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甲田烈さん対談「誰が地球を語れるのか」第2回 「人新世」とイヌイット/参加者からの質問タイム/『リジェネラティブ・リーダーシップ』と「不二一元」

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。現在、連載記事をアップしております。下記の対談イベントの文字起こししたものの、再編集版となります。

この対談は、note上のマガジン、「楽々樂考」の最初のコンテンツとして企画されたものです。

固定化され、分断され、流れる方向が決められた学びではなく、自由に越境する学びの体験を、是非、記事で追体験していただければ、と思います。是非、下記のマガジンもフォローよろしくお願いします。



前回の記事はこちら

「人新世」とイヌイット

甲田 烈「ローマクラブとかその辺の話されているんで、ちょっとそこからグクッと話を戻して引き継ぐと、最近あのまあ一種のバズワードになったっていう人もいるんだけれども、「人新世」って言葉を聞いたことある人います? 

“Anthropocene”で、これは2000年くらいに大気化学者のパウル・クルッツェンという人が提唱したもので、要するに、人類が惑星の地質に影響を与えている時代に入っちゃった。で、これがクルッツェンが提唱してから十年ぐらい経ってから地質科学連合という科学者の団体がその提案を受けて調査を始めて二年前に否決されているんです。

まあまあいろんな考え方があるんだけど、言葉としてはちょっと時期尚早である。要するに、核廃棄物だとか、まあ海洋のプラスチックだとかいろいろありますよね、そうした層が堆積していて、で、実際気候変動問題も起きている。まあこれはガゼではなくて起きてはいるんだけれども、だけどそれを以て同定するのはまだ時期尚早である、ということで。「人新世」って言葉については、地球科学の用語ではなくなったんです。」

─ なるほど。なるほどね。はい、わかります。わかります。納得できます。

甲田 烈「だから、こういうサイズの用語ではない。ただ、人文・社会科学にはものすごい影響を与えていて、例えば最近の人類学の中だと大きく取り上げられるわけですね。

なぜかっていうと、人類学者がフィールドワークをするような先住民の社会とかは、まあ、特にわかりやすい例なんですけれども、近代科学の影響を受けているわけです。最新の機器とか使っているんだけれども、でも同時に、例えば動物や植物に魂があるだとか、そういうような生命を営んでいるわけですね。そういうことがどうして成り立つのか。近世の時代のある生き残りの一つの方策の一つなんじゃないかって形で注目が集まって、取り上げられているという背景があるんです。

ここで面白いのが、要するに、その先住民の人たち、例えば、今思いつく限りで言うと、亜極北のカナダのイヌイットって人たちはまあ、狩猟と罠を仕掛けて動物をとるとか、あるいは狩猟採集ですね。で、氷を割ってアザラシとかを取るとかって生活はしているんだけれども、スノーモービルはあるし、GPSは備えてるし、もちろん暖房器具もあるし、賃金労働も行っているんです。

でも同時に、動物っていうのは自分たちが勝手に取れるのではなくて、動物の主との約束事があって、自分たちに狩られるために魂を持った動物たちが現れる。だから、それはありがたくいただいて。人間たちがちゃんと分配してっていう考え方なんです。

これが面白いのが近代的なオレンジ的な世界って言ったらいいのかな? そういうものとそうじゃない世界観みたいなものを両方使い分けているところなんですよね。これが非常に僕は面白いなって思っているのは、一つの考え方にとらわれていると、一つの角度しかとれないんだけれども、ここじゃなくて新たな何かを否定するのではなく、じゃあ過去のものなかったようにしようぜってパチって切っちゃうのでもなく、両方大事にしているあり方っていうのが、非常に成熟してるなって僕は思った。

─ なるほど。両方、OKなんですね。

甲田 烈「例えば、動物や植物に魂があるっていうのは。 近代的な世界観からすると合理的ではないんですよ。明らかに合理的ではない。

因果関係がよくわからない。解剖しちゃってどこでそんなものあるんだってなるから。でも合理的でない反面、「理にはかなってる」んですよね。理にかなっているってどういうことかっていうと、そこのコミュニティを維持する生存可能性を高めるために動植物も含んで機能させるっていう意味で理に適ってるって思っていて。

