国家神道精神にもとづく靖国神社は宗教機関ではないなどといいたがる「虚偽の愚昧と欺瞞」(2)
【前記】 「本稿(2)」は,つぎの(1)を受けている。こちらから読んでみたい人はリンク先住所を貼りつけてあるので,先にこれに飛んで読んでほしい。
本ブログは昨日,2026年8月6日,つまりヒロシマに原爆が投下されてから81年が経った日付だったが,今年は所用のためにとくに執筆することにならなかった。原爆の問題は,本ブログ内では「原子力・原発関係の話題」に関連づけてあれこれ論じている点を,ここでは断わっておくだけとし,本日の話題に入りたい。
なお,1昨日(8月5日)の記述:「本稿(1)」は,見出しの番号(連番)は「1」だけであった。本日のこの記述はそれを受けて「2」から始めている点を断わっておきたい。
2「石破首相,靖国神社に真榊奉納 秋の例大祭 参院議長や厚労相も」『朝日新聞』2024年10月17日 10時45分,https://www.asahi.com/articles/ASSBK0CW3SBKUTFK004M.html に関する議論-政治と経済に宗教が交差する話題-
a) 石破 茂首相は明日,2025年10月4日におこなわれた「自民党という名のゴミ箱のなかでの〈コップのなかの嵐〉総裁選挙」を区切りに,麻生太郎や福田康夫の首相在職期間であったそれぞれ358日と365日とを,わずかだけだったが越えて369日になっていた。
というようなしだいであるが,一国の首相が,これら1年程度の在職期間でもってなにか大きな仕事を,とくに国家のために完遂しえたとか成就させえたとかいえる仕事が可能だとは,とても思えなかった。参考にまで,つぎのごとき,関連の『時事通信』記事など2点を挙げておく。
その1がこれ。

今日(2026年8月7日)だと10ヵ月に1月と14日足りない日数になる
安倍晋三の通算での歴任期間は憲政史上第1位を誇るが
けっして自慢になるような中身を有しえたその長期間の任期ではなかった
2010年代における彼の国家運営はまさに「日本破壊そのものであった」
かつての経済大国だった基軸路線を完全に「衰退途上国」に転落させたゆえ
その罪過は重い
その2がこれ。首相の任期が長ければ,必ずしも「イイ仕事」をやってきたわけではない。たとえば,佐藤栄作(安倍晋三の母方のジイチャンの弟)がなにをした首相であったか,次段に関説する。

佐藤栄作が,米日安保条約にかかわる密約問題で国民を騙したすえ,ノーベル平和賞を授賞されるといった,結果としての茶番劇が演じられたのは,栄作にとってみれば必然性大ありだった顛末を意味した。それだけではなく,とくに,日本国・民の立場にとってみれば,場末のストリップ劇場の演目よりもひどく下品であった(芸術性が完璧にゼロだとはあえていわないでおくが)。それは歴史の皮肉だったというよりは,羞恥そのものの同然となっていた経緯を意味した。
岸 信介が米日安保条約を1960年に改定させ,アメリカの属国であるこの国の方向性を定めたとすれば,この弟であった佐藤栄作は,この条約下でアメリカの支配力に屈従し,将来半永久的に指摘・批判されつづけるべき,つぎのような首相としての《闇の仕事》に,主体的にどっぷり漬かり,かかわってきた。
佐藤栄作が首相としてアメリカと交わした密約は,1969年の日米首脳会談でおこなわれた「沖縄返還に伴う核兵器の再持ちこみ容認」と「米軍用地の原状回復費用の日本側肩代わり」に関する,国民に対しては完全に隠された秘密の合意であった。
表向き「非核三原則」をかかげながら,裏で核容認の約束をしていた事実が,のちに公文書で存在が確認された。つまり,核持ち込みの密約は,1969年11月の佐藤首相とニクソン米大統領による首脳会談で交わされていた。
沖縄返還を「核抜き・本土並み」とする一方で,朝鮮半島などの有事のさいには「米軍が核兵器を再び沖縄に持ち込むことを認める」合意議事録が作成した。
その事実は,佐藤首相の密使だった若泉 敬(当時の京都産業大学教授)の関係や米公文書,さらには佐藤家の遺族からも署名入りの文書がみつかるといった,外交文書の保管・管理問題についても,重大な違反を栄作が犯していた記録となり,当然のこと,のちの政府調査でも認定されざるをえない事項となっていた。
