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「明治謹製」大日本帝国式『天皇・天皇制』の創作性(4-1)

【冒頭断わり】 「本稿(4-1)」はつぎの(3)承前である。


 1 本日は,2026年7月12日からの「先週・数日間における国会関連の話題」を,この冒頭でさきに触れて起きたい。「現内閣高市早苗政権の調子に乗りすぎた皇室典範改正(改悪)」に対する大手紙の反応はきわめてきびしい論調であった


 上の問題をめぐっては,『朝日新聞』や『毎日新聞』そして『東京新聞』どころか,『読売新聞』や『日本経済新聞』の社説までが,つぎのように激昂した論調で,「主に自民党( つっかけ のような泥足政党:日本維新の会」)政権〔など〕」のやり口を批判(非難)していた。本日は,この事実から紹介しておきたい。

 補記)本日の記述内容は,最初に用意した材料に入る前に書くつもりであった段落部分が,分量として相当に増大したために,その材料は別個に「本稿(4-2)」に切り離しすことにし,次回の記述に回すことにした。

補記・構成上の断わり

 a) それら各紙の当該論説を読んでもらう前に,今回登場してきた皇室典範改正案をめぐり,いったいなにが,どれほどヒドイ「改正ではなく改悪」であったかを直感的に理解してもらえるように,関連のユーチューブ番組からスクショ的に参考になる画面を切りとったものを,さきに紹介しておきたい。

このように大手紙がそろい踏みして高市「個人」のやり口を猛批判した

 b) 今回の皇室典範改正「案」のなにが問題であったのか。

オレ:麻生太郎のためにする皇室典範の改悪であった

 c) 漢字読み上げ術が大の苦手である麻生太郎であるが,このような皇室・皇族問題への「自家・一族の想像妊娠的な昇天物語」構築へかけた願望だけは,寿命が尽きるまえに実現させたいのか?

麻生太郎「家」は自家製の系譜論では天孫降臨的な妄想まで混ぜこんだ
「という話もある」語り口を披露していたが

どこまで信用できるかは未知数「以前」に朦朧同然の夢物語であった


 2 さて,ここからは,大手紙がたいそうな怒りをこめてだが,高市早苗(タコイチ)政権の手による,麻生太郎風に染まっていた姑息だらけの「今回の皇室典範改正案」を,以下のように猛烈に批判していた。


 1)『読売新聞』2026年7月18日朝刊「社説」は,あの日本初の女性首相になった高市早苗(さてこの人に実際に首相をやらせたら,政治の基本も経済の知識もすべてろくでもない知的水準に留まり淀んでいた事実が,初めから明白になっていたのだが)を,

 2025年10月21日から首相になれるように,自民党総裁でもちあげるのに力を貸した(裏から手をまわしていた)麻生太郎(85歳のロートル国会議員)は,自分の姻戚縁者を皇室のなかに送りこみたかったらしく,いまどきに,藤原道長ばりの人間に成仏したい願望でもあったのか,という〈疑い〉を抱かせた。

     ◆ 皇室典範改正 象徴天皇制の根幹を傷つけた ◆
        =『読売新聞』2026年7月18日朝刊 =

 問題多い養子制度を白紙に戻せ

 戦後80年にわたって育まれてきた国民と象徴天皇の絆を無にするかのような,あまりに多くの欠陥を抱えた乱暴な制度変更である。

 国会と政府はただいちに,現在の皇室をいかに継承していくかを正面から検討し,皇室典範再改正を急がねばならない。

 改正皇室典範が参院本会議で賛成多数により可決され,成立した。近く公布されて,その3か月後に施行される。

 現系統の継承が最優先

 改正後は,女性皇族は結婚後も皇室に残ることができるようになるが一代限りとされ,また夫と子は一般人のままだ。

 一方,戦後に皇籍を離れた旧宮家の男系子孫の一般男性を皇族の養子にして,その養子がもうけた男子に皇位継承資格を認める。

 衆参両院正副議長が与野党協議を経て決めた「立法府の総意」にはない,女性皇族の夫と子の身分と,養子の子の皇位継承資格に一方的に踏みこむ内容となった。

 現在,皇位継承資格をもつ男系男子は,天皇陛下の次の世代では秋篠宮さまの長男,悠仁さまお一人だ。

 悠仁さまに男子が生まれなければ,今の皇統は途絶えてしまうことになる。

 旧宮家から養子を迎える制度は,皇位継承をむしろ不安定化させる恐れがある。改正皇室典範は,養子の子の皇位継承資格について「実方(実家)の系統による」という一文を唐突に明記した。

