イギリスのメディア王と呼ばれたロバート・マクスウェルの成功と転落(ホロスコープ検証も少々)

黒塗り部分が公開されないままのエプスタイン・ファイルですが、英王室の王子とその配偶者だけは粛々と制裁を受けているようです。
※長年、私は「アンドリュー王子」と呼んでいたので、そのまま呼ばせていただきます。
アンドリュー王子の爵位が正式に削除されることが発表されたのは、昨年の10月30日でした。
チャールズ国王、アンドルー王子から「王子」の称号剥奪を正式発表 今後はマウントバッテン・ウィンザーに | カルチャー | ELLE [エル デジタル]
その時の様子は以下の記事に少しだけ書きました。
アンドリュー王子は、ロイヤル・ロッジを出て行かねばならなくなり(ドバイ移住は実現しなかった?)、王室の私有地である農場の古くて小さな邸宅に引っ越すことになりました。
また元妻のセーラ妃(サラ・ファーガソン)もエプスタインとの交流が暴露され、さらに金銭問題で窮地に陥っています。

アンドリュー王子とサラについての詳細は別記事にし、この記事ではジェフリー・エプスタインの元恋人と言われるギレーヌ・マクスウェルの父ロバート・マクスウェルについて書いておきます。
長くなってしまいましたが、よかったら読み進めてください。
ロバート・マクスウェルについて

ロバート・マクスウェルは、チェコスロバキアのユダヤ人の家庭に生まれました。
当時はヤーン・ルドヴィーク・ホッホ(Ján Ludvík Hoch)という名前でしたが、1940年にナチスの占領からイギリスに逃れたのちに改名を繰り返し、最終的に1946年にイギリス市民権を取得し、イアン・ロバート・マクスウェルと名乗るようになりました。
「ホッホ」姓は、中高ドイツ語で「高い」という意味があります。かつては、身長が高い人、あるいは高尚な血筋、または高地に住む人を表していたそうです。ドイツへの批判が高まっている時期、いかにもドイツの響きがある、この名前を隠したかったのでしょうね。

イギリスに渡った彼は、イギリス陸軍に入隊しました。
軍曹として知力と語学の才能を生かして様々な任務をこなし、昇進を重ね大尉になったそうです。
戦後は連合軍占領下のドイツ・ベルリンでイギリス軍司令部の新聞検閲官として働きながら、コネを利用してビジネスを始めました。
まず科学出版社シュプリンガー・フェアラーク(Springer Verlag、現在のシュプリンガー・サイエンス+ビジネス・メディアの前身)の出版物のイギリスおよびアメリカにおける販売権を得ました。
シュプリンガー・フェアラーク社は、1842年にユダヤ系のユリウス・シュプリンガーが創業しました。ユリウスの死後、シュプリンガー・フェアラークは彼の息子、フェルディナント・シュプリンガー・ゼニオール(ドイツ語版)とフリッツ・シュプリンガー(Fritz Springer)が引き継いだ。
これ以降同社は多くの学術分野、とりわけ数学など自然科学分野の書籍出版に特化するようになる。
1951年にはシュプリンガー・フェアラークから小さな教科書出版社バターワース・シュプリンガーを買収し、教科書出版社ペルガモン・プレス・リミテッド(Pergamon Press Limited)を設立しました。
ペルガモン・プレスはバイオテクノロジー、化学、教育、工学、昆虫学、言語学、材料科学、薬理学・毒物学の国際百科事典を出版し、イギリス有数の出版社になったそうです。
ペルガモンからは、ローマクラブの複数の出版物も出版されています。
どうして「ペルガモン」?
ペルガモン・プレス社のロゴは、現トルコ・ペルガモンのギリシャ時代の硬貨を模したものだったそうです。
しかし、どうしてその名前を選んだのでしょう?