僕はこの魂とかそういうようなものを、まあ日本人ももともとアニミズムとかって言われたら、まあ、日本で国語が成立する以前からそれはあったとも言われているけれども、まあ仮説ですけどね。そういう考え方も非常に重要だなって思っていて。」

─ でもそういう意味で言うと、税理士とかITエンジニアとか、数学者もそうかもしれませんけど、そういう方は神社に行かないんですかねっていう。神社に初詣とか行かないんですかね?って話になる。

甲田 烈「いや、行くんですよ。僕の友人ね、三代続いている墓石屋さんっていうのがいているんでよく聞くんですけどね。いや、あの、よくこういう相談に来るんですね。自分はもう死んだ後どうなるかとか信じてないって言って。そこでそういう方たちに、「今だったら樹木葬とかそういうのはありますよ」って言うんだけど、いざそういう死後の世界を信じていないという方たちが墓参りに行くと、こうやって拝む。何をやっているんですか?っていう。言わず聞きたくなるけど、まあ聞いてはいない。そういう形で信じている。信じている、信じていないじゃなくて、ふるまいとして、そうだっていうことが僕はあるのかなって思っていて。」

─ うんうん。でも落ち着きませんよね。一人だけお墓行って単なる石だからって言って、それに腰掛けたりとか、高いとこに物を取りたいからって墓石を踏んづけて物取ろうとか。合理的には何もないと思うかもしれないけど、合理的じゃないかもしれないけど、ちょっとやりたくないとかやれないってありませんかね? どうなんでしょうね。それは何なんでしょうね?

甲田 烈「なんなんでしょうね。後でちょっとやってみたい。

─ やるんですかw

参加者からの質問タイム

質問者「非営利組織が稼ぐことを目的にしてないと先ほど言われましたが、非営利組織でも別に生活をするに値する賃金はもらえるわけじゃないですか。そこが誤解されていて、株主とかに一定のところに分配はしないけれども、非営利組織で働いていても、それこそ生活はできるし、だからこそ、非営利で働く人を増やしたいと思っているんだけど、そこに誤解があって、NPOだから給料もらってないんでしょう。そういう風に言われることがすごく多いんですよ。」

─ あーはい。知っています。あの、なぜ知っているかと言えるかというと、私は大学で今、非営利組織の経営を教えていて、私が教えている大学生は「国際地域学部」という地域を活性化したいとか、そういう気持ちを持っている学生にもかかわらず、NPOというのはボランティアの人たちだけがいると思っていました、衝撃でした、っていう声が半分以上から上がってくるので、みんなそう思っているってことですよね。ほぼね。

質問者「そこのところの認識をどうやって変えていくのかなっていうのは、今の話とすごく近くて、ボランティアでやっているんじゃないよね。それをちゃんと生業にできるというところを伝えていくことが、すごく大切だなって思ってはいるんです。」

─ 結論としては、やっぱり今私がやっているような大学生とかにちゃんと非営利組織の経営というか、本当はこうなんだよ、みたいな話をちゃんと伝える機会を持った方がいいんじゃないかというのが結論です。

そのための活動をこれからしていこうと思っていますけど。まあ、とはいえ、冷静に考えれば分かるんですけど、何かというと、社会のために必要なことをやっている組織があって、それが給料を払わないと何が起こるかというと、持続可能性がなくなるんですよね。 疲れたり辞めたりするんで、それでは意味がないよね。それぐらいの活動だったの?という話になっちゃうわけですよね。

だから。そういう意味では必要な活動であれば、それは当然、給料を払うのを当たり前だよねっていうことが、なぜか社会の中で理解されていない。先ほど、合理の世界の話をしたと思うんですけど、なぜかそうじゃないと思っていること自体が逆に不思議なんで、それはなんでなんでしょうね?というところを問いかける感じですかね。

質問者「そこが必要だなと私も思っています。あの、ちょっと。 やっぱり非営利組織だから持続可能にならないっていうのがとてもおかしな話で。それをどうやってこう持続させていくかっていうこと。」

