。そういうことをドラッカーは嫌がっていて、だけど、さっき言ったように、みんなが全体のことを考えるのはバランスを考えるのはいいことだと思っているから、そこら辺でそういう書き方になっているのかなというふうに聞いていて思いました。

インテグラル理論と『ティール組織』と『リジェネラティブ・リーダーシップ』

甲田 烈「ありがとうございます。その辺の話っていうのも、今日はちょっと重要な論点の一つにあるなと思って。 その辺っていうのは、要するに言葉が届く範囲っていうのは、言葉を届けてどのようにしていけばいいのかっていうのは一つ、僕も問題点としてあるなと思っています。

先ほど総花的になっちゃうと誰にも届かないし、引いちゃうよっていうのがありますし、全体主義の問題点っていうのは一つ、僕からも挙げるとすれば、あの自分だけ特別だとかね。お前どこから語っとるんやみたいな、それこそ語りとか権力の位置みたいなところにあるはずですよね。それこそバランスで成り立ってる中で、あるところが突出しちゃって、それがこれが全てなんだみたいに語っちゃう。あるいは誰かを抑圧していくっていうのは、ここが問題であって、要するに、自分自身がどの位置から語るのかっていうのが非常に重要だなって僕は思っていて、今日、これあの、クラファンで関わってくださった方も何人かいらっしゃるようですので、『リジェネラティブ・リーダーシップ』という本があって、今日はこの本もちょっと踏まえつつ、と実は思ったんですね。

せっかくのこの会ですからで、本の細かい解説をするっていうよりは、この本の元になっている元ネタって言ったらいいのかな? インテグラル理論っていうのがあって。僕は割とそれを勉強させてもらってきたんです。

─ ケン・ウィルバーですね。

甲田 烈「ケン・ウィルバーのインテグラル理論ですね。それが元にはなっているんですけれども、そこでウィルバーが強調していたことっていうのが大事な点が、結構、抜け落ちてるなって思っていて、実はこの本に対して、辛い評価ををせざるを得ないから、皆さん申し訳ないっていう感じで、後でちゃんとフォローもしますのでって感じなんですけれども。

─ あ、そうなんですね。一応、甲田さん、今のところでちょっと補足しておきたいんですけども、二つ。今のところで二つですね。

一つはあの全体主義の問題というところに関して、竹田青嗣さんがおっしゃっていて面白かったんですけど、全体主義とか共産主義の本当の理想の姿って、要するに支配者がいない姿のはずなんですよね。全体主義って言っているんだから。だけど、ホップスが言った、支配層が三割強で、残りの人が非支配層っていう構造ってほとんどの人類の歴史の上でも変わってないっておっしゃるんです。全体主義は、本当はそれをなくすはずだったんです。やり方は違うんだけど、結局、同じ支配モデルを使ってしまっていたので革命にならなかったから、竹田青嗣さんは、それでマルクス主義を捨てたっておっしゃっていて。だから結局、全体主義って言っても、支配者がいる限りにおいてはその理想形にはならないっていうことが言えるのではないか、というのが一つですね。

参考記事)

もう一つインテグラル理論とケン・ウィルバーという話で言うと、今回ね、『リジェネラティブ・リーダーシップ』が影響を受けているというお話でしたけれども、その前に『ティール組織』っていう本が以前に流行りまして、結構、売れましたけど、その『ティール組織』の英語版だと序文、日本語版だとあとがきにケン・ウィルバーが文章を寄せてまして、実は『ティール組織』の作者のF・ラルーがですね、ケン・ウィルバーの影響を受けて、なおかつ理想的に考えてたのがケン・ウィルバーの理論で、それがまさに今、甲田さんがおっしゃったインテグラル理論で、だから結局、『ティール組織』の考え方とも、多分、今回の『リジェネラティブ・リーダーシップ』のリーダーシップの考え方はつながってるんじゃないかなと聞いて思ったということを、補足でコメントしました。どうぞ甲田さん続けてください。

甲田 烈「うんうん。 ありがとうございます。先ほどの全体主義の話って、僕もちょっと経験的な思い出話なんですけれども、あの、だいたい高校に入るぐらいまでかな。僕は今まあインド哲学だとかそういうことに興味持ってどっちかっていうと心の内側というか内面と、まあ仮にそう名付けておきますけど、に関心持っているんですけど、その頃まではどちらかというと、将来は社会活動家になりたかった。

─ え、そうなんだ!