なかでも,「費用肩代わりの密約」が,沖縄返還時において本来はアメリカ側が支払うべき米軍用地の原状回復費(約400万ドル)を,日本政府が隠れて肩代わりするという合意まで交わしていた。
毎日新聞の西山太吉記者が,その秘密合意を記した外務省の極秘電報(公電)を入手し,国会で大きな問題となった。その後,佐藤栄作の画策的なすり替え行為をもって,記事を入手した経緯をめぐって西山を,国家公務員法違反などで逮捕・起訴する事件(西山事件)に発展させられた。
この佐藤栄作の実例(事件創作)や安倍晋三の場合(国家破壊の為政)でも分かるように,首相の任期が長期間になった人物になればなるほど,彼らが人格高潔で自己規律精神に富んでいたかどうかとは,まったくといっていいほど,相関関係などありえなかった。
また,本ブログ筆者の記憶にいまだにかすかに残る諸事象は,麻生太郎や福田康夫が首相であったころの思い出としては,前者のまさに「無教養ぶり:学のなさ」,そして,後者のとりわけ「存在感の希薄さ」であった。だからか,この2人は1年未満の任期で首相の座を降りざるをえなかったわけである。
「小指の問題」で首相の座から降りざるをえなくなった宇野宗佑もいた。この首相は在日期間は69日であったが,人間性というかそれ以前の初歩的な人倫問題で,ごく短期間しか首相の仕事をこなせなかった。
石破 茂の場合は,麻生太郎君が首相のとき,最後の時期には「もう辞めたらどうか」とせかした発言を契機に,この太郎君から決定的に嫌われていた。石破自身は,それほど業績を挙げえないまま,周囲の偏狭で錯乱気味の同僚たちからの嫌がらせを受けて,首相の椅子から離れた。
さて,その後釜として登場した高市早苗は,政治家を30年以上仕事にしていながら,政治も経済もその初歩的な知識・概念をもちあわせていなかった。
また安倍晋三の場合に戻ると,とりわけ無教養のきわみで実際に首相を長くやらせたがために,このニッポン国をわざわざ「衰退途上国」のドツボのなかにみずから蹴落とす采配ぶりまで発揮する始末となった。
しかも,そのあとにつづいた首相たち,つまり菅 義偉や岸田文雄程度の人材になると,もはや手の着けようもない,取りかえしのつかないような「この国の状態にまで転落させる」ほかなくなっていた。
そしてさらに,いまの高市早苗首相に対して専門家たちが一致する見方は,経済には完全に無知であり,政治については極右軍国路線に染まりきった脳細胞しかもちあわせておらず,この人に日本の政治・経済の舵取りを任せておいたら,今後もこのまま転落路線まっしぐらに加速だけしていく点は,間違いなしと受け負ってくれている。
ここでは,つぎの記事を紹介しておくが,この題名からしてただちに「米日の政治経済関係秩序」の本質(本性)が奈辺があったか,すぐに気づく。この記事じたいを詠めば,日本の首相がいかに自明の愚材であった点も納得がいく。
ブルームバーグ「ダボスでの『叱責』から始まった日米の火種,ベッセント米財務長官が日本に迫る経済政策の転換と市場に漂う緊迫の正体」『東洋経済 ONLINE』2026年5月12日,https://toyokeizai.net/articles/-/944082?display=b
b) 2020年当初からの新型コロナ・ウイルス感染症の流行,2022年2月24日に「プーチンのロシア」が始めた宇露戦争(「特別軍事作戦)は,2020年代における日本の政治・経済・社会・文化全般の状態を,基本では貧困・窮乏化の上にさらに政治面の手抜き・怠慢が重ねる始末で,
とりわけ,実質賃金の上げ止まり傾向に対しては『日本経済新聞』がたとえば,こういうふうにいってだったが,経済統計の解釈方法をいささかいじくっては,少しでもごまかしておきたい意向ならばありありであった。
「厚労省は〔2025年〕3月分から実質賃金の算出に消費者物価の総合指数を使う新方式を導入した。新方式による7月の実質賃金は 1. 0%増と,従来方式に比べて0. 5ポイント高くなっている」(「7月の実質賃金0.5%増,7カ月ぶりプラス ボーナス増や賃上げ波及」
