3-7-② あの日へ②
*注意*
本作は『ジョジョの奇妙な冒険』および『クレイジー・Dの悪霊的失恋』をもとにした非公式の二次創作です。
原作および出版社とは一切関係ありません。
おもいっきりネタバレしています!!!
花京院涼子は気がつくと整備された庭の通路に立っていた。
向こうには大きな白い建物が見える。
建物の周りにはナツメヤシの木が並んで植えられ、壁にはブーゲンビリアのつるがつたい赤い花を咲かせていた。
空は青く晴れ渡り、暖かい日差しが差し込んでいる。
(ここどこ……? 私、雪の積もった嶺冥山にいたはずなのに……?)
涼子が首を捻っていると、建物1階正面の出入り口の自動ドアが開き、サングラスをかけた緑の学生服の男が出てきた。
男は、周囲を見渡した後、腕時計で時間を確認した。
そして、詰襟の胸元から紙を取り出してみていた。
(典明お兄ちゃん! サングラスしているけど……なんでこんなところに?)
「典明お兄……」
「Hail 2 U!」
目の前に大きな白い土偶が現れた。
「きゃあ!」
*
拾った写真を持って見つめたまま、涼子は動かなくなった。
「涼子ちゃん?」
「どうしたんスか、先輩……」
仗助が涼子に手を伸ばそうとすると、
「Hands off the lady, pal―her soul’s on a little vacation through the past.
You touch her now, and boom! You’re takin’ a detour to someone else’s historyyyyyy!」
いきなり英語が聞こえてきた。
「な、誰だ?」
仗助があたりを見渡すと、あたりに生えたナナカマドの枝のてっぺんに、大きな土偶のような人形のようなロボットのような物体が、ヒョコンと座っていた。目は自転車のライトのようで指は4本だ。
「てめえ、スタンド使いか!」
仗助が自分のスタンドを出すと、
「Attack me, and that girl’s soul? Lost forever in the past…Hail 2 UUUUUUUU!」
「よせ、仗助君!」
と典明が仗助を止め、
「You're a Stand, aren't you? What do you mean her soul has gone into the past?」
と英語でスタンドらしき相手に話しかけ始めた。
「That phrasing... I’ve heard it before. You related to Cameo or somethin’, huh?」
「Ah... it does bring back memories. Yes.」
「C-Cameo...? W-Who’s that again―? N-Never heard of him!
I-I mean, I’m the mighty God Heph! Yeahhh, that’s right!」
ホル・ホースとボインゴもそれぞれ英語で話し始めたので、英語のわからない仗助は置いてけぼりになってしまった。
(兄貴にボインゴさんまで英語で、マジかよ……おれだけ置いてけぼり?)
「Anyway, like I said―attacking me ain’t the smart move, pal.
Just sit tight and behave until the game’s over!」
「Game? What are you talking about?」
「My Stand―God Heph―is the Stand of Regret! It sends your soul back to the moment you regret most, and gives you a chance to change the past!」
「Change... the past?!」
「What the hell?! You're sayin’ this girl’s gone back in time?!」
典明やホル・ホースたちが敵のスタンドらしき物体と英語で言い合い、内容に驚いているようだった。が、仗助には何をいっているのかさっぱりわからなかった。
(ゴッドは神……パストは過去、か? チェンジ・ザ・パストは、過去を変える? ちくしょー、ペラペラペラペラ英語まくしたてやがってー。
ったくよー、日本にくんなら日本語ぐらい話せるよーになってからこいっつーの!)