甲田 烈「好きなんです。で、何を読んでたかっていうと。 鄧小平とかマルクスとか幸徳秋水とか。まあ嫌なガキだったわけですよ(笑)。」

─ いえいえ、エリートっていうか、頭の良い感じの雰囲気が漂ってますけど(笑)。

甲田 烈「そういうことをやっていて、で、当時ソ連というのがありましたから、「ソ連に騙されるな」って演説をしていた日本愛国党の赤尾敏の演説を数寄屋橋に聞きに行ったりしていました。」

─ わはは(笑)。

甲田 烈「そういう無茶苦茶な。まあ青年だったんですけれども、でも。 その時にマルクスとか触れて読み込んでて思ったのは、これは確かに、能力に応じて働いて、必要に応じて受け取る社会は素晴らしいかもしれないけど、これは相当、人類が成熟しないと、これ無理だぜって思い始めたんです。で、尻尾を掴んだって思ったのが『共産党宣言』ってマルクスの、」

─ マルクスとエンゲルスの。

甲田 烈「そう。パンフレットがあるんです。労働者用の。で岩波文庫で訳されてこんな薄い本ですけど、何書いてあるかっていうと、これまでの人類の歴史は階級闘争の歴史であったと。要するに、先ほどの3割7割じゃないですけど、支配者と絶えず争いを続けていて、それが今、資本家と賃金労働者ということに移行しつつあるぜ、というような話をしていて、ただ、その後にこれは「人類の前史」である、と書いているんです。だから、人類の歴史自体、階級闘争をやっている間は始まっちゃいないぜって。実は「人間」自体が始まっていないのかもしれません。で、そこで、尻尾掴んだって思って、まあそれからマルクス主義がちょっと離れたっていうか」

─ あははは(笑)。これも、さっきの竹田先生がおっしゃっていたんですけど、エングルスは、もともとあのイギリスのあの裕福な町工場の社長の息子だったんですって。

甲田 烈「うんうん。」

─ で、あの、なんか自分のお父さんが持っている。町工場の会社に行ったら、なんかこうみんな奴隷のように働かされているのを見て、それで『共産党宣言』に行ってるっていうね、すごく恵まれた人だったっていう話ですね、もともとね。

甲田 烈「だからエンゲルスはマルクスのサポーター役っていうか経済的な援助とかをしていて、マルクス自体、新聞記者やったりとかコラムニストみたいに仕事をしてたんだけど、まあ亡命したりだとか。まあ貧乏な生活だったんで、エンゲルスが理解があって知ってたし経済的な支援をしていて、資本論も三巻本で今出ているけれども、一巻だけをマルクスが書いた。」

─ あ、そうなんだ。

甲田 烈「三巻までは完成させられないで亡くなったんだけれども、エンゲルスは後の仕事を自分が引き継ぐぜって言って編集したんです。その評判が良いとか悪いとか、歴史で変遷があるんだけど、そういう背景がありますね。」

─ でも今の甲田さんの話を聞くと、結局、今、コーチングや人材育成界隈でも話題になっている発達段階理論ですよね。そもそもあのさっきの『ティール組織』も発達段階が6段階の人間しか作れないとかって書いていて、一方で、キーガンの成人発達理論を読むと、えーれ、6段階目の人は人類で0.01%しかいないって書いていて、あの、だからすごいリアルな話を書いてる本だなと思って読んだんですけどね。

甲田 烈「『リジェネラティブ・リーダーシップ』の話にここから行くわけですけれども、僕がこういう本を読んで、『ティール組織』もそうだったんですけども、結構、疑問に思っているのは、発達段階的に小さいころから始まるわけですよ。これは人間は「おぎゃー」と生まれて死ぬまでっていうのは変わらないので、要するに発達段階が低いと言われている段階でも、通らなきゃならない。」

─ そうですね。はい。

甲田 烈「心理学的には、少なくとも。」

─ うんうん。

甲田 烈「だから、積み重なっていくのであって、下の方を疎かにするとバラバラって崩れるんですよ。」

─ はいはい、わかります。

甲田 烈「あの、これ笑いのような本当の話ですけれども、なんとうちの古家がですね。耐震基準にこの間かかりまして、補強しなきゃならないとかで、なんと補強する必要があるのが私の書斎だったんです。」

