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The Hidden History of Coachingを読む その2

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

今回も前回に引き続き、The Hidden History of Coachingという一冊の洋書を読み解いていきます。

前回の記事はこちら

今回はPart 1 : HERE COMES EVERYBADY(みんながやってくる)を読んでいきます。このパートは5章から成っています。順番に見ていきましょう。


Chapter 1 : Self-help in hard times; the early motivational gurus(困難な時代の自助努力:初期の動機づけの達人たち)

 この章のタイトルである「Self-help」は、一般的には「自己啓発」とも日本語訳されますが、ここでは敢えて「自助努力」と訳しています。

 gurusは「グル達」と、そのまま訳してもよいかもしれません。ここで紹介されているのは、カーネギーの『人を動かす』(1936年)とナポレオンヒルの『思考は現実化する』(1937年)、ノーマン・ヴィンセント・ピール牧師の『奇妙な秘密』(1956年)とアール・ナイチンゲール、マクスウェル・マルツの『サイコサイバネティクス』(1960年)です。この本の執筆時点で筆者は、英国のアマゾンでは12万8000冊、米国のアマゾンでは16万5000冊以上の「Self-help」の本が提供されている、と語っています。

 ナポレオンヒルとカーネギーの人生とその教えについて解説された後、この本で紹介されるのは、Alcoholics Anonymou(アルコホーリクス・アノニマス=アルコール依存症者匿名会)です。開発者として、ビル・ウィルソン(1895~1971)とボブ・スミス(1871-1950)が紹介されています。筆者は彼らのアプローチが、後の人間性心理学を予見したものであり、コーチとしての私たちの仕事で受け継がれているもの、と解説しています。

Chapter 2 : On the edge: human potential and the Esalen Institute(限界を超えて:人間の可能性とエサレン研究所)

 第2章は人間性心理学と人間性回復運動です。ウィル・シュッツ、マイケル・マーフィ、ボブ・タンネンバウム、カール・ロジャース、ヴァージニア・サティア、フリッツ・パールズの名前が紹介されています。

 そしてなんといってもコーチングの歴史を語る上で外せないエサレン研究所が紹介されます。創設者はリチャード・プライスとマイケル・マーフィーで、彼らはそれぞれ同じスタンフォード大学の同期で、同じ比較宗教学の教授であるフレデリック・シュピーゲルバーグに師事していたそうですが、実際に出会ったのはもっと後だったそうです。その後、リチャード・プライスはハーバード大学で心理学を学び、アラン・ワッツと出会って禅や東洋思想を知ります。その後、オルダス・ハクスリーの人間の潜在能力に関する講演に影響を受けます。マイケル・マーフィーはインドのアシュラムから帰国して2人は出会い、マーフィーの家族が持っていたビッグサーの地にエサレン研究所を立ち上げることになります。この文章ではエサレン研究所設立の目的について、「人間の潜在能力には未開発の重要な側面があるかもしれないという考えを探求し、推進するセンター」と書かれています。

 1962年のアラン・ワッツのワークショップで開校したエサレン研究所は、同年に”Toward a psychology of being”を出版したばかりのアブラハム・マズローを迎えます。この本とフリッツ・パールズの『ゲシュタルト療法』はこの同時のエサレン研究所で必読書のような扱いだったようです。他にも1940年代に英国のカート・ルーウィンによって開発されたグループダイナミクス、Tグループ、そしてクルト・レヴィンの名前も紹介されています。

 その後、この本ではエサレンでの光景が描写されていますが、パールズとロジャースとマズローが一緒に居てワークショップに参加している、というのはすごい光景だなーと思います。

 他にエサレンに参加した影響力ある人たちとして、サティア、B.F.スキナー、ライナス・ボーリング、ポール・T・リアリー、グレゴリー・バット、アモリ―・ロヴィ、スタニスラフ・グロフ、R.D.レイン、スーザン・ソンタグ、ジョージ・バエズの名前が出ています。

 この章の最後はジョン・ホイットモア卿の言葉を引用して締めくくられています。「あの時代とエサレンはコーチングの職業にとって極めて重要であり、ある意味ですべてが始まった場所だ。」

Chapter 3 : Reaching for the marvellous : spiritual and mystical contributions(驚異への到達:精神的および神秘的な貢献)

 この章ではまずカール・ロジャースが語られ、ユング(1875-1961)が神秘的なものに魅せられた話が出てきます。その後、アラン・ワッツ(1915-1973)が東洋思想の普及者として有名になったという話が解説されます。このワッツの影響を受けたのが詩人のアレン・ギンズバーグ(1926-1997)でした。ギンズバーグはビート運動を開始した、とあります。詳しくないのでWikiに頼ると、こういう解説でした。

ビート・カルチャーの主な思想は、標準的な物語の価値の拒否、スピリチュアル世界の探究、西洋と東洋の宗教の融合、経済的物質主義の拒否、人間の条件(人間という存在の根本条件、誕生・成長・死・感情・希求・葛藤など)の明示的な描写、サイケデリック・ドラッグを使用した精神実験、性の解放と探究、などである。これらの要素は、1960年代に、より大きなカウンターカルチャー運動であるヒッピー文化に取り込まれていった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

 続いて紹介されるのが作家のオルダス・ハクスリー(1894-1963)であり、続いて、ラム・ダスの物語に。1961年、ハーバード大学の若い心理学者であったリチャード・アルバートとティモシー・リアリーが幻覚剤の助けを借りて人間の意識を探求するために、ある種のキノコの成分の効果の研究を始めました。その後、大学から解雇され、リアリーは引き続き研究を続け、アルバートはインドに渡って修行し、ラム・ダスと改名して戻ってきます。

この章はこうした切れ切れの有名な人物が紹介されますが、その影響までは詳しく語られていません。しかし、共通しているのはいわゆるスピリチュアルな世界への探求が、様々な形でなされ、それが西洋文化に影響を与えた時代だった、ということです。

Chapter 4 : Marketing transformation from est to NLP : (est から NLP へのマーケティング変革)

 いよいよエアハード(あるいはエアハルド)の物語が始まります。本名はジャック・ローゼンバーグだったようです。自動車のセールスマンであった彼は浮気の末に離婚を拒絶された妻と4人の子どもを捨て、駆け落ちのように浮気相手とペンシルバニアからセントルイスへ移り住む共に、本名を捨て、別人になった、ということです。なんてこった!