 旧宮家はすでに一般家庭であるにもかかわらず,改正典範では「実方の系統」との表記を用いて,事実上皇族扱いしていることも,強い違和感を禁じえない。

 今の旧宮家は現在の皇室の系統とは600年前の室町時代に分かれ,80年前に一般人となった。しかも,皇籍を離れた当時の男系男子は今の天皇陛下とは38~38親等離れているという。

 一般人として生まれ育った旧宮家の人たちは皇族になれば生活や権利の面で様々な制約を受けることになる。どんな人が養子縁組を希望するのだろうか。

 典範は改正されたとしても,その施行を凍結することも躊躇してはならない。

 他方,天皇,皇后両陛下の長女,愛子さまら女性皇族が結婚後,皇室に残ることができる仕組みは妥当だ。だが夫と子は一般人で,「宮家」ではないため,愛子さまらの一代で途絶える。

 「女性宮家」検討が重要

 女性皇族は公務を分担しさえすればよいというに等しい扱いであり,敬意に欠けているだろう。

 戦後の天皇は憲法第1条で規定されている「国民統合の象徴」としての役割を一貫して模索し,天皇陛下や上皇さまを始めとした皇室の方々は災害などの危機にさいし,つねに国民に寄り添い,国民の安寧と幸せを祈ってこられた。

 そうした姿が国民の敬愛を集めて象徴天皇制が定着してきた。

 今の皇室に代わり,一般人から皇族となる養子の子孫が新たな天皇として別系統を作れば国民が目にする皇室の風景は一変しよう。それで理解をえられるのか。

 旧宮家から養子を取る制度は白紙に戻して再検討すべきだ。

 国会と政府は女性宮家創設と,女性・女系天皇も排除しない皇位継承策を議論しなければならない。

 政府は今回の改正は公務を分担する皇族数の確保が目的だと強弁している。皇位継承の安定化については今後検討するとの規定を付則に設けた。

 そうであるなら,皇位継承安定化を議論する有識者会議を設置すべきだろう。2005年の政府有識者会議報告書は,旧宮家の皇籍復帰は「極めて困難だ」と否定し,「女性・女系天皇への途を開くことが不可欠だ」と記した。

 今回の改正を受けて養子縁組が成立し,養子に男子が生まれれば,養子の子孫の皇位継承資格が既成事実化する可能性がある。悠長に構えている時間はない。

 分断招く議論を避けよ

 養子制度をめぐって世論は分かれている。与野党は「 静謐な環境」での議論が必要との共通認識をもっていたはずなのに実際は,拙速な議論で衆参両院とも質疑を1日で終わらせた。

 質疑に時間をかければ賛否が割れて「立法府の総意」がなりたたず,改正案の基盤が崩れることを恐れたのだろう。

 自民党などは女性・女系天皇論をかたくなに否定している。「男系男子」を絶対視して天皇の地位をめぐる世論が分断されては,「国民統合の象徴」としての天皇の地位を傷つけ,日本の国家体制じたいを揺るがせることになる。

『読売新聞』社説


 2)『日本経済新聞』2026年7月18日朝刊社説。基本は『読売新聞』社説と同質の議論・批判である。

「麻生太郎 × 高市早苗」という最悪のゾンビ組がいよいよ
この「神州日本」の枠組を溶融させはじめた

 3)『毎日新聞』2026年7月日朝刊「社説」も基本線は『読売新聞』と『日本経済新聞』と同列・同質であった。

高市早苗流のやり方がいかにひどいかが分かる

 4)『朝日新聞』2026年7月18日「(社説)皇室典範の見直し 時代錯誤の『物語』 賛同できぬ」

 改正皇室典範が成立した。(1)女性皇族が結婚後も皇族の身分を保てる(2)旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることができる――の二つが柱だ。皇族数確保をめざしたはずが,今後の皇位継承を規定する内容が埋め込まれた。