ペルガモンは、紀元前8世紀後半の陶器の破片などが発見されています。
都市の名は、ギリシャ神話の英雄ペルガモスに由来しており、ペルガモスは、ホメロスの叙事詩『イーリアス』に登場するトロイの城塞の名前でもあります。
紀元前362年、ミュシアの太守オロンテスはペルガモンを拠点としてペルシア帝国への反乱を起こしたが、失敗に終わった。
アレクサンドロス大王の出現によって初めてペルガモンとその周辺地域はペルシアの支配から解放された。
ヘレニズム以前の都市の痕跡はほとんど残っていない。その後の時代に地形が大きく変化し、広い台地の建設に伴って以前の建造物がほぼすべて撤去されたためである。


ペルガモンのアクロポリス遺跡のひとつである「ゼウスの大祭壇」は、1864年から65年の冬にドイツ人考古学者カール・ヒューマンによって発見されました。1878年9月から発掘が始まり1886年まで続いたのち、オスマン政府との合意によってベルリンへ運ばれ、1930年からベルリンのペルガモン博物館に復元・展示されています。
研究者によれば、この祭壇は紀元前166年から156年の間に建てられたものであり、ペルガモン王国の(特にエウメネス2世)のマケドニア人、ガラティア人、セレウコス朝に対する勝利を記念する「総合的な勝利記念碑」であったとされる。
ローマの建国者ロムルスが伝承上「雌狼に育てられた」とされるのに対し、アッタロス朝が祖とするペルガモンの伝説的建国者テーレポス(ヘラクレスの息子)は雌ライオンに授乳されている場面がフリーズに描かれていることから、ペルガモンがローマよりも優れていることを象徴的に示す意図があったと解釈されている。


ペルガモン博物館での復元展示では、古代において正面とされていた東側の壁ではなく、むしろ反対側の西側の階段のある面を強調している。
ナチス政権下では、この種の建築様式が模範として評価されるようになった。この建築様式を利用することはナチスのイデオロギーと合致し、祭壇は自己犠牲や英雄的死のイメージを喚起するものであり、ナチスは「善が悪に勝つ」というメッセージをも利用しようと試みた。

正面の階段の幅は約20メートル(66フィート)あります。
祭壇は一般的に神殿の前の屋外に設置され、おそらく犠牲を捧げる場所としてのみ使用されたと思われます。
ペルガモンのキリスト教の司教アンティパスは、雄牛の神アピスを表す香炉の中で生きたまま焼き殺されたと言われています。
ーヨハネ黙示録「サタンの御座のあるところに住む」ー
多くの学者は「サタンの座」はペルガモンの祭壇を指していると信じているそうです。
1939年、第二次世界大戦のために博物館は閉館した。
戦争終結時、ベルリン動物園近くの防空壕に保管されていた祭壇の部材は赤軍(ソ連)の手に渡り、戦利品としてソビエト連邦に持ち去られ、1958年まで戻ることはなかった。
1959年、祭壇の断片を含む収蔵品の大部分が東ドイツに返還された。
アメリカ進出
1960年代には富豪となっていたロバート・マクスウェルは、1981年7月、ブリティッシュ・プリント・コーポレーションを買収し、のちに社名をマクスウェル・コミュニケーション・コーポレーションに改名しました。
1984年7月、マクスウェルはデイリー・ミラーを含む6つの英国新聞を発行していたミラー・グループ・ニュースペーパーズ(現在はリーチ社の一部)を1億1300万ポンドで買収しました。
1988年にアメリカの米国の大手出版社であるマクミラン社を26億ドルで買収したほか、新聞社、レコード会社、語学学校(ベルリッツ語学学校)を所有し、同年後半にはサイエンス・リサーチ・アソシエイツ(SRA)とOfficial Airline Guide(英国に本社を置くグローバルな旅行データプロバイダー)を買収しました。
SRAは1938年にシカゴで設立された教育関係の出版社で、IBMが1964年に買収していました。
IBMはナチスドイツとの関係が知られていますが、子会社であるドイツのホレリス機械製造会社が1930年代初頭から機器をナチスに供給していました。
ナチスがドイツおよびナチス支配下に置かれた他国の市民を継続的な国勢調査で分類するためにIBMの機器を使用し、これらの国勢調査データは、ユダヤ人やその他の標的集団の一斉検挙や強制収容所での収容を含む移動記録に利用されたそうです。
現在の「パランティア」やイーロン・マスク氏の「スターリンク」が当時のIBMと同じような道を進んでいますね。