スタンドと典明たちの会話を見守るしかできない仗助は、イライラしてきていた。
ちらっと立ったままの涼子をみると、写真を手に持ったままピクリとも動かない。手は手袋をはめているが、顔の色が少し血の気が引いてきたように見えた。
(動かねーし話さねーんじゃあ、冷たくなっちまうな)
先ほどの休憩で、サルジュが持ってきてくれたカイロをたくさん仕込んではいたが、このままでは凍えてしまいそうだ。
心配になった仗助は自分のダウンを脱いで涼子に被せるように着せてやった。
「おい、仗助!」
「仗助君!」
ホル・ホースと典明の叫び声が重なり、続いてスタンドのバカにしたような声が響いた。
「"Ohhh nooo... didn’t I just say that? What a dummy!」
その瞬間、仗助の目の前が真っ白になった。
*
「何? あなた! スタンド?!」
「Hail 2 UUUUU!
現在時刻は1989年1月16日朝9時、場所はエジプトアスワンの大学病院前~
ようこそ、過去へ、花京院涼子ちゃん!」
自転車のライトの目をつけた土偶のようなスタンドは、涼子の前でマジックでも見せるように両手を上げた。右手には太陽、左手には花京院典明が載っている様に見えた。
「か……過去?」
「そう、過去。」
と土偶は左手の花京院典明を示して、
「あと8時間15分後の午後5時15分、花京院典明は死ぬ」
と続けた。
「え……」
「DIOのスタンドに腹を貫かれ、タンクに叩きつけられて冷たい水に浸かり、血を吐きながら、ね」
涼子は言葉が出なくなった。
のどが詰まって。知っている、知っていることなのに。
「なーんでDIOと戦うことになっちゃったの?
それは~夏のエジプトの旅行でやつに見つかって肉の芽を植えられて操られちゃったからー
真面目な典明お兄ちゃんはDIOが許せなかったんだよねー
肉の芽を抜いてもらったのにいー、打倒!DIOってジョースターたちについて行っちゃったのー」
土偶はくるくると踊るように涼子の周りを回りながら続けた。
「じゃあ、なんでー旅行でやつに見つかっちゃったかっていうとー」
土偶は涼子の耳元に顔を近づけて言った。
「従姉妹の涼子ちゃんが迷子になっちゃったからなんだよねー」
「な……なんで……それを……」
涼子が土偶を見ると、やつはじっと涼子を見つめた。
「花京院涼子はずっと後悔してきた。
あの時私がカイロで迷子にならなければ、典明お兄ちゃんは探しに来なかった。
そうすれば典明お兄ちゃんはDIOと会わずに……」
「や、やめて……」
涼子はスタンドから目を逸らしたが、土偶はその視線の前に移動して、涼子を見つめながら続けた。
「典明お兄ちゃんは死ななかった。
私が迷子になったから典明お兄ちゃんは死んでしまった。
大好きな大好きな典明お兄ちゃんを──」
「やめてえ!」
「私が殺したんだ……ってね」
目の端に映る花京院典明が滲んで見えた。
そう、ずっとそう思ってきた。
あの日、私が迷子にならなければ。
典明お兄ちゃんは死ななかったかもしれないのに。
私が、私が……
土偶はふわりと浮くと、涼子の後ろに回って肩に4本指の手を置いた。
「オレはおまえさんを助けにきたんだよ。おまえさんにチャンスをあげようと思ってねえ。い~いスタンドなんだよオレは。」
スタンドは花京院典明を指さした。
「この後10時、花京院典明はSPW財団の専用機でカイロに出発する。そうしたらやつの死は確定する。それまでに……」
涼子はスタンドを見た。
「カイロに行かないように説得してあいつを止めるんだよ~ そうすれば……」
「典明お兄ちゃんは死なない……」
「拾った写真の続きが見たいねえ、花京院涼子ちゃん」