 衆参正副議長による「立法府の総意」のとりまとめでは正面から議題になっていなかったことが,法案化の段階で明示されたため,野党側には「だまし討ち」との不信感が強く残り,参院で野党第1党が反対するなど国会の総意は崩れた。国民の総意に基づくはずの重要法案が強引な手法で通ったのは極めて遺憾だ。

 ■ 担うのは生身の人間

 現在の女性皇族は,結婚したら皇室を離れる前提で人生を歩んできたため,皇室に残るかの選択は,本人の意思を尊重する。これは当然だ。

 ただ,女性皇族の配偶者や子の身分は,改正典範では皇族とはならない。政府の説明は「取りまとめに記載がなかったから改正典範にも書いていないだけ」という内容で,将来どうなるかはわからないという。これでは,当事者の選択は難しい。

 養子は「配偶者と子がいない15歳以上の男子」で,養子になると「意思に基づき皇族の身分を離れることができない」。とくに未成年の場合,事情も十分わからず皇室に入り離脱できないのでは過酷だ。

 改正支持派にうかがえるのは「女性はけっして皇位継承にかかわらせないが補佐的な役割を果たすため皇室にとどまってほしい」「養子は,男系で血がつながっている男性が存在していればいい」という考えで,個人を皇室制度の手段とみなす色彩が濃い。

 天皇もそれを支える皇族も「生身の人間」だ。一人の人間として,本人の意思や人権を尊重することが不可欠だ。

 ■ 固執が生んだ無理

 審議で,「皇位の男系継承は2600年以上にわたる伝統」といった発言が相次いだ。「2600年の歴史」と「男系男子の伝統」。時代錯誤ともいえる二つの「物語」に,推進側は依拠していた。

 約2600年前に即位したとされる初代の神武天皇は学術的に実在が確認されていない。建国神話を歴史的事実として教え,神国思想のもと国民を軍国主義に動員した戦前の過ちが繰り返されないか。懸念を抱かざるをえない。

 「男系男子」は明治期,旧皇室典範を定めるさいに確立された考え方で,「男性尊重の国民感情・慣習」が有力な論拠だった。当時の男尊女卑的価値観を反映したと言える。

 この二つの物語に固執するあまりに無理を重ねてできたのが改正典範だ。養子の対象となる旧11宮家について,天皇陛下とは「36~38親等の隔たりがある」という答弁に驚いた人も多いだろう。養子の子が男子なら皇位継承資格を持つと改正典範に明示されたのだからなおさらだ。

 国連の女性差別撤廃委員会は2024年,男系男子の皇位継承を定めた皇室典範の改正を勧告した。象徴天皇制が国民の総意に基づく以上,男女平等を否定し女性を排除する制度づくりは望ましくない。多くの人が怒りや不信感を抱くのは当然だ。欧州では,男女の区別なく長子優先に改めた国も少なくない。

 伝統とは「必ずしも不変のものではなく,各時代において選択されたものが伝統として残り,またそのような選択の積み重ねにより新たな伝統が生まれるという面がある」と,皇室典範に関する有識者会議の2005年報告書は言う。

 ■ 広く議論を始めよう

 「無理」の背景として見過ごせないのは,右派色の強い団体の存在だ。神社本庁の関連団体・神道政治連盟は,女性・女系天皇の容認について「男系による万世一系の伝統を揺るがし,かえって不安定化させるもととなる」としてきた。日本会議と密接な関係にある「皇室の伝統を守る国民の会」も「皇統に属する男系男子孫の養子案を具体化すること」を重要課題とする。