 その後、彼は読書に励み、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』、マクスウェル・マルツの『サイコサイバネティクス』に影響を受け、ディール・カーネギーの『人を動かす』に感銘を受けてトレーニングまで受けたようです。マズローとロジャースを研究し、エンカウンターとゲシュタルトに参加した、とあります。エサレンでのセッション、交流分析のコース、禅のコースにも参加していたとか。まさにコーチングがまだ産声を上げる前に、そのエッセンスを彼はどんどん吸収していったように見えます。最後にアラン・ワッツのセミナーにも参加し、いよいよ1971年に最初のest(エアハード・セミナー・トレーニング)を開始します。社会心理学者のウォルター・アンダーソンの指摘を借りて、この本では、エアハードがこれまでエサレンでなされていたようなことを「アメリカ化した」と称しています。ホテルで行われるトレーニング、アシスタントが着ているのはビジネススーツ、使われる言葉に宗教的要素はなく、すべてがビジネスのような雰囲気だったと言います。

 estはすぐに人気になり、短期間で世界中で開催されることになりましたが、最終的には、エアハードの公私にわたる告発と訴訟で終了し、すべての知的権利がestトレーナーのグループに売却され、彼らはそれをLandmark Education として再パッケージされ、現在も脈々と継続しています。

 続いて紹介されるのが、NLPこと神経原語プログラミングです。1970年代初頭、グレゴリー・ベイトソンの人類学的な考え方を学んだリチャード・バンドラーは、フリッツ・パールズやバージニア・サティアら著名なセラピストの戦略を研究していました。そのために言語学の助教授であるジョン・グリンダ―を雇い、2人で2巻の『魔術の構造』(1975/76)にまとめあげました。また、『カエルから王子へ』(1979)という本も出してベストセラーになったようですが、こちらは講演録を元にしたものだそうです。この後の解説では、NLPから後のコーチングにも取り入れられたであろう、アンカリング、リフレーミング、モデリング、ミラーリング、ペーシングなどの用語が紹介されています。

Chapter 5 : From tennis court to executive office : The Inner Game and GROW(テニスコートから役員室へ:インナーゲームとGROW)

 どんなにエッセンスが揃ったとしても、それを融合するようなきっかけというか、特異点がなければ、新しいものは生まれないのかもしれません。ということで、やっとガルウェイの登場です。
 スポーツ心理学の歴史はガルウェイから始まるわけではないですが、基本的にはトップ・プレイヤーのものでした。ガルウェイはスポーツ心理学を競技場に持ち込んだだけではなく、あらゆるレベルのプレイヤーに関連付けました。「テニスコーチとしての自身の経験から、彼は、指導のしすぎが生徒の心を混乱させ、無力なレベルの自意識しか生み出さないことを痛感していました。」ということで彼は『インナーゲーム』(1974年)を出版し、テレビ番組でも彼の考え方を活かしたテニスの上達法を提供し、それはかなりのインパクトをもたらしたようです。寄せられた感想が紹介されています。「この本は実際にはテニスに関するものではありません。それは、人間の心がどのように考え、学ぶべきか、そしてそれらの事柄についての私たちの先入観がどれだけかけ離れているかということです。」

 続いて、ジョン・ホイットモア卿の登場です。1992年に出された『パフォーマンスのためのコーチング』で紹介されたGROWモデルですが、この本では同じ時期の学習心理学者、デビッド・コルブとロン・マイヤーの名前の研究との類似性を指摘しています。また、フライの経験学習モデルも紹介しています。一方でホイットモア自身は、「意識と責任、およびそれらを生み出すための質問のスキルという文脈がなければ、GROWはほとんど価値がない」と指摘しているとか。また「コーチングには正しい方法では1つではない」と述べています。「彼は、コーチングが定型的なシステムに固まってしまう危険性を予見しているだけではなく、コーチング自体を、他の方法から独立した活動として捉えることさえ拒否しています。」と書かれています。最後に個人的なインタビューとしか紹介されていない興味深い文章で、この章は締めくくられています。引用します。

60 年代のエサレンやベトナム戦争反対運動は、人類の進化において今日も続いているものの最初の種だった... ついに、人々が自分自身に責任を持ち、階層に頼らない段階に近づいている。コーチングの主な成果は自己責任である。コーチングはこのニーズを満たすために成長した。私たちは、すべての人が自己責任を負える段階に到達しなければならない。そうなれば、コーチングという言葉は消えるだろう。

The Hidden History of Coaching  
P.44

はい。ということで、今回は個人的な意見は控え目に、なるべく原文に沿った形で内容を紹介させていただきました。今回はPart 1 : HERE COMES EVERYBADY(みんながやってくる)を読みましたが、まさにタイトル通り、いろんな方々がコーチングに向けて集まってきた、という感じです。次はPART2 WHAT MAKES US TICK(何が私たちを興奮させるのか)に続きます。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。
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