過去の双子座天王星時代を辿る③アメリカ独立戦争期の「第一次覚醒」と「奴隷解放運動」
前回の記事が長くなってしまったので分割しました。
アメリカ植民地の奴隷制
独立戦争には、アフリカ系アメリカ人の解放された元奴隷、奴隷のままの者も米英両軍で従軍参加していました。
1776年1月、総司令官ジョージ・ワシントンは、人員不足解消のため奴隷徴募の禁止令を撤廃し、ロードアイランドとマサチューセッツでは全て黒人の部隊が編制されました。
また、フランス軍と共にハイチから全て黒人の部隊が参戦したと言われています。

大西洋奴隷貿易
奴隷制は何千年も前から存在していましたが、アメリカ植民地が奴隷を所有するようになったのは植民地の人手不足を解消するためでした。
海外の帝国を創造するために競い合っていた西ヨーロッパ諸国にとって、奴隷の労働力は非常に重要であると見なされていました。
当初の入植者(一般人のほか聖職者や受刑者もいた)は先住民を捕虜にして働かせたり、あるいは稀に協力者になった先住民もいましたが、入植者が続々と到着し、また伝染病もヨーロッパから運ばれたことにより過重労働を強いられていた先住民が次々に死んでしまったため、大量の労働力を補う必要が出てきたからです。
ヨーロッパの奴隷貿易は15世紀に確立しており、アメリカ大陸への奴隷貿易(大西洋横断奴隷貿易)は16世紀に始まり19世紀まで続きました。
アメリカ大陸へ輸送された数千万人(正確な数は不明)の大多数は、中央アフリカと西アフリカから来ており、西アフリカの奴隷商人によってヨーロッパの奴隷商人に売られていました。

大西洋の奴隷貿易の主要国は、貿易量の多い順にポルトガル、イギリス、スペイン、フランス、オランダ、アメリカ合衆国、デンマーク。
北アメリカの植民地では、マサチューセッツ湾植民地が奴隷貿易の中心地であり、ボストンはアフリカから直接奴隷を輸入する主要な奴隷港でした。
13植民地に送られた最初の奴隷化アフリカ人は、1619年にバージニア州に連れてこられたそうです。
奴隷にされた人々は 年季奉公人として分類され、イギリスやアイルランドから来た契約ベースの労働者と同様の法的地位を持っていました。
エイブラハム・リンカーンの先祖、サミュエル・リンカーンは、1637年にイギリスのノーフォーク州ヒンガムからマサチューセッツ湾会社が運航する移民船“Dorothy and John”に乗ってアメリカに入国しました。
おそらくサミュエルは年季奉公で入植したのでしょう。
年季奉公は、反乱や内戦で捕虜となった捕虜に対してもイギリスの政府によって使用されました。
オリバー・クロムウェルは、1648年のプレストンの戦いと1651年のウースターの戦いで捕虜となった数千人の捕虜を年季奉公に送り込んだ。
加えて先住民族は大西洋の貿易ルートを通じて、西インド諸島に人身売買されたと言われています。

13植民地の産業
アジア・アフリカから輸入されたお茶やコーヒーがヨーロッパで大人気になり、カリブ海の植民地を中心に砂糖の生産が激増しました。
南北アメリカ大陸の植民地では、入植者が先住民から土地を奪い、そこにタバコや綿花の大規模農園(プランテーション)を作りました。
これらの作物は消費地であるヨーロッパに輸送されました。
第一次大英帝国(1780年代以前)のアメリカ植民地の奴隷制は、世代が移るにつれて大変抑圧的なものになっていきました。
南部のプランテーションは最も奴隷労働に依存しており、その結果新世界で最も高い一人当たりの生産高を示していましたが、奴隷は大変貧しく生きていくだけのものしか与えられませんでした。
1750年までにイギリス領アメリカには25万人以上の奴隷がおり、カロライナの場合は全人口の約60%が奴隷だった。
植民地時代が終わった後の最初の国勢調査では、697,681人の奴隷と59,527人の自由黒人がおり、両者合わせて国内人口の約20%に相当した。
サウスカロライナの奴隷の大半はアフリカ生まれであり、バージニアとメリーランドの奴隷の半分は植民地で生まれていた。
北部のニューイングランド植民地では造船が主要産業になり、ニューイングランドの河口ほとんど全てに造船所があったそうです。
中部は貿易港が作られ(ボルティモアなど)商業化されていき、ペンシルべニアでは移民を多く受け入れたため、奴隷労働に依存しない社会が形成されていきました。