1989年、SRAはマクスウェルズ・マクミランとマグローヒルの合弁会社に売却されました。これによってマグロ―ヒルは、アメリカで2番目に大きな教科書出版社となりました。

アメリカ人が恐れているのは、三重スパイと言われるマクスウェルが教科書出版を支配していた時代に、研究者や執筆者を買収して真実を歪めていたのではないかということのようです。
マックスウェル・ケーブルテレビ、マックスウェル・エンターテインメントなどヨーロッパでのテレビ事業も起こし、ロバート・マクスウェルはイギリスのメディア王と呼ばれるようになりました。
マクスウェルのバックは?
Wikipediaには、マクスウェルの生家は貧しいユダヤ人の家庭だったと書かれていることが多いのですが、彼は1944年にチェコがドイツ軍に占領される前にフランスへ逃亡しており、1940年にフランスがナチスに占領された際(ヴィシー政権)には17歳で単身イギリスに渡っています。(家族の多くはアウシュヴィッツで絶滅させられたという)
つまり、誰かの手によって、ロバートだけがホロコーストを逃れられたと考えられますが、そもそもチェコに家族がいたのでしょうか?
出生図検証
データバンクに、ロバートのホロスコープが登録されていましたが、Astro,comには「彼[ロバート・マクスウェル]自身に関する他の多くのことと同様に、彼は1923年6月10日の真夜中過ぎ、午前6時近く、そして正午と、出生時刻を変えていた。…実際には、彼が誕生した時刻に関する記録は存在せず・・・」とありました。
https://www.astro.com/astro-databank/Maxwell,_Robert
ドイツの教育出版社を買収した時はまだ20代前半だったでしょう。
その資金はどこから出たのか。

出生図を見ると、生まれ時間が不明なので月の位置が定まっていません。
蟹座で火星と冥王星(10度)がコンジャンクションし、蠍座木星(10度)とトライン。木星と冥王星のミリオネアトアスペクト持ちでした。
彼の権力のピークだった1988年は、トランシット冥王星(蠍10度)がネイタル木星にぴたりと乗っていました。
いや~ミリオネアアスペクトはすごいですね。
私も欲しかったなぁ(苦笑)
しかし、トランシット天王星が山羊座に入ると(1988年12月)、人生に翳りが見え始めます。
ロバート・マクスウェルは派手な生活を送っていましたが、多額の借金を重ね不正な経営をしているのではないかとの噂は長年伝わっていたそうです。
1998年には「ヨーロピアン(新聞)」が廃刊になり、彼は多額の借金一部を返済するためにパーガモン・プレスを含む事業を売却しました。
「ヨーロッパ初の全国新聞」として宣伝されたヨーロピアンは、ロバート・マクスウェルによって創刊されたイギリスの週刊新聞でした。
当初は発行部数65万部の日刊紙が計画されていましたが、最終的には週刊紙として発行されました。これは、特定の国ではなく欧州連合およびその加盟国に同等に報道を集中させる最初のヨーロッパの印刷出版物となる予定でした。1990年5月11日から1998年12月まで発行されました。
マクスウェルは、パーガモン・プレスを売却して得た資金を利用して、廃刊の危機に瀕していたニューヨーク・デイリーニュースを買収しました。
1990年末、彼が従業員の退職年金基金を横領した疑惑が浮上しました。