─ まああともう一つ。そもそも日本の方々がやっぱりその営利というものも、そんなに皆さん経済学とか財務について学んでいる人ばかりではないので、世の中、まあ小学校とか教えませんからね。そもそもそういうのね。ぜひ教えた方がいいと思いますけども。そもそも営利というのはどういう意味かがわかってないので、だから非営利というと稼がないっていうふうに思っちゃうんですね。営利が稼ぐことだと思っちゃっているんですよね。今、まさにおっしゃった通り。 非営利組織の非営利っていう言葉は、再投資しないとか、資金提供者に対してリターンがないっていう意味であって、稼がないって意味ではないんだけど、「非」があって「利」という文字があるとなんか稼がないって意味に取られちゃうっていう。わからないからこそ、そう思っちゃう人が多いんで、そこが問題だと思います。だから、本当に皆さん知ってくださいっていうね。知った人は、逆に言うと、お友達と家族に全員にちゃんと伝えてくださいって、そういうような話なのかなっていう気がしてきますね。

参考記事)

質問者「コーチングについてちょっと質問させてもらいたいんですけど、先ほどの利己的になれ、ということをよく聞く時があるのですが、コーチングで実際にその利己的になれってアプローチをしたり、言ったりすることがあったりしますか?」

─ トマス・レナードの本で、そういうふうに最初に言っているってことですね。人によるんですけど、実際には、利己的になれというよりも、あのなるっていうのは行動の話をしていると思うんですよね。思考レベルでの話。特に自分が何を望むのかとか、何がやりたいのか、とかなんていうんでしょうね。自分についてのことを考えるときに、利己的になれない人っていうのがいるんですよ。

質問者「考えるときに利己的になるという。行動ではなく。」

─ そうです。私が言うわけじゃないけど、パーソナルコーチングの父って言われている人が書いている本にそういうことが書かれています。あのこれ、逆の言い方すると主体的であれっていうこと。S・コヴィーの『7つの習慣』でも主体的であれって言っていると思うんですけど、この主体的であれっていうことと同じ意味で言っているんですよね。もうわがまま、自己都合ってことですね。だから、ちょっと後の話にもつながるかもしれないんですけど、皆さんが徹底的に利己的になって自己都合になって自分の幸せだけを追求していくと、最終的には他人の幸せを考えるようになってくると思うんですよ。なんでかというと、人はそうじゃないと動いてくれない。だから、自分の都合のいいように人を動かしてやろう。 そのためには、こいつに幸せになってもらえば絶対動くなっていう考え方ですよね。利己的にどんどん追求していくとみんな幸せになれるっていう考え方

質問者「ありがとうございました。」

─ いや、質問ありがとうございます。

質問者「私は自分の関心事のところを、ちょっと感想的な感じなんですが、一つの方向を突き詰めたときに、これ以上行けないってなった時、人は、前の方が自分が良かったんじゃないかって振り返って行きたがる傾向があることを、すごく分かりやすく言語化してくださったので、腑に落ちました。そこに答えが、多分、歴史的に見ても良いことないみたいな気はするんですけど、でもやっぱり戻りたくなっちゃう。かつ、そこからもう一回見直してもう一度、考えよう、みたいなことが、多かれ少なかれ、つまり個人でもあるし。人間全体としてもあるし。大きな流れみたいな流れってものがあるんだなぁ、という感じなので、今、その大きなかたまりとしての流れが一回戻った過去を見ながら、次どうしようかっていうところへ全体が流れ始めているんだな、と。希望的にそれを楽しもう、とちょっと安心できるようになってきた感じがしました。以上です。」

甲田 烈「えーと、そうですね。過去をちゃんと見るっていうのは、まあ僕なりに今のお話引き受けていると。 選択肢が増えるっていうことなんですよ。つまり、過去に積み重なってきた大事なところはそれを受け取った上で、でも、今現在のこの状況というものがあるわけで。そこでどうするか。 だから、さっきの例を挙げて、イヌイットの人たちは昔ながらの動物や植物に魂があるという世界観は放棄しなかったんですよ。そこでそのままあるねって受け取った上での、現代の社会の中で自分たちは生きていてどうするか。そうじゃないとその昔に戻れ、昔は素晴らしかったになるのか、いわゆるグローバル経済に飲まれちゃうか、どっちかの選択肢がなくなるんで、それは非常に、まあ、あんまり面白くないなっていう。 そういう風に僕はちょっと受け止めています。お話を伺ってどうでしょう?」