─ あらら。危ない。

甲田 烈「多分、重みとかいろいろあるんだろうけれども、土台からやるのが大変だから。 壁からやりましょう、と。二階家だから一階の書斎の壁が結構、大きいですよみたいな話を伺っていた時に、あ、これは発達の話も全く一緒だなと思っていて、前の段階を素通りするとか、なかったようなことにしてしまうと、上がもう。なんていうの? 耐震基準満たしているんですか、という状態になって、揺れて崩れてしまうので、その可能性は結構あるなっていうふうに思ったんです。

─ あの、皆さん、ごめんなさい。もはや話がテーマの通り本当に行くのかどうかわからないから、皆さんも好きに聞いてください。聞きたいとこ聞いてくださいって感じになっています。

一応、補足的に説明すると、コーチングをやっていても、実はそれあって。子どもの頃の、いわゆる喜びとか満足とかを経験しないまま大人になってしまっている人って結構いて、で結構あのまあトマス・レナードというちょっと細かい話は省略して、有名なそのコーチングの祖みたいな人が、パーソナルコーチングの本を書いているんですけれども、その最初が、”incredible selfish”って言っているんですよ。 日本語に訳すと、自分でも想像できないような、びっくりするような利己的になれ、って言っているんですね。何かというと、子どもの頃にそういう体験をしないまま成長してしまうと。 自分に根本的に自信が持てなかったり、意思決定において、自分が望むことを意思決定できなかったりするっていうふうに成長してしまう大人が結構いっぱいいて、だから、子どもとして味わっていなかったものをそのまま置き去りにして大人になっている人は、まず子どもに戻って子どもの頃に乱されたことを乱さないと大人として成熟しないみたいな、そういうことをどうも思っていたらしいんですよね。

甲田 烈「なるほどね。 ティールが出た時に、友達と3人で『入門インテグラル理論』という本を書かせてもらってね。それはまあ、十年前ぐらいに元々出していたんですけれど、鳴かず飛ばずというか、全く評判にならなかった。」

─ (笑)。

甲田 烈「ティールが出た時に、ティールの背景としてってことなので、出版社から再度、お話いただいて書いたんですけれども、その後「ティール」「ティール」ってビジネス領域で流行りだしてから、僕が疑問に思ったのが、発達段階を、要するに、ケン・ウィルバーのインテグラル理論をもとに色分けをしていくわけですよね。

簡単に要約したら、レッドって、まあ、自分の身の安全を守る。物理的な安全ですよね。安全安心のところから始まって、集団の中での自己確立。そして個人として自分がどう振る舞うか、というところがあって、やがて自分を他者の視点から見れるようになっていく。 でそうしたレベル(段階)を辿っているわけですけれども。

自分自身のあり方を合理的に考えられるっていうのがオレンジって段階なんですよ。で、オレンジを超えたところで視線が複数化していて、他者側からも物が見られて、その他者の域が広がるわけですね。ウィルバーが面白いことを言っているのは、オレンジというのは実は非常に重要。どの段階も重要なんだけれども。オレンジが重要な段階っていうのは、人類が夢を見ることができるようになった段階だって言うんです。

─ へえー。

甲田 烈「どういうことかっていうと、「もしこういうことだったらこうなるかな」というような仮定が取れるようになる。そして、因果関係の推論ができるようになる。そこから科学的な実験もできるし。ABCというケースがあったらこういう風になるよねって想定ができるようになってくる。」

─ 再現可能にもなってくる、ということですよね?

甲田 烈「そうです。もちろん他人の内面はある程度想像できるから、そこで小説なんかも生まれてくるわけですよ。近代的な形での。これが人類にとっての大きな展開だって言うんです。ティールになってくると、もちろん意識の層っていうのは深まっていくんだけれども、ティール以降のことを言う人たちの組織のあり方を見ていると、メンバーの意識の重心は、少なくともリーダーシップを取っている、あの経営者層って言ったらいいんですかね、それらを見ていると、オレンジなのにティールの皮を被ってるだけじゃねえかって。」

─ わはは(笑)。一応、説明しながら進めたいと思うんですけど、今、甲田さんがお話しされたのはケン・ウィルバーの理論なんですけど、今、『ティール組織』で言われていることと、あの色の話が似ているなというか同じ色だな、というお話。

『ティール組織』は組織のタイプを色で分けている。だから、発達していると言っていいのかわからない言い方をしていて、いわゆる山賊みたいなボスがいて、ボスが、すべて俺が決める。お前気に入らないから殺すみたいな。お前偉いから多く報酬やる。これを「レッド」っていう組織だって言っているんですよね。

