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世界史名将ランキング100 10〜6位

前回はこちらから。

みなさま、ごきげんよう。とうとう、10位以内を紹介するところまで来た。SSランク帯まで辿り着けたことには、個人的に感無量である。では、さっそく本編へどうぞ。

10位 キュロス2世(BC576〜529)

【戦略】SS【戦術】S【政治】SS【天運】S
【魅力】S【成長】S【影響力】SSS【総合】SS

ハカーマニシュ朝ペルシアの開祖。古代オリエント世界最大の英雄にして、最強の男。

アッシリア、メディアと受け継がれた支配の帝冠を次に授かり受けたのが、この男キュロスである。真なる英雄性と、稀有な軍事、政治能力を持ち合わせた彼は、空前の大帝国をオリエント世界に顕現させる。

メディアを滅ぼし、リディアを滅ぼし、新バビロニアを滅ぼし、中央アジアにまで進出してサカやスキタイを打ち破ったその功績は凄まじいものである。また、以前にも述べたように、私は彼の最期についてはヘロドトスの記述を間違いだとする立場なので、生涯無敗でこの世を去ったと言えるだろう。

彼の英雄譚は、もはや神話の域にまで到達しうる。彼の成し遂げた偉業は、ギリシア人ですら讃えざるを得ないものであり、大征服者としてこののちに生まれるすべての男たちの原点でもある。また、先進地域としてのペルシアとメソポタミアの融合をも成し遂げた。さまざまな功績を残した英雄に敬意を表してこの順位となる。

9位 ベリサリウス(AD500〜565)

【戦略】S【戦術】SS【政治】S【天運】B
【魅力】S⁺【成長】SS【影響力】S【総合】SS

ギボンをして「大スキピオの再来」とまで言わしめた東ローマ帝国最強の名将。ユスティニアヌスの再征服の殆どを担い、古代末期の地中海世界を駆け抜けた。

ベリサリウスは、生え抜きの軍人である。東ローマの主要な敵と常に相対し、勝利を重ねた。そして、敵も常に強敵揃いだ。彼は最終的に、サーサーン朝を幾度となく撃退し、ヴァンダル王国を滅ぼし、東ゴートからイタリア半島をほとんど奪還した。また、老年に入っても数倍のブルガール人を撃退するなど、その才は衰えなかった。

彼の軍功といえば真っ先に名が上がるのは恐らくダラの戦いだろう。この戦いでベリサリウスは2倍の敵を正面から打ち破った。また、東ゴート戦争でのローマ防衛戦はまさに、獅子奮迅の伝説的戦いといえる。6倍以上の敵に対して、彼は1年に及ぶ攻城戦を耐え抜き、ローマを守り切った。

彼は動く時は鮮やかな機動戦を行い、特にフン族騎兵などの機動力に富む騎兵を大規模に展開し、敵の補給線や斥候をズタズタにする。だが、基本的には堅実であり、それは時に地味にすら見える。ここら辺がナルセスやユスティニアヌスには臆病に映ったのかもしれない。

しかし、彼の緩やかさは、愚鈍や怠慢の現れではなく、本当の意味での慎重さであったと言える。それは、鮮やかな勝利ではなく、時に彼が味わった敗北や恐るべき危機の中で如実に現れている。カリニクムでの敗北は、彼を滅亡に至らしめたのではなく、むしろペルシア側に損害があった。

また、イタリアを去り再び訪れたペルシア戦線においては、あのホスロー1に対しても素晴らしい軍事行動をとった。彼の欺瞞作戦によって、ホスロー1世は大規模な侵攻を諦めざるを得なくなった。この盤外での強さこそが、老練にして堅実な名将の機微を窺わせる。

彼の不幸は、上司へ恵まれなかったことだ。私はプロコピウスを愛してはいるが、流石に全幅の信頼はしていない。よってユスティニアヌスを嫉妬と名誉欲に狂った悪魔の権化とは思わない。だが、明らかにベリサリウスを活かしきれていないようには見える。

8位 李靖(AD571~649)

【戦略】S【戦術】SS【政治】S【天運】A
【魅力】S【成長】A【影響力】SS【総合】SS

中華最強と謳われる初唐の英雄。入りては相、出ては将の典型的人物。

彼は欠点のない完璧な名将である。ありとあらゆる戦闘行為を成功に導き、あるときは平原で、ある時は雪原で、またあるときは河上で、といった具合である。まさにヘルシングの大佐の演説を地で行った怪物的活躍だ。

