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東洋思想ってなんだ、を深掘りしたらそもそも哲学ってなんだ、がワケがわからなくなった件

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。土曜は「想像と哲学の日:河童・妖怪・幻想/AI・都市伝説」のテーマとなります。今日は哲学のお話です。下記の記事の続きです。

今回はさらに東洋思想ってなんだ?という疑問を解決しようと思って、いろいろAIにも相談していった結果、そもそも哲学とは何か?が分からなくなった、というお話です。

まず前提として、「東洋思想」という言葉が日本でどのように使われ始めたのかを探りましたが、どうもこちらは明確なエビデンスも研究も無いようでした。AIの予測によれば、おそらくある時期から一般的な用語として使われるようになったようで、下記の文献が最古のようです。

こちらは1931(昭和6)年11月の文章のようで、冒頭に「東洋文化とか東洋思想とかいう語が西洋文化または西洋思想と対立する意味において一部の人士に用いられるのは、かなり久しい前からのことであって、日本人の文化、日本人の思想がやはりその東洋のであり、従ってそれが西洋のに対立するものの如く説かれるのである。」とあります。人のことは言えないですが、一文が長いですね。

この津田左右吉さん、この方はこの方で興味深い研究をされた歴史学者の方のようで、経歴を貼っておきます。

上記のWikiに「日中印に共同の生活がなく、共同の歴史が無いとして「東洋」という区分に否定的だった」ということで、先に紹介した文章の中でも、「世界の文化を東洋のと西洋のとに大別することは、現代の日本人には常識となっているようであり、世界の歴史を東洋史と西洋史との二つに分けることも、今日では一般の習慣となっているが、西洋についてはともかくも、東洋については、この語の意義すらも甚だ漠然たるものである。」とあって、なるほど確かに、という気もします。

この話を聞いて思うのは、サイードの「オリエンタリズム」批判ですが、話が逸れていきそうなので、今回は紹介に留めます。サイードはこの言葉が西洋側の帝国主義的な発想だとして批判しています。

さて、話を戻しまして、どうも「東洋思想」という言葉は定義より先に広まった言葉のようなのですが、調査の結果、その前に「東洋哲学」という言葉があったようです。そしてこの言葉は、割と意図的に作り出された言葉であったようです。

日本でこの言葉を使った記録が残っている最古のものは、井上哲次郎という方の講義録のようで、明治26(1893)年のもののようです。

で、この方がどういう方かというのがこちら。

「西洋哲学を日本に紹介し、東京大学で日本人初の哲学の教授となった。」
「1877年、東京大学に入学、哲学及び政治学を専攻。フェノロサ、中村正直、横山由清、原坦山らに学ぶ。」
「文部省御用掛になり、「東洋哲学史」を編纂し始める。」
「「形而上」(Metaphysical) などの漢訳語の考案者でもある。」
「師の原坦山から学んだ仏教にヒントを得て、現象即実在論(円融実在論)を井上円了らとともに提唱した。」

と、めちゃめちゃ気になるポイント満載です。前回の記事で、「井上円了先生がもともと東本願寺系のお寺の息子で、東本願寺からの奨学金で東大で西洋哲学を学んだ」と書きましたが、その学んだ先生がこの井上哲次郎先生だったようで、「井上円了の東京大学文学部二年生の聴講ノート」という文書も残っているようです。