土偶のライトの目が笑うように歪んだ。
*
涼子にダウンを着せた仗助も、涼子を見たまま同じように動かなくなってしまった。
「バカだねー、オレ知らねーよー」
とヘフ神と名乗るスタンドがお手上げというように両手を広げた。
「貴様、仗助君にまで何をしたッ!」
「ダメだねー英語の勉強はちゃんとしておかないとさー そいつも自分の過去に飛ばされたのさ。もっとも、オレのターゲットは写真を拾ったその子だけだから、そいつがどこに行ったのかは知らないけどねー」
「魂を過去に、だと? ダービー兄弟のようなスタンド能力か?」
典明がヘフ神を追求する。
「ダービー? あー……まー近いと言えば近いかなー」
ヘフ神はナナカマドの木の上で伸びをし、ポキポキと首を捻りながら続けた。
「オレの能力はさっきも言った通り、後悔のスタンドさ。自分の人生に満足している人間なんてそういない。誰もが不満を抱いているし、ああすればよかったこうすればよかったと、過去の後悔を抱えながら生きている。オレはそんな人間を救ってやるのさ。いーいスタンドだろう?」
土偶は4本の指の1本で動かない涼子を指さした。
「その娘は、この10年、自分のせいで大好きな典明お兄ちゃんが死んだんだって、ずっと苦しみ悔やんできた」
典明は少し息を呑み、涼子を見ると、ヘフ神を見て言った。
「……涼子ちゃんのせいじゃあない。彼女はむしろ被害者だ」
「そいつはそう思っていなーい。」
スタンドは両手を広げて続けた。
「この10年ずっと自分のせいだと思ってきた。そして、これからの50年だかの長ーい人生、ずーーーっと自分のせいだって思って悔やみながら生きていくんだ。かわいそうだろう? だからオレがその苦しみから解放してやるんだよ。魂を過去に送って過去を変えさせるチャンスをやるんだ。」
「変えさせてどうするんだ?」
「さあ、どうなるのかねえ、変わった未来はわからないなあー」
「違う」
スタンドを睨みつけた典明は、指を突きつけて続けた。
「時空を超えて過去にいき、過去を変えるなんて、少し考えただけでもとてつもないエネルギーが必要だろう。ボランティアでそんな労力を与えてくれるような、いーいスタンド、には見えない」
土偶のライトの目が笑うように歪んだ。
「代償は彼女の魂か……神どころか悪魔だな」
「……どうかねー、ずーーーっと後悔を抱えながら長ーい人生生きていくのと、自分は悪くなかったーって満足して死ぬのと、どっちが幸せな人生かねえ」
*
涼子は病院の建物の裏手に回った。
背後には土偶がふわふわと「スタンドは目に見えないから大丈夫ー」と歌うようについてくる。
スタンドの能力で過去を変えるには、さらに条件があるという。
「過去を変えるってことは歴史や未来が変わっちゃうってこと~。オレの親切心を持ってしても、そう簡単にはいかないのよ~」
涼子は花京院典明をカイロに行かないよう説得して止める。
その際、涼子が自分の従姉妹の花京院涼子だと知られてはいけないし、涼子が未来からやってきたことも、典明の今後の将来を知っていることも知られてはいけない、のだという。
そして、チャンスは一度きり。
「知られたら即終了~ 現代に戻りますー」
7歳の頃と違い18歳の涼子は成長している。とはいえ、面影はあるだろう。そのまま会うのはまずいと思った。
典明お兄ちゃんは控えめだがとても頭がいいし、勘もいい。そして意外に頑固なのだ。そんな典明を相手に正体がバレない様に説得をしないといけない。これはハードルが高い。
1時間という時間制限もある。
(でも……これで典明お兄ちゃんが死なないのなら……ッ! 頑張るのよ、涼子! 典明お兄ちゃんを私が助けるのッ!)