しかしながら,実際の国民生活・消費実態は,厚労省のそうした小手先になる一時的な目くらまし的統計操作など,結局,厚化粧的にごまかすだけのみみっちい根性をあらためてさらす推移になっていた。つい数ヶ月前にはたとえば,こういった労働経済次元での動向が報道されていた。つぎに紹介するこの記事は,2025年7月9日時点のものであった。
◆ 名目賃金は微増も,実質賃金は続落 ◆
厚生労働省『毎月勤労統計調査 令和7〔2025〕年5月分結果速報』によると,全国の労働者1人あたりの現金給与総額(事業所規模5人以上)は30万0,141円で,前年同月比1.0%の増加となりました。名目ベースではわずかに上向いたものの,消費者物価の上昇がこれを上回り,実質賃金は2.9%の減少と5ヵ月連続のマイナス。1年8ヵ月ぶりのマイナス幅と,依然として厳しい状況が続いています。
現金給与総額のうち,月々支払われる「きまって支給する給与」は 2.0%の増加,基本給を中心とした「所定内給与」も2.1%の上昇しました。一方で,賞与や一時金などの「特別に支払われた給与」は18.7%の大幅減となっており,全体の増加幅を押し下げる要因となりました。
この傾向は事業所規模30人以上においてさらに顕著で,現金給与総額は33万5,164円と前年同月比0.3%の微増にとどまり,特別給与は29.6%も落ちこんでいます。この時期にボーナスを支給している企業は少なく,多少の金額の変動でも前年比は大きく振れる傾向にあるという事情も加味する必要があるでしょう。
雇用形態別では,一般労働者の現金給与が38万4,696円(1.1%増),所定内給与は34万249円(2.5%増)と堅調に推移しています。一方,パートタイム労働者の現金給与は11万2,440円(3.5%増),所定内給与も3.4%増加。時間当たりの給与は1,382円(4.0%増)と,短時間労働ながら高い伸びをみせています。
パートの賃金上昇は,人手不足や最低賃金の引き上げ,企業の人材確保競争が背景にあると考えられます。とくに流通・サービス業では,パートの確保が事業継続に直結するため,時給ベースでの上昇圧力は強まり,卸売業・小売業ではパート賃金(現金給与総額)が4.9%増,飲食サービス業では5.4%増となっています。
(中略)
今後の課題は,企業が物価上昇にみあった賃上げを持続的におこなえるかどうかにかかっています。経済界からは,生産性の向上と価格転嫁の両立によって,持続可能な賃金上昇を実現すべきとの声が強まっていますが,実質賃金の回復なくして消費の本格回復はみこめず,経済全体の自律的成長にはつながりにくいのが現状です。
政府は今後の経済対策として,賃上げ企業への税優遇や支援策の拡充を検討していますが,賃金・物価・消費の三位一体での好循環が確立されるには,時間と構造改革が求められます。
註記)「『またか…』と,ため息…給料日なのに喜べない『実質賃金1年8ヵ月ぶりのマイナス幅』。生活防衛も限界の声」『@niftyニフティニュース』2025年7月9日 05時00分(THE GOLD ONLINE から),https://news.nifty.com/article/economy/economyall/12352-4291544/
今年(2026年)に入ってからは実質賃金(生鮮食品関係はのぞく)は
若干のプラスに変化していると説明されるものの
この説明は庶民平均の生活感覚とはズレまくっていた「経済統計の解釈」が
全面に出ていたと受けとるほかない
2026年7月30・31 日開催の日銀政策委員会・金融政策決定会合で
決定された見通しとなったリスクバランスだと
「経済の見通し」については「おおむねバランスしている」などと
平均的な収入のサラリーマン世帯にとって空中楼閣のごとき見解を提示していた
また消費者物価の見通しについては上振れリスクの方が大きいとし
さらに基調的な物価上昇率については企業の賃金・価格設定行動が積極化していることや