井上哲次郎先生の貢献については、下記の研究で書かれていましたので、ちょっと長いですが、引用してみます。

「哲学」という語は、日本の明治期の思想家西周がその発明に寄与したことは研究者の 間ではすでに知られており、さらに二つの点が指摘されている。 第一に、西周の「哲学」は西洋を指すのみで、もともと東洋を含んでいなかった。王国維が「哲学」と称したのは、自然科学の「理学」という語を避けるためであった。しかし、 当時の日本では「理学」もまた “philosophy” の訳語であり、自然科学のみを指す語ではな かった。西周は哲学を「諸学の上たる学(the science of science)」と定義しており、この「諸学」は全ての分野の学問を指し、自然科学だけを指すものではなかったし、また西周は「哲学」のみを “philosophy” の唯一の訳語として、「理学」を退けたわけでもなかった。ある 学者は次のように述べている。「明六社」の主要メンバーであった西周は “philosophy” の 定訳を「哲学」とし、「理学」という〔古来からの〕語を援用しようとしなかったが、これは伝統的な「国学」や儒学などの中国本土の学問を区別するためであった。それまでの 「蘭学」の「東洋道徳、西洋芸術」といった文化受容のモデルを打破し、西学に対する狭 隘な理解という伝統的な姿勢を是正するため、西周は特に西洋の学問の全体性と完全性を 強調したのである。こうして、「哲学」は一種の総合的な形式を有するものとなり、東洋の学問と全面的に対応するものとなった。当時の日本の啓蒙思想家は伝統的な学術を「虚学」とし、西洋の哲学を「実学」としていた。「哲学」に対する理解と訳語の決定は、そうした伝統的な儒学に対する嫌悪と批判、そして欧州流のスタイルに対する敬慕と渇望を 反映したものであった(2) 。 第二に、西周は 1870年には早くも「哲学」という訳語を提起していたとはいえ、それ はただ講義の際に使用したのみであり、学生の筆記した講義録『百学連環』は西の生前に は未発表であった。同時期のその他の思想家はおおむね「理学」を訳語として用い、西周本人もまたそれを認めていた。1870年代に「哲学」という語はすでに新聞・雑誌や講演 の中に現れてはいたが、1880年代初頭に井上哲次郎が『哲学字彙』を編纂した際、西周の翻訳した多くの西洋哲学用語が採用され、それによってようやく「哲学」は日本の学術界で普遍的に用いられる訳語となった。かくして「理学」は遂に哲学と完全に決別し、もっ ぱら自然科学の各専門分野をさして用いられるようになったのである。

桑兵「近代「中国哲学」の起源」

西周(にし・あまね)は中国の人ではなく日本人です。徳川慶喜に仕えた、とありますので、江戸時代末期から明治時代初期にかけての方ですね。都市伝説好きな人が反応しそうな「フリーメイソン」なんて言葉も登場しています。

西洋語の「philosophy」を音訳でなく翻訳語(和製漢語)として「哲学」という言葉を創ったほか、「藝術(芸術)」「理性」「科學(科学)」「技術」「心理学」「意識」「知識」「概念」「帰納」「演繹」「定義」「命題」「分解」など多くの哲学・科学関係の言葉は西の考案した訳語である。」とあります。

まず、江戸時代から明治時代にかけて、海外の思想や学問が日本に入ってくる際に、日本語に翻訳するということが行われた。で、その時代に英語の単語を漢字熟語で定義する、という「常識」が誕生した、ということのようです。

で、「philosophy」は「哲学」という用語に当てはめられた。その後、この「哲学」の中身が「西洋哲学」ということで、それに対比される形で「東洋哲学」という言葉が生まれた、というのが流れのようです。

この流れが、桑兵「近代「中国哲学」の起源」では、このように批判されています。

「哲学」と東洋を連結する契機を作ったのは東京大学で、加藤弘之と井上哲次郎が重要な役割を果たした。東京大学の校友を中心とする哲学会もそれを推し進めた。「哲学」が日本において普及したのは、『哲学字彙』〔の出版〕のみによるのではなく、より重要なのは「哲学」を他者の学問つまり西学から、自己の学問すなわち東洋の精神世界の重要な構成部分へと変えたことにあったといえる。
(中略)
結局のところ、もともと西周が西洋の学問のみを指して用いていた哲学を、普遍性をもち、それゆえに西洋以外も存在するものだとしたのは誰なのか、現在まで確実な証拠はみつかっていない。先に引用した三宅雄二郎の文章では、単に「哲学」といえば西洋哲学を指すべきだが、もともと哲学は東洋と西洋に分かれており、東洋哲学は支那・インド・ペルシア・ユダヤ・エジプトなどを含み、西洋哲学はギリシア・ローマ・イギリス・ドイツ・ フランス・イタリアを含んでいるとした。そしてその中で支那・インドとギリシア・ローマが拮抗しているとしていた。しかし、こうした認識は後で付加されたものである。

