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マクルーハンの予見は実現したのか?|AI時代の情報社会を社会学から考える【メディア社会学】メディアをめぐる社会学⑤

今回は、これまで取り上げてきたマーシャル・マクルーハンのメディア論を振り返りながら、彼が予見した情報社会が現代においてどこまで実現したのかを考えます。
私たちは日常的にスマートフォンを使い、SNSで世界中の人々とつながり、AIに質問しながら仕事や学習を進めています。マクルーハンの議論は、今日の情報社会を先取りするものとしてしばしば評価されています。
彼の洞察は、現代社会を理解する上で今なお重要な意味を持っています。

メディアはメッセージであるという視点

マクルーハンは「メディアはメッセージである」と主張しました。これは、メディアそのものの形式が人間や社会に大きな影響を与えるという考え方です。
テレビが普及したことで人々は映像中心の情報に慣れ、インターネットが普及したことで誰もが情報発信者になれる社会が生まれました。
重要なのは、私たちがどのような情報を受け取るかだけではなく、どのようなメディアを通して受け取るかです。
メディアが変われば、人々の思考様式やコミュニケーションのあり方も変化します。

グローバルビレッジは実現したのか?

マクルーハンは電子メディアの発展によって、人類は再び村のような社会に近づくと考えました。彼はこれをグローバルビレッジ(地球村)と呼びました。
かつての村では、人々は互いの出来事を知り、直接的なコミュニケーションを行なっていました。電子メディアの発達によって、このような状態が地球規模で復活すると考えたのです。
現代社会には、マクルーハンのグローバルビレッジ論を想起させる側面が見られます。
世界の反対側で起きた出来事を私たちはリアルタイムで知ることができます。SNSでは海外の人々と直接交流することも珍しくありません。
地理的な距離は、以前ほど大きな障壁ではなくなりました。

グローバルビレッジの光と影

一方で、マクルーハンが描いたグローバルビレッジには、必ずしも理想的な側面だけが存在するわけではありませんでした。
村社会には強い結びつきがある反面、噂や同調圧力も存在します。
現代のSNS空間でも同じような現象を見ることができます。
炎上や誹謗中傷、フェイクニュース、分断などはグローバルビレッジの負の側面ともいえるでしょう。
誰もがつながれる社会になった一方で、人々は自分と似た意見を持つ人々と集まりやすくなりました。
その結果、異なる価値観への理解が深まるどころか、対立が激しくなる場面も見られます。
つまり、グローバルビレッジは実現したものの、それは必ずしも調和に満ちた共同体ではなかったのです。

AIは人間の何を拡張するのか?

マクルーハンはメディアを人間の拡張と考えました。
車は足の拡張、望遠鏡は目の拡張、電話は声の拡張です。
この視点から見ると、AIは何の拡張といえるでしょうか?
多くの人はAIを脳や知的能力の拡張として捉えるかもしれません。
実際にAIは情報検索や文章作成、翻訳、分析などを支援し、人間の認知能力を大きく補完しています。
しかし、身体の拡張が進めば進むほど、私たちはその技術への依存を強めることになります。
便利になる一方で、自ら考える力や判断する力をどのように維持するのかという課題も生まれています。
これは、マクルーハンが指摘した「拡張と衰退が同時に起こる」という現象そのものです。

メディア社会学が私たちに問いかけるもの

マクルーハンの予測は、多くの点で現実のものとなりました。
私たちは地球規模でつながり、情報を瞬時に共有し、テクノロジーによって身体や知性を拡張しています。
しかし、彼の理論が教えてくれるのは技術の進歩そのものではありません。
本当に重要なのは、新しいメディアが登場した時に、それが私たちの価値観や人間関係、社会の仕組みをどのように変えるのかを考えることです。
社会学は、その変化を理解するための視点を与えてくれます。
私たちはメディアを使っているつもりでも、同時にメディアによって形作られている存在でもあります。
だからこそ、新しい技術や情報に触れるときにはその利便性だけではなく、それが私たち自身や社会にどのような影響を与えるのかを問い続ける必要があるのではないでしょうか?
マクルーハンが予見した情報社会は、確かに実現しつつあります。
しかし、その社会をどのようなものにしていくのかは、今を生きる私たち一人一人に委ねられているのです。

現代社会における「リスク管理」と「監視」のあり方について、社会学的な視点から警鐘を鳴らす内容です。▼

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