 こうした方向性と,今回の内容はぴたりと合致する。

 高市早苗首相はじめ与党や野党の一部も両団体との関係が深い。首相動静によると,首相は神政連の会長と1,2,4月に面会。日本会議では2021年の総裁選出馬以降,高市氏支援の組織づくりが各地で進んだ。

 そうした団体の声に政治家が左右されるのは,意向に反すれば「票が消える」「批判にさらされる」との恐怖感もあるとみられる。一部の人が自説を拡散し,増幅されて政治が影響を受け,世論調査などに表れる「声なき多数」の意思が十分くみ取られない構図は歪んでいないだろうか。

 今回埋めこまれた皇位継承のあり方は,国民の総意と乖離する。象徴天皇制は,憲法的価値をはじめ国民が象徴として求めるものを体現する努力が重ねられる上になりたってきた。改正典範はその信頼関係を損ないかねない。

 典範改正には改めて反対する。時代錯誤の「物語」を克服するため,女性・女系天皇への道を含め,皇位継承や天皇制のあり方について,開かれた議論を始める時である。

今年は紀元2686年になるなどといった幻想がまかり通るこの国

 この『朝日新聞』社説は,『読売新聞』『日本経済新聞』『毎日新聞』が直接触れていない神社本庁や日本会議(これに関係する国会議員は自民党を中心に大勢いる)の直接の関与・関説の介入を取りあげ,問題していた。

 5) つぎに紹介する『東京新聞』の社説はさらに,「皇室典範」のあり方に対する具体的な提言をしているところが,めだつ論説になっていた。 

   ★〈社説〉改正皇室典範が成立 象徴天皇制揺るがす暴挙 ★
       =『東京新聞』2026年7月18日 07時44分 =

 皇族数の確保をうたった改正皇室典範が成立した。憲法第1条で「国民統合の象徴」とされた天皇と,それを支える皇室に関する制度を大きく変える岐路に立つ。

 当初かかげた与野党の幅広い合意という前提が崩れ,「男系男子」による皇位継承を強固にする保守的な内容に変質した。高市早苗政権が国会の権威をおとしめ,強引な改正に踏み切った暴挙は厳しい非難に値する。

 女性天皇や女系天皇を容認する世論との乖離は甚だしく,象徴天皇制に対する国民の信頼が揺らぎかねない。皇位継承を男子に限ったことで皇統の先細りは避けられず,皇室の存続自体が憂慮される状況だ。

 憲法が定める象徴天皇制を維持することができるのだろうか。

 ◆ 国民の総意には程遠く

 改正の柱は

 (1)女性皇族が結婚後も皇族身分を保つ
 (2)1947年に皇籍離脱した旧11宮家の男系男子を養子に迎える
 
の2点だ。

 女性皇族は身分を保持するものの,夫と子は一般国民のまま。身分の差が生じ,皇室が続けてきた家族一体の公務は困難だ。将来の皇族数増加にもつながらない。

 一方,養子制度では養子自身は皇位継承資格をもたないが,子が男子なら資格をもつ。旧宮家は皇室と血縁関係が非常に遠い上,約80年も皇室から離れている。国民の敬愛を得られるか疑わしい。

 養子と養親の自由意思で縁組が決まるというが,政治的思惑による介入の懸念は拭えない。門地による差別を禁じた憲法に違反する恐れもある。縁組が実現しても,男子が次々に生まれる可能性が高いとはいえない。皇統が断絶する恐れは依然深刻である。

 立憲民主党や共産党などが改正案に反対したのは当然だ。賛成した自民党,中道改革連合からも退席や欠席が相次いだ。

 そもそも今回の改正では皇位継承問題を先送りし,皇族数確保に限って全13党派の合意をめざすはずだった。しかし,国会が総意を取りまとめる段階で一部野党の意見を無視しただけでなく,政府が改正案をつくる段階で国会の取りまとめを逸脱し,男系男子による継承に踏みこんだ。

 衆院で3分の2以上の議席を占める数の力を背景にした高市政権の「だまし討ち」ではないか。国会での審議も衆参合わせて6時間余りで拙速との批判は免れまい。天皇の地位を「国民の総意に基づく」と定める憲法の規定にも背く「改悪」と断じるほかない。