病院の裏からバックスペースの廊下に忍び込んだ。
椅子に乱雑に置かれた白衣と、ハンガーにかかっていたヒジャブ、机の上の薄く色のついたメガネをそっと拝借し、コートを脱いで白衣を羽織った。変装をすることにしたのだ。
白衣は少し大きかったが少し袖を捲れば誤魔化せそうだ。中の胴着は隠れ、袴もロングスカートに見えるだろう。ヒジャブを巻いてメガネをかける。鏡を見るとどこかの中東の女性だ。
そして変装した涼子は、病院の入り口の外来に向かった。
始まったばかりの病院は、診察を待つ患者でごった返し、職員は対応に追われている。いかにも前からこの病院にいたように堂々と歩けば、誰も涼子を怪しまず見向きもしなかった。
「がーんばってねー 10.0のオレの視力で遠くから見守ってるよー」
土偶はそういって飛んでいくと、建物の脇のナツメヤシの葉の中に潜り込んだ。
花京院典明は、病院玄関入り口から少し入った玄関脇に外を見ながら立っていた。
背後からそっと近づき、背中をポンと叩いた。
硬い背中に暖かい感触があった。
そこにいるのは、幽霊でない、影をもってそこに実在する生きた肉体だった。
(10年前のまま……生きている……典明お兄ちゃんが、生きてる……)
抱きつきそうになるのを必死でこらえる。
典明は振り向いて涼子を見た。
「あの……花京院典明さん?」
赤の他人のふりを必死で取り繕い声をかけた。
「スピードワゴン財団のものです。出発時間の調整中なので、それまでご様子を伺おうかと思いまして」
内心ドキドキしながら涼子が話を続けると、
「ああ、お世話になります」
と典明は、サングラスをはずして、笑顔を返した。
(よかった、バレてないみたい……)
外来の待合スペースの隅に、小さなテーブルとチェアのセットがあった。そこへ誘って典明と向かい合って座った。
これから花京院典明を説得するのだ。花京院典明を救うために。
涼子はサルジュと”同期”して、エジプトに上陸後のジョースター一行の足取りの記憶を見ることができた。その記憶から、花京院典明のこの時の状況を確認していた。
(この病院にはゲフ神のスタンドに目を傷つけられて入院していたのよね……)
砂漠でゲフ神に襲われてスピードワゴン財団の職員が殺され、典明が目を傷つけられた記憶を思い出した。
「目のお加減はいかがですか?花京院さん」
「財団の医師の方々に治療いただいたおかげで、すっかりよくなりました。傷が残ってしまったのでサングラスをしていますが、視力は元通りです。」
「それは……よかったです」
(財団の人たち、ここでも典明お兄ちゃんを治療してたんだ。目が良くなってよかったのかしら……よくならなければ、典明お兄ちゃんはDIOと戦わずにすんだんじゃあないかしら。)
「どうかされましたか?」
典明が聞き返した。
ヒジャブ越しメガネ越しに涼子の動揺が伝わってしまったらしい。
(まずい……やっぱり、典明お兄ちゃんは鋭い……あ、でも、これを利用すれば……)
「いえ、その、目を怪我された時、財団のものもおりまして……その……」
「ああ……」
と典明は悼むような視線を涼子に向けた。
「財団の職員のお二人ですね。犬のイギーを連れてきてくれた……ジョースターさんも憤っていましたが、スタンド使いの戦いに巻き込んでしまって、僕も大変申し訳なく思っています。」
「怖くないですか?」
と涼子は典明に聞いた。
「そうですよね、仲間の方があんな亡くなり方をしたら怖いですよね。お察しします」
典明は涼子の共感するように悲しげに首を振ったが、涼子は遮った。
「いえ、貴方です。花京院典明さん」