合衆国はメイソン=ディクソン線によって、2つの地域に分かれていました。
北東部および中西部は、家族によって運営される農園、製造業、鉱業、商業を基盤に成長し、高い出生率とヨーロッパからの移民により人口が拡大し、境界州以外では奴隷を必要としなくなっていました。
「第一次大覚醒」(福音派リバイバル)
1730年代と1740年代に、ニューイングランドを中心に大規模な宗教復興運動(リバイバルとも言う)が起きました。
この運動は、ピルグリムの厳格なカルヴァン主義への復帰と「神の畏れ」の覚醒を求めた会衆派教会の説教師ジョナサン・エドワーズによって始められました。
メソジスト派の説教師ジョージ・ホウィットフィールドなどが運動を続け、植民地を巡って劇的で感情を揺り動かすスタイルの説教を行いました。
エドワーズの追随者やその他の説教師が自分達のことを「ニューライト」と呼び、彼らの運動を不可とした「オールドライト」と対照させました。
スペイン植民地がローマ・カトリックを非情なほどに強制したのに対して、13植民地にはイングランド国教会が作られなかったので、プロテスタントは多様化していました。
ぶっちゃけて言うと、13植民地はイングランド国教会の介入や抑圧から逃れた多くの非国教徒で構成されていたので、イングランド国教会は植民地では人気がなかったのです。
上記の説教師たちの説教は、即興で平易な言葉で語られ、身振り手振りを交えた非常に感情的なスタイルだったと言われます。
ミュージックライブみたいな感じだったのでしょう。(アメリカ人が好きそうね)

大覚醒運動は、プロテスタント教会内の超宗派運動としての福音主義(Evangelical)の出現につながりました。
この時代の福音主義は、聖書信仰を軸とする神学的・社会的に保守派のムーブメントで、さまざまな宗派の福音派を共通の信仰をもとに団結させましたが、リバイバルを支持する人々とそうでない人々との間の既存の教会の分裂にもつながりました。
アメリカの植民地では、覚醒によって会衆派教会と長老派教会が分裂し、メソジスト派とバプテスト派の宗派が強まった。
それはほとんどのルター派、クエーカー教徒、および非プロテスタントに直接的な影響はほとんどなかったが、後にクエーカー教徒の間で分裂を引き起こし、それは今日まで続いている。
下の記事を書くために調べた時に参考にした元記事(現在は表示されなくなっている)に、クエーカー教徒をいぶかる部分がありました。
この分裂は二つの神学的流れを生み、運動に影響された人々は家で聖書を研究し始めました。これは16世紀の宗教改革時のヨーロッパでの個人主義的傾向と同様のことでした。
奴隷制廃止運動
奴隷制度と奴隷貿易を終わらせようとする政治活動も啓蒙時代に始まりました。
イギリスで1783年に最初の奴隷制度廃止運動の組織がクエーカー教徒によって創設されました。
アメリカでは1775年4月14日にフィラデルフィアで結成された「非合法に拘束された自由黒人の救済のための協会」が、アメリカで初めての奴隷制度廃止運動団体でした。
運動の中心はこちらもクエーカー教徒で、独立戦争終了後の1784年、ベンジャミン・フランクリンを初代会長に再結成されました。
北アメリカの植民地全体、特に南部でのリバイバル運動は、奴隷と自由黒人(法的に奴隷ではない)をキリスト教に改宗させました。
メソジスト派とバプテスト派の伝道者たちは、すべての人間が神の前で平等であるという信念から奴隷所有者に奴隷を解放するよう奨励しました。
黒人奴隷に対する伝道を最初に行ったのはイングランド国教会でした。
1701年に「外地における福音普及協会」(Society for the Propagation of the Gospel in Foreign Parts)が結成され、伝道活動を本格化させました。
しかし、当時の黒人は英語ができなかったため、伝道活動は成功しなかったそうです。
植民地では、すべてのアフリカ人が奴隷だったわけではありませんでした。
自由黒人として働く船員など自らやってきた者も少なくなく、また植民地時代初期には一部のアフリカ人は奴隷としてではなく年季奉公人とされていたので、ヨーロッパからの白人移民と同じように年季奉公の期間を終えると自由になり、植民地によっては新しい入植者の資格も得られました。