 天皇に政治的権能はないが,戦後日本の歩みに果たした役割は大きい。代表例が徹底した平和主義だろう。戦争犠牲者を慰霊する旅を重ね,かつての敵国や侵略した国には加害の歴史をめぐり遺憾の意を表明した。不戦の誓いを繰り返し,憲法で誓った平和国家としての歩みを体現したともいえる。

 困窮する人々に寄り添う姿勢でも一貫している。障害者や難病患者,被災者らを励まし,共生社会へ向けた道筋を示してきた。

 今回の改正で象徴天皇制や皇室の営みが途切れたり,変質したりすれば,国民の信頼を失い,国民の総意に基づく「象徴」としての地位に疑義が生じかねない。

 ◆男系男子に固執するな

 高市政権はなぜ,そうした危険を冒してまで,男系男子による皇位継承に執着するのか。審議では「古来,男系継承が維持された重み」などと空疎な答弁を続け,合理的理由を示せなかった。

 「伝統」とされる男系男子による継承の根源は男尊女卑という古い社会慣習だ。明治憲法下では天皇は軍隊の統帥権をもち,家父長制度の頂点にあった。女性・女系天皇は,当時の政府には都合が悪かったのだろう。現代の男女平等の理念には著しく反し,首肯できるものではない。

 現憲法は,天皇の国事行為や公的行為に性別の制約を設けていない。世論調査では女性・女系天皇の容認派が大勢を占め,国民の多くは女性差別を内包する天皇制の欠陥を見抜いているのだろう。

 欧州では第1子継承とする王室が増え,オランダやベルギー,スウェーデンなどの現皇太子は女性である。国連の女性差別撤廃委員会は2年前,皇室典範の改正を勧告した。男系男子による継承を維持する理由は見いだせない。

 生まれる子が男子でも女子でも平等に扱い,女性・女系天皇を認めることが,封建的要素をもつ天皇制を現代に適合させる唯一の道だ。皇室存続の可能性は自然に高まり,日本社会に残る女性差別を解消する契機にもなるだろう。

 改正皇室典範には見直し規定が設けられている。皇位継承の在り方を引き続き,議論することが必要だ。男系男子継承という時代錯誤の規定を一新し,男女平等理念に立脚した現代の象徴天皇制を実現するための議論に期待したい。

この社説が一番積極的な提言を試みている

 

 3 大日本帝国憲法と日本国憲法の話 


 a) 高市早苗や麻生太郎を支援する神社本庁や日本会議の頭中にあるものといったら,それは,明治以来に湧いてきた古代(誇大)妄想の「男系天皇思想」であった。

 それは,伊藤博文や井上 毅,伊東巳代治らが,それこそ鉛筆をナメナメしながら書いた『憲法義解(ぎえ)』の秘訣を控えさせたつもりの,しょせん,古代国家もどきのフランケンシュタイン的な再興を試みた,すなわち,明治の時代における「古式ゆかしきヤマト王朝を夢想した再建策であった」からには,

 そのかぎりで大日本国憲法の根幹を貫く基本理念は,当時の世界史的な潮流のなかでもすでに,何周回分も遅れをとった封建君主制「国家感」の構想設計に過ぎかった。いまさらのように,その「19世紀なりの時代錯誤」感の脊柱的な存在性は,あらためて的確に指摘されておく必要性があった。

 21世紀の現在となってみれば,世界中のなかでごく小さな国の例外的な事例をのぞいて,女性を女王にしない国など,いいかげんなくなっている。別姓問題についても日本はいまだに世界で唯一認めない国である事実を,恥じる感覚すらもたない「国柄」であって,それこそ世界のなかでは国家精神の貧弱孤児。