中華においての軍事的功績は大きく分けると二つである。すなわち国内戦と異民族戦だ。前者の典型が韓信白起などであり、後者では衛青、馬援、班超などがそれにあたるだろう。だが、幾人かそのどちらでも功績を上げた者も存在している。その中の代表例が李靖となるだろう。

結果的に彼は、国内戦では荊州の蕭銑を滅ぼし、輔公祏の乱を平定した。そして、ついに625年には突厥に対する遠征を敢行し、東突厥を滅ぼし、頡利可汗を捕えたのだ。また、老年に入っても優れていたのはベリサリウスと変わらない。李靖は宰相として李世民を支えていたが、チベット方面において吐谷渾の侵入に際して、再び剣をとり、彼らを滅ぼしている。この遠征の際の強行軍も、人語に及ばぬ気骨を感じる。

ベリサリウスもそうだが、真に優れた将は苛烈さと慎重さを併せ持っている。時に奇策を繰り出して敵を翻弄するも、時には徹底的に基本に忠実な攻守を見せる。これを彼は、『李衛公問対』にて正兵と奇兵と表現し兵法の粋を語っている。彼がわずかにベリサリウスに優ったのは、上司の器量の差だろう。どんなに優れた人物でも、暗君の元ではその才能を発揮できない。

7位 スキピオ・アフリカヌス(BC236~183)

「マッシウァを解放するスキピオ」より
例の中年期を過ぎ禿げた像よりこちらの方がいい

【戦略】S⁺【戦術】SS⁺【政治】S【天運】B
【魅力】SS【成長】A【影響力】SS【総合】SS

ハンニバルを打ち破り第二次ポエニ戦争を勝利に導いた古代ローマ最大の英雄。あらゆる困難を跳ね除けて、栄光を掴み取った。

何故か、彼はハンニバルに劣ると評価されることが非常に多い。全くもって理解に苦しむ話だ。スキピオは、ポエニ戦争の中において、誰にも到達できないレベルにまで到達している。

彼の戦いは全て、芸術的戦術のもと行われている。彼はまず、10年近く続いていたヒスパニア戦線を半年でローマの勝利に導いた。初手でカルタゴのヒスパニア植民地の中核である難攻不落の要塞カルタゴ・ノウァを一日で陥落させる。彼は夕方に上陸したのと同時に閉鎖線を構築、周辺民から聞き込みをして、北側城壁が干潮時には徒歩で到達できることを把握し、奇襲をかけ、朝日が昇るまでに市街を掌握した。また、その後のバエティス川でハスドゥルバルを破り、イリッパにおいてはハンニバルに並ぶ見事な包囲殲滅を実行、二倍近い敵を殲滅し、ヒスパニアにおけるローマの覇権を確立した。

また、アフリカに乗り込んだ後では、ウティカにて数倍のヌミディア、カルタゴ連合軍を奇襲によって壊滅させ、続くバグラデス川の戦いにて、またも二倍の敵軍を殲滅し、敵側のヌミディア王シュファクスを追い散らし同盟者マシニッサを王位につけることに成功した。

そして、最後にザマの地にてスキピオはローマにとって不倶戴天の敵であるハンニバルを完全に打ち破ることに成功する。1.5倍ほどの数の差がありながら、ハンニバルの仕掛けた罠を全て見抜き、完璧な両翼包囲に持ち込ませたのは、スキピオこそが、当代のアレクサンドロスであることを示したのである。

彼は英雄であった。それは何も軍才があるからというのではない。彼には人を惹きつける魅力があり、何より他人を赦す寛容さを持っていた。彼は第二次ポエニ戦争において二人の父を失っている。ヒスパニア戦線に規制年齢を満たさないスキピオが(軍事指揮権を持つのは法務官と執政官、独裁官及びそれの経験者である前法務官と前執政官のみ、どれも40歳を超えていなければならない。)指揮官として任命されたのは、このヒスパニアを10年に渡り守っていたのが彼の父親と叔父であったからである。彼らはバエクラの戦いにて、ヌミディア王子マシニッサ率いる騎兵隊の奇襲を受け戦死した。そして、あのカンナエの地獄にて、命を落とした執政官アエミリウスは許嫁の父たる義父であり、公務で忙しい父プブリウスの代わりに面倒を見てくれた養父でもあった。それでもなお、スキピオは決して憎しみに囚われず、マシニッサは友とし、ハンニバルも敗戦処理で死に追いやりはしなかった。誰にでもできることではないだろう。

6位 ナーディル・シャー(AD1688~1747)