桑兵「近代「中国哲学」の起源」

つまり、「東洋哲学」という言葉は、西洋の「哲学」を学んだ日本人が、その考え方を用いて「西洋ではない」思想を再定義して生み出したもの、ということが言えそうです。これは極めて日本人っぽい発想だなぁ、と思います。

このやり口に対しての中江兆民の批判も紹介されており、なるほど、と思いました。

東京大学の「東洋哲学」についていえば、中江兆民は「我日本古より今に至る迄哲学無し」、ただ経学者と宗教家がいたのみだと断言し、あわせて加藤弘之・井上哲次郎らを名指しして、「自ら標榜して哲学家と為し、世人も亦或は之を許すと雖も、其実は己が学習せし所の泰西某々の論説を其儘に輸入し、……」と批判した。(中略)中江兆民のこの言は、 実は東京大学を中心として発生した「哲学」の一般化を明確に指摘し批評しているのであ り、加藤弘之と井上哲次郎をその主たる人物と名指しするものである。

桑兵「近代「中国哲学」の起源」

「東洋哲学」なんてものはないんだ、ただ、経学者と宗教家がいたのみだ、という批判ですが、これは割と良いポイントをついているのでは?と思います。

普通に考えれば、インドと中国と日本の思想をまとめることが本当にできるのか、という話ですし、それこそ「論語」と「老子」と「孫子」だけでも同じ文脈で語れるのか、という話です。

さらに言えば、日本に「哲学」のようなものがあるとして、それを「宗教」と切り離して語れるものなの?ということも言っているような気がします。それは無理じゃないですかね、と。

ここで思ったのが、日本人が当たり前に受け入れてしまっている「政教分離」の思想です。ヨーロッパの歴史を中心にまとめられたWikiがすごい文章になっていますので紹介だけしておきます。

日本の「政教分離」の特殊性については下記の記事に書きました。

上の記事の中でGeminiとのやりとりをリンクしていますが、要するに、島国である日本にはそもそも「宗教」という用語も概念もなく、「宗教」とは自発的に生まれた概念ではなく明治政府が「条約改正という外交目標を達成するために西洋に合わせた仕様だった」、その結果、「宗教」という枠組みに入り切らない「神道(道)」を、「これは宗教ではありません」という強引な理屈で国家の公的な場に残してしまったことが、現在の皇室行事と政教分離をめぐる矛盾にまで繋がっている、という結論でした。

ちなみに英語の Religion の訳語が「宗教」になったのは、具体的に誰、というのはわかっていないそうですが、その由来は下記に書いてありました。

日本語の「宗教」という語は、仏教学者の中村元によると、仏教に由来する。仏教において、「宗の教え」、つまり、究極の原理や真理を意味する「宗」に関する「教え」を意味しており、仏教の下位概念として宗教が存在していた。幕末期に英語の Religion の訳語が必要となって、今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされている。宗教は、キリスト教をイメージする用語として受容され、日本人の宗教のイメージに大きな影響を及ぼした。

原語の英単語 Religion は、ラテン語の religio から派生したものである。 religio は、「ふたたび」という意味の接頭辞 re- と「結びつける」という意味の ligare の組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから「神と人を再び結びつけること」、と理解されていた。