次が「アンバー」って言っていて、これが宗教組織みたいな組織官僚型の組織ですね。

次が「オレンジ」で、いわゆる機械的な組織ですね。いわゆる役割が決まっていて、みんな歯車のように働いて逆の言い方をすると、歯車なので、その歯車がかけたら他の歯車をはめ込めばそのシステムが動くっていう、人が代替可能なそういう機械的な組織のことをオレンジという言い方をしていて。

その上が異文化というか、いわゆる多様な人が存在する「グリーン」という組織があって、その上が「ティール」っていう風にラル―は言っていて、それがケン・ウィルバーのインテグラル理論でいうと、この人間の発達みたいなところと、実はシンクロしている理論なんだよって話を、今、甲田さんはしていただいたという感じだと思いますけど。

その中で、今「グリーン」が飛んだんですけど、私も「グリーン」って結構、謎でしてですね。今、大学で「非営利組織の経営」という科目をやっているのですが、『ティール組織』だと非営利組織はグリーンなんですよね。ケン・ウィルバー理論でいうと、グリーンってどういう段階なんだ、と。オレンジまではわかったんですけど。

甲田 烈「正確に言うと、グリーンっていうのは、相対主義の段階。

─ あーなるほどね。はい。

甲田 烈「要するに他者の役割を取れるようになってきて、視点が他者のように広がっていて、みんなの言うことは分かると。」

─ うんうんうん。

甲田 烈「だから、具体的に言ったら、ヒエラルキーを作らないってとこで、一歩踏み出して、みんなの意見を聞きながらやりましょうという。そういうような形になって、弱点としては、意見が多すぎて決められなくなっちゃう。」

─ そうそうそう話し合いが長すぎるとか、会議が多くなるとか、いろいろ。

甲田 烈「うんうんうん。」

─ いや、あの今だから本当に非営利組織は、学校で今教えているドラッカーから非営利組織を見ていても、現実の組織を見ていても、非常にグリーンな組織で、何がやっぱり大きいかって言うと、お金で働いてる人は誰もいないんですね。あのお金をもらうために新入社員が僕はお金が欲しくてこの会社に入ったわけじゃありません。ということを平気で言うのが非営利組織なんですよ。ミッションとかそれに惹かれて入ったんであって、別にお金が欲しくて入ったわけじゃないんです、みたいなことを平気で言うって結構珍しいんだけど、これは、だから、非常に非営利組織の人にとってはマネジメントがね、なんていうんだろうな。不十分である。つまり未成熟であるって、彼らは自己認知しているんだけど。

甲田 烈「うん。」

─ 組織の段階から言うと発達しているようなって私は見て思って、このギャップに面白がっているっていう感じなんですよね。だから、さっき甲田さんが言った「オレンジ」が「ティール」のフリをしているって、このグリーン段階を飛ばしている組織が、結構あるんですよ、と私は思っているんです。

甲田 烈「それに似たようなことっていうのは、この『リジェネラティブ・リーダーシップ』にも、僕はちょっと感じてしまって。」

─ あ、そうなんですね。はい。

甲田 烈「『リジェネラティブ・リーダーシップ』では、意識の階層の大きく第一層、第二層で分けるわけですよね。「ティール」組織以前の欠乏感で動いているのを第一層と言っていて、第二層は違うんだ、と。第二層はもっと、生命のつながりに開かれて動いているんだ、と言うんだけれども、第二層から見たときの第一層の評価が、はっきり言って粗すぎて。

─ (笑)。

甲田 烈「そうは言っても、安全的な欲求であるとか論理的に思考ができるなんてとても重要だぜ、と僕なんかは思っちゃうわけですよ。」

─ はいはい。

甲田 烈「ぶっちゃけ、僕は、今の日本なんて言っちゃうと問題が少しでっかいかな。僕から見る光景で思っているのは、ほぼほぼ多くが「アンバー」と、「アンバー」と「オレンジ」の間あたりのことが行われていて、まだまだ人類総体で見てしまうと、安全とか安心といったことが大事になってくるし、まだまだ組織で言ったら無駄が多いし、例えば効率化省とかアメリカで言っているけれども、あれは何かっていうと、オレンジ的な発想をそこに導入しましょうってことですよね?」

─ そうですね。そうですね。はい。

甲田 烈「じゃあ日本なんかどうなってんだって話はあるわけですよ。税制なんか複雑すぎてとかね。そんなことを考えちゃうと、大きな問題が起こっているのが、まだアンバーオレンジかなっていうところがあって。ただ、人は学べるので、認知の段階としてはティールとかそういうのを言えてしまうし、できてしまうんです。」

日本の天下り問題はなぜ起こる?