【戦略】SS【戦術】SS⁺【政治】A【天運】S
【魅力】S【成長】S【影響力】SS【総合】SS

ペルシアの梟雄と呼ばれるアフシャール朝の建国者。数々の異名をとり、「第二のアレクサンドロス」や「砂漠のナポレオン」とも呼ばれる。

恐るべき軍才と冷酷な統治者の才を見せた彼は、近代に足を踏み入れる時代のペルシア地域の最後の華を咲かせる。それも大輪で鮮やかな徒花を。

彼は、生まれがホラーサーン近郊であり、貧しい部族の出だった。時にウズベクに攫われ奴隷に身を窶したこともあったらしい。彼の転機はサファヴィーの王子がホラーサーンに逃げてきたことだ。ここから、彼の鮮烈な軍事行動が始まる。最終的に分かりきったことであるが、サファヴィー朝を傀儡化し、最終的には王位を奪い取ってアフシャール朝を建国することになる。

彼はその生涯の殆どを軍事遠征に費やすわけだが、その結果としては流した敵の血が海をなすほどだと言って良いだろう。オスマン帝国、ムガル帝国、中央アジアのハン国相手に暴れ回り、そのほぼ全てで勝利した。そして、特筆するのは彼は基本的に、寡兵でこの勝利を重ねているということである。
彼の大遠征により、ただでさえ弱体化していたムガルは虫の息となり、オスマン帝国も回復困難なダメージを負った。また、陸での勝利のイメージがあるが、海軍もナーディルは近代化に着手し、バーレーン、オマーンを征服した。

その生涯における最高の戦いは、まず間違いなくキルクークの戦いだ。そのためには、その前史から語った方が良いだろう。

実は、ナーディルは、その生涯においてたった一度、完全敗北を喫している。怪物ナーディルを破ったのはオスマン帝国の歴戦の名将トパル・オスマン=パシャである。ナーディルはその生涯において、同じく中央アジア付近にて身を起こし、ユーラシアを制覇した帝王に憧れを抱いていた。その男に並ぶためには、是が非でもバグダードを手に入れる必要があったのである。当時の西アジアはオスマン帝国の支配下であったため、ナーディルはロシアと同盟して北方を安定化させるとオスマンに襲いかかった。

十万に及ぶナーディルの軍に対し、トパルのオスマン軍は八万程度である。しかし、砂漠地帯において、数の多さは時に弱点になりうる。トパルは数の利を確保し油断するナーディルにいくつもの罠を仕掛け、また給水を徹底的の妨害し彼らを窮地に追い込むと、遂にイェニチェリを繰り出してナーディルを戦死寸前にまで打ち破り、バグダードを救った。後背地で反乱まで起きたナーディルは撤退を余儀なくされる。

キルクークはそんな屈辱的敗北の翌年に行われたトパルへの復讐戦である。二度目の彼は徹底していた。大規模な騎兵斥候(驚くべきことに一万を超える)を繰り出し敵の先陣を突破、そのままの勢いで野戦に持ち込む。さすがトパルは既に布陣を終えていたが、先遣隊を担った騎兵戦力の消耗は致命的であった。結果として、ナーディルはハンニバルの如き見事な両翼包囲を達成し、キルクークの地にてオスマン帝国軍はほぼ壊滅、トパルも敗死した。

しかし、彼にとってトパルは生涯唯一の自身への勝利者であった。彼は息子の目を抉るほどの残虐かつ冷酷な人物として知られたが、トパルには最高の敬意を払い、その遺骸を丁重に弔ったのち、オスマン帝国に返還したという。

まとめ

SSランクの紹介は本来、簡潔にするのは難しいような人物がほとんどだ。必要な描写の取捨選択に苦労する。一応、次で1位まで到達することになるが、いかがだったろう。順番は前後するかもしれないが、本ランキングの参考資料と、おすすめの作品をまとめる回も予定している。

さて、今回の連中、まとめてみれば人格破綻者がほぼいないのには驚きだ。まあ、圧倒的人格者であるスキピオ、李靖はもちろんのこと、キュロス大王も極めて寛容な統治者として知られる。ベリは多少傲慢に見える時もあるが基本は穏やかな人物だ(だから嫁にも上司にも、秘書にも舐められる)

それらを見ると、ナーディルの酷さが際立つ。どうかしてるぞ、本当に。ちなみにここから上の連中は、どいつもこいつもアブナイ感じを漂わせる。結局のところ、名将というものの本質は巧く人を殺すことであるので、順位が上がれば異常性も高まるというのは当然ではあるだろうが。

では次回をお楽しみに、ごきげんよう。

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