「僕……ですか?」
典明が涼子を見つめる。
震える手を握りしめて、涼子も典明をメガネ越しに見つめ直す。
「目の前で財団の職員が2名、スタンド使いの攻撃で惨殺され、貴方も目を傷つけられ一時は失明の危機だったと伺っています。怖くないんですか? これからジョースターさんたちのところに戻れば、またスタンド使いと戦いになります。また傷を受けるかもしれません。今回の傷は治りましたが、もしかしたら次の傷は……」
典明はじっと涼子を見つめて聞いていたが、静かに口を開いた。
「怖くない、と言えば嘘になります。目を傷つけられた時は痛みを感じました。目が見えなくなり、元通りに見えなかったらどうしよう、と不安も感じました。でも……」
少し目を伏せていた典明は顔を上げた。
「でも?」
「大事な人たちを、そして自分自身を失うことの方が、僕にとっては怖いです」
典明は涼子を見ながらきっぱりと答えた。
「大事な人たちと……自分自身?」
不思議そうに聞き返す涼子に典明は答えた。
「ええ。ご存知かと思いますが、僕はDIOに肉の芽を埋め込まれ操られて人を傷つけました。」
穏やかな表情に嫌悪感をのぞかせる。
「許せませんでした。操ったDIOもそうですが、操られてしまった自分自身が。あの時DIOを前にして僕は動けませんでした。奴に殺されると恐怖し、殺されずに済んだことを喜びすらした、戦いもせずに……! 僕はそんな自分が……あの時の自分が許せない。戦わなかったあの時の自分に戻る方が、よっぽど怖いです」
典明はいつもの優しい典明お兄ちゃんではなかった。涼子の知らない、戦う男の顔だった。
「で、でも、死ねかもしれないんですよ!」
思わず口調が上ずる。
涼子は立ち上がるのを堪えた。
(まずい……でも……)
典明は一瞬驚いたような表情になったが、すぐに元の穏やかな表情に戻り、
「ええ、だから行くんです。」
と続けた。
「だから?」
「インドで仲間が撃たれて負傷したことがありました。彼は幸い生きて後で復帰しましたが、僕はその時彼が死んだと思いました。目の前で撃たれ、意識のない彼を揺さぶり起こして……」
典明はじっと自分の手を見つめた。
涼子の知らない話だ。
(撃たれた……撃ったのはきっと……)
典明はぎゅっと手を握りしめた。
「2度とあんな恐ろしい想いはしたくありません。仲間を失いたくない……だから……」
*
「確かにお前のいうとおりだ、ヘフ神。長い人生を後悔を抱えながら生きていくのは辛いものだ」
花京院典明はヘフ神に答えた。
「お、おい、花京院? って、嬢ちゃんは……?」
驚いたホル・ホースが典明に問い、
「ほーお、ずいぶん物分かりがいいじゃあないか? 従姉妹と引き換えに生き延びようってか?」
ヘフ神はニタニタと笑った。
典明はヘフ神を指さして続けた。
「ヘフ神、お前のスタンド能力は、ターゲット、この場合は涼子ちゃんを過去に送って過去を変えるチャンスをあげる、お前自身は過去を変えようとはしない……そうだな?」
「そーうさー、この娘は今過去で1人頑張ってるさー」
「そして、彼女が後悔し、変えたいと願っている過去──それは、僕だ」
「アスワンの病院で、カイロに行かないようゼッサン説得中~てわけだ。」
「そうか、なら……」
花京院典明は、見栄を張るように姿勢を正して、ヘフ神を見返した。
「過去は変わらない。」
「なんだと?」
ヘフ神は木から降りて、聞き返した。
「僕は自分を知っている。過去の僕も、きっと同じ選択をする。また、彼らと旅に出る。
一人で過ごす50年より、彼らと過ごす4時間を、僕は選ぶッ!
