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意思決定論について学ぶ(シン・マネジメントの教科書)

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。火曜は「シン・マネジメント論(連載)/リーダーシップ・経営」のテーマとなります。このテーマは新しいマネジメントの教科書を作るつもりで、じっくりと書き続けたいと思っています。

なお、この連載では、マネジメントの定義について、下記のように定義しています。

マネジメントとは、自然状態で放置しておくと手に入れられない理想的な成果を得るために、人が意志を持って働きかけを行うことである。

前回の記事はこちらです。

前回の結論は、理想的な成果をイメージできなければ、マネジメントは目的を失い、機能不全に陥る、ということでした。いろいろな例を挙げましたが、上のマネジメントの定義から考えても、これは当たり前のことだな、と思われるかもしれません。

ところで、この「理想的な成果をイメージする」ことが難しい、と考える人や組織もあろうかと思います。その「難しさ」は、それが普段、考えてないこと、だと思っているから、という可能性があります。

しかし、この「理想的な成果をイメージする」ことは、実は人間の意思決定の本質であったとしたら、どうでしょうか?

考えてみたら、我々は子どもの頃から、「理想的な成果をイメージする」ためのトレーニングの機会を得ています。例えばサンタクロース。サンタさんに何をお願いするの?と親は子どもに問います。例えば七夕。願い事を短冊に書きます。

例えば初詣。賽銭を入れて何かを願うことになります。こうしてなんだかんだ、我々は子どもの頃から「理想的な成果をイメージする」ことを訓練されているのです。

海外に同じような風習があるのかはわかりませんが、下記の記事で書いたように、特に日本では、憲法に「幸福追求権」が明記されているので、特に教育の中でも扱われやすいのかもしれません。

さて、話を戻しまして、今回は、理想的な成果をイメージできなければ、マネジメントは目的を失い、機能不全に陥る、ということを意思決定論の立場から再確認していきたいと思います。

これは私がコーチングの研修のときに、時々、お伝えしているサイモンの意思決定論のお話です。以前、下記の記事でも書きました。

ノーベル経済学賞を受賞したサイモンは、人間の意思決定プロセスを「情報収集によって得た様々な選択肢の可能性の中から検討し、意思決定する」と整理しました。その上で、「人間の意思決定の合理性には限界がある」ということを言いました。情報を完全に収集することは難しい(情報収集能力の限界)し、すべての選択肢を想定することは難しい(計算能力の限界)からです。そもそも意思決定というものには適切なタイミングがあります。時間的にも無理、ということはありそうです。

しかし、人間は意思決定している。なぜか。それは人間の意思決定が「満足化原理」に基づいて意思決定しているから、と考えました。

人間が完全に合理的な存在であるなら、あらゆる代替案の中から一定の評価基準に照らして最も有利な選択をおこなうという最適化原理に基づく意思決定ができる。しかし、合理性に限界があるがゆえに、人間は満足化原理に基づく意思決定をせざるを得ない。

これはよく考えてみれば当たり前のように我々が受け入れていることで、例えば、ある企業が売上目標を立てる際に、例えば前年度の120%とか決めるとします。しかし、なぜ120%なのか、なぜ200%ではないのかということに、明確な合理性があるわけではありません。だいたいが、このくらいの数字になれば自分達もステークホルダーも満足するだろう、という前提による意思決定だと言えます。つまりは「満足化原理」です。

さて、という前提に立った時、なぜ「理想的な成果をイメージする」ことが重要なのかマネジメント不全とはどういうことなのか、ということが見えてきます。

まずは、前回の記事でのマネジメント不全の例を見ていただきたいのですが、マネジメント不全とは、最適化原理を追い求めて意思決定を放棄している状態である、と言えそうです。何が正しい意思決定なのか、ということを永遠に検討しても答えはでない。それが人間の限界です。そう考えると、自分が意思決定できない経営者が占いや宗教などにハマる理由もわかります。自分で意思決定できないから誰かにそれをゆだねてしまう、ということでしょうね。

「人間が満足化原理でしか意思決定できない」という事実を受け入れるなら、「どのような意思決定をすれば満足できるのか」すなわち「どのような意思決定をすれば理想とする成果が得られるのか」ということを考えることになります。

マネジメントとは具体的な行動の意思決定をすることですから、そのためには先んじて、「理想的な成果をイメージする」ことが大事なんだ、というロジックになるわけです。

さて、今日の内容はここまでですが、鋭い方はお気づきかもしれませんが、この視座に立ったときに、コーチングとは何か?ということが透けて見えます。言い方を変えれば、マネジメント論とコーチング論はこの視座で統合されます。

つまり、コーチングとは、誰かのマネジメントの支援である、ということです。すなわち、冒頭のマネジメントの定義を使えば、

コーチングとは、自然状態で放置しておくと手に入れられない理想的な成果を得るために、人が意志を持って働きかけを行うことを支援するものである。

となります。このコーチングの対象は個人であれ、チームであれ、組織であれ、あるいは下記の記事のように社会であれ、同じことです。

このように、意思決定論の視座から見ると、コーチングはマネジメント論の中に取り込めることになり、それはすなわち、このシン・マネジメント論の考え方がかなり応用範囲が広いものになっていることを意味していると考えています。

次回はコーチングの話として語ってきたものが実はマネジメントを支援する話になっているという話から、コーチングの考え方を利用して、いかにマネジメント能力を開発していくのか、という話に進めていきたいと思います。また、それがそのまま、エグゼクティブ・コーチとしてのドラッカーという話にもつながっていく予定です。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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