中長期的な予想物価上昇率が引きつづき上昇していることなどを踏まえれば
2%の「物価安定の目標」を超えて上振れていくリスクがあるとみなして
そうしたリスクが顕在化してこれがその後の経済に悪影響を及ぼすことがないよう
十分に留意する必要があるなどと語っていた
だが一般庶民のふところ具合では現にその6割近くが生活が厳しいといい
とくに単身の母親世帯では8割もの世帯が生活苦に悩まされている実情のなかで
そのように「中長期的な予想物価上昇率が引き続き上昇していること」などを
踏まえて経済を観測していくのだとした議論は庶民の生活経済とは
異次元の発想しかしないで済む日銀の経済観
多分「極楽トンボ」ぶりを示唆する
ということで,〔ここでの話はいったん時期を少し戻すが〕2025年も9月になってからだったが,厚労省は経済統計(賃金関連の統計)をなんとか操作して(イジクリまわして),その「労働者階級の人びと」が切実に実感している非常に苦しい消費生活の実感を,わずかでも「感性的認識の水準だけでもいいから」,できればゴマかし,沈静化(?)させたい,落ち着かせておきたいといったふうな,小手先的な操作の工夫に励んでいた。
c) さて,最近においてわれわれよく実感させられた消費者物価「高騰」の一番わかりやすい品目は,「お米の値段がざっとだと約2倍ほどの小売り価格」にまで,ここ1年のあいだに急上昇した点に求められる。
なお,2026年になってだいぶ米価が下がってきているが,これは当面の価格動向であり,2027年以降(における米作全般の状況まで)を心配するのが専門家の指摘である。
食品の消費税は8%だといわれても,この程度のパーセントのことを指摘されたところで,実生活のなかではとりててた大きな意味などないくらい,昨年(ここでは2024年)からの物価上昇ぶりは「実質賃金の目減り傾向」にさらに拍車がかかった状態になっていた。
厚労省は目先で庶民の生活感覚をだまらかすためだけであるような,統計操作をやるべきではない。2025年も下半期に入ったこの10月からに関しては,こういう報道が一斉になされていた。
たとえば「値上げラッシュの10月 『酒類・飲料』中心に3000品目超 政府の補助金終了で電気・ガス代も値上がり」という見出しをかかげた『TBS NEWS DIG』2025年10月1日 06:03,https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2200609 は,つぎのように報じていた。
きょうから10月です。今月の値上げは飲料を中心に3000品目を超え,半年ぶりの値上げラッシュです。
今月値上げされる食品や飲料は3024品目で,去年の10月から3.4%増えています。ひと月の値上げ品目が3000品目を超えるのは今年4月以来です。
分野別では「酒類・飲料」がもっとも多く,清涼飲料水など2262品目となりました。とくにペットボトル飲料は,3年前は税抜きの希望小売価格が140円でしたが,きょうから200円となります。
「加工食品」はパックご飯などを中心に340品目,「調味料」は焼肉のたれやみそ製品など246品目の値上げです。
また,政府の補助金の終了で,▼電気代は467円から536円,▼都市ガス代は172円から222円値上がりします。
繰り返しなんども襲来してきた
こういったたぐいの生活経済のきびしい状況にも目配りをしたうえで,明日(ここでは2025年10月4日の日程であった)に実施される〔た〕自民党総裁選が予定されているのならばまだしも,実際は,庶民の日常的な政治経済問題とはまるで無縁の別世界のなかで投票がおこなわれる。
補記)さて,その自民党総裁選だが同年10月21日に選出されたのが,日本初の女性首相となった高市早苗であった。ところが「SNSを悪用した不正選挙が特定の影響を与え,残した」と説明されて当然の,いってみればデタラメの「総裁選」が,高市陣営側からは意図的に工作され,積極的に大量実践されていた。この事実は大約つぎのように説明できる。
自民党総裁選におけるSNS上の「不正選挙」をめぐる議論は,とくに
