ワンオペヤングケアラーから両親の介護25年目⑤
スカウトを受けた時に渡りに船と同時にもうどうにでもなれという気持ちが強かった。
仕事の内容は知能ゲームを指導する事。初めての仕事でいきなり教壇に立ち、引継ぎもなし、極めて特殊な業界で業務形態も個人事業主。
初任給は月1万円。先代のスカウトしてきた方から「半年で月5万稼げないなら長くいると困る事になるから辞めた方がいい」と何度も言われていた。
不安定で泥沼の先行きが見えない道。それでも目の前の事をやるしかなかったし、それをしながら同時に父の介護。毎日を生きるので必死だった。
ただ、この仕事を頑張ろうと思えた理由が一つだけあった。それは「普通」じゃない、ブラック企業と言われてる所が可愛いと思えるくらいに「異常」とも言える世界な事。
私は両親の介護をしてから「普通」に苦しめられてきた。だってそれに憧れてたから、学校に行って、友達と遊んで、進学して、夢を叶えて、結婚して、家族を作る。そんなものは10代で崩壊した。
周りを見渡そうものなら10代の子の親は30~40代だ。元気に「一緒に遊んでもらって」「ゲーム買ってもらって」「お弁当作ってもらって」「旅行にいく」そんなのと比べてしまうと、親を自分がこの世に生を受けた事を心より恨んでた。だから、見ない事にした。
だから頑張ろうと思えた。仕事というと労働をイメージするだろう。「どんな学校行かれたんですか」「どんなお仕事されてるのですか」こんなマウント競争に巻き込まれない業務だったからこそ、バカにされる事も多かったが全く気にもならなかった。
父の介護をしながら半年経過した頃、月収は3万円だった。辞める事も考えていた時、違う講師が寿退職し、引き継いで欲しいと言われた。⑥に続くワンオペヤングケアラーから両親の介護25年目⑥|さんみ~
※この時の気持ちと乗り越え方については、メンバーシップ限定で詳しく書いていきます。最後に内容をまとめた4コマ漫画もあります。
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