見出し画像

古い社会学観から「シン・社会学」へ

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

こちらの記事で書きました通り、11月より、noteの毎日更新を再開したいと思います。月曜は「組織と社会を考える日:ドラッカー研究、社会学関係」のテーマとなります。

今日は久々ですので、「シン・社会学」について解説していきたいと思います。内容的には、下記の話を別な側面から再執筆したものになります。

今、大学で講義している「非営利組織の経営」の中で、社会課題については昨年度、「社会+課題」ということで説明していたのですが、今年度は「社会」とは何か、という説明を加えました。その中で、「社会学という学問」についても説明しようと思ったのですが、そこでハタと世の中で言われている社会学と、自分が伝えたいと思っている社会学とは、もしかしてその目的に大きく違いがあるのではないか、と気づきました。

きっかけはこちらの本。

この本の中で、大澤先生はこう言っています。

「社会秩序はいかにして可能か?」。これが社会学の固有の主題なのです。

大澤真幸『社会学史(講談社現代新書)』P.18

この本ではこういう設定をして、話をアリストテレスから始めています。それはそれで壮大な試みですので、一人の社会学徒としてはワクワクするのですが、これはこれで「社会学を学びたい」という人が時代とともに死滅する原因ともなっているのだろうな、と思ったのです。

というのは、「社会秩序はいかにして可能か?」なんてことに興味があるのは、言い切ってしまえば全共闘世代=団塊の世代が最後なんではないか、と思うのです。昭和であり、古くさい。それは、学校にバリケードがあって火炎瓶が飛び交うのを目撃している青年時代を過ごせば、そんなことにも関心が湧くかと思うのですが、今の日本で、そんなことを考えている若者は少なくとも存在しないと思います。

例えば、こちらの記事で紹介した竹田青嗣先生は、これを哲学の問題として解決しようと思われました。私も個人的には、これは哲学や倫理の問題であって、大澤先生のおっしゃる「社会学の固有の主題」というのは、ちょっと違うんじゃないかな、と思うのです。まあ、大澤先生の本ではフロイトもフーコーも社会学史の中で語られますので、哲学と呼ぶのか社会学と呼ぶのかというラベリングの問題かもしれませんが、しかし、どちらにしても、今時、ウケる考え方ではない。

私が社会学的態度だなぁ、と思うのはやはりデュルケームで、学生にも『自殺論』の中で「アノミー」という社会不安の概念を用いて自殺が個人の問題ではなく、社会的な問題であることを証明した人、という紹介の仕方をしました。

私は、この「個人の問題ではなく、社会的な問題である」ということを説明することが、社会学の、と言ってしまっては申し訳ないので「シン・社会学」の目的だと定義しています。

かつて私は、弁護士事務所で働いていたこともあるのですが、その弁護士事務所のボスは「法律は知っているものの味方」と言い切っていました。この言葉は真実だと思いますし、その割には義務教育で法律について教えないのは問題だな、と思っています。同様に、シン・社会学についても「知っているものがこの社会でうまく生きていける」という存在にしたいと思っています。

ドラッカーは自らを社会生態学者として、当時の様々な学問・学者を批判しています。曰く、

社会生態学者の目的は、単なる知識の獲得ではない。

社会生態学者においては、衒学的であるということは学識があることとは相容れない。

第二次世界大戦までのアメリカでは、第一級の学者、とくに社会学や政治学の一流の学者は、一応の教育を受けた普通の人間のためにものを書いていた。

P.F.ドラッカー『すでに起こった未来』(ダイヤモンド社)P.327

これは逆に言えば、第二次世界大戦後の学者たちが単なる知識の獲得のための学問を行い、それが衒学的であること=学識があるとしており、学者のために文章を書いている、と批判していることになります。つまり、学問の世界が学問の世界で閉じてしまった、ということを言っているのだと思います。

ところが同じ文章でドラッカーは、

社会生態学は、医学、法学、あるいは自然生態学と同じように実学である。その目的は、継続や維持と、変革や創造とのバランスを図ることである。動的な不均衡状態にある社会をつくることである、そのような社会のみが、真の安定性を保ちうる。そして、結合力をもちうるのである。

P.F.ドラッカー『すでに起こった未来』(ダイヤモンド社)P.327

と書いていて、これは先に紹介した大澤先生の視点と似通ってきます。やはりドラッカーもそういう時代の空気を受け取っていたのだな、と感じる文章です。

繰り返しになりますが、よりよい社会を作りたい、などという視点を持つことは大事ですが、そのために学ぼう、という人は少数だと思います。実際、ドラッカーの本を読もうと言う人は、自分のビジネスや生き方の参考になれば、という目的で読むわけで、それがドラッカーの言う「一応の教育を受けた普通の人間」の考えていることです。社会をどうこうしようなんて大それたことを考えているのは少なくとも「普通」ではありません。

「シン・社会学」では、その内容がドラッカーの言う「一応の教育を受けた普通の人間のため」のものであることは、とても大事であると思っています。それは社会をどうこうしたいエリートの視点ではなく、否応なしに社会というシステムの中で生き抜いていかざるを得ない人が、いかにその制約や影響を客観化して自由に幸せに生きられるか、そのための理解のための説明を用意するものだ、と思っています。

下記の記事はそんな観点から、現代の日本の社会課題で気になるものを書いたものです。ご関心あれば合わせてどうぞ。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

ご意見・ご感想・記事で取り扱って欲しい話題のリクエストも専用フォームより募集しております。


いいなと思ったら応援しよう!

市井カッパ よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!