イ) 情報操作や世論誘導を狙った偽情報(誹謗・中傷)流布
ロ) SNSに乗せた流言蜚語を故意にデタラメに拡散する
ハ) 事前に計画した工作のためにアカウントを不自然に大量拡散する
などが中心的な問題点となった。
また,物理的な制度への介入という意味での「不正選挙」の噂は,公的な選挙管理委員会や専門家によって明確に否定されてはいるものの,SNS上の「不自然な拡散」や複数アカウントの存在が働きかける工作の狙いが,特定の候補者を,過剰に批判または称賛する投稿として目立っていた。
しかも,不自然な日本語を使うアカウント群から大量に拡散される現象となってもおり,セキュリティ会社などから指摘されてもいた事実は看過できない。一部の有識者や議員からは,外国勢力の介入懸念が,SNSを通じる「外国勢力による選挙介入」の可能性として懸念された。
そこで,自民党の総裁選挙管理委員会が,総裁選期間中に悪質な偽・誤情報や誹謗中傷を繰り返すアカウントに対し,プロバイダ責任制限法などに基づくアカウント開示請求や法的措置を含む毅然とした対応をとる方針を決めたというほど,「公明」正大な選挙が実質妨害されていた。
また「投票システム」をめぐっては,2024年の総裁選のさい「党員になった覚えがないのに投票用紙が届いた」という不備(いわゆる幽霊党員問題としての「不正選挙」)が一部地方で浮上し,手続きのずさんさがネット上で批判の対象となった。しかし,これは管理手続き上の不備であり,システムが組織的にハッキングされたといった類の「不正選挙」とは異なり,いってみれば旧式になる制度上の不備な運営であった。
要は,NHKをはじめマスコミ・メディアは,このくだらない自民党(ゴミ箱)内で演じられている,さらにいえば「たらいのなかに浮かべた茶碗に乗った,そのかっこうだけならば,一寸法師たちよろしく争う総裁選」は,いちいちくわしくニュースにとりあげる必要などない。
にもかかわらず,まるで国政選挙と同じあつかいをする。だからNHKは準・国営放送だといつも揶揄あるいは非難される。民放は民放で体制派内翼賛勢力である立場ならば,いつも明快に採っているだけで,まともな放送態勢にはなりえていない。
3 本題に入るが,2024年の場合だと『朝日新聞』2024年10月17日が「石破首相,靖国神社に真榊奉納 秋の例大祭 参院議長や厚労相も」という報道をしていた。この記事を紹介する。
石破 茂首相は〔2024年10月〕17日,靖国神社(東京・九段)でこの日から始まった秋季例大祭にあわせて,「内閣総理大臣 石破茂」名で供え物の「真榊(まさかき)」を奉納した。参拝は見送る方針。岸田文雄前首相も在任中は参拝せず,春季と秋季の例大祭にあわせて真榊を奉納していた。
尾辻秀久参院議長や,福岡資麿厚生労働相も真榊を奉納した。衆院選の期間中のため,超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」は団体参拝を見送ることを表明している。
〔石破〕首相は〔2024年〕9月の総裁選期間中,首相に就任した場合の靖国神社の参拝について明言はせず,「天皇陛下がお参りいただけるような環境を作るのが首相の仕事だと思う」などと語っていた。
a) 上の3の見出しに出した『朝日新聞』2024年10月17日の記事は,同年における靖国神社秋季祭のおり,当時,日本国首相になったばかりの石破 茂が「真榊奉納」をした事実を報じていた。
ここで,つぎに挙げる画像資料は,翌年(今年2025年)の靖国神社春季祭にもその「真榊奉納」をしたさい,これはNHKが報道された記事であり,その写真も添えられていた。

まったく理解できないと断定するのが宗教学の見地としてはごく自然な解釈
b) 日本のメディア・マスコミが,靖国神社祭壇に向かい供え物としてなされる,この『「真榊(まさかき)」を奉納』という宗教的行為そのものの本義(真意)を,まさかしらないとは思えない。しかしながら,関連するこの「神道的な事実」を,国民たちなどに向けて報道するさい,故意になのかどうか不詳であるが,あえて意識して教えることをしていない。
なぜか?