鉄の女と称されたサッチャー首相の政権の末期、1990年から1991年にかけてイギリスは不動産不況に見舞われました。サッチャー首相は、1990年11月28日に辞任し、20世紀で最長の11年の長き在任期間を終えました。
ロバート・マクスウェルの経営はすでに危機的状態になっており、さらなる借入金、年金、運転資金まで使って自社株を買い支えようとしました。
暗殺疑惑
1991年11月4日、ロバート・マクスウェルは、サウジアラビアの武器商アドナン・カショギから購入したスーパーヨット「レディ・ギレーヌ(Lady Ghislaine)」でクルージングに出発し、11月5日にヨットの乗組員によってロバートの行方不明が報告されました。
その数日後、大西洋で水死体となって発見されました。
公式には偶発的な転落による溺死とされたが、一部の評論家は自殺や殺害された可能性を推測しているとのこと。

11月5日といえば「ガイ・フォークス・ナイト」です。
【デスチャート検証】
デスチャートを見ると、トランシット天王星(山羊座10度)ノースノード(山羊座12度)、海王星(山羊座14度)のトリプルコンジャンクションが、ネイタル冥王星(蟹座10度)とオポジション、ネイタル土星(天秤13度)とスクエアでTスクエア。
これらはマクスウェル帝国の転覆を示しているようです。
トランシット火星(蠍13度)と冥王星(蠍19度)、太陽(蠍12度)のトリプルコンジャンクションが、マクスウェルのネイタル木星(蠍10度)にコンジャンクション。ネイタル太陽(双子18度)に対してクインカンクス。
ネイタル金星(牡牛23度)とトランシット冥王星のオポジション。
財政破綻を表しているだけでなく、生命の危機も表していたんでしょうね。

マクスウェルの場合、射手座ー山羊座ー水瓶座に天体が入っていないので、その場所に凶星が入って来て、ネイタルとハードアスペクトを取ったのが基盤を失う要因だったかも。
彼の死の直前、イスラエルの情報機関モサドの元将校アリ・ベン=メナシェが、マクスウェルとデイリー・ミラーの国際部編集者ニコラス・デイヴィーズ(Nicholas Davies)の二人は長年モサドのエージェントだったと主張しました。
マクスウェルがすぐに訴訟を起こすことはよく知られており、メディア界での影響力も大きかったため、ベン=メナシェの主張を取り上げる報道機関は現れなかったが、ジャーナリストのシーモア・ハーシュが著書『サムソン・オプション』の出版記者会見などの場で再三この説を取り上げたそうです。
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モサドの元将校がわざわざ「ロバート・マクスウェルはモサドのエージェントだ」と主張するということは、マクスウェルがモサドを裏切った腹いせか、あるいはMI6のスパイだったことから注意をそらすためだったかもしれません。
マクスウェルをモサドとKGBのダブルスパイだと言う人が多いのですが、MI6をあえて言及しないように見えます。
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ロバート・マクスウェルの長年の弁護士だったサミュエル・ピサール氏は、ポーランド系アメリカ人で、バイデン政権でアメリカ合衆国国務長官(第71代)を務めたアントニー・ブリンケン氏の継父でした。

その騒動の最中にマクスウェルが急死したため、マクスウェルとイスラエルの関係についてさまざまな見解が取りざたされることになり、デイリー・ミラーは証拠を明らかにすることなく、マクスウェルはモサドを脅迫しようとしたためモサドに殺されたのだとする主張を報じている。
マクスウェルのイスラエルでの葬儀は、国葬に相当する規模だったと言われています。

マクスウェルの隠された余罪か陰謀論か
ロバート・マクスウェルは、妻でフランス人のホロコースト研究者エリザベス・ジェニー・ジャンヌ・メイナールとの間に9人の子をもうけ、そのうち5人は後にマクスウェルの会社に入社しました。
末娘のギレーヌとロバートは「異様に親密な父娘関係」であったとされています。