磯前順一によれば、Religion の語が最初に翻訳されたのは日米修好通商条約(1858年)においてであり、訳語には「宗旨」や「宗法」の語があてられた。他にもそれに続く幕末から明治初頭にかけての間にもちいられた訳語として、「宗教」、「宗門」、「宗旨法教」、「法教」、「教門」、「神道」、「聖道」などが確認できるとする。このうち、「宗旨」、「宗門」など宗教的な実践を含んだ語は「教法」、「聖道」など思想や教義の意味合いが強い語よりも一般に広くもちいられており、それは多くの日本人にとって宗教が実践と深く結びついたものであったことに対応する。「宗教」の語は、実践よりも教義の意味合いが強い語だが、磯前の説ではそのような訳語が最終的に定着することになった背景には、日本の西洋化の過程で行われた外交折衝や、エリート層や知識人の価値観の西欧化などがあるとされる。

「宗教」の語は、1869年にドイツ北部連邦との間に交わされた修好通商条約第4条に記されていた Religionsübung の訳語に選ばれたことから定着したとされる。また、多くの日本人によって「宗教」という語が 現在のように〈宗教一般〉の意味でもちいられるようになったのは、1884年(明治17年)に出版された辞書『改定増補哲学字彙』(井上哲次郎)に掲載されてからだともされている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99#%E8%AA%9E%E6%BA%90

はい。また井上哲次郎さん登場です。

「多くの日本人にとって宗教が実践と深く結びついたものであった」「宗教の語は、実践よりも教義の意味合いが強い語」とありますように、もともとなかった「宗教」という概念が日本で広まった結果、「無宗教(西洋人の言う宗教は持っていない)」と言い出す日本人が増えた、という話は、どこか、「哲学」の話ともつながります。

そういえば、先日のアカデミズムに関する記事を書いた際、調べた文書の中で、こういう記述がありました。

・日本の哲学研究の課題として、西洋の偉大な哲学者の著作に対する文献学的な関心のみが肥大化した、いわゆる「哲学者研究」にとどまっており、本来の「哲学研究」になっていない。
・ヨーロッパでは、かつて全ての学問を包括する有機的なシステムとしての「哲学」という概念があったが、19世紀にはそれが完全に崩壊した上で再編成され、「個別科学」の時代へと転換した。【再掲】
・日本では、「個別科学」の時代になってからヨーロッパの学問を取り込んだため、まさに専門分化した「科の学」としての「個別科学」を取り込んだということになる。これは歴史的な運命としか言いようがない。【再掲】
・日本の哲学研究は、百数十年間、西洋思想史の研究に必死に取り組んできた。西洋の偉大な哲学の歴史、そのテキストをまず言語を学ぶことからはじめ、テキストのクリティークをきちんとし、草稿、マニスクリプトまで丁寧に読んで、西洋思想史について正確に理解するという営みを続けてきた。ヘーゲル研究やマルクス研究などは世界水準に達している。しかし、問題は、それは哲学の勉強でいわば「哲学学」ではあっても、「哲学」ではないというところにある。
・日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、それを思想史の文脈の中でどう位置づけていくのか、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにすべてのエネルギーを注ぎ込んでいる。哲学教育にしても、哲学の思想史研究としての哲学研究の専門家を養成するということに著しく偏っており、社会の中の哲学的思考を育んでいこうという関心が非常に少ない。
・哲学が「基礎学」としてあらゆる学問に関わるにせよ、「教養」として専門の学問を超えた一つの思考のより広い能力を発揮するにせよ、少なくとも、今の日本の哲学研究はそのような在り方とはかなり乖離した状況にあると考えられる。即ち、我が国の哲学研究、思想研究の特徴として、ある哲学者の哲学や思想を自分の専門とするとで通用してきたという状況を挙げることができる。これでは、きわめて専門化してしまった個別科学の一つでしかない。「基礎学」とも言いえないし、「教養」とも言いえない。
・哲学は、本来、社会的なディスクール、言説が生成するその場所に関わるものである。
・西洋近代の哲学者であれば、「自由」、「法」、「権利」といった概念が形成される社会の現場において発言し続けてきたと言ってよいと思う。また、現代の西洋の哲学者も、社会的なオピニオンの形成の場であるジャーナリズムであるとか、社会の担い手を育成する初等中等教育に対しても、哲学者が深く関わっているといってよいと思う。
・このような観点からみると、日本の哲学研究は、ある哲学者の思想の文献学的研究に始まり、それを思想史の文脈の中でどう位置づけていくのか、そして、研究対象とした哲学者の著作の解釈を更新していくことにすべてのエネルギーを注ぎ込んでおり、哲学教育にしても、哲学の思想史研究としての哲学研究の専門家を養成するということに著しく偏っており、社会の中の哲学的思考を育んでいこうという関心が非常に少ないということが言える。
・「科学」をヨーロッパから輸入する際に当たり、近代以前から日本に存在する伝統的な学問の位置づけが不安定なものになってしまったと考えられる。