真榊の奉納はまさに,神道神社においてなされる神道式の宗教心の顕意であって,その神道内の常識的な説明では(なおこれはまだ明確な宗教原理的な説明そのものにはなりえていないにせよ),その行為にもたされた「宗教的な意味」は,ひとまずこう指摘できる。
真榊は,神前に供えるサカキの鉢植えであり,靖国神社の場合,奉納できるのは1年でもっとも重要な祭事である「春と秋の例大祭」のみである。
ちなみに,安倍晋三は自身が首相であったときは,第1次政権のとき2007年の4月,そして第2次政権のときの2013年の4月の春季例大祭に,それぞれ真榊を靖国神社に奉納していた。
さらに,安倍晋三は2013年12月26日,第2次政権発足から1年に当たるその日の午前,靖国神社を参拝した。もっとも,安倍の首相在任時の参拝は第1次政権も含めて初めてであり,かつ最後となっていた。
あとは参拝でなく「真榊を奉納」によって参拝に代えていた。しかし,その主旨は,両行為間における国家神道的におよび皇室神道的になんら差異はありえない。

厚生労働相と2人で必らず真榊を奉納するのが恒例
c) ここでの話題は,以上の経過(出来事の記録)の,そのまた以前に関した内容を取り上げることになる。
2013年4月の時点にさかのぼるが,当時,安倍晋三によるその種の行為(靖国神社への参拝)がなされそうだったという情勢を受けてだったが,それも2013年10月の例大祭開催直前の時期であったが,前もって「アベは靖国に参拝にいくのではないぞ!」という意味あいの警告が,アメリカ側から発信されていた。
当時それでも,アメリカの国務長官と国防長官との2人が,わざわざいっしょに日本に来て,しかもこれみよがしに晋三に向かい警告し,抑止しようとする行動を採った。すなわち,この2人は,宗主国の立場にあるアメリカ政府の高官2名として,その強い意思を明示したのである。
さすがに,「対米従属(服属)国:日本」に対する「宗主国:米帝」の『内面指導』(対日善導?)であっただけに,その行為にはまさしく意味深長なアメリカ側の思いがかけられていた。またいえば,相当に露骨な内政干渉がその過程では,遠慮もなく発露されていた。
★米国務長官らが千鳥ヶ淵墓苑で献花 ★
=『The Huffington Post』2013年10月3日 12:58,
https://www.afpbb.com/articles/-/3000736 =
【10月3日 AFP】 来日中のジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官は〔2013年10月〕3日,東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ,献花した。安倍晋三首相が5月に訪米したさい,靖国神社を米国のアーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)になぞらえたことに対する牽制とみられる。
ケリー国務長官とヘーゲル国防長官は外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)のため来日中。千鳥ヶ淵戦没者墓苑によると,今回の訪問は日本の招待ではなく米国側の意向によるもので,同墓苑を訪問した外国の要人としては1979年のアルゼンチン大統領以来,最高位の政府高官という。
補記)ところで,安倍晋三はアーリントン国立墓地の意味を理解できていななかった。と同時に実は,靖国神社の歴史的な由来やその戦争神社的な基本性格も,彼にはほんとど理解の及ばぬ事項であった。
だが,安倍晋三はそのころだと,第2次政権を発足させえた充実感ゆえか,あるいはその立場を昂揚した気分をもって誇示したかったのかまでわからぬが,2013年12月26日,安倍はともかく,首相として靖国神社を悠然として参拝した。
もっともその参拝は安倍にとって,第1次政権の時期も含めて初めてであって,かつまた最後になってもいた。