1966年、マクスウェルはイスラエルの彫刻家ネヘミア・アザーズに、「ガザの門に立つサムソン」を描いたステンドグラスを依頼しました。
ロバート・マクスウェル自身がサムソンに扮していると考えられており、首にはペネロペの頭部を象った大きなペンダントがかけられています。これは、成功した男の背後には力強い女性の存在があることを示唆していると考えられています。(デリラがサムソンに与えた傷、そしてペネロペが旧約聖書ではなくギリシャ神話の人物であるという事実を考えると、これはかなり奇妙に思えます…。)
https://www.headington.org.uk/history/listed_buildings/headhillhall.htmより
妻エリザベスはユグノー貴族の子孫で、夫が死去した後、一時期フランスに帰国し城に住んだそうです。どんな実家だよって思いました(苦笑)
インスロー事件
ロバート・マクスウェルは、盗聴器が施されたイスラエル版PROMISソフトウェアを、アメリカで最も機密性の高い原子力研究所のサンディア国立研究所とロスアラモスに販売したと言われています。
PROMISは事件管理ソフトウェアで、ワシントンDCにあるインスロー社Inslawが開発しました。このソフトウェアプログラムは、検察庁が事件を追跡するのを支援するために、法執行支援局の支援を受けて開発されたそうなのですが。

前述のアリ・ベン・メナシェはインスロー事件で重要な証人となり、実業家アール・ブライアンがイスラエルにPROMISを持ち込み、最終的に強化版をイスラエル政府に売却したという宣誓供述書に提供しました。
1991年5月にベン・メナシェはブライアンが強化型PROMISをイスラエル情報機関とシンガポール軍の両方に販売し、数百万ドルの支払いを受け取ったと語った。また、ブライアンがパブリックドメインのバージョンをイラクやヨルダンに販売したとも証言しました。
しかし確たる証拠は提示されませんでした。
1999年にイギリスのジャーナリスト、ゴードン・トーマスは著書『ギデオンのスパイたち:モサドの秘密の歴史』でアリ・ベン・メナシェの主張を繰り返し、イスラエル情報機関が他国の情報機関を監視するためにトロイの木馬版PROMISを作り販売したと主張しました。
PROMISは後にNetflixの『アメリカン・コンスピラシー』に登場し、データ管理を目的としたソフトウェアが監視用に改造されたとしています。
ロバート・マクスウェルによるイスラエル版PROMISの販売を支援した、当時の米上院軍事委員会委員長ジョン・タワーは、1991年4月5日、ジョージア州ブランズウィックで乗っていたアトランティック・サウスイースト航空2311便が墜落し、乗員乗客23名全員が死亡しました。
乗員乗客23人の中には複数の要人が含まれており、アトランタ動物園に追悼碑が建てられている。
・ジョン・タワーと娘のマリアン:タワーはイラン・コントラ事件を調査したタワー委員会を率いた。
・ソニー・カーター:宇宙飛行士
・Nicholas Davies:米国内科医師会の次期会長予定者
・June T. Amlie:北大西洋条約機構(NATO)の連絡官
ロバート・マクスウェルと同じ1991年に死亡とは・・・ええ、偶然です。
下の写真は1989年5月に例のスーパーヨットの中で撮られたもので、まだ若いトランプ氏が映っています。右端はロバート・マクスウェル、中央の眼鏡をかけた背の低い男性がジョン・タワー氏です。
後方に映っている女性はギレーヌ・マクスウェル。


ロバート・マクスウェルに資金を提供したのはロスチャイルドだとGrokは言ってますが、事実がそうでもGrokは本当のことを言っているわけではないようです。AIから真実を引き出すことは難しい。
「言われていないこと」に気づく必要がありますね。