学術研究推進部会 人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第11回) 配付資料 > 資料2 「人文学及び社会科学の振興に関する委員会」における主な意見(案)-「人文学」関係- > 第1 人文学の現状と課題

「「哲学学」ではあっても、「哲学」ではない」「社会の中の哲学的思考を育んでいこうという関心が非常に少ない」「哲学は、本来、社会的なディスクール、言説が生成するその場所に関わるものである」とあります。要は実践的なものになっていない、ということかと思いますが、これは哲学だけじゃないんじゃないの、と思わなくもありません。

おっしゃることはもっともなのですが、いや、それを助長したのが当時の政府だったでしょ、と思わなくもないですが、ちなみに、今さら反省しても出来上がってしまった日本のアカデミズム界を壊すことができないなら、民間にゆだねてしまっては?というのが下記の記事の結論でした。

そしてさらに言えば、文部科学省も触れたくない、というか触れられない話として「宗教」の話があるのかと思います。中江兆民も「日本に「哲学」のようなものがあるとして、それを「宗教」と切り離して語れるものなの?」と言っていました。さらに「多くの日本人にとって宗教が実践と深く結びついたものであった」「宗教の語は、実践よりも教義の意味合いが強い語」と上で書きました。これはそのまま文部科学省が日本の哲学研究について批判していることのソリューションである気がします。

では、逆に「宗教」という訳語が生まれる前、そもそも日本人にとっての本当の意味での「Religion」というものが、どういう概念で語られていたのか、という話は、先に紹介したGeminiのまとめが秀逸でしたので紹介します。

「宗教」という翻訳語が定着する明治以前、日本人が現在の宗教にあたるものをどう捉えていたかを探ると、そこには**「教え(教義)」と「道(生き方)」を分ける日本独特の感覚**が見えてきます。
当時、現在の「宗教」という一言で括られていた概念は、主に以下の3つの言葉や枠組みに分散して表現されていました。

1. 「宗門(しゅうもん)」と「宗旨(しゅうし)」
江戸時代まで、最も一般的に使われていた言葉です。
宗門: 主に「どの組織(お寺)に属しているか」という集団・戸籍的な側面を指しました(例:宗門改め)。
宗旨: その組織が掲げる「根本的な旨趣(モットーや教え)」を指しました。
現代人が「私の宗教は〇〇です」と言う代わりに、当時の人は「私の宗旨は浄土真宗です」という言い方をしていました。これは「個人の内面的な信仰」というより、「我が家が代々受け継いできた家風や所属」というニュアンスが強いものでした。

2. 「道(みち)」
これが最も日本的な概念かもしれません。日本人は、神道や仏教、あるいは儒教などを、抽象的な「宗教」ではなく、人間として歩むべき**「道」**として理解していました。
神道(かんながらのみち): 自然や祖先と共に生きる、日本古来のあり方。
仏道(ぶつどう): 悟りを開くための修行や教え。
儒道(じゅどう): 社会秩序や道徳(親孝行など)の規範。
これらは互いに排他的なものではなく、「神道は日本人のルーツ、仏教は死後の救い、儒教は社会のルール」というように、**人生の局面ごとに使い分ける「並行する道」**として共存していました。