d) 以上の論旨にかかわっては,『The Huffington Post』2013年10月3日 の記事が,安倍晋三に固有であった “つぎのごとき無知” に言及していた。
つまり,そのアメリカのアーリントン国立墓地は,政教分離の観点からは無宗教施設と説明される必要などなかった。この点をより正確にいうと,あらゆる宗教・宗派,宗旨(無宗教も可)による埋葬を許容したうえで,特定の宗教形式も押し付けることなく,「信仰の自由」を保障して多様な宗教性を受け入れている。
それに対して,このアーリントン墓地に比較した靖国神社は,元・旧大日本帝国陸海軍の管轄下に置かれていた国営の神道神社であったものを,敗戦後はGHQの占領下における指示に応じるかたちで,民間の一宗教法人である組織形態にととのえなおすという変更を経てきた。
しかし,敗戦以前からのこの神社の本質的なありように関していえば,それ以降において実は,なにも基本の変質は生じていなかった。この事実はGHQ側も半ばは理解しつつも,かつまた理解が十分に及ぶところとはならなかった領域を残したまま,
21世紀の現在になっても靖国神社は,敗戦直後に変更させられた「天皇家のための戦争神社であった明治維新的な基本性格」を,表面上いちおう切り離した形式を採るように変身させられたものの,根っこにおいては依然変わらずに,その種の志向性を「絶対的に維持させていく意向」を抱きつづけてきた。
補記)自衛隊関係者のなかからはいまだに根強く,戦争・戦闘が発生した事態を想定して死者が出た場合,この「霊」(遺体ではなく)を祀る廟として靖国の活用を本気で郷愁している者たちがいる。その戦前・戦中的な死霊感の発想は,アーリントン墓地の基本性格に比較して考えるまでもないが,「戦前回帰」へのしかも「政教分離の原則」に無知かつ無縁な立場を露呈させていた。
〔記事に戻る ↓ 〕
e) しかし,実質的に天皇家のための「死神神社・亡霊神社」(「英霊」という御霊の創造を神命とする国家神社)の立場からだと,生者である人びと(かつて臣民,いま国民)の実在を,まずさきに意識したつぎの段階で,となるかたちでだが,つまり,靖国神社は「督戦神社」として,その真義としては「こちら側の人びと(われわれ生者)」に向かい,露骨に働きかけようとする「国家神道的な戦争神社の本質」を,元来もたされていた。
だから,その本質にあっては,戦前・戦中と戦後とを問わず,なんら変質などありえないまま,「宗教的な教理(のようなしかも曖昧・未熟な神道的な実体)」として包摂しつづけてきたものが,靖国神社創建以来の「歴史的な素性・本性」としての死生観であった。
以上のごとき(ヤスクニ的な真相)は,神道全般そのものがもとより,宗教的な完成度「いかん」に関して,それを判断するために基準(尺度)を当てて量ろうにも,元来きわめて未熟・不全であるゆえ,そもそもがまともな経典なしで,ただ密教志向な約束事(国家神道として)を,その宗教的な「行為の基盤というか背景」に仕立てて利用してきた。
f) したがって,ここで「真榊の奉納」の話に戻るとすれば,この行為は神道式であるそれなりにならば,これじたいとしてはまさしく宗教的である行為として,しかも靖国神社風に果たすべきそれなりの意味(含蓄)をもたせられた「本殿参拝の代替行為」である核心にこそ,その真意を読みとる必要があった。
すなわち,靖国神社への「真榊の奉納」は「本殿へ昇り参拝する行為」と「同義であり,等しいものになりうる」という,九段下なりの「自社」的な宗教的な意義づけが,宮司たちの「仲間うち」では実に身勝手に,世間の神道界に対する認識の程度(不明さかげん)をコケにまでするかたちで諒解事項にされていた事実は,「彼ら」自身がけっして否定しないどころか,そのまま首肯するほかない基本点であった。
したがって,靖国神社関係者からいわせれば,「真榊(まさかき)」じたいに関する説明は,こういわれてもいた。