独立戦争後、1804年までに北部全州は奴隷制度を廃止しました。(ただし、奴隷の解放については段階的)
いくつかの州は徐々に廃止し、バーモント州やマサチューセッツ州などは、独立戦争期間中に奴隷制を廃止しました。
南部は奴隷制を維持しましたが、アッパーサウスでは多くの奴隷所有者が革命の理想(啓蒙)に触発されて、奴隷にしていた人々を解放しました。
上述した第一次覚醒運動の影響もありました。
合衆国の自由黒人の半数以上がアッパーサウスに集中していたそうです。
多くの農園主がタバコ栽培から混合商品作物に転換し、集約的な労働の必要性が減ったため、奴隷解放は経済の変化の結果でもありました。
独立戦争と黒人社会の分断
アメリカ独立戦争は、奴隷社会を大きく混乱させました。
イギリスは王党派の入植者の所有奴隷を徴兵し、その見返りに奴隷に自由を約束しました。
南部の奴隷の多くは、自由を得て南部から脱出する意図で王党派のロイヤリストに加わり、彼らはブラック・ロイヤリストと呼ばれました。
20,000人のアフリカ系アメリカ人がイギリス軍に従軍したそうです。
これに対して愛国派(大陸軍)は、人員不足解消のために奴隷徴募禁止令を撤廃し、イギリス軍と同様に奴隷に自由を約束したので、9,000人のブラック・パトリオット(黒人の愛国者) が従軍しました。
両軍において黒人男性は、兵士の役割に加えてガイド、メッセンジャー、スパイの役割を果たしました。
ジョージ・ワシントンは「戦争の成功は、黒人男性を最も早く武装させることができる側がもたらす」と述べ、イギリス軍に参加し自由を得ようとする奴隷を処刑するか逮捕拘留する政策を提案しました。
独立戦争は、自由の約束に誘われてアメリカ植民地全体で約100,000人の奴隷化された人々に脱出する動機を与えることになりました。

一部の革命指導者は、武装した奴隷が反乱を引き起こすことを懸念するようになり、戦場の将軍の中には「自分たちが奴隷によって守られている」ことに不満を漏らす者もいました。
奴隷所有者は、最終的に彼らの所有奴隷が解放され、労働力が失われることを心配するようになりました。
戦後、イギリスは、数千人規模のブラック・ロイヤリストをノバスコシアとアッパー・カナダ(現在のオンタリオ州の一部)に再定住させたほか、自由人としてロンドンに移住させました。
奴隷所有者と共にジャマイカなどのプランテーションに移った者もいたそうです。
大陸軍に参加した多くの奴隷も自由を手に入れましたが、そうでない者もいました。一部の奴隷所有者は、戦争後に彼らを解放するという約束を反故にしたとも言われています。
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最後に
長くなりましたので、続きは次回に譲ります。
次回は、天王星がもたらした技術革新と南北戦争、第二次覚醒運動について書く予定です。
天王星が双子座に入ってすぐに始まったアメリカ独立戦争は、1782年4月(セインツの海戦の頃)に天王星が蟹座に移り、事実上の終戦となりました。
この間に最初の奴隷解放が起きたのも、天王星らしい影響だと思います。
第一次大覚醒は、私は集団ヒステリーだと思っています。
ローマのコンスタンティヌス大帝が国を統一するのにキリスト教を利用したように、アメリカ合衆国でも大衆にそれと気づかせずに統一するにはやはり宗教を使う必要がありました。
それは戦争への士気を高めるためだったかもしれません。第二次覚醒運動は、南北戦争の直前に起きました。
ご存じのように奴隷制廃止が南北戦争の原因であり、リンカーンの暗殺者も起きましたね。
今日はこのへんで。
最後までお読みくださりありがとうございました。