3. 「教(おしえ)」
「仏教」「儒教」「キリスト教(切支丹教)」といった言葉に含まれる「教」です。これは文字通り「教え」を指しますが、現代の宗教概念よりも広く、「学問」や「道徳」と未分化でした。
明治初期の知識人たちは、西洋の "Religion" を翻訳する際、最初は「法」や「教門」「神教」などの言葉を当てようと試行錯誤しました。最終的に「宗教(宗派の教え)」という言葉が選ばれましたが、それまでは**「学問(サイエンス)」と「教え(リリジョン)」の境界線すら曖昧**だったのです。

概念の構造的な違い
日本人が「宗教」という言葉を使わなかった頃の頭の中を整理すると、以下のようになります。
現代の「宗教」 明治以前の感覚 ニュアンス
Identity(身分) 宗門・宗旨 
どの組織の台帳に載っているか
Ethics(倫理)道(みち)・教え 人間としてどう振る舞うべきか
Ritual(儀礼)祭祀・法用 季節や冠婚葬祭の行事

https://gemini.google.com/share/73c1b0e40c8c

思い出してみれば、井上円了先生は、哲学を広く学ぶこと=世に正しい道徳を広めること、と認識していた、という話を前の記事で書きました。その流れでその記事では哲学を「様々な過去の偉人たちの教えというか試行錯誤を学びながら、それを自分なりに体系化して、自分流の「生き方」を発見していく営み、それが「哲学」なのかな」と結論づけました。

そして日本人にとって「哲学」のイメージを決定づけたものが、西洋から輸入された書物の翻訳語の選択です。またまたこの方に登場していただきます。流れを抑えたいので、また長めに引用します。

井上哲次郎は東京大学で最初の哲学専攻の学生であり、1880年7月に卒業した。井上はもともと、ヨーロッパに留学して哲学を学ぶことを希望していたが、反対にあって実現することができなかった。このとき、留学計画を支持した東京大学法理文三学部綜理の加藤弘之は、井上に『東洋哲学史』の編纂を依頼したが、このことと東京大学哲学科が後に東洋哲学史課程を増設したこととは明らかに密接な関係があった。(中略)加藤は哲学を単に西洋のみのものであるとする段階から、東洋・西洋それぞれが哲学を有する形へと転換する過程で極めて重要な役割を果たしたのである。(中略)東京大学哲学科は東洋哲学史の課程を増設したが、その任に堪える教員の不足により、開設後 2年間は実際には開講しなかった。このとき東洋哲学史の編纂という目的を抱いて文部省編輯局に入った井上哲次郎は、教科書の編纂を主たる業務とする編輯局 が『東洋哲学史』を教科書として承認しなかったため、希望が叶わずにいた。また彼は文部省の官僚主義とも合わず、わずか 1年で、しきりに加藤弘之を訪問しては、文部省が自分には合わないと述べた。そこで加藤は、井上に東京大学に来て『東洋哲学史』を編纂する ことを提案した。(中略)1881年4月、東京大学文学部が独立したばかりの哲学科および漢 文学科に印度哲学科および支那哲学科を増設したまさにその時、井上哲次郎は和田謙三・ 国府寺新作・有賀長雄らとともに、イギリスのグラスゴー大学の教授フレミング(William Fleming)の『哲学字典(The Vocabulary of Philosophy, Mental, Moral, and Metaphysical; with Quotations and References; for the Use of Students)』に依拠し、それを大幅に増補して、『哲学字彙』を編纂した。(中略)3年後に再版された改訂増補版の有賀長雄の「緒言」によれば、 『哲学字彙』は何人かの東大同窓生が共同で編纂したものであったが「井上君が最も力を 尽くした」という。井上哲次郎の主導した『哲学字彙』は、全て漢字で対訳していたため、 漢字の清国音表記まで付されていた。
この時期、日本における翻訳は次第に盛んになっていたが、それぞれの用語が統一されていなかったため、多くの問題が生じていた。(中略)したがって、『哲学字彙』の貢献は、まさに訳語を統一したことにあった。 『哲学字彙』は出版2年にして売り切れ、哲学〔という語〕もまた、日ごとに流行するよ うになった。「哲学」という語は西周が作りだしたものであったが、もともと東方の儒学と相対する西洋哲学を限定的に指したものであった。しかも訳語として用いられたものには「希哲学」・「理学」・「究理学」・「希賢学」・「天道」・「聖学」および音訳の「斐魯蘇非〔フィ ロソフィ〕」などがあった。『哲学字彙』の編集・出版は、「哲学」を “philosophy” の専用の訳語として確定したのみならず、幾度かの調整や増補を経て、次第に一つの固定して系統だった専門用語を形成した。その際重要なのは、西周は漢字を使用したが、中国の典籍の中の言葉をそのまま訳語として使用しようとすることはなかったことである。これに対 して『哲学字彙』の収録する語彙は、フレミングの『哲学字典』の 2倍あまりに増加して いたうえ、井上らは意図的に儒教・仏教の経典にある言葉を使用して訳語とする傾向にあり、西周のやり方とは明らかに異なっていた。