Game is over. God Heph! Hell to you!」
*
「だから、僕はカイロに向かうよーーー涼子ちゃん」
穏やかな表情のまま典明は涼子に続けた。
「ど……なんのことですか……涼子って誰」
「僕は顔は母似、声と体格は父似とよくいわれる。親子は似るものだ。」
誤魔化そうとする涼子を、穏やかだが反論を許さない口調で遮り典明は話を続けた。
「背格好、体型、歩き方、声に話し方、ふとした仕草、全体を漂う雰囲気……君は由美子叔母さんにそっくりだ。そして、その考える時や困ったときに左手を握って指をさする癖。それはおばさんにはない涼子ちゃんの癖だ。こういうものは変わらない。さらに、その腕時計」
ハッとした涼子は自分のしている腕時計を触る。ほとんど袖から見えないはずなのに、見ていたのか。これは。
「カルティエサントス・ガルベー”リーブル・モデル1988”……17歳の誕生日に父が僕にくれた」
典明は自分の腕時計を見せた。涼子が今しているのと同じ、でももっと新しい、10年前の。
「それは僕の時計だ」
涼子のもらった肩身分けは2つ。さくらんぼのイヤリングの片割れと、腕時計。
「何より」
言葉の出ない涼子に、典明は優しい笑顔を見せた。
「僕をそんなに一生懸命想ってくれる女の子は、世界中で君だけだ。花京院涼子ちゃん」
ぐらり、と世界が歪む。
周囲が真っ暗になり、床も壁も天井も、渦を巻くように溶けていく。
残されたのは、涼子と典明のふたりだけ。
だがその典明は、徐々に涼子から遠ざかっていく。
「行かないでッ!典明お兄ちゃんッ!行っちゃだめッ!行かないでッ!」
涼子が立ち上がって叫び手をのばしたが、典明がその手をとることはなかった。
「ありがとう涼子ちゃん。こんなところまで来てくれて──」
「行かないでッ!お願いーーッ!」
必死に叫ぶのに、届かない。涼子の目に涙が溢れた。
典明はぐんぐん遠くなっていく。
「なか──いで──ちゃ──、──は──と──で────な──」
「聞こえない……聞こえないわ! 典明お兄ちゃん!」
「典明お兄ちゃん!」
*
「涼子ちゃん!」
「大丈夫か? 嬢ちゃん」
気がつくと目の前に典明お兄ちゃんがいた。
心配そうな顔で涼子を覗き込んでいた。
隣にホル・ホースもいる。
周囲を見渡すと、月明かりの暗い夜の山中に、雪の地面。
典明お兄ちゃんは影のない幽霊のままだった。
過去は、変わらなかった。
「典明お兄ちゃん……」
涼子の目から涙が溢れていった。
「私……典明お兄ちゃんに……」
死んでほしくなかった。生きていて欲しかった。
涙が頬を伝ってぽタポタとこぼれ落ち、涼子は顔を覆い言葉もなく肩を振るわせた。
典明はスタンド・ハイエロファントグリーンの両手を伸ばし、涼子の肩に置いた。
「すまない、涼子ちゃん。こんなふうに悲しませ、ずっと君に責任を感じさせてしまったことを謝りたい。ごめん。」
顔を上げた涼子の目を、典明は真っ直ぐ見つめて続けた。
「君は悪くない。あのエジプト旅行は仕組まれたものだった。君のせいじゃあない。君は悪くないんだ。それに……」
少しためらった後、決意したように静かに語りかけた。
「君や母さん父さんのことを思うと良かったとは言えないが、僕はこの結果を後悔していない。
何度過去に戻っても、やはり彼らと旅に出る。」
「……典明お兄ちゃん」
「へー、ミッション失敗の負け惜しみだねー、え……て……」
からかい始めたヘフ神の動きが鈍くなった。
ずるずる、ズボン、と音がすると、ハイエロファントグリーンの触手にぐるぐる巻きに絡め取られた男が雪の上を引き摺られて近づいてきた。褐色の肌に縮れた黒髪の男は、帽子に手袋にブーツにダウンを重ね着してもこもこに膨れていたが、全身泥と雪にまみれ汚れていた。
「やっと見つけた。まさか地中に潜っていたとは思わなかったから時間がかかったよ。お前はヘフ神の本体だな」
男を見下ろした典明が言うと、男は首を振って叫び声を上げた。
「こ、殺さないで! ジャッジメントのカメオの甥の、ヘフ神のマチズモです! 吸血鬼に脅されて協力してただけなんです! 殺さないで!」
「へー、カメオの甥かあ」
とホル・ホースがのぞき込み、
「……そっくりです」
とボインゴもつぶやいた。
「さて、次は仗助君を返してもらおうか。」
典明が冷たく言い放った。