─ さっきからの話につながっている話で言うと、あの、結局その認知が複雑化するっていうんですかね? 要するに、これが良かった正しかった、間違っていたみたいなのが一つの判断基準でしか行われない世界に住んでいると、やっぱり苦しいし、そこにやっぱり幸せの選択肢は少なくなっていく方向に向かうと思うんですけど、そうではなくて、違う感覚でそれができるようになっていく。だから、そのアニミズム的な立場から判断するのか、近代人的な知覚なのかを自在にこの行き来できるようになっていく。そうなると幸せの選択肢が広がるはずなんです。だから、それをどんどん広げていくとどんどん幸せになっていくし、認知が複雑化していくって言い方すると思うんですけど、そうするとどんな人も受け入れられるし、どんな人とも一緒になれるっていう感じで。

質問者「私たちは今、麻雀を教わっておりまして、おっしゃっていることが、麻雀の牌を捨てる時の判断の時の思考と似ているな、と思って聞いていました。」

─ ありがとうございます。楽々テラスで「楽々麻雀教室」というタイトルで、麻雀教室をやっていますけど、勝ち負けを競うゲームとしてやっていません。あくまでも自分の人生の運をコントロールするための術を楽しく学ぶという方法でやっています。もし、ご興味あればぜひ。

甲田 烈「ふふふ(笑)。」

─ あとごめんなさい。今のコメントにもうちょっとだけ付け加えたいと思ったのが、さっきの自己的・利己的という話につながるんですけど、この楽しむっていうのは結構、大事なんですよね。

あの、ちょうどあの今日ですね。あるイベントの準備をしていたんですけど。 直前だっていうのに、あれがない、これがない、まだできてない。どうのこうのってなっていて、そのときに、2つの言葉を言うといいよ、と言ったので、それをお伝えします。

いろんな問題がいろいろ起こってきて、絶望的な状況になると、『ルパン三世』っていうアニメーションの中で次元大介っていう人が、「なんだか面白くなってきやがった」って言うんですね。この言葉ってすごくって、すごくピンチのときに「なんだか面白くなってきやがった」って言うと、なんかワクワクしてくるじゃないですか。たとえピンチで絶望的であっても楽しめるっていうんでね。やっぱり人間の言葉ってすごいなっていうですね。あと『ドラゴンボール』の孫悟空はですね、「オラ、ワクワクしてきたぞ」っていうね。強い敵が出てくるとね。結局は気の持ちよう。はい、そんな感じでございます。

『リジェネラティブ・リーダーシップ』と「不二一元」

─ では、質問タイムを終えて、私から先ほどの話に戻るんですけど、『リジェネラティブ・リーダーシップ』について、さっき甲田さんが感じられた、第一層と第二層の。なんか第一層について非常に曖昧というか、認識が甘いと言いますか、そういうところを感じる。そこはなんでなんですか?って、なぜそういうことが起こっているんですか?というのをお聞きしたいです。

甲田 烈「要するに、大学生が社会人になったときに、大学生が幼稚に見えるっていうのと似たような構造ではないかと。つまり、意識段階が進化して深まった時に、直前の段階って何か非常に劣ったものに見えちゃうんですよ。自分が成長しているか、あるいは成長しているフリも含めてそういうことがあるので。うん、そういう現象はどうしてもこれは起こるのかなって思っているのと、こういうビジネス書を読む時に、僕なんか特に思うのは、要するに、現在の世代の人たちに先ほどの言葉を届けることに注力するから、あまり歴史的な経緯っていうのを重視しない。実際の講座とかそういう場面ではやるかもしれないけれど、少なくともこういうような書物の段階ではしない傾向はあるなとは思ってます。」

─ なるほど。逆に言うと、その本は、第二層について語りたいんですね。

甲田 烈「ですよね。第二層以降なわけですね。要するに。生命のつながりの中でのその新しい組織の在り方みたいなことを探求しているものなので。」

─ だから、そのさっき結局ケン・ウィルバーのインテグラル理論がわからないと、『ティール組織』の本当の意味が、なんで理論的にこうなるのかの理屈がわからないっていう。