─ あの、あの今の話を重ねると、やっぱ私が最近すごく不思議に思っているとか謎に思っているのが、ひとことで言うと天下り問題なんですね。

何が謎かというと、 天下りをするような人って、年収がそもそも二千万とか一千万とかを少なくとも超えていて、そういうレベルの人です。役人さんとかそういう人たちですね。なぜ高給をもらっている人が、そんなに定年後も天下って高給をもらい続けたいと思うのかが、よく分からないんですね。

なんで分からないかというと、もしそれが欠乏とか、生存に必要だからとか言うんであれば、ほとんどの日本人は生きていけないことになってしまう。なぜそこまでのお金がないといけないと思い込んでいるのか、思っているのか、もしくはそういうシステムに飲み込まれているのかこれがよくわからなくて。

で、天下りのためにいろんな利権だの悪さだのいっぱいなんかして、なぜ君たちは働くのをやめて、田舎に移って、自然を見上げながら畑を耕し、収穫して喜ぶみたいな、そういう、なんていうかな。違う世界に行こうとしないんだろうっていうのはよくわからなくって。 何が言いたいかというと、成長していない。同じパターンのモデルを繰り返して死ぬまで行くつもりの人がなんでこんなに多いのかなって日本の謎だなと思っているんですよね。

甲田 烈「うんうん。 いくつかの捉え方が僕は可能かなって思っています。最も分かりやすいし、ある意味で個人にとっていないところでもあるんだけれども。インテグラル理論の考え方で言うと。ユング心理学の考えなんか受け継いでいて、シャドウ(影)っていうものがあると。」

─ はい。ユングですね。

甲田 烈「「自分が否定したいような自分の一面。それを他者に投影してしまったりするから、いざこざが起こったり、自分自身が苦しんでいるので、そのシャドウというのは、じっくり向き合っていったほうがいいよみたいなことを言うわけですよね。で、そこのシャドウが働いているっていうのが一点あるかなっていうのと。」

─ なるほど。

甲田 烈「あとは、なんだかんだ言っても社会的な定義まで出てきているんですけれども、オレンジ的なものへの移行期であるわけですよ。社会のあり方自体が。そうするとアンバー的なところが非常に不安になってくる。」

─ 不安か。なるほど。

甲田 烈「移行することによって、他者から承認される形での自分のあり方っていうのを保っておきたい。だったら、権威を持ったまま新しい職場に行って役職もらって。 認められるわけじゃないですか。優劣で。安心するわけですよ。多分そこではお金以上のそういうことが僕は働いているのかなって思います。

─ なぜ私と甲田さんはこんなに思っていることが一致するんだろうと不思議に思っているんですけど、さっきのやつの私なりの仮説は、結局、高給をもらっている役割にいる自分に乗っ取られるんですよね。あの自分自身というその何もない裸の一つの命としての自分が。役職やポジションを持っていてお高い給料もらっているっていう。 そういう役割とかロールの自分に乗っ取られてしまって、そっちが本体になってしまっているから、それを手放すことが怖くて怖くてしょうがない。というか、これをなくしてしまうと、自分は何の価値もないんじゃないか。誰からも相手にされないんじゃないかっていう不安に陥っているっていうのがすごい病気になっているというのが私の見立てだったんですよ。だから同じようなことをおっしゃった。ちょっと違う言葉でね、違う理論でおっしゃっていますけど、なるほどなぁと思ってちょっと感動しました。

甲田 烈「うん、そうです。だからシャドウの問題と切り離されて満たされなかったと、この問題って僕は大きいなって思っていて。別の角度をちょっと入れると、僕はかつての評論家で山本七平って人が大好きで、よく読んでいたんですけれども。」

─ 『空気の研究』の人ですね。

甲田 烈「『空気の研究』っていうので有名な人です。彼が何を言い続けていたかっていうと、彼は昭和時代の人だったから、こういうような言い方をするわけですよ。明治時代に入った時に文明開化が起こって、人々は江戸時代を消した。あんな時代が野蛮である。西洋近代文明の方が正しいとどんどん受け入れて発展していこうぜって話になって、今度はそれが戦後になった時に何が起こったかっていうと、一回明治を消していますよね。今度は戦前を消したって言うんです。あれは軍国主義で私たちは間違っていた。これから新しい道が始まるんだ、と。で、経済成長だって言って、で、二回、消しているから、それが裏返しの呪縛となって、我々を引っ張り続けているのではないか。こういう哲学的な洞察を、当時から振り返ろうとして、しているんです。」