 結局,例のいいぐさ,「日本の常識は世界の非常識」など指さされても,これを屁とも思わないでいられるほどに,鈍感きわまりない神経だけは超一級品であった。

 明治維新を契機にあの悪党の公家だった岩倉具視が造語したのは「万世一系」であった。だが,このような「歴史の連続性」観は,神武天皇以来,いわゆる連綿たる伝統として天皇家の歴史が本当にあった事実はなかったゆえ,どこまでも神話物語が吐かせる饒舌であった。

 ところが,である。ここまでの話は天皇一族を守護する論調1本槍であったようだが,そもそもの話,明治以来皇居内に建造されていた宮中三殿,賢所・皇霊殿・神殿のうち前2殿はいったい,どこの誰やそのなにを祀っているのか。

 この事実をしればなぜ,神社本庁や日本会議みたいに禍々しいエセ国家神道系の疑似宗教的な団体(これには与野党問わず関与している国会議員が大勢いるわけだ)が,今回,裏舞台から「皇室典範改正」ならぬ「改悪」を強力に支援してきた動向の,歴史科学的に観てとれた本性が奈辺に存在していたかは,おのずとお里がしれるものであった。

中心より左側のやや下部に宮中三殿
皇霊殿と神殿に囲まれて中心に位置するのが賢所

 この「賢所平面図」はそもそも,皇霊殿や神殿の神々のあつかいに関しては,けっして同じ平面に祀っているのではない事実がある。説明しておこう。

 賢所の祭神は,皇室の祖神(皇祖神)である天照大御神である。神体は三種の神器のうちのひとつ,「八咫鏡(やたのかがみ)」の御霊代(レプリカではなく本体)が「奉安されている」という。

 隣接する神殿の祭神(宮中三殿)賢所の左右には別の神殿があり,それぞれ以下の神々が祀られている。西側にある皇霊殿は,歴代の天皇や皇族の御霊を祀っている。東側にある神殿は,日本のすべての神々である天神地祇(てんじんちぎ)八百万神を祀っている。

 これらは宮中祭祀の中心となる場所であり,「天皇によるさまざまな祈りや儀式がおこなわれる」と説明されるが,いってみれば,あれこれ説明はなされているものの,『賢所⇒皇霊殿⇒神殿』という関係をもって具現されている,神々間において整序された上下関係は,厳然たる事実であった。

 b) さて,京都宮廷文化研究所特別顧問である所  功が「天皇の奉仕される宮中の祭祀(一)概要と年始・毎旬毎朝の拝礼」『京都宮廷文化研究所』2025年7月15日,更新 8月12日,https://kyoto-kyuteibunka.or.jp/column/2250/08/12 をもって説明するところの,宮中三殿において執りおこなわれている天皇家の祭事は,つぎのように解説されている。

 宮中の祭祀は,大祭と小祭と他の行事に分けられます。まず大祭では,天皇が自ら祭主となって殿内(内陣)で御告文(祭文)を奏上されます。

 それに対して,小祭では掌典長(内廷職員)が祝詞を奏上し,天皇が内陣で拝礼されます。

 さらに,毎年3度の旬祭と毎朝御代拝があります。

 その他の行事というのは,大祭・小祭のような神饌(お供え)や御告文・祝詞のない,小祭に準ずる祭事です。(以下,略称[大][小][行])。

 それを内容的に三分しますと,(一)年始・毎旬毎朝の拝礼,(二)自然神などに祈る祭祀,(三)祖先神などに祈る祭祀となり,各々次のような例があります。

(一)
 正月の ①四方拝[行],②歳旦祭[小],③元始祭[大],および毎月三旬の ④旬祭と毎日早朝の⑤毎朝御代拝

(二)
 2月の ⑥祈年祭[大],10 月の ⑦神嘗祭[大],11月の ⑧新嘗祭および6月と12月の ⑨節折[行]と⑩大祓

(三)
 ⑪先帝祭= 昭和天皇祭[大],⑫紀元節祭[臨時御拝],⑬神武天皇祭[大],⑭孝明天皇例祭[小],⑮明治天皇例祭[小],⑯香淳皇后例祭[小],⑰大正天皇例祭[小],⑱天長祭,および ⑲神武天皇と孝明・明治・大正各天皇と香淳皇后の式年祭[大],⑳それ以前の歴代天皇の式年祭[小],㉑代始め大礼関係祭祀,㉒皇族の人生儀礼関係祭祀,㉓春季の皇霊祭と神殿祭,㉔秋季の皇霊祭と神殿祭,㉕賢所御神楽[小]など。