だけど、そこは、なんていうかな。ケン・ウィルバーがちょこちょこっと文章を書いているものをくっつけるだけで向こうの人はちゃんとわかっているかもしれない。なぜなら原著では、ケン・ウィルバーが『ティール組織』という本の序文に書いているからわかるんだけど、日本の場合には、ケン・ウィルバーがそんなに有名じゃないというか、本が売れてないのか、インテグラル理論に関する本もあんまり売れないというのがあるのか、『ティール組織』の本を売るためにか、原著の序文をあとがきに移動してしまって、結局、全く新しい組織論みたいな感じで本を売り出してしまうので、文脈が切れてしまう。

甲田 烈「そうそう。よっぽどマニアックじゃないとあとがきなんて読まないですよ。」

─ いや、だから、それ元前書きですよ、って言いたい。

甲田 烈「あとがき扱いだとつまんないもん。そんなの。」

─ そっから私、ケン・ウィルバーに興味を持って、あの中古でいろいろ買い漁ってましたけど。面白いな。で、これは甲田さんの作ってくださった資料にもつながるんだけど、ケン・ウィルバーは、このインテグラル理論の最終的には、結局あの人は、ブラフマンですよね?だからあの、いわゆるワンネス、非二元論、なんていえばいいんだ? つまり、ワンネスの思想。

甲田さんの作ってくださった資料

甲田 烈「最近の言い方だと「非二元」。僕はあんまりいい翻訳語では実はないなって思っている。”Non-duality”の訳ですね。」

─ あちらとこちらを分けないってやつですね。だから、あなたは間違っている。私は合っているみたいな。こういう二つに分ける発想ですね。これが古い。これは新しい。これは原始的だ。これは文明的だってこういう二つに分けるっていうことをやっている限り、人類は最終的な段階に行かないっていうような。簡単に言えば、そういう考え方で、これがどっから来ているかというと、インド哲学から来ているインド思想、インド宗教から来ているっていう。

甲田 烈「そうですね。せっかくですから、もうちょっとそこ付け加えると、「非二元」が”Non-duality”の翻訳としてあんまり僕は好きじゃないって言ったのは、もともとの言葉で言うと、サンスクリット語で”Advaita”って言うんですよ。どういう意味かっていうと、「二ではない一」って意味なんです。”a”っていうのが、まあ英語でも英語だと”an”とかになりますけど、否定辞で、dvaitaが数字の1、2、3の2のことなんです。2ではない、と。だから、つまり、数で数えられるような形の1、2、3、4の2ではないよっていう。だから、複数のことをまとめて一つとかってそういうことではなくて、そもそも数じゃねーよっていう。その日本語の翻訳だとその意味が消えちゃうんですよ。で、昔の人たち、明治とか大正の頃の古い人たちはこれを「不二一元」と訳していました。この方が、言葉としてはむっちゃ難しくなっちゃうんだけど、ニュアンス的は受け取りやすい。」

─ 「不二一元」。2つに分けられない1つのものっていう意味じゃないってことですよね?

甲田 烈「えーと、2つに分けられない一つのものではなくて、1、2、3というのは数直線上に普通、数えますね。そうではない1っていうことだから、そもそも数の範疇ではないんです。正確に言うと。

で、それは何かって言ったら、逆に言っちゃうと、そもそも数というものが成り立つような開けというものがあって、そこのことを言っている。

もうちょっと具体的に言うと、ウィルバーはギリシャの神秘思想家のプロティノスって人の言葉を引用しながらこういう言い方をしています。「一者」と「多者」って分けるんですけど、「一者」というのは一なる者、「多者」は多くのものって書くんですけれども、まず一者を目指すと。一者を目指して、そして多者を抱擁せよって言うんですね。どういうことかっていうと、先ほどの発達段階と同じようなことです。まあグリーンでもティールでもいいんですよ。でもだからといってオレンジとかアンバーが間違っているとか、そういうことではなく、オレンジもアンバーも成り立っているよね、と。この世界の中で、だから改めてそこを大事にして、まあティールはティールでもいいっていう。そもそもティールとかそういうことが可能なのも、その開けがあるから。

─ あ、いや、その、そうなんですよね。と思って。やっぱり『ティール組織』の本を読んで、ティールについて語っている人の言説を聞いて違和感を感じるのは、「ティール最高、それ以外は劣っている」っていう、 そんな雰囲気の言説を聞いて。そういうことを言っているんじゃない気もするけどなっていうところが、モヤっとするんですよね。

(次回に続く)


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