余談*コニーアイランドと深いウサギの穴

ロバート・マクスウェルの死後、スーパーヨットはサウジアラビアの実業家に買い取られ、2017年にかつてルパート・マードック(ロバート・マクスウェルのライバルだったアメリカのメディア王)の妻であったアンナ・マードックに売却されました。
2018年5月に「ダンシング・ヘア」(踊るウサギ)と改名されました。
ジェフリー・エプスタインは、NY市のコニーアイランドで育ちました。
コニーアイランドは「ウサギの島」という意味があるそうで、アンナ・マードックがそれを知っていてヨットの名前を「ダンシング・ヘア」(踊るウサギ)に変更したのでしょうか。

1964年に娯楽施設スティープルチェイス・パークパークが閉鎖され、トランプ大統領の父フレッド・トランプ氏が購入し、住宅用に開発する計画を立てていましたが、商工会の反対によって実現しなかったそうです。
フレッド・トランプ氏は1966年9月、パークの解体の式典で参加者にレンガを売り、パビリオンの残るガラス窓を壊させたと言われています。

イラン・コントラ事件
ロバート・マクスウェルにスーパーヨットを売ったアドナン・カショギ(2017年6月6日に死亡)は、サウジアラビアの武器商人で防衛関係商社トライアドの会長兼代表取締役でした。
アドナン・カショギの父、ムハンマド・カショギは、イブン・サウードサウジアラビア初代国王の侍医として知られ、イベリア半島(スペイン)からサウジアラビアに移住してきた。
1997年にダイアナ妃と共にパリで事故死したドディ・アルファイドは甥にあたる。また、2018年にトルコのサウジアラビア総領事館内で殺害されたジャーナリストのジャマル・カショギは父系の親族にあたる。
・1960年代と1970年代に日本およびアメリカの会社とサウジアラビア王室との取引を仲介した。
・リチャード・ニクソンの政治資金を拠出した。
・イラン・コントラ事件(BCCIから資金調達)やロッキード事件などに暗躍してきた武器商人として知られるようになった。

イラン・コントラ事件については以前に書いたことがありますが、内戦中のレバノンでシーア派テロリスト集団(ヒズボラ)にアメリカ兵が人質になった際、アメリカは兵士を解放してもらう目的でヒズボラの後ろ盾になっているイランと裏取引をし、イラン・イラク戦争の真っ最中だった同国へ武器を売却し、さらにその代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件でした。
当時、アメリカはイラン革命後の1979年に発生したイランアメリカ大使館人質事件によりイランとの国交を断絶していました。さらにイランと戦っていたイラクとは国交がありました。
当然のことながらイランに対する武器輸出を公式に禁じていたのに、イラン・イラク戦争で劣勢だったイランに対し、極秘裏に武器を輸出する事を約束したのです。
この事件のイランの交渉窓口が、ジョージ・H・W・ブッシュでした。
(イスラエルは「イラン嫌い」で、ほんとはイラクも嫌いだけど「敵の敵は味方」論理で、イラクに武器を流していました)
イラン・コントラ事件を調査していたのが前述の飛行機事故で亡くなったジョン・タワー氏で、事態収拾に尽力したのがトランプ大統領の宿敵で昨年11月3日に亡くなったディック・チェイニー氏でした。
イラン・コントラ事件によって、レーガン政権による援助が難しくなった時期に「統一教会」の教祖・文鮮明が、レーガン政権の要請を受けて創設した新聞『ワシントン・タイムズ』でコントラに対し1,400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出た。

アドナン・カショギ氏は、サファリクラブ(1976年に結成された情報機関の秘密同盟)の設立を支援したほか、ジェフリー・エプスタインの金融クライアントだったと言われています。
カショギ氏は、ちょうどアメリカ大統領選挙の年に亡くなっていますね。
サファリクラブは、反共主義者を支援することでソ連の影響に対抗することを目的としているそうですが、アドナン・カショギ氏が媒介になっていたのですね。
私が今まで疑問に思っていた<あること>に繋がってきました。
ウサギの穴はどこまでも・・・


長くなりました。
最後までお読みくださりありがとうございました。