所功の宮中三殿「解説」

 以上の解説はもっぱら,天皇家における私的な宗教行為に関していた。これらの内容では,まだまだ分かりにくい面があるが,要するに「賢所⇒皇霊殿⇒神殿」という秩序,これがそこに貫かれている事実は否定できない。

 あらためて問題となるのが,日本国憲法の第1条「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」という文言であった。

 c) 天皇・天皇制問題をめぐってはいつも(戦前からという意味で)問題になっていたのが,この天皇家の私的宗教行為というものが,ほかのあらゆる宗教を抑圧・弾圧する理由になったからである。

 敗戦後はそうした事情をことさら荒立てないように「それ以上は突っこんだ議論はしない」ことに,いちおうタテマエとしては決めているけれども,まともなキリスト教徒やとくにイスラム教徒の信仰心に照らせば,日本国憲法そのものに深く関与しているとみなすほかない「国家神道ならぬ皇室神道」の教条体系は,絶対に相容れない性格のそれである。

 そうした指摘は仏教徒や民間の神社神道にも妥当するのであり,ここにはあっけらかんにいうまでもなく,宗教戦争もどきの相互間の葛藤・対立が発生していて当然であった。

 園部逸夫という皇室問題研究の専門家が,その付近の問題,つまり憲法に規定されている「国事行為」⇔「公的な行為(いわゆる公務)」⇔「私的な行為」という3域の相互関係性を,なんとか図解に解いて,これらの内的なつながりを図面として説明していた。けれども,この図解はいつまでみていても,理解がすんなりいかない,一筋縄ではいかない要素を残す。

 要するに「神話の世界」に生きている皇室一族が「国事行為」に直接たずさわるという「政治の問題」ゆえ,神権「性」を完全に払拭できるわけがなかった。現に宮中三殿において執りおこなっている天皇家の宗教儀式が密教的に秘されていることを,この国の人びとのなかには,自慢したいがごとき姿勢すら保持しているからには,問題はますます混迷の度合いを深める要因を潜在させたままである。

なんど観ても完全に理解がいかない

元首の役目も半ば果たしているごとき天皇が元首そのものではない
「位置づけだ」そして「国家の象徴だ」というのは
学問や理論ではどうしても説明しきれない

いまさらマッカーサーに訊くわけにもいかないが……

 一般的には天皇家・天皇の仕事は,こう分類されている。

 天皇家(特に天皇陛下)の仕事・活動は,憲法上の位置づけや公私の度合いによって,大きく3つの種類に分類される。

 ▲-1「 国事行為」 これは(完全に「公」)憲法に定められた,天皇が国家の象徴としておこなう形式的・儀礼的な行為である。

 内閣の助言と承認に基づいておこなわれ,法律・条約の公布国会の招集衆議院の解散大臣などの任命外国大使の信任状受領を仕事とする。

 ▲-2「公的行為」(「公」の側面が強い) 憲法に明記はないが,象徴としての立場からおこなわれる象徴的・公的な活動である。

 国賓の歓迎行事外国訪問,被災地への見舞い,式典へのご出席(全国植樹祭など)宮中晩餐会の主催。

 ▲-3「私的行為」(「私」の側面が強い) 皇室の伝統の継承や,個人としての性質を有した活動である。ただし,宮中祭祀などは「公の性質を帯びた私的行為」とも呼ばれ,完全にプライベートとはいえない側面もあり,どうしても理解のゆきとどかない要因を残すほかない「天皇家の仕事」の1種類になっている。