「神事のさいに用いられる常緑樹で,鉢植えとして祭壇の前などに供える。紅白などの布で飾られることもある。靖国神社は春と秋の例大祭で,首相や閣僚らに参拝の案内状を送付しているが,安倍晋三首相は21日からの春季例大祭に合わせ,「内閣総理大臣」名で真榊を奉納した」(『時事ドットコム』の「真榊」解説より,2014年4月21日参照)
g) ところで,宮澤佳廣『靖国神社が消える日』小学館,2017年8月という本のなかには,関連する「実質的な内訳話」が告白されていた。
当時,靖国の禰宜などを務めてきたこの著者は,つぎのように日本国民全体を完全にコケにしたごとき発言を放っていた。
該当する箇所から直接引用するが,要するに宮澤は問題となった時期の靖国の宮司とともに,まさに国民・市民・庶民という意味での「全日本人たち」を,ハナから小バカにした発言を,この本のなかで平然と告白していた。この発言は「彼ら・彼女ら」の図々しさと小心さとがないまぜになった「国家神道精神の貧しさと狡猾」さを,真正直に語ることになった。
安倍首相の確固たる政治信条もあって首相の真榊奉納は復活しました。
ところが,マスコミがこの事実を報じるまでには相当の時間がかかりました。真榊が本殿脇(木階下)に備えられたのは〔2007年〕10月17日の朝のことです。それから丸1日が経過した翌朝,中庭を掃除していた私の背後から南部宮司がこう声をかけてきました。
「宮澤君,誰も気づかなかったみたいだね」。そういって南部宮司は,ニヤリと笑いました。
悪戯っ子のようなその童は,今も脳裏に焼き付いていますが,例大祭の期間中,ついぞマスコミ関係者は誰1人として20年ぶりに復活した真榊の存在に気づきませんでした。そこで私は,神社新報に首相の真榊奉納を記事にするように頼むことにしたのです。
マスコミの報道で,首相の真榊奉納の伝統は広く国民にしられるところになりました。しかし,安倍首相の退陣と民主党政権の誕生もあって,その定着化にはなおも時間が要しました。
第2次安倍政権が誕生して,平成25年〔2013年〕の春からは首相以下,衆・参議院議長,厚生労働大臣名の真榊が奉納されています。これも,あのとき,私の要請を快諾してくれた山谷〔えり子〕議員のおかげです。
早いものであれから10年が経過しました。いまでは春秋の例大祭にさいしてマスコミが真っ先に報じてるのは真榊の奉納です。
私にしてみれば一つの目標を達成したことになりますが,本来ならば,それが当然のこととして報じられない状況が望ましいはずです。首相の真榊奉納が報じされるたびに,国家護持への途は途方もなく遠いことを私は実感させられているのです(宮澤,前掲書,60-61頁)。
以上のごとき宮澤佳廣の発言は,靖国神社側に特有である独善性・排他性・頑固性が,いったいどこから湧いて出ているかを教える。それは,戦前・戦時体制下のこの神社の国営的な性格にまで淵源する特性であった。
現在は敗戦直後からすでに一民間の宗教法人に過ぎないこの靖国神社が,いまだにこのような傲慢きわまりない唯我独尊の思考回路にどっぷり嵌まっている姿は,宮澤自身が書いたこの本の題名『靖国神社が消える日』の到来を覚悟せざるをえない実情までも,明確に示唆していたことになる。
結局,宮澤佳廣のいいぶんだと,
イ) 「真榊奉納の真義」は「本殿参拝と同義」であると解釈されている。
ロ) 彼の発言の基調にうかかがえたのは,それこそ一貫して徹底的に「国民たちをあらゆる意味でたいそう小馬鹿にする姿勢」であった。
ハ) 「本殿脇に備えられるのが真榊だ」という意味も,いうまでもなく明白であった。
この「本稿(2)」の最後で触れておく。 宮澤佳廣は,本ブログ筆者が以前利用していたブログサイトに書いた靖国「論」に関連してであったが,「この神社の本質を暴露したある文章」をとりあげ,さも憎々しげに記述していたのは,とても印象的であった。
註記)宮澤佳廣『靖国神社が消える日』小学館,2017年,99頁。
------------------------------
【付 記】「本稿(2)」の続編は以下である。
------------------------------
【参考文献】