─ なるほどね。そっか、だから失われた何年って言ってるのは、失われたアイデンティティなんですね。きっとね。

甲田 烈「そうだと思います。ほっくり返ると死人がバラバラ出てきて、まぁ妖怪話じゃないけど、大変なことになってくるんだね。寝かして寝ましてなかったことにして、IT企業だとかそういうことを言ってるみたいな。」

─ で次はもうあれですよ。皆さんだからそうなるともう帰るところがなくなってくるんで、縄文だって言い始めて。

甲田 烈「そうなんですか?」

─ 世界に誇れる日本の文化、縄文と言ってるんだけど、これはちょっとこの前、甲田さんとも話と一致した話なんだけど、縄文は「日本」じゃねーよっていうね。

甲田 烈「うん。 だってその時代に「日本」って国がないんですからね。」

─ 当時ね、あるわけないよね。

甲田 烈「当時はね、うん。」

─ だから縄文まで戻ったら、その辺の人たちの文脈は、日本っていうのは素晴らしい国で、ずっと昔から続いていて、だから日本人は価値があるんだっていう言説が起こるわけだけど。 まあ、なんて言うんでしょうね。日本だけじゃないので何とも言えませんね、という話になってきちゃう。

甲田 烈「日本だけの現象ではないんで、それはまぁ、ルネッサンスの時もギリシャに戻れってあったわけだし。」

─ そうですね。確かに。

甲田 烈「まあ今のアメリカだったらね、グレートアゲインってやっぱりやるわけだし。建国当時のじゃあ先住民の話はどうなるんじゃい?とかね。そういうことになってくるわけで。

やっぱりどこの国でもあるんだけれども、歴史的な経緯というものを無視して切断してしまって、その切断したものを飛び越えて、もっと過去に戻れというのは時間軸の中で、僕はそれをやってしまうのは危険だと思っていて。まあ、僕自身は哲学をやっている人間でもあるので、人間というものの深い起源、根源というものはあると思っていますけれども、あるって言っちゃうと、まあ、言葉の語弊はあるんですけど、まあ存在って言ってもいいかな。あるいは無と一緒な存在って言ってもいいんだけれども、それはあり得ると思っているんだけど、それは歴史的な起源としては求められない。つまり存在論的な問題だから。

歴史の話は歴史の話として、ここに現象として広がっている話としてしっかりする必要があって、歴史の中、あるいは現象として起こっていることと。その歴史的な現象が開かれている場としてどうなるかっていうことがしばしば混同されちゃうんですよ。

これは二つ目の混同だと思っていて、一つは、今言ったのは歴史の切断とまあ埋葬しちゃう問題ですよね。もう一つは、その根源の場の開かれのところと現象世界として起こっていることの二つをごっちゃにしちゃう。

─ うん、あの、その歴史にしても政治にしても同じだと思ってるんですけど、なんていうんだろうな。誰が何を言っているかっていうのの、「誰が」という主語を失った歴史とか政治の話って危険だなっていうふうに思っていて。

それは、要するにAさんがどういう風にものを認識しているか、それは皆さん自由なので、いろんな人がいろんな見方をしていいじゃないですか。だけど、誰かの見方が正しいからこの見方にみんな同じ見方になれっていうのはちょっとこれめちゃくちゃな話なので。

だから、それはもう社会学でもね、フランスの社会学なんかではアナール学派とかね。その辺はこう今まで語られている歴史というのが支配者層の歴史であって、農民から見た歴史農民の人たちから見た歴史はどうなんだとか。そういうのを修道院の記録引っ張り出してきてやっているとか、ピケティもそっち系の人ですよね。資料を漁って、結局、結論として出したのは、富は蓄積されて、貧乏にはいつまでも貧乏になる、金持ちはずっと金持ちになるっていうのを、言ってることは普通の理論なんだけど、やり方がすごい地道な、民間にある修道院とかから名簿みたいなああいうのを全部集めてきてやったっていうので。

だからなんていうんだろうな、今言ったように、その、 誰の見方にかによってものの見方は変わってくるんで、それを同時に認知できないと。なんていうんだろうな。人類として進化していると言えないっていうのは確かそんな気がするなぁと思うんです。

(次回に続く)


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