天皇や天皇家の仕事・分類

 前段で言及した「宮中祭祀(皇祖への祈り)」や皇居内の田畑での稲作,天皇自身の研究活動,家族での静養,私的な趣味が,▲-3の私的行為だと分類されている。

 d) 不思議なこととして,▲-1から▲-3に移るほど,その仕事・儀式の中身がより具体的,実質的になっている事実に気づいていい。公的な行為(国家次元の仕事の範囲)はより形式的・儀式的であるのに比して,私的な行為(自家次元の宗教の信仰)はより実質的・具体的であるとなれば,この両者の行為を比較考量するさいには,より慎重な吟味・検討が要求される。

 そもそも比較考量する材料同士として,そのまま取りあげていいのかという疑問さえ浮かんで当然の「質的な断絶」が,そこに介在しているといえなくはない。

 結局,宮中三殿における祭祀のあり方は,単なる私的行為に収まりうる程度の小さな「天皇家自身の行為そのもの」だとは,とてもではないが「いえないはずだ」と断定されても,なんら支障はない。

 天皇は,皇居の宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)の一つである賢所(かしこどころ)で,年間を通じて数多くの祭祀を執りおこなっている。賢所には天照大神の御霊代(みたましろ)である八咫鏡(やたのかがみ)が祀られており,天皇は元始祭(1月3日)や神嘗祭(10月17日),新嘗祭(11月23日)などをはじめとする重要な祭儀のさいに,内陣に進まれて御玉串を捧げ,国家安寧と国民の幸せを祈念している〔というのだから,あらゆる意味で,これはただごとではない〕。

 また, 天皇はさらに,皇居にある宮中三殿の一つである「皇霊殿」で祭祀をおこなっている。皇霊殿は歴代の天皇や皇族の御霊を祀る場所であり,天皇自身が祭主として,毎年春分・秋分の日の「皇霊祭」や歴代天皇の「式年祭」などの重要な祭儀(大祭)を執りおこなっている。

 賢所の祭神である天照大神が「架空の宗教上の信仰対象」になっていることじたいは,まだなんとか理解がいくかもしれない。だが,これに比較するに,皇霊殿に神武天皇以来の天皇たち「すべての霊が祭祀されている」という事実に関していえば,

 たとえば近くの,明治天皇睦仁や大正天皇嘉仁,昭和天皇裕仁も皇室神道として設えられているその皇霊殿に祭祀されていて,しかももうすでに『神あつかいされている事実』を念頭に置いて考えれば,

 e) そこに国家・皇室と一般国民たちとのあいだに「政教分離原則」の問題をめぐり,重大な対立・矛盾がもとからしこまれ実在していた事実は,とうてい観過できない大問題であるはずであった。大日本帝国憲法下ではあるまいに,敗戦後の日本国憲法を前提に置いて考えれば,そのようにしか解答できない。

 なぜなら,憲法第1条の文言に照らしていえば,そこには絶対に相容れない宗教同士の絶対的な対立関係が,すでに前々からしこまれていた。つまり確実に予定されてなにかが,すでに抱卵されていたからである。第1条をそのまま鵜呑みにするまでもなく考えることにしたら,日本国民は皇室神道の信者であるという解釈しかできない。この指摘を極論だと反発する者は,その理由をつまびらかにして反論したらよいが,おそらく無理難題であった。

 しかしそれにしても,いまの日本国憲法下の法制問題において固有であった,この種の憲法に関連する問題を,本格的に討議しようとした憲法学者はいたのか? 天皇・天皇制の研究者は大勢いるが,そのような論点からは逃避しがちである。解釈論はよく究明してはいるようだが,根幹からの議論がない。

 他方で,キリスト教がする日本国憲法内での天皇・天皇制批判論は,すでに相当の蓄積がある。だが,神社本庁や日本会議側は,日本キリスト教会側と真っ向から真剣勝負することをしない。なぜか? まともに議論したら敗けるに決まっているからである。それは宗教の立場に関して本来「有している洗練度の違い」に由来する論点であった。

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 【付 記】 「本稿(4-1)」の続編(4-2)は,以下である。

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【参考文献】は「本稿(4-2)」に一括してかかげることにした。

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【参考記事】


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