桑兵「近代「中国哲学」の起源」

加藤弘之という名前が出てきたのでリンクをおいておきます。「福澤諭吉、森有礼、西周らとともに明六社を結成」とあります。

それはさておき、「井上哲次郎の主導した『哲学字彙』は、全て漢字で対訳していた」「井上らは意図的に儒教・仏教の経典にある言葉を使用して訳語とする傾向」というところに注目したいです。

この筆者は「西周のやり方とは明らかに異なっていた」とありますが、漢字の熟語で英単語を訳す、という意味では、確かに踏襲しています。そして、この記述を読んで思ったのは、なぜ、井上円了先生が仏教の先に哲学を見たのか、という問いに対する謎解きです。

言い方を変えると、そもそも、日本に翻訳されて紹介されている「哲学」の話の中には、儒教・仏教の経典にある言葉が入り込んでいるのです。このことはつまり、広い意味で宗教解釈も含めたいわゆる「西洋哲学」と「東洋哲学」が同じ概念を用いている部分がある、ということを意味しています。

そもそもの話、人間の考えることを「西洋」と「東洋」に分けられるものなのでしょうか? 例えば有名な話では、ユングは「易経」の影響を受けてタイプ分けを考え出した、という話もあります。その後、ユングのタイプ分けはMBTIとなって一般化していますが、これは西洋思想に基づくものなのか、東洋思想に基づくものなのか、どっちなんでしょうか?

試しに、井上哲次郎の説明に「「形而上」(Metaphysical) などの漢訳語の考案者でもある。」とありました。この言葉について考えてみます。もとの英語の Metaphysical は、ギリシャ語の「meta」(超える)と「physika」(自然のもの)から来ているそうです。 つまり、「metaphysical」は、自然を超えたものを指す言葉、ということになります。ありのままを超えたもの、というくらいの意味でしょうか。

この「形而上」は易経の「繋辞(けいじ)」に「形而上者謂之道、形而下者謂之器(形よりして上なる者は道と謂い、形よりして下なる者は器と謂う)」とあるのが起源だそうです。このことから「形而上」は、「物理的な形を持たず、時間や空間を超えた、抽象的・理念的なもの。思考や理性でしか認識できない道(道理)そのもの」、という意味で使われているそうです。

もともとの易経を知っていれば、哲学用語として読んだときにイメージが湧くのでしょうが、知らなければなんのこと?となってしまうと思いますし、こういうなじみのない日本語っぽい言葉がたくさん出てくると、哲学って難しいのね、となってしまうのが現実ではないかな、と思います。

言い方を変えれば、いわゆる「東洋思想」「東洋哲学」と言われる文献に使われている用語が翻訳語として、「西洋思想」「西洋哲学」に入り込んでいる、というのが現在の普通の日本人から見たときの「哲学」の現在となっているわけです。ややこしくて、わけがわかりませんね。

長くなりましたので、今回はこの辺で。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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